05 影
ピピピピピピ……
耳元で電子音が鳴る。
包った布団から腕だけを出し、手探りでベッド脇に置いたはずの物を掴む。
カチャッと音を立ててその電子音が止んだ。
枕に顔を押しあて息を吐き、握った目覚ましを見る。
「6時……」
いつも目が覚める時間だ。
外はようやく明るくなってきたくらいで、頭はすぐに覚醒した。
目覚ましを元の位置に戻し眼を擦ったあと、欠伸をしながら両腕で伸びをする。
布団の中から足を抜き、床につける形で座る。
枕の下に手を入れ、隠してあった改造銃を抜き出し寝間着代わりのジャージと腰の間にしまう。
捲くれたシャツを隠れるようにかぶせると、ベッドから立ち上がった。
カーテンを開き、窓を開ける。
「朝か」
「今日もお仕事?」
味噌汁と白米の盛られた茶碗をおき、母が尋ねる。
風芽と同じく早起きらしく、すでに朝食を作っていた母はキッチンに立っていた。
バイトに行く、と言って出掛けて帰ってきたときにはスーツを着ていた風芽に母は何も言わない。
今日もリビングに起きてきたときにはスーツを着ており、“バイト”なのだろうと聞いてきた。
いつのまにかスーツが似合うようになった息子に寂しさを覚えたことは秘密だ。
「今日から一週間くらい帰らない。連絡はするよ」
「泊まる所はあるの?」
「ホテルに泊まる事になってる。ここからだと遠いし」
「そう……学校の合格発表は郵便で来るんだったわね」
届いたら教えるから、と言って鍋に蓋をしテーブルについた。
ほくほくと湯気を出す白い米と味噌汁を口にする。
「やっぱり朝は味噌汁と白米だよな、美味いよ」
「むこうで何食べてたの?」
「パンとかシリアルかな。あとは栄養ドリンク?」
「まぁ」
たまにジャパニーズフードが売ってる店を見つけて寿司とか食べていたが、毎朝白米というわけにはいかなかった。
たしかに外国のご飯も美味だったが、母の作る味噌汁はもっと好きだ。
漬物もうまい。
「ジャンクフードばっかり食べてたんじゃないでしょうね」
食事にはうるさいと母は自分で言っている。
小さい時から好き嫌いがないように食べさせられたりもした。
「さすがに納豆はいいよ」
さりげなく納豆を出そうとする母を制し、目玉焼きをつついた。
納豆は前から苦手なのだ。
私が食べたいの、と白米にかけて食べ始めるのを見て風芽は笑った。
テレビをつけてはいるが、たまにそちらに視線を向けるだけで、あとは他愛のない話をする。
親子で積もる話もあると思っていたが、それほど会話の量もなく少しするとニュースの話題に入っていた。
最近は物騒になってきたらしく、小学生の登下校は保護者が常に付き添うようになったらしい。
「へぇ」
「風芽が小学生の時はたまにやってたわよね」
「そうだっけ?」
覚えていない。
「もうっ……そう言えば透ちゃんに会った?」
いきなり話題を変えた母に風芽は首を横に振った。
そもそも顔すら覚えていないのに、そんなの無理だろう。
興味がないと言ってしまえば母はまた呆れかえるに違いない。
「透ちゃん、武術専攻なんですって」
たしか、特別教育科に入ってるんだったか……
家に帰ってからパンフレットを見直し、学科の説明を読み返した時に見た。
「なんで知ってるのさ」
だって母さん良く会うもの。
そう言って呆れた顔をした。
透という幼馴染はよく母と会っていて、風芽のことを聞いてくるらしい。
「(本人のいないところでべらべらと何を話しているのか知らないが、そんなに仲がいいのか?)」
味噌汁を飲みほし、箸を置いて手を合わせる。
席を立てば、母が見上げてきた。
「ちゃんと連絡してね?」
「わかってる」
椅子にかけてあった上着を取り、家を出た。
「今日から専属の護衛につく志方風芽君だ」
九条院家当主にそう紹介されたスーツ姿の風芽は形式上軽く礼をした。
目の前にはピアノの前に置かれた椅子に座り、楽譜を読んでいる少女、九条院冷華がいる。
こちらを見ることなく楽譜に向かう姿はまるで人形のようだった。
「冷華」
「お父様、私は護衛なんていりません」
そう言って初めてこちらを見る。
その目は冷めきっている。
彼女の態度に当主は風芽にすまない、と言い部屋を後にした。
「(この状態で2人きりにするとはね)」
残された風芽はピアノに向かう冷華を見た後、近くにあった椅子を窓際に置き、座った。
ネクタイを緩め、ピアノの方を向くと一瞬目が合ったがすぐ逸らされる。
先ほどと同じ、仏頂面でその美貌も台無しだ。
ポロンと音が鳴り、続けてピアノの音色が響いてきた。
窓の外を見ながらその音を聴く。
風芽は音楽に詳しくはないため、タイトルもなにもわからない。
芸術にも疎く、何が良いのか悪いのかもさっぱり。
異なる音階が次々に鼓膜を揺らす。
音の連なりを聴いているだけ。
「(この部屋にはカメラがないんだな)」
資料にあった冷華の性格を考えれば、自分を監視するという行為が許せないとみた。
『ピアノの妖精』はどうやら繊細らしい。
先ほどからピアノのテンポは速く、風芽はその音から“怒り”のような感情を感じた。
呆れてため息を小さくもらす。
ジャーンッ!!
乱暴に叩かれた鍵盤から発せられた音は防音設備の整っている部屋に響いた。
冷華は鍵盤に手を置いたまま立ち上がり、楽譜を睨んでいる。
「出て行って」
静かな声で呟くように言った言葉に、風芽は何も言わなかった。
その様子に鍵盤から手を放し、今度ははっきりとした声で風芽に言う。
「出て行って」
「何故?」
「私が出て行けと言っているのよ」
窓際に座る風芽の前に立ち、見降ろしてくる。
顔に影が落ち、冷やか容貌がさらに冷たく感じられる。
彼女の顔を見、立ちあがると風芽は頭一つ分低い冷華を逆に見降ろした。
「だったらそれは君の父親に言うことだ」
彼女と向き合い壁に寄りかかる。
無表情に近い状態で睨んでくる冷華はその言葉に眉を顰めた。
「俺の依頼主は九条院雅治、君の父親だ。君はただの護衛対象にすぎない」
「雇われの分際で盾突く気?」
「どうとでも。俺が依頼されたのはコンサートまで君を護衛し、犯人を確保すること。君の命令をきけとは言われていない」
優位に立とうとする冷華にそっけなく言う。
屁理屈といわれようと、風芽は今までもこれからもそれが自分のスタイルだと思っている。
自分を従わせようとする人間を始末したこともあった。
ギルドの人間にとって重要なのは、利だ。
風芽にとっての利は、依頼の成功と……
「とにかく、俺のことは空気だと思っていい。必要なこと以外はなにもしないから」
そう言って椅子に座る。
自分のペースを乱す風芽に、冷華は苛立った感情が静まっていくのを感じる。
冷華を卑下するように軽んじる言葉を言ったと思ったら、興味を失くしたようにそっけなくする。
自分のピアノを聴いて呆れたようなため息をついた男に怒りを感じたはずなのに、この男のペースに飲み込まれてしまう。
しばらくして風芽に背を向け、ピアノに向かう。
「変な奴」
「よく言われる」
楽譜をめくり、再び弾き始めた。
先ほどと違って苛立ったような、憤りを感じているような感情は感じられない。
そんな冷華を見た後、眼を細め窓の方を向いた。
敷地内には警備の人間があちらこちらに配置され、防犯装置もかなりの数だ。
屋敷にいれば、まず襲われることはないだろう。
一曲が終わり、楽譜をめくる音が聞こえる。
「あなた、ギルドの人間なの?」
ピアノに向かったまま、冷華が問うた。
先ほどの声色とは違う。
「そう」
「どうして?」
「何が?」
「どうしてギルドなんかに入ってるの?」
「君に教える必要はない」
淡々とした会話。
風芽が聞かれる内容を流しているだけのそれは、冷華にとって今までになかったことだ。
自分でもなぜこんなことを訊いているのか不思議でならない。
「(どうでもいいことよ……)」
「君は、どうしてピアノを弾いているんだ?」
逆に質問が返ってきたことに驚き、ふと違う音を出した。
「私は……」
ピアノの音が止んだ。
「私には……ピアノしかないのよ」
静かな部屋にぽつりとそんな呟きが響いた。
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カタカタカタカタカタ……
薄暗い部屋で液晶画面の光にかじりつくように男はいた。
眼鏡に反射してスクロールしていく文字が反射する。
カタカタカタカタカタ……
ぶつぶつと何かを呟きながらひたすら何かを打ち込んでいく。
画面には数枚の写真が表示されては消え、横に設置されているプリンターから写真が出てくる。
どれも同じ人物がプリントされている。
「そうだ、そうだ、そうだ、そうだ」
狂ったように呟く男は手探りで床に置いてあったビールの缶をとる。
がぶがぶと飲み、缶を握りつぶす。
そのまま背後に缶を放り投げ、山になっているごみの中に入った。
「そうだ、そうなんだよ、そうなんだ」
プリンターから出てきた用紙を一枚手に取り、握りしめる。
ぐしゃぐしゃになる程に力強く握りしめられたそれを男は真っ二つに破った。
そのまま灰皿に置き、男が手を当てる。
途端、赤い光が部屋を包み、炎が燃え上がる……
紙は真っ黒な燃えカスとなり、灰皿の上にちりちりと音をたてて散っていった。