港
高校のとき部活でかいたものを手直ししたものです。
初投稿ですので、よしなにお願いいたします。
青白い満月が空に浮かんでいる。そのおかげで、視界はかなり良好だった。すでに真夜中となっており、家々の明かりは消え、皆が寝静まっているだろうことが想像される。
そんな中、ひとつの影が動いた。成人の儀を終えたばかりか、その顔にはまだ幼さが見て取れた。短い金髪に、痩せた手足。一見しただけでは、少年か少女か分からない。影は港まで来ると、小舟に飛び乗った。
「行くのかい?」
船へ降りた影に、声をかけるもうひとつの影。船の上の影が顔を上げた。
「当たり前よ。こんなクソ寂しいところ、もう一瞬だっていたくないわ」
影は少女だった。麻の半袖シャツに、七分丈のズボン。腰には使い古した感のある細身のナイフ。足下には食料の入った袋や、防寒用の毛皮の上着などが置かれていた。
「アンタはいいかもしれないけどね、ヨーク。私はいやよ。こんな島にいたって、やることはかぎられるじゃない。男は漁師か牧童、女は機織りか染め物。つまんない、つまんなさすぎるわよ! 私はね、もっと心躍るようなものが欲しいの。こんな島じゃ手に入らないような、もっとスリリングでドキドキハラハラな冒険がしたいのよ!」
少女は波に揺れる船の上で、腕を振り、声を張り、主張した。
少年はそれを、緑色の目でじっと見つめていた。
「そんなにこの島は退屈なところかい、エステラ」
「ええ」
ヨークの問いに迷いもせず答える。そして、唇を歪めて笑った。
「むしろ退屈だと思わないアンタの頭がどうかしてるのよ。可哀想に、勇敢な冒険家だったアズマ叔父さんが草葉の陰で泣いてるわよ」
「可哀想なのはキミのほうだよ、エステラ」
「は?」
今度は眉間にしわが寄る。ヨークは抱いていた黒猫の背を撫でながら静かに言った。
「アズマ叔父さんがこいつをつれて帰ってきたのが2年前。それから叔父さんはすぐに死んでしまった。でも君だって覚えているだろう? 叔父さんが毎日のように言っていたことを」
「『外には素晴らしいものがたくさんあった。けど、同じぐらい醜いものもたくさんあった』でしょ。それが何よ」
「ちゃんと意味が分かってるのかなって思って」
「分かってるわよ。分かってるけど行きたいんだもの。アズマ叔父さんが持って帰ってきてくれたもの、アンタだって見たでしょ? サラサラの布、キラキラ光る石、とてもよく切れるナイフ、鮮やかでしかも早く布に色がつく染料。口溶けもよくて甘い食べ物。どれもこれもすっごい素敵じゃない! 外にはそんな素晴らしいものが溢れてる。私はそれを自分の目で見たい、知りたい、自分の手でそれを感じたい! ああ、他にどんな素敵なものが待っているのかしら・・・」
うっとりと宙を見つめるエステラに、ヨークは重く、深いため息をついて憐れみの目を向けた。
「エステラ、世界は君が思っているよりずっと危険で下劣なものだよ。それが分からないなんて、死にに行くようなものだ」
その言い方にカッとなったエステラは時刻も忘れて叫んだ。
「なによ、アンタは世界を知っているとでも言いたいの!?」
「少なくとも、君よりは分かっていると思うよ」
「・・・ッ。アンタはいっつもそうよ。いつも私を下に見る。いい加減にしてよ、何様のつもり!? 私よりたった1分早く産まれただけじゃない! なのに、いつも・・・私はもう15よ! 成人したの!」
殺意にも似た怒りを込めてヨークを睨みつける。
「なにより、私はアンタよりずっと強い」
「確かに、君は僕より腕っぷしは強い。この島の中で見ても、女の子のわりに強いほうだろうな」
「アンタが弱すぎるの。外へ行く勇気もない奴に、私が負けるはずないじゃない」
「でも、頭はずっと弱い」
エステラが口を開く前に、ヨークは背を向けた。
「君はバカだから、もう何を言っても聞く気はないだろ」
「私はバカじゃないし、そもそも最初っからアンタの言うことなんて聞く気もなかったわよ」
「行くなら行けばいい。ただ、予言するよ。エステラ」
「は?」
「君は必ずこの島に戻ってくる。・・・必ずだ」
いつも通りの、エステラの大嫌いな強い意志をたたえた緑色の目で、彼は予言した。
しかしエステラは、その「予言」を鼻で笑った。
「フンッ。バカはどっちよ。私は絶対に帰ってこないわ。自分から進んで動こうとしない臆病者が住んでる島なんかにはね」
今晩初めて、ヨークの顔つきが変わった。眉間にしわを寄せ、唇を噛みしめ、彼女を睨む。
「そんな顔したって無駄よ。アンタには私をこの場で捩じ伏せることも、私のあとを追うこともできやしないんだから」
「・・・生意気な」
「今さらでしょ。お互い、産まれたときから知ってるんだから」
数秒睨み合っていたが、ヨークは今度こそ背を向けて立ち去った。
「バカな妹め。せいぜい楽に死になよ」
そう言い残して。
エステラは、その背に向かって宣言した。
「私はこんな島に帰ってなんか来ないわ。外でもっと素敵な場所を見つけて幸せに暮らすの。そうね、私の気が向いたらアンタに手紙をあげるわ。弱虫のクソ兄貴でもうらやましがって私のところへ来たくなるようなね!」
ヨークは振り返らない。
エステラは大陸の玄関口、アルオス港を目指して漕ぎ出した。
それから何度満月が昇ったか、誰も覚えていない。だが、そう遠くない未来に、港へ人影が現れた。
白猫を抱いた金髪の女性の前に、黒い子猫をたくさんつれた緑の目の男性が立つ。
そして、勝ち誇ったように言った。
「ほら、言った通り」
それは、はたしてどちらが口にした言葉だったのか。