第十五話 ~はじまりの物語のおわり~
神塔にて婚礼の儀が行われる当日。
仕事が、仕事が片付かないいいい!
なんせ昨夕訪れた黒船により、否応なく時間が削られてしまったのだ。
まずは手紙の返事をよこすだろうと思っていたら、いきなり本気装備で来やがったからな。
怯えて無碍に出来なかったのだ。ここは誤魔化さないぞ。かなり怯えていた。
部屋に戻ってから足の震えが止まらず、仕事を片付けるべく必死に机にかじりついたのだ。
まあ牽制が必要だと思われてしまったようだし、必要なことだから仕方がなかったとはいえだ。もし攻撃されてたら間違いなく降参してた。
それで駄目なら、国になる以前に海の藻屑となっていたね!
あとは各所への資料をもう一度確認して、配るだけでいいようにまとめておきたかったのだが、その分は今取り掛かっているところである。
そして、婚儀前に意地でも終わらせねばならない理由があった。
婚儀の後は、すぐに新婚旅行という名の、近隣国への報告がてら旅立つ予定だったんだ。
みんなもしばらく宴会の為に休む予定である。この機会でなければ、ますます抜け出すことは難しくなるだろう。考えたくはないが、暇になることなんて何年後だよという情況である。
誰がこんな無茶な計画を立て……やめとこう。虚しすぎる。
「リィス、時間だ」
「待てトゥロ、あとこれだけ!」
叫ぶ俺をトゥロが引きずる。力でも体力でも叶わないしここまでか。
「全く、本当に凝り性だな」
「おうい商人共、後はたのんだぞ!」
だぞーだぞーぞー!
名残惜しさを滲ませ、俺は神塔へと向かうことにした。
驚いたことに、本当に時間ギリギリであった。
式は午前中、正確には太陽が真上に昇る前に終わらせなければならない。
そもそも今日中に馬車を出すなら、日の高いうちでないとすぐ野営となってしまう。だからお披露目含めて昼前に済ませるつもりだった。式が遅れたのではそれこそ意味がない。
俺たちは従者が用意した馬を奪うようにして走り出す。神塔の扉を飛び込むように駆け込むと、同時に知らせの鐘が響き渡った。
よしっ滑り込みで間に合わせたぞ! トゥロがな!
当然の如く、婚礼用の衣装になど着替えている暇はなかったので普段着だ。その普段着すら汗で貼りつき、大慌てで駆け込んだのでヨレヨレ、髪もボサボサだ。
ここで民との約束を守れなければ、次に進めないどころか、また振り出しに戻るかもしれないのだ。ここに俺達が居る、そのことが重要なのである。
「ぜ、ぜへぇ、トゥ、ロ、だいじ、ょうぶ、かぜへぇ」
「……馬に乗ってきたんだぞ」
心なしかトゥロの言葉はいつもより呆れ気味である。
ようやくあがる息を整えると、俺たちは祭壇へとゆっくり進んだ。
場内には晴れやかな日に相応しく、祭壇へと続く緋色の絨毯を挟んで立ち並ぶ、ちょっと良い衣装を着た婚姻の証人達。
その「いつまで待たせるんだボケ」と殺気立つ雰囲気はキニシナイ。
「まあ、リィスにトゥロ、遅かったわね!」
「おおリィスよ、しみったれた姿だな、覇気を絞り出せ!」
「ハッハッハ、リィ坊もようやく観念したな!」
「トゥロ、リィス、おめでとう! さあ早く祭壇へ。皆待ってたのよ」
ごく一部、能天気に浮かれている四人組も、話すと長いので笑顔で無視だ。
絨毯の行き止まりの祭壇から、震えるアホ毛が生えているのが視界に入る。
首を傾げ、引っこ抜いてやろうかと目を眇めた時、それは飛び上がった。
「ああ良かった、二人とも心配しましたよ!」
涙目のハライが祭壇の陰からぴょこんと飛び出した。モグラかよ。
なかなか現れない我ら主役に、証人たちから苛立ちの集中攻撃を受けていたのだろう。
だからって隠れるなよ。実に情けない姿である。
「では急ぎますよ!」
ハライの号令で、皆居住まいを正す。
右拳を鎖骨辺りに据えた正式な敬礼で立ち、神師のお仕事中のハライがごにょごにょと祝詞を呟くのを聞くのだ。
「まあ、俺達の式なんてこんなものだろ」
「らしい、かな」
ちょうど祭壇の上方の小窓から光が差し込んでいる。それをさも神々しいとばかりに見上げ、目を眇める。
内心は呆けていた。ああ休みたい。心底休みたい。書類に羽が生えて舞っている幻覚が見えても驚かない。
黙っていたら寝てしまいそうだ。ボソボソとトゥロに話しかける。もっと人手があればなあ、との考えが漏れ出てしまった。
「トゥロ、頼りにしてる」
「ぬ……それは私が言おうとしていた言葉だ。小賢しい奴」
しまった、やはり愚痴るのは良くない。トゥロは顔を赤くして威圧してくる。怒るほどの不満を買ってしまったのか。
「なんだトゥロの方も人手が足りなかったのか。言ってくれればよかったのに」
「えっ」
だがトゥロは不審な顔をした。
何か意味がすれ違っていたようだ。俺はぼんやり顔でトゥロを見た。
その側で、溜息混じりのハライがこちらを向くのが見えた。どうやら終わったらしい。
「ほらほら二人とも急いでくださいよ。次は民へのお披露目なんだから。あー時間が押してるし愛の交歓は夜にねふぐうっ!」
ハライの脇に褐色の拳が沈む。
こんな日にまで余計なこと言って。とことん懲りないなこいつも。
しかしいつもと違うのは、トゥロの照れて真っ赤になった顔。
これは珍しい。眼福である。思わずニヤけそうになるが、すぐに気を引き締める。
危ない。今は殴られている場合ではない。
「すまないハライ、大丈夫か」
「だ、大丈夫です。私だって、日頃から小突かれ慣れてるんですから」
俺もそうだが、嫌な鍛え方である。
「それくらいにな。さあ行こうか」
トゥロの腕を掴んで、ハライと共に入ってきた道を戻る。
そして扉を出る時、失敗した。俺は通路の端を進んでしまっていた。
「待て、なにか引っ掛けた」
と、足を止めたのが運の尽き。
侵入者防止用のくだらない仕掛け。紐を引っ張ったら袋の口が開く単純なもの。見事に、その紐を引っ掛けてしまった。
ドバシャーーーン!
俺たちは頭から水をかぶっていた。
「ぶへえっ! げほっごぽっ、くそっ!」
くそっというか、仄かにくさい。
すっかり忘れてた。俺の仕掛けだよこれ。何くだらないもの作ってんだよ。
全ての罠は解除したつもりだった。
だが水袋は面倒だから後でと放置したまま忘れていたのだった。
紐は隅に寄せていた筈だが、開け放していた扉に紐が絡んだのだろう。
まさかそんなうまいこと引っかかるとはね!
難を逃れたはずのハライは、すっかり青褪めて後ろでへたりこんでいた。
「リィス、離せ。苦しい」
俺の喉元からくぐもった声が聞こえた。
無意識に抱きしめて庇っていたようだ。庇ったというか、しがみついたんだけど、バレてませんように。
恐る恐るトゥロを見る。
やばい、こちらも青褪めている。だがハライと違い怒りによるものだろう。怖い。
背を盛大に冷や汗が流れているが、幸い水浸しだ。気付かれないはずだ。
「……大丈夫か?」
ここは一つ怒りを受け入れる覚悟を決めて声をかけた。
その答えは意外なものである。
「まいったな。顔見せくらいせめて普段通りでいたかったのだが」
トゥロは少し残念そうに自分の服を見下ろしている。
もしかして、というかやっぱり婚礼用の衣装でないのを気にしてた?
……それよりも臭いことの方が問題だろうか。
変なものは涌いてないようで本当に良かった。
「ご、ごめんな」
素直に謝った。
気にするなと、返った微笑みに見惚れる。諦めの笑顔にも見えるが……。
罪悪感に胸が痛む。そして後々までなんて言い続けられるかと思うと胃がシクシク傷み始めた。いつまでも昔の失敗を掘り返してくる母を思い出したのだ。
遅れてやってきた底知れぬ恐ろしさに怯える。
考えろ考えるんだ。時間も無い!
ぎらぎらと目を辺りに走らせる。今日のために飾られている祭壇を覆う白布が目に入った。
「おいハライ、そこの布借りるぞ!」
トゥロの髪を絞り手櫛で整えてやると、その首元に布を巻きつけた。端の結び目が見えないように内側へ巻き込む。
「遠めにはマントにしか見えないだろ」
あっけに取られた顔でトゥロは俺を見上げる。
「でも、これだとお前にも必要だろう。一人だけだと妙だ」
「そうだな。おい、飾り布も借りるぞ」
言いながら、有難い刺繍を施された緋色の布を既に剥ぎ取っていた。
あああーと情けない叫びが聞こえたが気にすまい。
ほどよく背を覆い格好良く翻るが、こちらは首を巻くほどの長さはなかった。仕方なく首元で布の端を固結びする。間抜けだ。
今度は断りもいれず飾り幕の固定紐をむしりとり結び目へ巻いた。金糸の豪華な組み紐である。遠めなら飾り紐に見えるだろう。多分。
もう一本むしりとりトゥロにもくくり付ける。巻いた布の間からちらりと揺れて上品だ。と思うことにする。
「あ、ありがとう」
トゥロの頬が染まる。よっしゃ! どうにか誤魔化されてくれたようだ。
「よし今度こそ行こう。ハライもへたりこんでないで付いて来い!」
海の街の中心である広場にある一番大きな宿兼食事処。
塔から下ってくると宿の裏手、崖を通る道からの三階への勝手口へと急ぎ駆け込む。
午前中だけでどれだけ走っただろうか。体力馬鹿のトゥロに堪えた様子はない。
澄ました顔が妬ましくもあるが、それでも俺は鍛えない。
先に食堂に待機していた、下僕商人達や宿屋の親父やらに促され、そのままバルコニーへ急ぐ。
黒船の偉い人も、すでに到着していた。俺を見ると起立し挨拶を交わす。
さすがの大臣も俺たちの異様な姿に戸惑いを隠せなかったようだ。その眉根がピクリと動いたのを、俺は見逃さなかった。ようやく一本取ってやったぞ!
虚しい勝利である。
食事もできる二階の広いバルコニーから、俺とトゥロは民と向き合っていた。
雲ひとつない晴れ渡る空の下、皆の顔もよく見える。
目の前の広場を見渡せる限りは人々で埋め尽くされている。全員集まってくれていたとしても不思議ではない。小さな国なのだから。
そう、小さくとも国だ。
これから一つの国として歩んでいく。
そして、これは俺たち領主からの答えであり、民への約束なのだ。
俺は、この地に伝わる古めかしい訛りで宣言する。
「皆が此度の試練に耐え、我らと共にハトゥルグラン王国として、歩む道を選択してくれたことに感謝する!」
俺は精一杯威厳を込めた、つもりの声音でそれだけ言うと、トゥロの手を取りそのまま掲げた。
既に息も絶え絶えだったのだ。もう無理。一言も出せない。
うぉおおぉぉおおりゃああああああああぁぁ――!!
それを合図に轟音のような歓声があがる。か、歓声?
民衆は隣に立つ者と抱き合ったり、興奮して口々に感想を叫んでいる。手には例の二対の神獣模様の布を持ち、はためかせていた。
やがて歓声はざわめきとなり崖を打つ波の音にも聞こえてきた。
疲れで耳が遠くなる感じの状態である。ああ休みたいが、今しばし笑顔笑顔。
不意に誰かが空を指差しながら叫んだ。
「空を見ろ、神塔に虹が架かっているぞ!」
な、なんだってー!?
マジだった。
小さくてうっすいけど、確かにある。
皆から感嘆の声や溜息が漏れる。
「奇跡だ」
「天からの祝福だ」
「これは正しい事だったのだ」
感動にうっとりしたり、打ち震えていたり、拝みながら泣き出す者まである。
あ、あれってもしかして、さっきの仕掛けのせいじゃね?
トゥロが手を握り締めてきたので、見ると悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
秘密にしておこうと言ってる顔だ。
俺も、そちも悪よのうヒッヒッヒと返したら、手を握り潰されるかと思った。調子に乗るのはいけない。
苦心して笑顔を作り直し、皆を見渡すと誰かが叫んだ。
「荒波の上に幸あれ!」
どこからかそう声が上がると、あっという間にざわめきはその言葉に呑まれていく。
そして、いつまでも反響していた。
ほんと、ひっでえ式だ。
でも、やり遂げた気持ちで胸が一杯になっていくのを感じていた。
横を盗み見ると、トゥロの顔には輝かんばかりの満面の笑みが広がっている。
きっと俺も同じような顔をしているだろう。
ようやく平穏な日常を取り戻せたんだ。
今までとは少し違った日常となるだろうが、この地がこの地であることは変わらない。
少し経てば、すっかり馴染んでしまうだろう。皆ノリだけはいいからな。
俺たちは皆の声に心から満足していた。
▽▽▽
とりあえず、後世に今回の顛末を残しておくことにする。
俺としては欠片も残したくなどないが、どんなものでも国の歩みだ。
実は、国の重要な転換期ではないかと周りに押し切られただけだ。
歴史を詳細に記しておくことは、正当性の証明となるし教訓としても残すべきだという。教訓になるか、これ?
俺は両手で耳を塞いで、勝手に進めてよと任せることにした。
くくく、しかし俺には特権がある。
出来たものを「嘘ではないぞ?」程度に、書き換え、おっと、修飾を施す。
まるで、さも真面目に格好良く難題を乗り越えたかのようにな!
巷では、すでに歌人によってステキにねつぞ、素晴らしい恋物語へと昇華されているようだし、歴史書もそれに合わせときゃいいだろ。
それにしてもあの歌にはおぞ、鳥肌が立ったわ。すごい破壊力だった。
宿屋の食事処で披露されたので噴出すのを堪えるしかなく、脂汗も涙も出るしで腹筋が否応なく鍛えられた。それを感動したと捉えたのか、歌人のどや顔も清々しいほど輝いていた。
もちろん歌人がトンデモなのではない。俺の感性が繊細ではないだけだ。
だが、その晴れ晴れとした笑顔に、惜しみない拍手を贈らせてもらった。
トゥロも微妙な顔付きだったが、珍しくまんざらでもなさそうだった。妃の慈愛の涙が民の心を静めたというのがお気に召したらしい。
真実は血の雨だったがな!
ああそれと、国の異名の由来についての知らなくてもいい豆知識。
何が琴線に触れたのか分からないが、この国興し大騒動にて、その名を大陸中に知らしめることとなった、らしい。向こう大陸の大国が出てきたからだろう。
ちっぽけな新興国の癖して、荒い波のように攻防一体、変幻自在に大国をいなすその気概。波が荒いのではなく、気性が荒いと一目置かれることとなったようである。
どこの狂犬だ。
そんな感じで「ハトゥルグラン王国」よりは言い易いからかは知らないが、小国ながらも勇猛な歴史を擁する国として、この名で知られることになったのだ。
『荒波の上の王国』と――――。
(終)
ここまでお付き合いいただいて、ありがとうございました。




