表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/27

第二章 「とにかくこのようにして一日分のねじが巻かれるのだ」

 僕はふたたび部屋をうろつき始め、抜け殻のようになったシャツを足の甲で隅に寄せた。

 「別に今日は学校に行かなくてもいいんでしょ? 昨日だけだよね」

 「あ、ちょっと待って」と彼女は言い、しばらく電話口を離れてなにかごそごそと物音を立てた。「……あとは八月の二・三日に──ちゃんと聞いてる?」

 聞いてる、と僕は答えた。

 「あとは八月の二・三日にもう一回病院で立花先生の講習がある。でもまあそれには出なくてもいいみたい。評価には響かないんじゃないかな、わかんないけど」

 「オッケイ。ねえそれで──」

 「ねえ」とほとんど同じタイミングで彼女が言った。「それで昨日わたしがどこに行ったか知りたいんでしょ?」

 「知りたい。どこに行ったの?」

 「ヨシのところ」そのあとで彼女が電話口でにんまりと笑うだけの沈黙があった。「昨日わたしヨシのところに行ってたの。君に内緒でね」

 「義弘?」と言って、僕は部屋の本棚を見上げた。それから電話を頬と肩のあいだに挟み、目についた本を手にとってぱらぱらとめくった。「どうして黙ってたの。言ってくれればよかったのに」僕は目で文字を追った。「──とにかくこのようにして一日分のねじが巻かれるのだ」

 「なんて?」

 僕は元あった場所に本を戻した。「なんでもない。それで?」 

 「でね、本当は君も誘おうと思ったんだけど、久しぶりだから二人っきりで会おうってことになったの。別に仲間はずれにしてるわけじゃなくて」

 「ひどいな」と僕は言った。「それで? 二人でどこに行ったの?」

 「ああ、今高円寺に友達と住んでるんだって。別になにもしてない。どこかに行ったりとかは別にしなかった。ドトールに入ってコーヒー飲んで、あとはそこらへんをぶらぶらと……」そこで彼女の声が遠ざかり、また戻ってきた。「ぶらぶらして、あとは御飯食べて帰ったよ」

 「へえ。どう、感じ変わってた?」 

 「え、どうだろう。わかんない」

 「だって半年も会ってないんだぜ!」と僕は大きな声を出した。「どこかしら変わってるはずだよ。絶対に」

 「そうかなあ。まあちょっとは緊張したけど」

 「そりゃあね。半年ぶりだもんしょうがないよ」

 「君によろしくって言ってたよ。こっちに来るときは電話しろって」

 「わかった」と僕は言った。「電話してみるよ」

 「番号は知ってるんでしょう? すぐかけてみれば?」

 番号は知っていた。けれど今すぐに電話を掛けてみる気にはなれなかった。

 「じゃあそういうことだから」と電話の終わりに梓は言った。「君のお母さんによろしく」

 わかった、と僕は言った。


 支度を終えて家を出たのが昼の二時だった(もっとも梓との電話が思いのほか長引いてしまったのが主な遅延の原因だったわけだが)。外に出て以前は泥だったことを思わせる、迷路そっくりに固まった土を踏むといとも簡単にぼろぼろと崩れだした。公園のフェンスに絡みついた蔓も、水を欲するあまり息絶え絶え蛇口に向かい突き進んでいる。言うまでもなく外は気違いじみた暑さだった。歩くたび蝋人形よろしくぼたぼたと汗が垂れ、そのうちのいくつかはアスファルトに黒い染みを作った──しかしそれですら数分後には渇ききってしまうような暑さだ。

 夏休みに二日続けて電車に乗るなんてことは、僕としては心の底からうんざりな出来事だった。なにを隠そう僕は電車という乗り物がこれ以上ないほど嫌いなのだから。それも実家のある千葉までは、なにがあろうと一時間以上はかかる。僕は駅までの道のりをなるべくエネルギーを消費しないように歩き、木陰があればその下を通るようにした。けれど時により気休めほど人を消耗させるものはない。諦めてタクシーに乗ったのはそれから七分後のことだ。


 電車の中で僕は仕方なく鞄から「こころ」を取り出し、静かにそれを読んだ。電車の中では車輪の音とアナウンス、それから車両の奥で母親の腕に抱かれた赤ん坊の泣き声が響いていた。「こころ」は七十八ページにしおりが挟まっていたが、僕にはそこまで読んだ覚えがなかった。たぶん初めのうちで投げ出してしまい、適当なページにそれを挟んだのだろうと思う。そしてページを捲くるうち(それがどの駅に着いたあたりなのかは思い出せない)、それまで弛緩していた一本の紐が頭の裏側で大きな輪を描いて収束したような気がした。おかげでこの本を途中で投げ出してしまった理由もわかった。当時まだ歳若く、心に傷を負いやすかったころの僕は、「こころ」を読むことである決意を揺さぶられるのではないかと恐れていたのだ。まだその決意を決意として自覚することすらままならなかった若き時代においてさえ。


 小学生のとき「こころ」に失敗して以来、僕は夏目漱石の本を読んでいなかった。だが決して僕は本を読まない人間ではない。本は僕という小世界の中でかつてから絶大な存在を誇っている。それはゴルファーにとってのクラブであり、海峡にとっての桟橋に灯る明かりだった。初めて読んだのはたぶん、ロアルド・ダールの童話だ。続いてアーネスト・ヘミングウェイ、J.D.サリンジャー、ヘルマンヘッセ、チャールズ・ディケンズ。そして成長するにつれ、僕はその領域をもっとずっと広げた。例えば、ウィンストン・チャーチル、森鴎外、フョードル・ドストエフスキー、フランツ・カフカ、F・スコット・フィッツジェラルド、ジークムント・フロイト、谷崎潤一郎、セーレン・キルケゴール、フリードリヒ・ニーチェ、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。

 もっと昔の文献だって僕は読んだ。アリストテレスにホラーティウスに形而上学に関する本まで。けれどどうしても夏目漱石にだけは手を出すことができなかった。というより、漠然とした恐れが、過去の亡霊が別のかたちをとって意識の隅に居座り続けていたからに違いない。そしてその恐れとは、「こころ」を読むことによって、僕の心が一時なりともばらばらに分解されてしまうことからだった。もちろん人は生きる過程で傷ついていかねばならないし、また傷心なしに教養を学ぶことはできない。けれどなまじ選択を与えられると、我々は無意識のうちに安易な道を選んでしまうのではないか、ということだ。肉体的な痛みであればきっと僕は耐えられただろうし、進んで挑んだに違いない。子供というのはそれだけで何かに挑む無垢な強さを持っているはずである。けれど彼らは(あえて彼らと呼ばせてもらえば)、そのあまりの無垢さに、回復と成長とをうまく把握できていない。僕は漱石の「こころ」を読むことで知りたくない、忘れかけた真実を見ることになっていた。そしてそれは漠然と、曖昧な時間の経過によって支えられた事物を根本から揺り動かしてしまう危険性があった。「こころ」を読み終えたあとに当時の僕が僕自身でいられる根拠はどこにもなかった。僕はこの本を読まないことで様々な想いを封印し、わざわざ自分を身動きのとれない位置へと導いたのだ。それが故意であったのか、そうでなかったのかは別として。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ