その3.父親という人間
父親の事はあまり知らない。
俺が幼稚園児だった頃くらいまでは、月に1~2度帰ってきてた。
でも、帰ってきた親父がすることは、日本酒の一升瓶を隣に置いて、飲みながら兄貴や俺を怒鳴ることだった。
後から聞いた話だと、親父が帰って来なかったのは、バブル崩壊で職を失って家に金を入れられなくなった事による負い目と、外に何人も愛人がいてヒモ生活をしていたからだったらしい。
親父は別に俺や兄貴にだけ怒鳴っていたわけではない。
外食中に隣の席の客が煩かった時、向こうにフォークを投げて壁に突き刺したりしてたし、不快なら誰にでも怒鳴る人間だった。
そんな親父と縁が切れたのは、小学校を卒業した時。卒業と同時に離婚して、家は母親の父親が建てたビルだったから親父が出て行った。
俺は顔を合わせる度に全否定されるのがストレスだったから、離婚には大賛成だった。
その後すぐに親父は再婚をして、仕事はせず実家から生活費を仕送りしてもらって生活していた。再婚相手にも仕事を辞めさせて、完全にパラサイトの状態。
しかも病院代と偽って送らせたお金を溜めて、飲み屋の若い女と沖縄に逃避行もした。
破天荒っていうか人間の屑だった親父は、何年か前にアルコール中毒による多臓器不全で死んだ。
死んだ日も年齢も、そもそも誕生日も俺は知らない。覚えてない。興味無いから。
何をしても怒鳴られてたから、親父に愛されていたという感覚は無い。あの人はただ自分の思うままに動く人形が欲しかっただけなんだと思う。だけど俺は不出来な人形だったから、褒められることなんて殆ど無かった。
ちなみに実家からは勘当されていて、母親が父親に内緒で仕送りをしていたらしい。1000万円を超えた辺りから、幾ら仕送りをしたのか数えないようになったそうだ。
親父が死んだ時、親父の母親はこう言った。
「これでやっと安心できた」
死ぬことが最初で最後の親孝行。正に屑だと思う。
俺は無理矢理連れて行かれた三回忌以降一度も墓参りをしていない。だって、今でも嫌いだから。