03 帰郷
長い試験が終わり、緊張で強張っていた受験生の表情も解放されたものになっていた。
入学試験に面接は付きものだと聞いていたが、この学校で面接はなく、全て書類と学力試験で審査されることになっていた。
受験生が多く、捌ききれないと言うこともあるせいか、一般の試験は面接はなく、逆に推薦の試験のみ面接が行われる……と、後から見た書類に記載されていた。
試験終了と同時に受験生が退室していく中、風芽は鞄から携帯電話と取り出した。
電源が切られたそれに明かりをつける。
画面は購入時の初期設定のままの画面で飾り気のないものだ。
使えればいい、とデザインにもこだわっていない為、店で使いやすい機種を進めてもらい即買いし、着信音なんて設定せず、常にマナーモードである。
画面にデジタルの時刻が表示され、ここから家までの時間を計算する。
今の時間ではバスも混雑し、列をなしていることだろう。
外は陽が伸びまだ明るい。
駅までそう長くもないし、散歩がてら歩いて行くのも悪くはない。
結局、咲との連絡手段は無く、待っているのも変だからと風芽は即座に彼女との交流を断念した。
合格すればまた会えるだろうし、どちらかが不合格ならそれで縁は切れるのだから。
なるようになる、と鞄を持ち上げた。
とりあえず教室を後にし、階段を降りる。
開始前とは違い、かなりバラバラとしていた。
皆どこかぽわんと緊張感が抜けた顔をしていて、笑いそうになる。
彼らを観察しながら校舎から出て、学生が並ぶバス停を横切り、道沿いに歩いていった。
並木道が続く道には桜が咲き、時折バスが自分を追い抜いていく。。
久しぶりに見る桃色の花びらに、日本に帰ってきた、という実感が湧いてくる。
日本に帰ってきてやりたいことは特にない。
母親に頼まれた他理由はなく、自分の生まれた国だと言う事だけ。
嫌いというわけでもなく、好きというわけでもなく……
志方風芽には執着という言葉がないらしい。
そんな自分を特別だと思ったことはない。
学校に通うことが普通だと言われても自分には合わないとわかっていた。
小学校にかろうじて通っていたが、同じことをする毎日に違和感を覚えギルドに興味を持ってからは通うことはなくなった。
父はおらず唯一の肉親である母は何も言わず、自由にしろと言った。
親不孝者だと誰かに言われた気がするが、それさえも他人事のように聞こえた。
しかし、少しでも何かを変えようと、日本を離れてからはそれについて考え、母の言うことはなるべく聞こうと決めた。
親孝行というやつだ。
落ちてきた花びらが前髪につく。
それを払うことなく、ぼーっと歩いていると並木道の横に公園があるのを見つけ、すぐそばから女の子の声が聞こえた。
焦るような、必死な声が少し気になり入口を通ると、先ほど試験を受けた学校の校章が付いている制服を着た少女が木の近くで腕を上に伸ばし、何かに向かって声をかけている。
彼女の足もとには鞄らしきものと中身が散乱している。
「おいで、おいで。」と言い、何がいるのか見てみると木の枝に猫が乗っていた。
枝に掴まったまま身動ぎしない猫は、降りれないのか一向にその声にこたえようとしない。
背伸びしたり、ジャンプしたりと手を尽くしているが、進展はなさそうだ。
風芽は頬を掻き、少女の背後に立った。
「あれ、君の猫?」
「うぎゃっ!」
奇声を発して振り向いた彼女の肩より少し長めのポニーテールが風芽の鼻を掠る。
くすぐったい感触がきたが、顔に出すことはない。
「ごめん、驚かせたか?」
「え?いや、あっはは」
かなり驚いたらしく、眼をキョロキョロさせて笑う女の子は風芽の顔を見て動揺した後、「私のじゃないよ」と否定した。
「なんていうか、その、迷子の猫探しを頼まれてーみたいな?」
「へぇ、偉いな」
「いやぁ、これも仕事だしぃ」
にへらと笑い、体をくねらせて照れる。
顔は可愛いのに行動はなんだか変だ……ん?
「仕事?」
「はっ!ち、ちがっえっと……」
手で口をふさぎ、「ぎゃーどうしよう!」と1人で混乱し始める。
ポニーテールを馬の尻尾のようにバサバサと振りまわし、風芽に背を向けしゃがみ込んだ。
ひたすら「どうしよう、どうしよう」と呟いている。
風芽は彼女をそのままに、木を見上げた。
白く綺麗な毛は飼い猫の印だ。
先ほど“仕事”という単語と彼女の動揺っぷりにああ、そうかと1人納得する。
じっとこちらを見てくる猫の目を見返し、視線を逸らさない。
そっと真下に近づき、軽く手を腹の高さまであげると猫が耳をぴくっと動かした。
その視線は逸らすことなく、こちらを見ている。
「こい」
猫は風芽が発した言葉に瞬きをし、刷毛のような尻尾を揺らした後、「にー」と一鳴きして身軽な動きであげられた手の上に降りてきた。
見た目通りに毛はふわふわとしていたが、所々に汚れが目立つ。
風芽の胸に落ち着いた猫はのんきに欠伸をしていた。
「ほら」
しゃがみ込んだままの少女の方を向き、猫を抱えたまま話しかける。
「なに?!」と勢いよくこちらを振りむいた少女の顔の前に猫をつきだす。
「へ?」
急に目の前に現れた猫のアップに目を丸くし、「ほら」とさらに近づけられ、猫の脇を反射的に持って抱きしめた。
ぽかんとしたまま猫と風芽を見比べる。
「あ……」
「仕事は早く終わらせないと、な」
肩にかけてあったが、猫を渡した時に下がった鞄をなおし、手をパンパンと払う。
彼女もその音で正気に戻ったのかバッと立ち上がり、猫を完全ホールドする。
その時、猫が苦しそうな声を出したのを本人は気づいていないだろう。
「あ、ありがと!」
「いや、こっちも聞きたいことがあるんだけど」
「え?なに?!なんだい?!何でも聞いてちょうだいな!」
バッとテンションをあげながら近づいて来た少女に僅かに顎をひく。
「君、ギルドに入ってるだろ?」
「…………なんで?!」
異常なほど驚愕し、猫をさらに締め上げる少女。
「あのカード」
先ほどから彼女の足もとに散らばっている鞄の中身を指さす。
彼女の名前と共に、『ギルド協会公認免許証』と書かれた黄色いカードが定期入れからはみ出ていた。
「ふんぎゃああああ!!みちゃらめぇえええ!」
猫を片手で抱きしめ直し、カードを拾う。
「こ、これは!その!クレジットカードだよ!」
「いや、俺も持ってるから。ごまかさなくて良いよ。ここから近い日本支部の場所知りたいんだ」
たしかにギルドのカード、通称『ライセンス』と呼ばれるものはクレジット機能も付いている。
ライセンスはきちんとギルドの登録試験を合格しなければ手に入らない。
身分証明の代わりにもなり、さまざまな情報が詰まっているのだ。
簡単に手に入れることはできないこのカードはランクで色が違い、黄色のカードは新規者、Fランクを示している。
風芽が持つ黒は最高ランクのものであり、所有している人間は極少数だ。
定期入れに入れているのもどうかと思うが。
「じゃ、じゃあ、君もライセンサー?」
ライセンサーとはその名の通り、ギルドのライセンスを持っている人間をさす。
自分のカードを制服のポケットにしまい、猫を抱く腕を緩めた。
「まだ有効国に日本が入ってないから、この国じゃまだノーライセンス扱いかな」
「うわー!まだってことは外国から来たの?どこ?アメリカ?」
海外と言ったら即座にアメリカと出て来た彼女の頭に苦笑いを浮かべる。
「イタリア。アメリカにもいた」
同じライセンサーに会って嬉しいのか、猫のことを忘れて質問攻めの雰囲気になってきた。
このまま話続けるのは時間的に母を待たせることになる為、それだけは回避すべく、先手を打つ。
「ライセンスの更新したいんだけど、場所わかんなくて」
「おおお!いいよ、いいよ!なんでもききなさい!私は先輩だからね!」
ちなみに、黒のカードを持つ風芽と黄色のカードの少女では風芽の方が上であり、依頼もかなりの数をこなさなければならない。
経験でいえば風芽の方が先輩なのだが、カードを見せられていない少女は右も左も知らない初心者だと思っているらしい。
勘違いをさせたまま、風芽は少女に礼を言う。
「結構ここから近いんだよーっと、この地図あげる」
定期入れを拾い上げ、そこから一枚の紙を取り出した。
使い古されているその紙を広げると、たしかに地図で、わかりやすいように建物の名前がぎっしり書かれている。
「それ、私が道覚えられなかったときにいつも使ってたんだ!もう覚えたから使ってないし、あげる!」
猫のお礼、と言い笑う。
紙をじっと見て配置と経路を覚える。
そして紙をたたみ、少女に渡す。
「え、いいの?」
「覚えた。わかりやすいけど、もらえないよ。何かあったら必要だろ?」
「ふーん……記憶力いいのね」
定期入れに入れ直し、散乱した鞄を拾い上げる。
その間も猫は大人しく抱かれている。
「そだ、私、水留 祈。九十九中央学園の1年生……っと、もう2年生か。ちなみにギルド歴1年!」
「俺は志方風芽。今日、九十九中央の入試だったんだ」
「じゃあじゃあ、後輩君になるのかな?」
「合格してたらだけど」
猫を抱えたまま器用に鞄を持った祈は、九十九中央学園の普通科に入っているらしい。
聞くと、バイトを許可されているのは普通科だけで、他の特殊クラスは一切バイトを禁止されているという。
母の選択は正しかったと、後で母を褒めるのはまた別の話だ。
「それじゃ、俺はこれで失礼します」
「一緒に支部、行かないの?」
「今日は先約があるんで」
「わかった!でも、敬語はいらないよ!祈って呼び捨てにしてね?ほら、猫ちゃーん。ご主人たまのとこ帰りまちょーねー」
猫が捕まり無事依頼完了ということで機嫌よく公園を出ていく。
入り口近くに来ると、祈は振り向いた。
「じゃーねー!風芽君!」
そう言ってスキップをしながら去っていった。
風芽も軽く手を振り見送る。
「1年でまだFランク、ね」
気づくと周りもだんだんと暗くなってきて、マナーモードの振動の音が聞こえた。
なり続いていた携帯をとり、ボタンを押す。
「はい」
『風芽?今どこ?御夕飯できたんだけど……』
「歩いてたからまだ電車乗ってないんだ。もうすぐで駅だけど先に食べててもいいよ」
『ええー、帰ってくるまで待ってるわよ。久しぶりに風芽とご飯食べられるんだもの』
「わかった。早く帰る」
意外に時間が経つのは早かった。
電話を切った後すぐに公園を出て駅に向かい、帰宅ラッシュの電車に乗った。
ホームで電車を待っている間もなんだか視線を感じたが、殺意のあるものではなかったので無視する。
移り変わる景色を見ながら、自分の家が近付くのを感じる。
久しぶりに見る懐かしい景色に自分にもこんなことを感じる心がまだあったのかと自嘲気味に笑った。
「(明日は何もないし、ギルドに行くか……更新しないと、銃も持ち歩けないしな)」
風芽の持つライセンスの資格には銃を使用所持できる特殊な資格がある。
ギルドは全世界に認められている機関であり、規則も多く存在するが、特殊な権利や資格を得ることができるのだ。
武器を常に携帯していることが日常だった風芽にとって、現在、ライセンス有効国外である日本では銃を携帯できず、その他の資格も活用できないことは不自由極まりなかった。
なにかあった時に、ライセンスは役に立つ。
そのためには更新をしなければ……幸い、偶然にも日本支部の人間に場所を教えてもらったことで、時間短縮をできた。
電車の扉が開き、「おります」と告げながら息苦しい中から脱出した。
実家のある駅は小さなもので、線路は二本のみだった。
エスカレーターもエレベーターも付いておらず、近々工事予定と書かれた看板だけが置かれている。
駅の外は何一つ変わっていない。
身体に染みついた記憶を頼りに自分の家を目指す。
歩いていて知り合いに会っても、きっとわからずに無視をするだろう。
それほど風芽にとって、幼いころの記憶はどうでもいいものなのだ。
覚えているのは歩いた道だけ。
あとはうるさく吠える犬やいつも挨拶をしてきたお婆さん。
どちらも年だったためかもういないだろう。
それでも風景は小さいころに見たもので……
「(変わらないな)」
覚えている道を母を待たせていることを忘れて似合わぬ感傷に浸りながら歩く。
家の前に『志方』と書かれた標識を見つけた。
そっと指で名前をなぞり、門を開ける。
明かりのついている一階の部屋を慌ただしく歩く母の影。
玄関の明かりも点いている。
ドアノブを握り、開いた。
「ただいま」