516 ―Sternbild―
戦争があった。
かつて、などと心理的に距離を置けるほど昔の話ではない。どころか、当事者である三つの都市国家は、できる限り自国に有利な条件を引きだしたうえで講和を結ぼうと躍起になっている最中であり、矛先を向けられないよう巧みに三つ巴の状況をつくり上げ高みの見物をしていた帝国はといえば、これを機に周囲に強国が建たないようさりげなく介入の手を伸ばしている。
戦争があった。まだその傷の深さも見定められていない、そんな戦争が。
* * *
「いつまでたっても懲りないヤツらだ」
「彼らにはほかに身を守る術がないのでしょう。わたしたちとは違って」
「にしたってアホすぎるだろ。重要なのはどんだけ金をぶん取れるかじゃなく、どうすりゃ下々の人間を食わしていけるか、だ。ヒトがいなけりゃ復興も何もできねぇってのに、あいつらいつになったら現実に気付くんだ?」
「さぁ、一生あのままなのでは? ヒトの生きられる領域をどれほど狭めたのか、彼らの頭で理解できるとは思えません」
「不注意にナハルばらまきやがって。自然に中和されるまでに何百年かかんだか」
はぁぁ、と魂まで吐き出すかのごとく深々とため息を吐くと、ところどころ白髪の混じった鳶色の髪の男は苛立たしげに頭をかきむしった。元々のくせ毛もあいまって鳥の巣状態になった髪を斜め後ろから見下ろし、子どものようだ、と緩みかけた口元をこらえる。
「だから決めたのでしょう。わたしたちの手で、人工的に安全地帯を設けると。手を止めているヒマはありませんよ。塔は完成しました。あとは彼の手に委ねるだけです」
「そこが気に食わねぇんだよ」
「わたしだって納得ずくとは言いがたいです」
男の隣で淡々と書類の処理をしていた黒髪の女は、今度こそこらえきれず表情を歪めた。一重の切れ長な目もとに苦味が混じる。使いっぱなしの工具や、廃棄することも忘れられた壊れた部品の群れ、壁一面を使ったウィンドウ一杯に散らばって点滅とアラーとを繰り返す電子ファイルや、ネット回線に一瞬であろうと載せることをためらわれた結果プリントアウトされた紙の書類に囲まれ、作業着の男女は顔を見合わせて肩を落とした。
* * *
戦争が長引き、ゴミであっても利用する、と資源の宝庫扱いをされるようになったスクラップ原は、戦争が終わるころには見事にからっぽになっていた。三つの都市を頂点としたいびつな三角形のほぼ中央、帝国から程よく離れたその土地を、ふたりの技師は瘴気避けの防護服を開発した報酬としてもぎ取ってみせた。あとあと鑑賞される余地を残さないよう、三国すべての暫定トップにコンタクトを取ったのだ。
その結果、はやくから人体に有害な『何か』があると認知されていた瘴気帯にわざわざ偵察に出てきたバカ、もとい勤勉なスパイもちらほらいたのだが、いいオモチャを見つけた、と言わんばかりの相方のイタズラによって全員お帰りいただけた。
「それにしても、まさかここまで綺麗になるとはな」
「ゆくゆくはここに小さな村を起こす予定ですから。家を建てるにも畑をつくるにも、土地ががたがたではいけません」
「畑? 先生方、農業なんてからっきしだろう?」
「そこはそれ、いつの世にも反骨精神強靭な熱血マンってのはいるもんだからな。都市から出られるんなら喜んで協力するっつってくれてるヤツの三人や四人や五人や六人」
「一期の居住予定者は全部で三十八人ですよ」
「へぇ、案外大所帯だ」
くっと喉を鳴らすように笑い、くるりと二人を振り向いたのは、くすんだ金の髪をした少年だった。左の頬に日焼けのような赤みがかったシミをつけ、皮肉気に歪めた目もとは釣り気味の二重。どこか動きに若々しさが欠けるのは、右脚をわずかに引きずって歩いているからだろう。少年らしい快活さよりも厭世家らしい斜に構えた雰囲気をまとうその細いシルエットに、女はそっと呼びかけた。スタンビル、と。
「何、医者先生」
「あなたに入ってもらう塔はあれです。作業に取り掛かる前に休憩しましょう」
「あぁ、窓とか一切ないんだな。あっても無駄だし、つくることもないか」
「っつーより、ガラスがなぁ。予算オーバー」
「つくづく思うけど、どうしてそう貧乏なわけ? その腕があれば稼ぎ放題だったんじゃないの」
「この人が他人に言いつけられたとおり働くと思いますか」
「なるほど、無理だ」
「わかったんなら飯ー」
呆れたような眼差しを軽く受け流し、男が塔の玄関付近、鈍い銀色の特殊布でつくられたテントの中に入り込む。同じ素材の防護服を着ているせいで、それが保護色のように男の輪郭を曖昧にした。
少年と共にその後に続くと、女は内側から出入り口を閉ざした。
* * *
「朝飯抜いたから腹の虫がうるさいのなんの」
「そもそも先生たち、生活サイクル崩れっぱなしなんじゃないの。ここらへん綺麗にするだけでも相当大変だったろう。更地にするって意味でも、利害関係でも」
「そのくらいなんてことねぇよ」
「もともと技師なんて、昼夜逆転当然な仕事ですから」
荷物の中からさっそく食事を取り出す男に、女は簡易の加熱器を渡す。ひとり丸いのぞき窓から塔を見上げていた少年は、いそいそと昼食の支度をする二人を見て目を細めると、フルフェイスのヘルメットを外した。
「とりあえず、飲み食いするなら頭取りなよ。すっごい不自然」
「「あー……」」
はた、と動きを止めて頭部を外すと、技師たちは顔を見合わせて肩をすくめた。
「いっつも作業着だからな」
「ゴーグルと同じ感覚になっちゃうんですよね。こっちのほうが首が痛くなりますけど」
「変わんないなぁ、技師って人種は」
「……私たちのようなお知り合いが?」
「いたよ。たくさんね。医者先生はまだ人間的な方じゃないかな」
「おい、俺は?」
「当然ダメな部類」
「容赦ねぇな」
ひっそりとした笑い方にしんみりしたのも束の間、男の文句に場の空気が緩んだ。温め直したパンとスープを手に、女はくすりと小さく笑みをこぼす。
こんな軽口を叩き合うのも今日で最後だと思えば、余計な感傷に浸る間も惜しかった。
「で、俺は何してたらいい? 塔に接続する準備があるなら、今のうちにやっておくけど」
「いや、別にいい。ボードに寝っ転がってもらったらコード繋いで、あとはコイツの共鳴で完了だ」
「コードに繋ぐだけって、ふたりでどれだけの回路組んだんだ? もしかしなくてもあの塔、容積一杯部品が詰まってたりする?」
「さすがにそこまでの量はありませんよ。片方はいざという時の籠城用に、居住スペースと備蓄でふさがってますし。ボードのある方だって、一見して何があるかばれないようにカモフラージュする方に力が入ってます」
「フェイクのが時間かけてんだよ。最初のうちはあれこれ好きにできて面白かったんだけどな」
「あなたはふざけすぎ。ちょっと目を離した隙に、素材の色の違いを利用して、第一から三までの市長の似顔絵なんて作ってたんですよ」
「あははは! 遊び心満載だ」
「だろ?」
食事を必要としない少年は、テントに転がる工具をいじったり、窓の前に戻ったりしつつ、二人が腹ごしらえを済ませるのを待っている。時間を持て余す様子は子どもじみているようで、他愛ない話で技師ふたりの心を落ち着けようとしているのだとしたら、とんでもなく大人な対応だ。それも、得心がいかないわけでもない。
ディクリートであるスタンビルは、もう百九十年近い時を『生きて』きたのだから。
「さて。食後のコーヒーといきたいとこだが、持ってきてねえ?」
「あるはずがないでしょう。諦めてください」
「はいよ。行こうぜ、スタン」
「了解。ところで、これっていつまで着てればいいんだ?」
「一応塔ん中までは頼むわ。万が一都市の虫がついてちゃいけない」
ま、そんな奴らに後れを取る気はねぇけどな。そう呟く横顔はひどく冷たく、女はなだめるように男の肩を叩くとヘルメットを差し出した。時折のぞく相方の苛烈さは、どうにも苦手だ。
「ふたりとも、よろしく」
人間組のやり取りを静かに見ているだけだったスタンビルは、自然体でただ一言告げると、先頭に立ってテントを出て行った。
* * *
二人がスタンビルに出会ったのは、壊れかけの人形が倒れている、と近所の住人が知らせてくれた二年前のある日の明け方。戦前は工房が軒を連ねていたという路地裏からさらに一段と奥まった場所の、廃屋の中だった。
戦中に全機失われたとされたディクリート、その生き残りともいうべき少年の体はずいぶんと埃をかぶっていた。スツールの上にきちんと姿勢制御を施し座っていたことから、彼自身、あるいはそのマスターの意向に従い、人間は足を踏み入れられなくなった瘴気地帯で機能停止をしたらしいと知れた。知人が少年を見つけられたのも、技師のふたりが完成させた防護服があればこそ。
再起動をためらう女をよそに、相方は無造作に探り当てたスイッチを入れてしまった。
「ちょっと、何を!」
「説教は後な。今はコイツが座ってるもんについて確かめねぇと」
「スツールが何か?」
「ナハルだろう、これ」
「正解。あんたら、政府の人間か?」
「!」
兵器利用で枯渇したとされる有毒鉱物の存在に、突きつけられたロッドの切っ先。二重の驚きに息をのみ、女はロッドの持ち主に目をやった。ところどころガタがきているらしい体を器用に動かし、ふたりを見据える厳しい表情は人間そのもので、恐怖よりも戸惑いが先立つ。稼働しているディクリートを目にする機会など、これまでなかったのだ。
「へぇ、いい顔すんじゃねぇか。お前、個人製造のディクリートだな」
「質問してるのはこっちだ」
「っつってもなぁ。今は真面に機能してる政府なんかないんだよ。俺らは一応フリーだけど、ライセンス取ったってわけじゃなくてアウトローに紛れただけだし」
「……本当らしいな」
人間の心理判断プログラムを搭載しているのか、男の言い分に納得すると、少年はロッドを下ろした。それだけで呼吸がだいぶ楽になる。
ほっと息をつくと、透明な瞳がこちらを向いた。
「アウトローなら都合がいい。あんたら、ここに来られたってことは、瘴気の対抗策を何かしら持ってるってことだろう」
「といっても個人単位の活動を可能にするレベルにすぎませんよ。都市に提供する気はありませんが」
「それでいい。俺が言いたいのは、都市戦争の被害者のために、避難場所をつくる気はないかってことだ」
「またずいぶんと大それたことを……」
それもよくも初対面の人間に。女が飲み込んだ言葉を察したのか、少年が左の頬をつり上げた。火傷の跡だろうか、肌が引きつれて笑みをどこかぎこちないものにみせる。
「ふぅん、外にはもうそんな考え方をするヤツは残ってないのか。避難計画って、一応俺が機能停止する前には周りでも言ってた話なんだけどな」
「それ、アウトローの連中か? 有能なヤツばっか蒸発したっての、いつだったか噂になってたらしいな」
「それだと思うよ。あいにくほかのメンバーはタイムリミットがきてね。俺もそろそろ残り時間が怪しいんだ。あんたらが手を貸してくれるっていうなら、最後のチャレンジができるんだけど」
だいぶ体がボロっちくなっててね。そうさらりと言ってのける風情は、なぜだかどこか貴さを感じさせた。たぶんそれは、覚悟だとか決意だとか、そんな仰々しいものを背負っているなんて一切思わせない、どこまでも透明な眼差しのためだったのだろう。
一瞬息を詰めて見惚れたふたりは、次の瞬間共犯者めいた笑みを浮かべていた。こんな面白い話を蹴る理由など、どこにもないのだから。
「いいね、ラストチャンスか。その話、乗ってやるよ」
「詳しいお話をうかがう前に、あなたのメンテナンスをするべきでしょうけど。残念ながら人形を扱う技能はほとんど継承されておりません。我々が担当しても?」
「願ったり、だよ。俺の名前はスタンビル。しばらくよろしく、おふたりさん」
握手を、と差し出された腕から埃が舞い散り、もろく崩れかけた壁の隙間から仄かに差し込む陽の光の中で、流星群の縮小版のようにちらちらと輝く。
「メンテナンスの前に体を洗わないと、かな」
「洗濯もお忘れなく」
「はは! ま、仲良くやろうぜ」
ぱん、と打ち合わされた手のひら、その存外に滑らかな感触に感心しつつ、女はふってわいた出来事に胸を躍らせたのだった。
* * *
塔の建材は、磁場の干渉を受けづらい金属を選んで骨組みに使い、表面は普通の家屋に用いるような素材を組み合わせた。この場所を軍事基地でも特殊研究施設でもなく、ごくごく一般的な生活圏にしたいというささやかな願いを込めて。
窓のない塔ではあるが、骨組みの中に線を巡らせ、内部で電気を利用できるだけの設備は整えてある。
戦争前後で廃れた技術や失われた資源は様々にあり、生活水準の低下は避けようのない現実だったが、発電設備に関するあれこれがそっくり生き残ってくれたことは幸いだった、と女はほっと息をついた。簡易の瘴気緩和装置を稼働させられるおかげで、重たいヘルメットを外していられる。
「ん、ボードも調整関係も回路本体も問題なし。ま、最後に手ぇ入れたのが俺なんだから当然だけどな」
「自慢はいいから、いい加減放置はやめてくれる?」
「悪ぃな。じゃ、回路とのコネクション開いてくれ」
「……開いた。これとナハルの加工法をリンクさせればいい?」
「あぁ。けど気を付けろよ。そのボード全部の情報が流れ込むぞ」
「わかってるよ。大雑把なのか繊細なのかよくわかんないよな、技師先生は」
苦笑してから目を閉じるスタンビルに意識を集中する。技師先生、とからかわれて口をへの字にした男が、こちらが『共鳴』を始めたのを察して案じるように振り向いた。大丈夫だ、と頷きを返し、女は耳から入ってくる情報に意識の焦点を絞る。
キィン、とつららを弾いた時のように鋭く澄んだ音は、<共鳴師>である女にしか拾えないものだ。機械に搭載された人工知能と、第六感ともいうべき超知覚で交信し、相手の暴走を未然に防ぐストッパーとしての能力。それがためにスタンビルはこちらを『医者先生』と呼び、同じ第六感でも、機械の壊し方、あるいは組み直し方を視覚的に直感する能力の持ち主として<解体師>兼<組立師>の肩書きを担う相方には「技師先生」のあだ名を付けた。
「リンクの確立を確認。データの速度、今のところこちらで統制してます。負荷に問題は?」
「ないよ。ありがとう」
「状況を継続。現在二割のデータを移行完了」
「なんだってこうなっちまったんだろうな。バカやってんのはいつだって人間だってのに」
現実と超知覚の二重音声が耳に飛び込んでくる。そっとうかがった男は、ボードに転がりコードで固定されたスタンビルを痛そうな顔をして見つめていた。
「人間っていっても全部が全部じゃないだろ。ずっとマトモ路線できたあんたがそんな顔することないんだ。それに、言ったろう? ナハルの始末は俺がつける。これは俺が親方 ―― マスターから引き受けた、最後の仕事だって。他の誰にも譲ってやる気はないよ。加工技術は俺の核にインストールされててコピーとかできないし、そもそも譲りようがない」
「わかってるさ、どうしようもないことだし、とうのお前が受け入れてるってことくらい。だからやりきれねぇんだろうが」
今くらい、我慢しなくたっていいだろう。そう拗ねたような声音で言うと、男が計器のずらりと並んだパネルの前から立ち上がった。
「データの移行を完了しました。引き続き、ナハル鉱への作用磁場生成作業に移ります。用意はいいですか?」
「問題ないよ。先生の耳は大丈夫?」
「この程度でヘタレるわたしではありませんよ。それでは、上位層のポートを開きましょう」
スタンビルの人工知能から怒涛のごとく押し寄せる情報を裁きながら、女は作業の進行を声に出して告げる。それに合わせ、パネルを回り込んでボードの傍ら、女の真向かいにやってきた男が一本のコードを手にした。
「繋ぐぞ」
「了解」
短いやり取りの後に、真っ白いコードがスタンビルのうなじに繋がれる。途端、女の耳にはキン、と高い音が何重にも重なって聞こえ出した。これは、ボードの土台であるナハル鉱に対し、スタンビルが磁場をつくり上げて干渉している、そのデータの群れだ。
あまりの音量に思わず耳元に手がいき、それに気付いた男がぐっと身を乗り出してくる。労わるように肩を支えられ、その触覚を頼りにどうにか意識の平衡を保つ。
「すみません。……ナハルの変質を確認。新規回路、<対瘴気及び攻撃衝動阻害磁場>、重複展開を進めます。スタンビル?」
「大丈夫、やれるよ」
にじむ涙を知覚への過負荷のせいにして、少年の面へ目を向ける。急激にナハルに干渉している最中、スタンビルの回路はひとつまたひとつと焼き切れ、体の感覚を失いつつあるだろうに、その顔は今日一番の柔らかさで笑みを湛えていた。
「ごめんなさい、すべてを押しつけてしまって。わたしたちはここまでしかできない」
「それでいいし、ほかの人にやらせる気はないってさっきも言ったよ。ほら、そろそろ共鳴を切って。そうしてこの塔を出るんだ。十日もすれば、ここら一体の瘴気全部をクリアしてるよ」
「というかしておけよ? 時間が足りませんでしたー、とか言われても、防護服なしで来るヤツらの居場所がなくなるからな」
「大丈夫。俺のこと、そんなに信用できない?」
「まさか。心の底から信じてるさ」
「わたしだって」
「それならもう行って。見送りは、要らないから」
「スタン……」
じわじわと揺らぎを増す視界から、不意に膜が消えた。ぐい、と無遠慮な手に目元をぬぐわれたせいだった。
「泣くな、行くぞ。じゃ、あとは任せた」
「任された。ほら、医者先生も」
「はい。 ―― 今まで本当に、本当にありがとう」
「どういたしまして。外はよろしく」
「お任せを」
ほんの一瞬すっきりとした視野の中、不自然に強張ったままのスタンビルの姿を見た。この少年はもう二度と、この場所から動くことはない。どころか、その自我すら、十日後には摩耗し尽くし消滅してしまうだろう。
人間が生きるための場所をつくり出す、彼はその犠牲になる。
とうとうこらえきれなくなった嗚咽が、女の喉を引きつらせる。その背を押して塔からの退去を促す男は、対照的に先程までが嘘のような静かな顔だ。機械まみれの部屋を出がけに一言、何かを言い残したようだったが、共鳴を続けていた女には聞きとれなかった。
その代わり、澄んだつららの音色が高く低くうねりを帯び始め、荘厳な音楽のように脳裏に響きだす。
『覚えていてくれるというのなら、俺も先生たちと過ごした時間を歌い続けるよ』
遠くかすかにこだまする少年の声と、ただ背中を支える相方の腕の温もりに新たな涙を誘われながら、女は置き去りにしていたヘルメットをゆっくりとかぶった。
塔の外へ、明日への一歩を踏み出すために。
-Sternbild-
機能停止:516
機体:三都市緩衝地帯に安置(フリーの技師による)
マスター:都市外からインゲニアに移住した技師(享年59)
ディクリートの量産に疑問を呈していた少数派の人形技師だった。