08 当日
―コンサート当日―
開演まで1時間といったところだ。
しかし、風芽の近くに冷華はいない。
先ほど衣装に着替えたかと思うと、
「気が散るからついてこないで!」と怒鳴られた。
言うことをきく必要はないと言った矢先、女子トイレに籠ってしまったのだ。
「入るわけにはいかないよな」
それくらいの常識と恥は持っているわけで。
トイレ内には窓が一つあり、侵入する入り口にもなりうる。
なるべくならそこも見ておきたかったが、何分風芽も男だ。
だからこうしてトイレの前で警備をしているしかできなかった。
壁を背に寄りかかっているのをスタッフがクスクスと笑って通り過ぎる。
恥ずかしさよりもだるさが上回っている今、ため息しか出てこない。
「(発火能力だけならどうにでもなるとして、人質とかとられたりしたら面倒だし、大人しくしててほしいもんだ)」
冷華がじっとしていてくれれば護りやすいのだが、彼女がそう大人しくしていられる性分ではないことはこの数日でよく分かっていた。
なんにしろ、依頼は今日で終了だ。
依頼料も結構な額が入るから母さんに何か買っていこう。
銃と一緒にドットに預けてたワインも受け取ってかなければ。
そんなことを思っていると、冷華が入口から出てきた。
「トイレの前で何してるの?」
「警護」
「熱心なのね」
「ギルドはそう言うものだからな」
そう言うと、冷華は目を逸らし歩き出した。
その数歩後ろをついて行く。
「今日で最後ね」
「そう言う契約だ」
依頼主は君の父親だけど。
「そういえば九十九中央学園を受験したんでしょう?結果は?」
「合格」
昨日、織華の爆弾発言後に母から電話でその旨を伝えられた。
これで晴れて学生生活に再デビューね、と言われ苦笑いしたのを覚えている。
「じゃあ私の後輩になるのね」
「学科は違うから会う機会なんてないだろ」
控室に着き、椅子に座った冷華に冷たい飲み物を差し出す。
「そう、ね」
コップを両手で持ちながら顔を俯かせる。
風芽は携帯を見た後、冷華の向かいの席に座った。
静かな部屋は沈黙のみだ。
「ねぇ、かざ……」
「しっ」
話しかけようとした冷華の口を風芽がふさいだ。
驚いた彼女は眼を見開き、風芽を見る。
部屋の中をゆっくりと見渡し、眼を閉じた。
静かな部屋で耳を澄ませる。
チ……カチ……カチッ
その音をとらえた後の行動は早かった。
冷華を抱き抱え、扉を開け放つ。
廊下に飛び出し、扉をしめた。
そして、手を添えた瞬間だった。
控室の中から大きな爆発音が聞こえ、震動が伝わってきた。
「ちっ」
ドアは熱を持ちはじめ、そこから手を放す。
「残った爆弾か」
「っぷは……なんなの?」
「犯人の悪あがきってやつ」
解放された冷華は立ち上がり、乱れた衣服を整える。
控室はもう使い物にはならなくなっているだろう。
ここに爆弾が仕掛けられたと言うことは、犯人は内部に侵入しているということだ。
他の警備の奴は何してるのやら。
先ほどの震動でスタッフが駆け寄ってくる。
が、その中に見知った顔を見つけた。
「(ほんとに、甘い警備だな!)」
風芽は冷華の手をとり、「来い」と言ってその場から離れた。
「何?!」
「とにかく、広い場所に行くぞ!」
「ちょ、ちょっと!」
冷華はつかまれている手を振り払い、走るのを止めた。
「説明しなさい!」
「死にたいのか?!」
ドガァアアン!!
近くで爆発が起こり、冷華が爆風で飛ばされそうになる。
とっさに庇い、彼女ごと壁に叩きつけられた。
なんつうデジャブっ。
「ぅっ……」
「ったく!」
「見つけたぞぉ!九条院んんんん!」
他のスタッフは先ほどの爆発で気絶してしまったのだろう。
犯人の男はこちらに走ってくる。
その手には前よりも大きな炎が浮かんでいた。
この狭い通路で爆発はさすがにヤバい。
再び放たれる炎に風芽はしかたない、と舌打ちをして手を掲げた。
「『変換』」
空気を掴むようにあげられた手の手前でその炎は消え去った。
先ほど爆発した場所に燃えていた炎も一緒に一瞬で消火されたように焦げ目のみが残っている。
男は目を見開き、自分の手から消えた炎を探した。
「なんだ?!何がっ!」
そう言いながら再び自分の手に炎を生み出す。
「馬鹿の一つ覚えか」
「うるせぇ!」
放たれた炎は再び風芽たちの目の前で消え去り、何度も何度も繰り返すが、それが彼らに届くことはなかった。
肩で息をする男は顔をゆがませ、風芽を睨む。
「おまえ、無能力者じゃなかったのか!?」
「だれがそんなこと言った?」
無表情のまま答えた風芽は冷華を背に隠している。
男はそれを見て、手を震わせた。
「その女を渡せ!そいつは俺の人生を奪った!」
指を差された冷華は肝が据わっているためか、その言葉には動じなかった。
そして、首をかしげて言った。
「私、あなたのこと知らないのだけれど」
「なぁっ?!!」
男は自分を覚えていないと言った冷華に驚愕の表情を浮かべた。
そして、拳を握りしめる。
「そうやってお前は俺を見下してっ」
「小さな男だな」
「なんだと?」
「たった一つの挫折で全てを失うんだ」
そう言って隣にあった扉をあけ、冷華を突き飛ばし鍵をしめた。
これで邪魔はいない、とサングラスをとる。
「それで、決めたのか?」
「何をだ」
「能力者として消えたいか、それとも……人間として消えたいか」
遠くで足音が聞こえる。
それも大人数の。
男は焦る心と裏腹に、風芽の前から動けなかった。
「聞こえるか?お前を捕まえに来たやつらだ……もちろん警察なんかじゃない」
そう、警察なんて生易しいものではない。
「能力者にはその力と相応の責任が伴う。許可のない殺人は、絶対的に禁止されてる。お前はそれを犯した。あの足音はその罪人を捕えるために派遣された奴らだ」
どんどん近付いてくる音は男にとって恐怖の対象でしかない。
そして、目の前にいる男は執行官に見えた。
「人間として罪を償うか、能力者として裁かれるか……どちらを選ぶ?」
「お、俺はっ俺はぁ!」
恐怖が限界を超え、ヤケクソニなったのか、能力を爆発させようとする。
しかし、その手に炎は現れることはなかった。
「な……どう、して」
「所詮、火は燃やすものがなければ現れない」
足音が近づく。
「まぁ、殺すわけにはいかないから、生存レベルギリギリには残してあるけど」
「お前……なんなんだよ……」
「なに……ただの“化け物”だよ」
「SAI管理局だ!そこの二人、手を挙げろ!」
足音共に周囲を囲んだのは軍服のような格好をし、その手に銃を抱えた人間だった。
SAI管理局はその名の通り、SAI能力者の管理、研究を行っている機関だ。
それはギルドと繋がりを持つが、別の機関と考えられている。
能力者による犯罪を取り締まっているのは管理局だが、ギルドの人間に依頼することもある。
管理局と聞き、焦る男と対して風芽は冷めた目のまま男を見ていた。
動かない2人に、管理局の人間は銃をつきつける。
風芽は懐からライセンスを取り出し、見えるように提示した。
「連絡したのは俺だ」
「ぶ、黒?!」
黒く光るその一枚のカードに動揺が走る。
しかし、それを遮るように風芽は言葉を発した。
「その男ははぐれの発火能力者だ。拘束するなら早くしろ」
「ちっくしょー!」
動かない管理局の人間の隙をつき、男は逃げ出す。
向けられた銃はただの脅しであり、それを分かっていた男は走り出した。
「役に立たないやつらだ」
踏み出そうとした男の足は、床から離れた。
「ぅっぐあぁ!」
男の首を風芽がつかみ、両手を片手で拘束する。
それと同時にグキリとやけにリアルな音が響いた。
「だから、早くしろって言ったのに」
男の手首はあらぬ方向に曲がり、激痛と酸欠で悶えていた。
その光景を見た管理局員は気がついたように銃を向ける。
「や、やりすぎです!」
「やりすぎ?……君たち新人?それとも、馬鹿?」
風芽は鼻で笑い、男を掴んでいた手を緩め、床に落とした。
「能力者をなめてると、早死にするぞ」
苦しみもだえる男を局員たちが拘束し始める。
「能力制限の首輪は必要ないだろ」
「それは、どういう……」
そう言った風芽の言葉をききながらも、用心のために男に首輪をはめる。
能力の発動を抑えるために作られた特殊な装置だ。
主に罪人にはめられるもので、手錠のような役目を持っている。
「まぁ、あとは勝手に処分しろ。ギルドにもそっちから報告してくれ」
はぐれの管理はあんた達の担当だろ。
しょせん、管理局の人間は無能力者が多い。
ギルドと同じような機関でも、力関係はギルドの方が強いのだ。
そう言った点で、管理局とギルドも警察と同じくらいいがみ合っている。
ギルドはどこに行っても異端。
「(無駄な時間食った)」
風芽は冷華を放った部屋の扉を開ける。
中から開けられないように扉に細工したため、冷華は静かだった。
ピアニストが扉をたたくなんてことしないだろうし。
開けた瞬間、影が飛び出してきた。
「なにがあったのよ!」
「開演まであと五分だぞ」
「説明しなさい!」
「犯人は無事逮捕、はい終わり」
背後にいる管理局員と拘束されている男を見て、冷華は事態を飲み込んだ。
「早く行け」
「でも」
「安全は確保された。もう護衛は必要ないだろ、依頼は終了だ」
きっぱりとしたその言葉に、口を噤む。
舞台はすぐ近くの扉から行ける。
犯人は捕まり、彼女を襲う人間はもういない。
「さっさと行け」
「聴いて行くでしょう?依頼はコンサート終了までなんだから」
「依頼は犯人と安全の確保。……行けよ、客が待ってる」
そう言って風芽は冷華を送り出した。
―――――――――――――――――
ブ―――――――
その音によって幕が上がり、一台のピアノが置かれている舞台が現れた。
大きな拍手と共に主役が登場する。
彼女は客席を大きく見渡した。
しかし、そこに求めた姿はなかった……
――――――――――――――――――――――――――
がちゃ
玄関を開ければ、そこにあるはずの靴はなく、部屋の中も暗かった。
リビングに置かれたテーブルにはラップのかかった食事と一枚の紙があった。
母の字で書かれたそれには「コンサートに行ってきます、夕飯は温めてね」とだけ。
「そういえば、ピアノ好きだったんだっけ」
依頼の終了を確認してからすぐに会場を出た風芽。
ピアノの演奏は聞かずに九条院家の当主にその旨を連絡してからギルドに寄って帰ってきた。
ただの護衛対象の願いを聞き届けることは依頼には入っていない。
むしろ、それをすることの方がおかしいのだ。
そして、依頼が終了した以上、ただの赤の他人と変わる。
いつだってそうだった。
今までもそうすべきだという考えは変わることはない。
ネクタイを取り、上着を椅子の背に掛ける。
皿を手に取って触れる。
それだけで冷めていた食事は温かくなり、湯気を出していた。
母の前では一度しか使ったことのないこの能力。
風芽はSAI能力者だ。
覚醒したのは小さな頃……
同じ能力者に襲われた時、その能力者を“無能力者”へと変えてしまった。
その時から自分の運命は大きく変わったのだ。
能力の性質が理解できるころには『連結』と呼ばれはじめた。
触れたものはすべて自分の中で情報化し、書き換えることができる。
制限はあれど、限界などない。
空気中の酸素を指定した範囲のみなくすことも
壊れたものを元あった状態に戻すことも
形も、質量も、性質も、全てを変え、操ることができる。
まるで神のような力だ、と誰かが言った。
そんなにいいものなら、今頃自分はこんなことをしていないだろう。
これはただの“力”だ。
使い方を間違えれば化け物なんて言葉じゃすまなくなる。
そうしたら……
―母さんは俺を見捨てる。
いや、今まで自分がしてきたことを母が知るだけで、それだけでも恐れられる。
温かくなった皿のラップを外し、手掴みで食べた。
味のしみ込んだ煮物だ。
「ん……」
んまい。
この味が味わえるのはいつまでなのだろうか。
「やっぱ、日本人は和食だな」
こうして依頼が終わるとともに、元の“日常”に戻るのだ。
スイッチが切り替わるように。
何もなかったかのように。
―――――――――――――――――――――
本日依頼終了。
依頼料:日本円で3000万円。
犯罪者逮捕報奨金:ランクD、日本円で100万円。
合計、3100万円。
―――――――――――――――――――――