第二章 「満州の生み出した幻影、想像の行き届かない地点」
それから本田さんは一時間ばかりずっとノモンハンの話を続けた。当時まだ十六歳だった僕には、課題うんぬんを差し置いても十分興味深いスリルに富んだ話だった。彼の口から聞く戦争は、その手の話がとかく陥りやすい善悪やら主義やらのなんやかやを超え、事実のみを伝えることでより残酷と生々しさを際立たせた。それまで隣にいた中尉の頭がある瞬間に砲弾で半分吹き飛んだり、ソ連の戦車に飛びついて火炎瓶で兵士を焼いたり、砂漠に不時着したソ連機のパイロットをみんなで追いつめて射殺したり……、そういう話ばかりを本田さんはした。歴史がどう動いた、こう動いた、というような話は一切ない。つまるところ、実際の兵としてノモンハンに駆り出されていた本田さんにとって政治は管轄外だったということになる。なぜなら当時の彼らにとって政治とは言わば現時点でその戦争、戦線が有利であるか不利であるかという意味合いしかもたなかったからだ。彼らは直進しろと言われれば直進し、戦えと言われれば戦った。たとえそれが死と同義であっても、だ。もちろん行き先がどこであれ、肩には唯一の頼みである三八式歩兵銃をひっさげていたわけだが。
僕は話の途中いちいち口を挟んだり、面倒な質問を投げかけたりはしなかった。彼はむしろひとりでもくもくと事実を伝えたがったし、なにか質問したところでどうせ聞き流されてしまっただろう。彼の魂──人はそれを幻影と呼ぶ──は依然ノモンハンで戦争を続けていたのだ。僕は途中からまるで自分がどこかに隔離されていて、そこから彼を覗き見ているような錯覚にとらわれていた。おそらくはある種の淡い経験によってもたらされる信用のおけない猜疑心が、現実と夢物語が意識の奥底でいさかいを続けていたせいだろう。老人の途切れることない話は延々と僕の耳に注がれているが、彼は僕に対して話しているわけではない──おそらくは過去の亡霊に向かって、だ。けれど実際に彼は戦争を体験し、僕は戦争というものの意味すらほとんど把握していなかった。というより、事実に想像が追いつけないでいたのである。
ともかくもその講義は少なからず僕の血肉となり、戒めとなり、具体的な想像へのなかだちとなった。大体の話を聞き終えると僕は大きな声で礼を言い、その生きた化石を思わせる老人に対して畏怖の念を抱きながらもそれと同時に絶大なる愛着を覚えた。家を出た後で胸いっぱいに新鮮な空気を吸い込み、僕は話の要点だけを頭の中で整理しながら帰った。そうこうするあいだに夏休みも終わり、課題を提出した以後、彼の好きな銘柄の一升瓶を持って礼を言いに行ったっきり、彼とは会っていなかった。
僕は社会科ノートの十二ページ分の余白をぱらぱらと捲くりながら本田さんのことを思った。彼が今生きているのかどうかもわからない。けれど不思議と死んでいるような気はしなかった。たぶんそれはあのときのイメージが、今となってがみがみとした頭に響く声だけをそぎ落とし、どこかしら蟲惑的な印象を脳裏に植えつけているからに違いない。今でさえ目をつぶると、まるで標本のような老人の顔がずいっと眼前に浮かび上がってくるのだ。
僕は「ふむ」と一声ノートを部屋の隅に放り投げ、湯を沸かしてコーヒーを入れた。気温は昼に比べるとずいぶん過ごしやすい温度にまで下がっていた。部屋の時計は二十一時十二分を差している。あのあと梓からの連絡はない。中野というヒントをもらっても、僕には具体的にどこに行っているのか見当もつかなかった。異性の交友関係というものは、ひとたびこちらの手を逃れてしまうことでまるきり想像の外へ飛び出していってしまう。例えばどこに行くとしたって、「これからちょっと舞踏会に行くから」なんてのとほとんど変わりない。これも事実に僕の想像が追いつけていない例のひとつだ。
しばらくコーヒーを飲みながらぼんやりとテレビを見ていた。放映されていたのはよくわからない恋愛を中心としたコメディーのようなものだったけれど、約一時間ものあいだ唇をぴくりとも動かせなかった。それでいてチャンネルを回すことすら億劫でならない。どうやら僕は今日いちにちでかなりの労力を消費したということらしかった。それから顔がひりひりとし、汗の掻きすぎで腹のあたりがこそばゆいことにようやく気がついた。こうして夏は毎年、その季節のあいだ僕をほんの少しずつ歪みへと導いていくのである。……