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第三章 「ささやかれるロマンス、その背反、残酷な青春」

 梓はそんな拙い時代の僕をサポートしようと常から心がけ、そのせいで何度か僕と彼女のあいだのロマンスが周囲でまことしやかにささやかれた。けれどそれもしばらくのあいだのことで、大体は一月もすると立ち消えになった。というのも、周囲からすればどうしたって義弘の魅力が断然僕を上回ったし、実際そういった噂がささやかれる割合は義弘の方が多かったはずだ。けれど彼はそんな噂を耳にするたび傷ついただろうし、それは僕も同じことだった。なぜなら彼女は僕のことも義弘のことも愛してはいなかったから。

 ふたたび時代を遡るが、義弘は長いあいだ梓を真の意味で理解することができていなかった。それはおそらく頭の良さとほとんど関係なしに、経験から飛来するものだろう。身を貫くような劣等感と引き換えに僕が一足早く観察眼という予覚のようなものを手に入れていたわけだった。義弘は恋敵に勝利することで彼女の心を動かせると本気でそう信じ込んでいた。彼のまだ拙く性急な想像は城に囚われた姫を助けるため、今まさに神秘なる無数のドラゴンと前時代的な決闘を始めようとしていたのだ。それらすべてが無益なことだとわからずに。


 義弘はなにかの食い違いを感じながらも若さゆえ強引に直線し続け、勝利し、そして結果的には何人かの嫉妬の目と、その数倍にも当たる尊敬の眼差しをその身に注がれることとなった。しかしどのような賛辞も彼を満足させるには至らなかっただろう。どうしたって梓が声をかけるのはこの僕だったからだ。僕としてもそれは気の毒なことだったし、いつも心のどこかで彼女にそんな風にしてもらうことを後ろめたくも感じていた。でも念を押すようだけれど、そのころの僕に何かを変えられる力はなかった。自分の言いたいことさえうまくはっきりとは言葉にできないような年齢だった。たしかに他人についてよく観察することで学んだものはたくさんあった。けれどもそういった知識が往々そうであるように、実際に体験してみなければ納得のようなものは得られない。そのときの僕にできたのは、自分の無力さを呪い、義弘や梓に一歩でも近づこうとすることだった。若さゆえのいささか想像を欠いた現実性が与える、陳腐で単一な望みにすがってだ。僕は方法というものをまるで知らなかった。自己嫌悪の海から自らを引き上げることに成功したのはごく最近のことである。そのとき僕は子供ながらに強く信じたものだった──もしもこの時代を青春と呼ぶのなら、青春ほど残酷で人を惑わす時代はない、と。


 付け加えておくと、僕の学力や体力がそれほど学校の連中から劣っていたわけではない。学力でなら、僕は学年でも上位をキープし続けていたし、決して運動音痴というわけではなかった。しかしやはり、彼らが群を抜いて優秀であったがため、こんな風に今でも過去の自分を見下げてしまうのだろう。事実、中学校に入ってからというもの高畑梓と野方義弘の能力は県境を越え、関東一帯でも名が知れるほどトップクラスの学力を三年間保ち続けた。特に義弘は数学では一問たりとも不正解を出さなかった。三年ものあいだ、ただの一度も間違いをおかさなかったのだ。

 テストのあと、廊下に貼り出された順位表に二人の名前が一位と二位で並んだとき、生徒たちは二人が幼馴染ということもあって冷やかしを送ったが、それが三年間動かぬことを知ると、もっと別の目を向けるようにまでなった。部活もそうだ、義弘は早い時期からサッカーで県選抜、梓はバレーボールでインターハイ。この先は想像がつくとおり、今まで半歩遅れながらも彼らにつき従ってきた僕だって、いくらなんでも身体の能力ばかりには限界があった。それらには明らかに類まれなるセンスが必要とされていたからだ。

 僕が本格的に読書量を増やし始めたのもそのころのことである。僕はスポーツよりも、果ては勉強よりも本を読んでいることの方がずっと自分に合っているような気がしていたし、それまで中途半端に身を置いていた水泳部の活動が三年生の半ばに終わりを告げたことで急激に暇を持て余す身分にもなっていた。そんなこんなで暇つぶしに市の図書館へ出入りを繰り返すうち、いつの間にやら図書館にある本を片っ端から読破してやろうという気になっていた。十代半ばにありがちな、自分の能力にハクをつけてやろうという魂胆もそのときはあったかもしれない。でも結果的に、それが十代にありがちな哲学あるいは陳腐な学説の生かじりみたいなものにならなかったのは我ながらとても幸運である。それは僕が彼らに優るゆいいつの知識であったし、同時に僕だけの喜びでもあった。いつだか梓は黙然としかし激烈に本を読み進める僕に、将来は小説家になることを勧めた。しかしすでに、というか、僕にはかつて小説家を目指していた時期もあったのだ。

 「それだけ読んでればいくらでも書けそうなもんだけど。やっぱり違うの?」

 「駄目だよ、無理」と僕は言った。「なんていうか、読むのと書くのって全然違うんだ」

 「そりゃまあね──そうだろうとは思うけど」

 「そういう才能があったらよかったんだけどね」

 「でも」と梓は無理に笑顔をつくった。「そうやっていつでも読書を楽しんでるんだから、きっと書く方じゃなくて読む方の才能を授かったんだよ。神様から」

 彼女の気休めに対して僕がどんな言葉を返したかはわからない。にこりと微笑んだかもしれないし、大方はそうだろうと思う。しかし小説家になれないことに対してそれほど気落ちしているわけでもなかった。本が読めればそれでいい。彼女の言った本を読む才能なんてものがあるとすればだが、そんなものは大概の人間に備わっていそうなものだったからだ。けれどその言葉は少なからず僕をほっと安心させたし、同時に何かが身からそっと失われる哀愁を感じさせた。

 梓の身長と僕の背丈にはっきりとした差があらわれだしたのもちょうどこのころのことだった。それまでの僕にとって、彼女は友達以上の存在ではあるにせよ、どこか歳の近い姉を思わせる部分があった。だが体格的に彼女を上回ったことで、僕の意識は運命的に傾き始めた。そのころの義弘のように、僕もちゃんとしたかたちで彼女への想いを胸に据えることができたのだ。


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