第二章 「死んでこそ、浮かぶ瀬もあれ、ノモンハン」
満州戦争のレポートは何かの記述を参考にしたものではない。だから本当は正しくない部分があるかもしれない(あるいは間違っていることこそが正しいという場合もあるにせよ)。
その話を本田さんという老人から聞かされたのは僕が高校二年生のころだ。確証のようなものはないが、今とほとんど同じような時期だったはずである。夏休みの課題として生徒たちは日本史の教師から「戦争」という漠然としたテーマを与えられ、それぞれが四苦八苦しながら新学期の始まりにはほとんど全員がそれなりのものを提出したのだが、僕は──これは決して自慢ではないのだけれど──その中で一番高い点数を与えられた。ありていに言えば厳粛なる審査の結果、「高等学校で学ぶ日本史を超越したとても興味深いもの」ということだった。そして僕はそのあとで本田さんの家に行き、その顛末を報告した。彼の耳が悪いために僕が事を全部伝えるころにはすでに心身共々疲弊しきってしまっていたわけだが、本田さんはうんうんと低いしわがれた声で肯き、──しかし結局のところ僕が何について喋っているのかよくわからなかったのだろうとは思うけれど──「あんたは優秀だからな」と言った。
僕は本田さんが好きだった。それはきっと梓が立花先生に対して感じる好意と似たようなものだったのではないかと思う。人の良い、そしてある程度害のない老人は誰でも好きになるものなのだ。
しかし本田さんについて僕が何かを知っているかと訊かれれば、僕はまったく彼を知らないと言ってもよかった。僕は叔父から経由して本田さんを紹介されただけだった。彼は今ではもう数少ない戦争体験者のひとりで、左手から手首をぶつんと失っていた。
「ノモンハンでソビエト軍の戦車に押し潰された」と本田さんはかつて語った。
負傷のあとは内地に送還されたが妻も子も他の家庭に入っており、施設育ちの彼は事実上天涯孤独の身となった。僕が知っているのはそれだけだ。そんな人が叔父とどうして知り合いになれたのかもまるでわからない。
天涯孤独の身であるとおり、生活はごく控えめに言ってとても質素なものだった。それはまだ歳若く世間知らずの僕には世捨て人のように見えた。部屋の畳はぼろ雑巾のように擦り切れ、窓ガラスはどれもこれも茶色ばんだセロハンテープのようなもので補強されていた。本田さんはいつも寝巻きとも作業着ともとれる薄い青の上下を着ていて、それらが近い過去に洗濯された痕跡はほとんど見受けられなかった。身体の不自由な彼の元には毎日ホームヘルパーが来て食事を作り掃除をしていたのだが、それでも部屋は中流階級の家庭に育った僕には煤けて見えた。そして何より、部屋には息の詰まるような耐え難い臭いが充満し切っていた。
「水が悪いのはいかんな」
初めて僕がその場所を訪れたとき、彼は何の前置きもなしにそう言った。うっすらと白い無精髭の生えた頬をこすり、本田さんはときおり喉に唾を溜めてティッシュに痰を吐いた。そのたびに家政婦がこちらに振り返り、目に見えないビン底眼鏡のモダンをさっと両耳にかけられたかの如く顔をゆがめた。
「水が悪い」と僕は意味のわからないまま復唱した。それから声を張って続けた。「水が悪いんですか?」
「うん」とややあって低くうなるように本田さんは言った。「要するにだな、あんたはもう少しゆとりというやつを持って生きなければいかん。自分の臓腑を傷めるような真似はしたらいかん。わしもノモンハンでは水に随分と苦労した。ノモンハンには水がまったくなかった。戦線が錯綜しておって、補給というものが途絶えてしまったのだ。水もない、食糧もない、包帯もない、弾薬もない。あれはひどい戦争だった。後ろの偉いさんたちはどこをどうやって占領するかということしか頭にないのだ。補給のことなど誰も考えてはおらんかった」
「それはなんていうか、流れのようなものが悪いということなんですかね?」
彼は構わず続けた。「わしは三日間ほとんど水を飲まなかったことがある。朝に手ぬぐいを出しておくと、それにわずかに朝露がしみて、それを絞って数滴水を飲むことができたが、それだけだった。それ以外に水というものはまったくなかった。あのときは本当に死んだ方がましだと思うた。世の中に喉が渇くほど辛いものはない。こんなに喉が渇くくらいならいっそ撃たれて死んだ方がましだと思ったくらいだった。かたわらでは腹を撃たれた仲間たちが水を求めて叫んでおる。気が狂ってしまうものまでおった。あれはまさに生き地獄だった。目の前に大きな河が流れておる。そこに行けば水はいくらでもあった。でもそこまで行けんかった。わしらと河とのあいだには火炎放射器をつけたソ連の大型戦車がずうっと並んでおった。機関銃陣地が針山みたいに並んでおった。丘の上には腕のいい狙撃手も構えておった。夜中にも奴らはどんどん照明弾を撃ち上げた。わしらの持っておるのは三八式歩兵銃と、ひとりあたり二十五発の弾丸だけじゃった。わしの戦友の多くはそれでも河に水を汲みに行った。ひとりも帰ってこんかった。みぃんな死んだ。なあ、あんたも無理はしたらいかん。行動する機を窺うんだ。そしてその機を絶対に逃したらいかん」
僕は返答に窮した。彼の度外れな声ががんがんと頭に鳴り響いていただけでなく、その話があまりにも想像の範疇を超えるものだったため、なによりもまず話の凄みに対して息を呑んでしまったのだ。
僕はつばきを飲み下して言った。「つまり僕はしばらく死んだままでいた方がいいということですか?」
「そのとおり」と本田さんは深く肯き、部屋を震わせるほどの声量で言った。「死んでこそ、浮かぶ瀬もあれ、ノモンハン!」
そのとき家政婦が布巾を持った手を止め、目をぱちくりさせながらこちらに顔を向けていたのは言うまでもない。本田さんは奥行きというものを欠いた瞳で、半分悦に入るように頭をもたげて、数ミリ離した両の唇の端を微かに震わせていた。