-247 ―Daniela―
Record:09030647
マスターに初対面の挨拶及び『帝都の光子』のウタを贈る
稼働時間:000921
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機構都市、と名を冠された新興都市の市長室では、今日も忙しなく人々が出入りし、格付けが上がるとともに増大した業務をキリキリと片づけていた。
それは部屋の一番奥、最上位を示すプレートを付けた机につく男も同様 ―― どころかサインを待つ書類が紙としても電子データとしても人一倍に溜まっている有様だ。
「アンダーソン、次の会議は?」
「明日の朝一ですね。今日はその山を崩せたら上がりです」
「あと二時間くらいか。来客の対応は問題ないな」
「はい。……あー、今日でしたか、実験体が届くの」
「あぁ、というより家を出る前に対面したよ。二言三言の会話ぐらいではせっかくの回路の実験にならないから、夜じっくり話してみるつもりだが」
「何か月かぶりの定時帰りが家で仕事をするためとは、市長もつくづく仕事人間ですね」
「今回の案件はそう面倒なばかりでもないぞ。独身ながら親気分を味わえる」
「それはそれでむなしいような。っと、来ました、三番は異常なし。五番は調整が要りますね。こっちを先に裁いていただけますか」
「分かった。ご苦労だったな、戻りなさい」
補佐役のひとりが、ひとつの工程の完了を確認して次の仕事のために席を外す。ガウェインはしゃべりながらもまとめていた資料をざっと眺めて共有フォルダにつっこむと、次に指定された文書ファイルを開いた。技術開発課の報告書が端末のディスプレイを占拠する。黒い文字の帯に目を走らせるうち、つい先日つくり出された名称を見つけ、微かに口角をつり上げた。Dichlied ―― ディクリート。ガウェインが二十年にもわたって導き支えてきた街を、ついに都市として認めさせる一助となった研究成果。
予算と決算、開発過程の報告に不備がないことを確かめ、監督責任者の欄の空白をなぞる。機構都市の最重要機密を扱う責を担うべく、都市の最上位のポストにある己に与えられた、これは任務であり褒賞だ。電子ペンを手に一字一字刻み込むようにして署名を済ませ、セキュリティ・コードを付与する。数瞬のタイムラグを経、認証マークが浮かんだ。更に角度を増す口許の弧を隠すように左手で顔の半分を覆い、残りの文書に目を通すと、スケジュール調整待ちのデータの群れに出来たての書類を投じた。
これで彼女はガウェインのものだ。
胸の内に沸いたどろりとした感情を面の皮一枚で隠し、一瞬の停滞もなく次の書類へと目を向ける。いつもどおり冷静沈着な仕事ぶりを部下たちに披露すると、ガウェインは最低限の業務を片付け、久しぶりに夕刻と呼べる時間に市庁舎を辞した。
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Record:09031821
マスターに出迎えの挨拶及び『帝都の光子』のウタを贈る
学習:都市史00-08
稼働時間:002055
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ブルネットの髪に琥珀色の瞳。血の通わない肌は少々白さが過ぎるようにも思えたが、そっと触れたきめ細やかさは素晴らしかった。磁場の影響をシャットアウトするために特殊な繊維を用いているが、医療用の人工皮膚と遜色ない手ざわりを再現している。言葉こそウタ以外は滑らかにつづれないが、少女の幼さを残した声は愛らしい。
リビングの一人がけのソファに深々と身を落ち着け、ガウェインは満足げに笑った。
普段寝室でたしなむ寝酒より一段上等な酒の封を開け、グラスを満たす。暗い紅の液体は、わずかな振動にも水面を揺らした。
「こちらに、ダニエラ」
「ワタシは飲食を必要としません」
「わかっている。だが、ひとりは寂しいだろう? 向かいに座ってくれ」
「承知しました」
間髪入れない返答は機械には珍しいとはいえ、文節にわずかな間を置く話し方は、既存の人工知能の発話能力と大差ない。ダニエラを都市の最重要機密としているのは、その自己判断能力と、それを日々改良していく学習蓄積能力だった。ヒトのように記憶し、論を組み立て、意思を表明する。それだけの知能にヒトと見分けられないほど精巧な体がそろえば、主に軍事や諜報部門で飛躍的な成果が期待できるようになる。
しなやかな所作でもうひとつのソファに腰を下ろしたダニエラは、ワンピースの裾を整えてから俯いた拍子にこぼれた髪を背にかきやった。あまりに自然で、だからこそ驚異的な仕草に、しかしガウェインは何も言わずただ目を細める。まるで愛娘を見守るように。あるいは芸術家が己の作品を誇るように。
「さて、今夜はせっかく時間があるんだ。ゆっくりおしゃべりしようじゃないか」
「どのようなトピックをお望みですか」
「それはもちろん、お前についてだ」
「ワタシ?」
ことり、と首を傾げてガウェインを見返す瞳が、つかの間揺らぐ。かわいらしいことだ、とグラスを傾けた対面の男は笑みを深めた。唇が血よりなお深い色に濡れる。
「それは、ディクリートについてでしょうか。ワタシという個体についてでしょうか。あるいは」
ぱちり、と琥珀が瞬く。
「ダニエラという光子についてでしょうか、マスター」
「さて、どれが正解だろうな」
つ、と舌で酒を舐めとり、ガウェインは一度グラスを置いた。膝に肘を置いて手を組むと、口元を覆うように身を乗り出す。
「お前はどれが私の望みだと思う?」
「 ―― わかりません。情報が不足しています」
「はは。では、話してやろうか」
ディクリート計画がいかにして始まったのかを、私の目線から。そう投げかければ、返ってくるのは頷きひとつ。おそらく、少女の記憶野にあたる回路はデータ蓄積に向けてフル稼働を始めているのだろう。
傍目には父親に物語をせがんでいるようにも見えるまっすぐな眼差しを受け、ガウェインは時間を手繰り寄せるように深く息をした。
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Record:09040012
マスターに就寝の挨拶及び『機構都市』のウタを贈る
学習:マスター個人史××-××
稼働時間:010246
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人体を害する成分を有するとして鉱山関係者から嫌われていたナハル鉱に特殊な性質があると知れたのは、採掘ロボットのメンテナンスをしていた人間が変人と紙一重の天才だったためだった。
被害の縮小を目的とした無人による採掘作業を担っていたロボットのうち一体が、原因不明のエラーを発して動かなくなった。そう報告を受ければ、普通の感性を持つ技師ならばエラーの解明にロボットをバラしこそすれ、いきなり別件で開発途中の人工知能を埋め込みはすまい。そんな天才技師の突拍子もない行動は、しかし彼女なりに根拠のあるものだったようで、新たな回路を増設されたロボットは息を吹き返し ―― あろうことか、『意思』の片鱗を見せた。技師が見つめるモニターにプログラム言語の組み合わせで『言葉』を放つ、という方法で。
『初めまして。コチラはAR‐129。ソチラは?』
『これは驚いた。あたしはリー。君にとっては医者のようなものだよ。調子はどう?』
『良好です。メモリの拡張により一層の改善を図れると進言します』
『それ、ナハル鉱のことかい?』
対話するロボットに即座に順応してのけたリー技師は、状況維持のため、とロボットに持たせていた分に追加してナハル鉱を与える実験を繰り返し、とうとうこの鉱物には情報蓄積及び関連付けに特化した性質が備わっていることを解明し、面白がって人工知能の擬似人格回路と組み合わせて『脳みそ』をつくり上げてのけた。その段階になってようやく申告を受け、頭を抱えたのが技師を統括する技術部の面々だ。一足飛びに辿り着いてしまった準人間の域ともいえる発明を前に、これを一技師、あるいは一街が抱え込むことはできないという結論しか出しようがなかったのだから当然だろう。悩みに悩んだ末、相談を持ち掛けられた相手が、当時はまだ若手と呼ばれる齢にあった政治家のガウェインだった。
ガウェインが出した答えはいたってシンプルだった。街では押さえきれない発明だというのなら、この街を都市に格上げしてしまえばいい。そのために、リー技師の発明を使って有能な『人形』をつくってしまえばいいのだ、と。
記憶学習型ロボット、現在の通称、Dichlied計画の始まりである。
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Record:09040633
マスターに起床の挨拶及び『帝都の光子』のウタを贈る
稼働時間:010907
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昨晩は結局、ディクリート計画の発足について語ったところで時間切れになってしまった。初期入力データと実体験に基づくデータとでは、差異が出るのは当然のこと。急速に学習項目をふやしたダニエラは、回路の稼働量を疲労と置き換えて表現し ―― 要するに、眠たげに眼を瞬かせ、舟をこぎ始めたので、日付が変わる頃に就寝させた。といっても、動力はリー技師の研究成果により体の中で半永久的に生成できる機構が組み込まれているから、一時的な動作停止と外部データの取得制限さえすれば疲労はすぐに回復する。少女らしいパステルカラーの寝室も、その中央に配置された大きなベッドも、本来なら無用の長物なのだった。
「本当に眠っているような静かな表情は、なかなかかわいらしかったがね」
「でれっでれですね、市長」
思わず頭を撫でていたよ、とにこやかに話すガウェインを前に、今日も息抜きに付き合ってくれているアンダーソンが微笑みと苦笑の中間のような微妙な顔をする。いつだったか、管理部長が孫バカ全開のファミリートークを繰り広げていた時に見たような表情だった。
「そんなにしまりがないかな、今の私は」
「というか、とても家庭的ですよ。親気分が味わえるというのも、あながち冗談でもなかったようですね。とても新鮮です」
「単に結婚に目を向ける余裕がなかっただけで、女嫌いでも子供嫌いでもないからな」
「今からでも老後を共に過ごしたい方はいらっしゃらないんですか?」
「それを求めるには、抱えるものが重すぎる」
「あぁ……」
過去の色恋をほのめかすような問いかけを交わすと、アンダーソンの表情が重々しいものに変わった。せっかくの会食でも何でもない昼食時、真面目な顔は不要と言い含めてあるが、言い訳がまずかったらしい。ガウェインは意識してからかうような笑みをつくった。
「君のほうこそ、仕事にかまけて奥方に愛想を尽かされるようなことにはならないように」
「痛いところを突いてきますね。この間も軽くかみつかれたところですよ」
応じるように少々大げさに話を始めたアンダーソンに相槌を打ちながら、ガウェインはふと意識を飛ばす。ダニエラは今、何をしているだろうか、と。
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Record:09042308
マスターに出迎えの挨拶及び『機械技師』のウタを贈る
学習:マスター個人史××-××
心理データ計測:抱擁
稼働時間:020142
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今日はゆっくり話す時間もないから、と早々に眠るように命じながら少女を引き留め抱き寄せてしまったのは、昼間の補佐役との会話のせいだろう。ガウェインは動揺ひとつ見せなかったダニエラの面と細い体を思い出し、ひとり自室で笑みを漏らした。
「家族への親愛か、友人への敬愛か、か」
抱きしめたときに零された問いに内包されていたのは、欲は欲でも知識欲。まだ感情の機微の再現までは出来ていない現状で、ディクリートの娘にガウェインの真意を無言で汲み取れ、というほうが無理がある。そもそもガウェイン自身ですら把握しきれていないのだ、ダニエラに向ける愛情がどんな類のものかなど。
「光子ダニエラの話をすれば、あの子にも多少は通じるようになるかもしれないな」
無造作にベッドのヘッドボードへ歩み寄り、レリーフのひとつに触れる。指紋認証後に浮かんだパネルにパスコードを打ち込めば、一枚の画像データが展開する。今は懐かしい少年時代に映された、二度と戻らない家族が集った姿が、そこにあった。
「ダニエラ……」
囁くような呼びかけは、子どもっぽい笑顔の幼いガウェインの隣、今少し年嵩の儚げな容貌をした少女に向かっていた。母方の従姉妹にして初恋の相手、このデータを撮ってすぐに帝国へと連れて行かれ、光子というの名の結界の贄にされた、忘れられない人へ。
「私はここで生き抜いていく。そうしていつか、君を奪った帝国へと一矢報いる牙を手に入れよう」
この乱立する都市国家を、帝国への反発という唯一の共通項からまとめ上げて。存命中にはかなわない望みでも、従姉と瓜二つの容姿を備えた人形に記憶という形で刻み込み、遠い未来へとつないでいく。
「どうか安らかに。おやすみ」
暗転するパネルの淵をそっとなぞると、ガウェインは胸に渦巻く憎悪をなだめるように拳を額に当て、今は隣室で眠る機械のダニエラに思いを馳せた。インプットされた旋律にのせ、歴史を謳いあげる柔らかな声。それさえあれば、この煮えたぎるような復讐心は老いによってすら摩耗することはないだろう、と歪んだ笑みを口元に刻むと、機械都市の市長は静かにベッドに身を横たえた。
-Daniela-
機能停止:050(アレクシアによる)
機体:アレクシアの手で回収後、工房で解体・研究される
マスター:ガウェイン(享年74)技師の街を機構都市に格上げした立役者であり、初代市長
現役引退後、他都市との同盟交渉を進めていたが、志半ばに落命
彼の死後、機構都市は周囲の都市の集中砲火を受け、一時地下避難を余儀なくされた