読み続ければ、書けるようになるのか。
小説を、物語を創作したければ、兎にも角にもまずは、読むべきである。
それは、真実であり、創作には必要不可欠な要素であろう。
しかしだ。いつまで読み続ければいいのだろうか?どれほど読めば、書けるようになるのだろうか。
いつまでも消費活動に終始するのでなく、産みだす側に移行することが可能なのであろうか。
読むことと書くことは表裏一体のようであり、全くの別物であるとの感覚がある。
読めば読むほどに、表現力やら話の構成力が培われていくことは紛れも無い真実である。
だが、実際に手を動かし、文章を書かねば書けるようになれない。
書き方が分からない。昨今、作家になりたいなとの漠然とした夢を抱えた若者が増加傾向にある。
その煽りを受け、出版業界は小説の書き方について論じた書物の出版に力を入れている。
あらゆる作家、編集者がそういう類の本を書いている。
それらを読めば、すぐに書けるようになるというわけでない。
あくまで、書き方はそれぞれ個人の好みであったりし、万人に当てはまるものでない。
共通事項を敢えてあげるならば、いっぱい読み、いっぱい書いた。これしかない。
ひたすらに読んだら書けるようになったというのでなく、読んだ上で、書くことも不断の努力を続けた結果、書けるようになったということだ。
で、何を読めばいいかと言うと、またこれも具体的に指示が難しい。
小説家を志望するのであれば、すぐれた文芸書を読み込んでいけばいいのかというとそうでもない。
作家の椎名誠氏は、ほとんど小説を読んでこなかったそうだ。主に自然科学系の書ばかり手にしてたそうだ。あとは、冒険もの、旅モノ、そして、SF。
純粋なる文芸書にのめり込んではいない。そういう経緯であるので、文壇にも携わったことがなく、あまり作家の繋がりというものも持っていないとのことだ。
世界的なベストセラー作家である、村上春樹氏もほとんど読書をせずに生きてきたとのことはよく書いている。
そういうことを考えると、やはり読めば書けるようになる、という単純なもので無いのであろう。
では、生まれ持った資質が関係してくるのか?
生まれつき文章を作ることが天才的にうまい人も稀にいるとは思う。
もう亡くなられているが、作家の中島らも氏は小説を作る際に、書くことが無いと困ったことがないそうだ。いつも頭のなかにストーリーが勝手に浮かんでき、それをただ文字に書き起こしているだけだとのことを述べていた。これは天才と言えよう。
作家ではないが、作曲家の亀田誠治さんも似たようなことを言っていた。これまでに作曲のネタ作りに困ったことはなく、自然に曲が頭で出来上がるらしい。
そういう人種がいることを思うと、やはり生まれ持った資質というのは存在するのであろう。
だが、書けば書くほどに、文章は誰だって上達してくると、多くの作家が語っている。
それを考えると、自分には才能が無いので、何も作れませんと悲観するのでなく、とりあえず挑戦していくことが大切だなと思えてくる。