第六章 「黄昏時、賑やかな晩餐」
五時少し前に、叔父の奥さんが食材のぎっしり詰まったビニール袋を手に帰って来た。その一時間ほど前に我々は微かな雷鳴の轟きを認めていたのだが、雨は多少のぱらつきを見せただけで、遠く山の向こうに去っていってしまった。今ではまた燦然と輝く太陽が、落ち着かない雲の流れのあいだで、そろそろと西の方角に傾きつつもテラスに淡い光を射し込んでいた。叔父と僕は料理ができるまでのあいだも、勝ち負けに依存しないという条件つきで将棋に興じていた。僕は飛車に続き、彼の銀将も取った。桂馬はすべて僕の手元にあった。
「こいつは難儀だ」と彼は重々しく言い放った。それからダイニングに向かってどなった。「コーヒーを持って来て、二杯分! コーヒーを二丁だよ、早く。酔いを覚まさなくっちゃ勝てそうにない」
将棋は僅差で僕の勝ちだった。叔父が煙草に火を点け、なにか言いわけらしいものをもぞもぞとつぶやきかけたときにちょうど料理ができあがった。「メシを食ったらもう一勝負しよう」と彼は言った。
叔父の奥さんはこと料理に関してはかなりの腕前と自信を持っていた。ひとりで暮らしている僕からすると、それは随分と豪勢な食事に見えた。とは言え自分と出会うまでは掛け値なしにひどい有様だった、というようなことを食事が運ばれてくるまでのあいだ叔父は何遍も繰り返した。「そんなにひどくない」というのが奥さんの言い分だったが、叔父は「なにを言うかね──食べられたもんじゃない」と強情に突っぱねた。
「じゃああなたは食べなければ?」と奥さんはいくらか機嫌を損ねたような調子で言った。「圭ちゃんはいくらでもあるから存分に食べてちょうだいね」
「昔の話だ。なにも今は不味いなんて──」
「今日は男の子が二人だから多めに作ったの」と奥さんは叔父の言葉をさえぎって皮肉っぽく告げ、ウインクの代わりに微笑を投げかけた。
茄子の入ったパスタグラタンにメキシカンサラダ、炙った鶏肉と青いふちの皿に盛られたトマトスープが食卓に並べられた。ものの十分もしないうちにそれらの料理を平らげると、満腹感と共に早くも眠気が襲ってきた。なんにせよ、カレーが出てこなかったことがなによりの救いだった。それがどんな贅をこらした美味いカレーであったとしても、さすがにもう食べ飽きてしまったから。
食後にコーヒーをどうかと尋ねられたので、いただくことにした。叔父はさっき飲んだからいらないと断ったあとで、リビングに置いた飲みかけのビールを取りに行った。奥さんは僕に、料理は口に合ったかと尋ねた。
「もちろん美味しかったですよ。なにせ半分はこのために来てるんですから」
「ありがとう」
「今度簡単な料理を教えてくれません? 手間のかからないやつ」
「それなら──」と奥さんが言いかけたところで、リビングから大きな物音がした。叔父が灰皿を持ち運ぼうとして床に落としてしまったらしい。
「ねえ、ちゃんと片づけてから来てよ」と奥さんがどなった。「あと絶対にカーペットはこすらないでね」
「あとでやる」とリビングから声がした。
「もう。いつもああなの」と奥さんは僕に向かってこぼした。
叔父はビールを飲みながらリビングの戸口に立って、僕に手招きした。
「将棋はあとでいいじゃない」と奥さんが非難するように言った。「わたしだってせっかく圭ちゃんとお話できるんだから」
叔父はしぶしぶ元の席についた。テラスを濃い色の夕焼けが侵しはじめ、木目のついたプラスチックの椅子が反対の方角に向かって長く影を落としていた。
「もしかしてまだお夕食には早かった?」と奥さんが僕に尋ねた。「料理するのにもう少し時間がかかると思ってたから」
「夜にまたなにか食べればいいだろう」と叔父が請け負った。
「ちょうど叔父さんと僕はお腹を空かせてましたから」と言って、僕は叔父の方に顔を向けた。
「ねえ、圭ちゃんおいしかったって」彼女は夫の方にぱっと顔を向け、片方の眉を器用に吊り上げた。「あなたもなにか言っていいんじゃない?」
「美味かった、美味しかった」と煙草を吸いながら、叔父は疲れたみたいに言った。「なあ、圭ちゃん?」
僕はにっこりと微笑んで肯いた。
「嬉しい」と彼女は笑顔を見せる。それから楽しげに告げた。「そう、いっそ今度お料理教室を開こうかとも思ってるの」
「まーた、なにを言い出すかと思えば……」
「ちょっと待ってよ。最後まで聞いて」諭すように夫の太ももに手を置き、奥さんはまたこちらに顔を向けた。「ここらへんの奥様方ってみんな退屈してるの。だからね──だから手芸教室の先生に、教室を開くのなんて簡単だからって勧められちゃって」
叔父は鼻を鳴らしてうさんくさそうな顔をした。
「いいですね。それでペンションでも始めたらきっと繁盛しますよ」
「やめとけやめとけ」と叔父は言った。「なんでも本気にしちまうんだからさ」
「誰も本気になんかしてないでしょう? 圭ちゃんだってほんの冗談で言ってるんだから。ねえ?」
「けどもし料理教室を始めるなら──」
「でもなあ、安易に商売なんてやるもんじゃないよ」と叔父がさえぎった。「世の中簡単そうな代物ほど難しいんだ」
僕と奥さんは料簡を誤ったような顔で互いを見合わせた。
「けど先月はよかったって」
「調子は上向いてる──でも先のことはわかりゃしない。こつこつやるのがいちばんなんだ」
叔父の口調にどこか有無を言わさぬ重苦しさがあったせいか、それを潮に始めて沈黙のようなものが食卓に降りた。少しして奥さんは立ち上がり、料理の後片付けを始めた。僕も同じ大きさの皿をひとつに重ね、洗い場まで持っていった。
「ありがとう」と彼女は言い、排水溝に視線を落としたまま微笑を浮かべた。「わたしのことはいいから将棋してらっしゃい」