樟彩音
このお話はもう少し後でも良かったかもしれない…
朝、いつもと変わりない風景。辺りを見渡せばクラスメイト達が各々のグループで会話に花を咲かせている。
まぁ、混じらずに一人で何かをしている人も、中に入る。
俺もその一人だ。一人で黙々と今日の授業の予習を進めていた。
思いのほか集中していたからか、背後から迫る気配に気付けなかった俺は……。
「おっはよー!」
「いったぁ!?」
突然、背中の肩甲骨辺りに痛みが走った。俺がその部位をさすりながら後ろを向くと、樟彩音が掌をひらひらとさせ俺に笑顔を向ける。
茶髪の長髪を一つにまとめ、笑顔の時にのぞかれる八重歯が特徴的だ。朝練を終えた後だが、女子特有のいい香りが俺の鼻腔を擽る。
彼女は樟彩音。俺とは別のクラスだが朝は毎日と行っていいほど俺のクラスに来る女子だ。
「変わんないねぇ、悌っちは」
「そっちもね! その挨拶止めてってば!」
「いいじゃんいいじゃん」
「こっちはよくないの!」
まだじんじん痛むんですけど。
悪気もなく謝るから余計に怒りにくい。本人はただ挨拶してるだけだしなぁ……。
「あっ、そうだ悌っち。今日の放課後時間ある?」
唐突な質問に多少戸惑うも、質問の内容ははっきり理解しているので普通に返事をした。
「放課後? うん、今日のバイトは夜からだしいいけど。ていうか放課後は部活あるんじゃ?」
「ちょっと抜けだすだけだから大丈夫」
それは大丈夫とは言えないのではないだろうか……。
「じゃあまた放課後!」
びしっと片手をあげ再度挨拶をすると教室から出ていく。というか、毎度の如く紅葉で挨拶するけど加減ってもんを知らないのかなぁ、樟は。
「……どう、今日の紅葉は?」
「いつも通り……ってか何その料理番組の「どうですか、今日のお味は?」的な聞き方」
隣の席で本を読んでいた出利葉がからかいまじりに俺に問う。
苦労してるの分かってんなら少しは樟を止めてください……。
そして放課後。樟に呼ばれ俺は後を追っていき、目的地にたどり着くと俺と樟はそこに入っていく。
「ごめんねー、悌っち。ここまで来てもらって」
俺と樟がいるのは使われていない空き教室。机に椅子が乗せられ教室のロッカー側に寄せられている。使われていない黒板や棚が埃をかぶり少し息が詰まる。
そして二つほど机を移動して対面式に設置している樟。机を持ち運んでいる際、彼女の結ばれている茶髪の髪が尻尾のように左右に揺れる。
彼女は運動能力が非常に高く、陸上部にその能力を買われ所属。本人も元々陸上を専攻していたこともありこれを快諾。今ではエースとして大会記録を次々塗り替える天才だ。
その有り余る元気をどうして俺にぶつけるのかはわからないけれど。
「いや、俺はいいけどさ……。てか部活は?」
「ちょっと抜けてきた。用事が終わり次第また戻るつもり」
「そっか。それで、どしたの、用事って」
「うーんとね……。ま、とりあえず座って」
「あっ、うん」
促されるままに、俺は設置してくれた椅子に座ると、樟は机を挟んだ反対側の椅子に座る。
「で、何でここまで? 教室で話せない事?」
「じゃなきゃここまで来させないよ」
「俺じゃなきゃダメだったわけ? 出利葉の方が悩み相談とかはピッタリだと思うんだけど」
「ま、それもわかるんだけどさ? 今回は悌っちじゃないと」
俺は首を傾げる。はて、俺じゃなきゃダメってどんな理由だろう。
「あのさ」
「うん」
樟は身を乗り出して俺に顔を近づける。ふわりと髪が揺れ女子特有のいい香りがして俺は戸惑うが、表情は真剣なのできちんと向き合う。
「悌っち、告白してきた相手ってどう振ればいいかな?」
真剣なトーンに俺は一度顎に手を当て考える。
「……誰かに告白されたの?」
「うん。一応部活のセンパイなんだけどさ。あたしはそういうのに興味ないし、今は部活に専念したいし」
「だったらそう言えば……」
「そのセンパイってさ、あたしと同じくらい凄い選手でさ! 記録とかバンバン出してて、正直に断っても練習とか普段教えてもらってる身としては気まずくしたくないんだ」
「あぁ~……、そういう」
確かに俺もその気持ちは分かる。
仲良しグループのうちの二人が付き合うと二人に気を遣って今まで通りの楽しい関係を続けられないのだ。実体験ではないが、俺の中学の友達が経験していて俺に話してくれた。
「二人で練習するときも最近は多くなっててさ。あたしもありがたいから一緒にやってるんだけど」
「でも、付き合わないんだ。告白はその時はどうしたの?」
「保留にして、答えが出たらもう一度会って答えを告げるってことになってる」
その場では良い判断だと思う。気持ちの整理がつかないなら相手には悪いが待ってもらうしかない。
ただ、俺はこの悩みに対する答えは持ち合わせていない。
彼女に相談されたからには力になってあげたいが、難しい問題だ。恋愛が絡むのなら、なおさら。
「優秀な人から教えてもらうのは確かにいい経験だもんね。そりゃあ断りにくいか」
「普通の先輩後輩の関係なら、気兼ねなく練習できるんだけど……。こうなっちゃうとさ、私はいいとして向こうが意識しないか不安でさ……」
樟は机の上で組んでいた俺の手を、両手で包んだ。そして弱々しい瞳で俺を見つめる。
「何とかなんないかなぁ……?」
俺が驚いて顔を上げると、眉を八の字にして縋るような様子の樟が視界に入った。俺はその表情から思わず視線をそらしてしまった。
いつも元気で明るい樟の、暗い表情が見たくなかったから。
けれど、樟は答えを求めているのだ。ならきちんと向き合って答えを示さないといけない。俺は樟へと視線を戻す。
樟の表情は変わらない。弱々しい姿なんて見たくない。樟には笑ってほしいのだ。普段紅葉をくらわせられ困っている俺だが、その笑顔に活力を得ているのも事実だ。
俺は何とか、二人の関係性について改めてはっきりさせておきたかったので樟から情報を得ることにする。
「……樟はさ、本当にその気はないの?」
「その気? あぁ、うん。ないよ全然」
すごくあっさりした返答に俺は少し動揺するも、樟の事だし部活一筋なのだからしょうがないのだと納得する。
「その先輩ってどういう人? 会ったことないから分かんないんだけど」
「悌っちは帰宅部だもんねー。名前は仁科悠誠。あたしたちより一つ年上で、見た目はー……、あたしと同じ茶髪で、自然な感じって言えばいいのかな? ワックスとかで整えてるわけじゃなくて、あと短髪」
手でジェスチャーを加えながらの説明に俺は心の中で笑いをこらえていた。わちゃわちゃやってるのが面白かったのだ。神前の小動物っぽさに負けない感じ。
だがそのおかげで俺も何となくのイメージはできる。爽やか系のスポーツマンみたいな人なんだろうなぁ……。
「まぁ、ワックスつけないのは分かるよ、陸上部だから髪型なんて崩れちゃうもんね」
「そそ。あとはぁ……そうだなぁ。陸上部だけど、他のスポーツも大体できるし、この前差し入れって持ってきた手作りのお菓子とか美味しかった」
「料理好き、というか菓子作りが好きな人なんだな……」
一言でいえば超人だな。勉強が出来るのかは知らないけど。
「その人ってモテるの?」
「さぁ? でもマネージャーとか選手の女子とかにいつも話しかけられてるし、人気はあるんじゃない?」
「間違いなく人気あると思うよそれは」
普通マネージャーでもそうはならないと思う。
「まぁ、人気かどうかは関係ないけどねー。あたしそういうのよくわかんないし」
俺もその言葉には同意する。好きとかそういうのよくわかんないんだよな。樟の場合は部活が楽しくてしょうがなくて、部活に専念してきたから意識したことがないのだろう。
俺もバイトで忙しい身だし、恋愛に現を抜かす余裕はない。そもそも誰かと付き合っていく、なんてハードルの高いことは俺には到底できない。
理由はどうあれ、俺も樟も恋愛自体あまり興味がないのだ。
「ていうかほんと、何で俺が相談役なわけさ……。恋愛ごとは女子の方がいいと思うんだけど」
「いや最初は女子に話したんだけどさ。そしたら、「付き合っちゃえばいいじゃん! 恋人なら気まずくないし!」って言って来て。私は恋人にならないって言ってるのにさ」
「人の話を聞かない系女子だな……」
「恋バナに盲目って感じ。それに、悌っちの方が参考にできるかと思って」
参考にできる体験などしてないんですがそれは。
「どゆこと?」
「いやさ、関係性違うけど、悌っちとわこっちゃんもそういう、何だろう……。気まずくなったりした時とかあるんじゃないかなぁって。異性の友達っていうか幼馴染じゃん? 異性ってことを意識して気まずくなったらどう対処するのかなって」
言われて俺は納得した。なるほどそゆこと。でもそれ、和琴でもよかった気がする。因みにわこっちゃんとは和琴の事である。
思い返してみると気まずい雰囲気になった事と言えば、一度だけ家の手伝いの事で喧嘩したくらいだろうか。普段温厚なだけに怒るときは俺でもビビる。あれ、怖い。
異性っていう認識を互いがしてるかどうか。これはどうだろうか。俺はそういう意識はないけど、和琴は分からない。
つまり、対処法は知らない。
「異性だって意識したことは無いかなぁ。和琴は幼馴染としか思わないし。何かもう幼馴染以上の関係を築いてきたからなぁ……。家族って認識の方が近いかも」
俺の中では天使に近いよ。あの笑顔は反則。
「喧嘩だって、したとしても原因が分かるとすぐに俺が謝って終わるし、自分が悪くないってわかってる和琴も謝るし。何だかんだ有耶無耶になって終わるんだよ。気まずくなったことはほとんど無いかな」
「ほえぇー。でも喧嘩ばかりじゃないよ? 気まずくなるって」
「たとえば?」
「わこっちゃんの着替えを覗いたりとか? したことあるんじゃないのー?」
「しないよっ!」
そもそも和琴は家で着替えた事ないし。
俺の家は一軒家でも少し広めで部屋の数が多い。それに扉が閉まっていればノックをし忘れることは無い。中に人がいれば失礼だし。それこそ女性が中で着替えをしていたりすればなおさら。
「そんな必死に否定すると逆に怪しいぞー?」
「だからしてないってば!」
しつこすぎると嫌われるよ? 嫌いになったりしないけど。
「まぁ、冗談は置いておいて。でも悌っちでも解決できないならどうしようかなぁ。うーん、手詰まり!」
「断言しなくても……。そうだなぁ……、でもさ、そこまで難しく考えなくてもいいんじゃない?」
「えっ?」
解決策にはならないかもしれないけれど、俺の思ったことを樟に話そう。
「部活も恋愛も、どのみち青春だよ。フラれたならフラれたって、向こうも割り切ってくれるんじゃないかな。仁科先輩だって部活は楽しいだろうし」
「うーん、そうかなぁ……。センパイが部活を楽しんでるのは分かるんだけど……」
「気にしないようにって思っても、そう思ってる時点で意識してるんだし。今まで通りとはいかなくてもそこまで大きな事にはならないんじゃないかな」
部活に集中すれば大丈夫だって言っても、そのことに意識が向いて上手く走れなかったりするかもしれない。
かといって具体的なことをいう事も出来なかったけれど、気持ちを受け止めて、その上で考えを促す程度なら俺でもできる。
「そっか……。うん、とりあえず断るよ。あとは時間が解決してくれる的なことでしょ?」
「ま、そういうことかな」
根本的な解決策ではないけれど、俺に言えることはそれが精一杯だ。上手いようにけしかける事なんて俺にはできる気はしない。
樟にも言ったけれど、仁科先輩だって告白するという事はフラれる覚悟も当然持ち合わせた中での告白だったはずだ。
であるならば、後は時間経過に身を任せるしかない。それで気まずい空気が続くようなら、もう一つ対策を考えるしかない。
「ふーっ、何か気が楽になった感じがする」
「真面に取り合ってくれたからかもね」
「うんっ、付き合ってくれてありがとね!」
「別にいいよ。また何かあったら言って。俺も和琴と話してみるし」
「ううん、もう大丈夫だよ。もう部活に戻ったらすぐに返事するし。じゃあ出よっか」
「うん」
話が終わったので俺たちは机やいすを片づけると、教室を出て廊下を歩く。
話し終わって気が楽になったと言っていた樟の足取りは軽い。
今こうして一人で歩いているので自分の中で今の話を改めて整理してみる。
仁科悠誠という先輩にあたる男子生徒から告白を受けた樟。付き合う気はないらしい。付き合った場合はどうなるのだろう。今まで通りに接することができなくなり、接触するたびにお互い意識してしまうのではないだろうか。そういう意味では断るのは正解かもしれない。
次に俺が出した時間が解決するという案。悪い方法ではないと思うのだがもっとうまい方法があるのではないかと今になって思う。
まぁ、仁科先輩が女々しい人でなければ、また通常通りの部活動生活を送ることができるだろう。
俺より数歩先を行く樟の背中を見ながら、二人の行方を見守ろうと思った。
* * *
☓ ☓ ☓
「それで、どう、かな」
「えっと、ごめんなさい。付き合えません」
☓ ☓ ☓
放課後、俺は滅多に立ち寄らないグラウンドへ顔を出した。部活自体はもう始まっている頃で、樟ももう合流しているはずだ。
辺りを見回していると、樟と一人の男子生徒が一緒に練習していた。あれが仁科先輩なのだろう。樟の話した通り好青年という言葉がふさわしい。
二人は向かい合って体操をしていた。ただ告白の後とは思えないほど二人は楽しそうな表情だった。
それを見た俺は安心して、その場を後にした。
* * *
次の日の朝、いつも通り俺は予習のため学校へ登校した後、すぐにノートを広げシャーペンを動かし始める。
隣では出利葉が読書をし、和琴や航も友達と話をしていた。
そう、何てことないいつもの日常。
つまりは……。
「おっはよー!」
「いったぁ!?」
当然、背中に紅葉が容赦なく浴びせられるわけで。
「ほんっと、加減を知らないよね!」
「あははっ! いいじゃん減るもんじゃないし」
「現在進行形で俺のライフが減ったんですが……」
俺のツッコミをスルーする樟。そっぽ向いて口笛鳴らしても意味ないぞー。それ誤魔化しきれてないぞー。
「樟さん。あなたもう少し静かにしてくれるかしら? 一応朝なのよ?」
おっ、珍しく出利葉が口を挿むとは。ただな出利葉、それで止まる樟ではないんだ。
「朝だから元気出さなきゃ! 部活を終えたあたしは元気いっぱいだぞー!」
「はぁ……」
ため息をつく出利葉を横目に、樟は「あっ」と声を漏らすと俺の耳のそばへ顔を近づける。運動終わりとは思えないフローラルな香りが鼻腔を擽る。
急に近づく距離に動揺するも、彼女の言葉を聞いて俺は安心することになる。
「昨日はありがとね」
俺から離れた樟は、昨日のような表情をしていない。
華やかで、周りを和やかにする明るい笑顔だった。それにつられ俺も頬を緩める。
やっぱり、樟はこうでなきゃ。
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