16 待人
「風芽君大丈夫かなぁ、見に行った方が良いかなぁ……でもでもっ何かあったっぽいし」
「お客様、ご注文は?」
うーん、と悩んでいる少女に伺う店員は困り果てた顔をしていた。
ジャージ姿で外が見える位置に座った彼女は先ほどから何かと葛藤している。
あのぉ、と店員が改めてきこうとすると後ろから「すみません」と声がかかった。
「ホットコーヒー2つで」
そう注文したのは黒髪に不思議な緑色の眼をした少年だった。
店員は整った容姿に思わずぽかんとしてしまうが、それを気にせず彼は悩んでいる彼女の前の席に座る。
ハッとした店員は「かしこまりました!」と顔を真っ赤にして席から離れた。
厨房に向かうと同じホール係の女性が近寄って来てこっそり話しかけてくる。
「格好いいねー」
「ねー、あ!でも、彼女居るみたい」
「なんだぁ、残念……」
あーあ、と落胆する2人の視線の先には少年に気付いて驚いている少女がいた。
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「心配したよ、もう!」
第一声にそう言われ、風芽は苦笑いを浮かべて謝った。
「何があったの?銃声っぽいの聴こえたんだけど……」
怪しい集団(知ってる組織)を始末してました。
とはこの少女には刺激的すぎて言えない。
「ただの不良集団。爆竹を投げて来たからちょっと相手をしてやっただけ。大丈夫、警察に連絡したから」
「ええ?!本当に大丈夫?!私だけ逃げて来ちゃったし……」
「可愛い女の子に怪我させたら大変だろ?」
というのはドットから口を酸っぱくして言われている言葉だ。
敵なら男女関係ないが、ギルドの人間でも一般的な学生でもある祈に下手に怪我をさせるわけにはいかない。
今回はプライベートも少し絡んでいる事だし、なるべく彼女には無害な方向で……って意味で言ったんだけど。
「か、かかっかわ?!褒めても何も出ないよ?!」
言われた当人は顔を赤くして注文したコーヒーに角砂糖をがっぽり入れ始める。
祈は甘党らしい……っていうか、入れ過ぎじゃないか、という風芽の心配を他所に角砂糖は放り込まれていく。
「でも、なんていうか、嬉しいっていうか……」
「い、祈、砂糖が……」
「風芽君って優しいんだね……そ、そんな所も良いよね、なんて!キャー!」
ポニーテールを振り回し叫びながら、祈はカップから盛り上がる程の量を入れている。
砂糖が完全に溶けた後の事を考えると胸焼けがしそうだ。
風芽はブラックのまま口を付け、祈のカップから目をそらす。
「それで、依頼人とはどこで?」
風芽が尋ねると祈はハッと正気に戻った。
「さっきメールして、今日中に欲しいって返信が来たんだよ。だからこれから行くつもり」
急ぎ、って事か。
落とし物のUSBの中身を知っているからこそ、依頼人はすぐに返してもらいたいはず。
もし、相手が風芽が想像している相手なら……
「そうか……俺もついていこうかな」
「え?」
「邪魔はしないから。駄目、か?」
「そんなの気にしないよ!大丈夫!渡すだけだもん」
ノープロブレムだよ!と親指を立て、カップに口を付けた。
あ、と止めようとした風芽は間に合わず、祈はごくんと飲み込み「うげぇ!」とはしたない叫び声をあげた。
あまりの甘さに咳き込む祈に紙ナプキンを渡す。
「おえぇっ」
「甘党ってわけじゃなかったんだな」
「甘党だけども!甘党だけどもぉ!」
これは許容できる甘さじゃないんだよ!と訴えてくる。
自業自得なのにプンスカ怒っている祈に風芽は口を手で押さえて噴き出した。
「ぷっ……」
「うわーん!笑うなんて酷いよ!」
肩を揺らして笑う風芽はごめん、と言いながらも笑うのを止めない。
異性に笑われている恥ずかしさで耳が赤くなった祈はハッとした。
(今この雰囲気……これって私たち、かかかかか、カップル!とかに見えてるのでは?!)
紙ナプキンを握りしめ、祈は目の前で静かに笑っている風芽を見る。
最初に会った時はそんな意識しなかったけど、こうして見ると彼は『イケメン』の部類に入る美少年。
黒い髪は癖が無く、瞳の色は碧と青が混じり不思議な色をしている。
細すぎず、筋肉のついたスラッとした体型に顔のパーツも整っていて……
普段はクールそうな表情の彼が時たま零す笑みは静かであり、今もこうして大人びた笑いをしているが、どことなく可愛い……って。
(ぎゃー!眩しい!眩しいよ風芽君!そこらの芸能人よりよっぽどだよ!)
祈は突然顔を腕で覆い、バリヤー!と叫んだ。
笑っていた風芽は「え?」と目を丸くしている。
「えっと……祈?」
「今の私は貝!貝なのです!」
「か、貝?」
「外に眩しい生き物がいるから避難してるの!そしてちょっとおこがましい事を考えた自分を反省中だよ!」
「そ、そう……あ、ケーキ食べるか?」
「え?!食べる!」
メニューにおすすめと書かれている項目を見つけた風芽。
甘い物好きの彼女はケーキという単語に反応し、バッと腕を開いて貝を卒業した。
お腹が空いていた事もあり、彼女の反応は顕著だった。
店員を呼び、いくつかケーキを注文し、コーヒーも注文し直した。
運ばれて来たケーキはどれも祈の食欲を増進させていくに相応しいものだったらしく、彼女の胃袋に消えていった。
「風芽君はずっと海外にいたの?前にライセンスの有効国に日本が無かったって言ってたでしょ?」
「ああ。小学校を卒業してからずっと」
「へぇー、じゃあさ、海外のギルドも日本と同じ感じ?」
「内容は違うし、難易度も国ごとに違ってくるから……制度なんかは全部同じだ」
その中でも日本は比較的レベルが低い。
海外の様に物騒などんちゃん騒ぎも少ない。
理由の1つとしては、SAI能力管理局の本部が日本にあることが大きいのだろうが。
世界で初めて能力者が出たのは日本だった。
だから管理局は日本から生まれ、世界中に支部が出来ていった。
ギルドもそうだ。
元は日本が作り出した組織……今では世界の組織となっているが。
「そうなんだぁ……」
「日本は平和なもんだよ」
表向きは。
そんな言葉を含んで風芽はガラス張りの窓から外を見た。
多くの人間が外を出歩いている。
いたって普通の光景だ。
だがそれは、裏で動いている人間が居るからこその平和であり、与えられているもの。
「そういえば特殊技能科って知ってるか?」
「ああ、能力者用の学科だよね」
鏡が所属しているSAI能力者の育成用学科。
無能力者の鏡は監視の名目でそこに入れられているため、実技には参加していないときいた。
SAI能力者の人権が確保されているとはいえ、世界はそれほど上手くいかない。
まだ、彼らの事を化け物と蔑む声は消えていない。
九十九中央学園はギルドや管理局と繋がりがあるため、能力者用のクラスを設けているらしいが。
「一般の学生はどう思っているんだ?」
「うーん、得には何も。能力者の生徒は実は一般クラスにもいるから。あの学科は高い能力を持った生徒しか入れないっていうだけで……そういった事じゃ、ちょっと怖がられてるかな」
能力は個人で力も大きさも異なる。
能力を持って生まれても、それを使わなければ一般人と同じ生活を送れる。
ただ、制御できなかったり大きすぎると『化け物』とカテゴライズされてしまう。
力の弱い生徒は学園による情報規制と配慮により、一般学生として生活しているという。
「教室の棟も別で接点はあんまりないから皆普通だよ。部活には入れないってきいた事あるけどね」
「能力者は公式の試合とかにも出られないからな」
「うん……」
祈は風芽の言葉に沈んだ声で頷く。
元気にケーキを食べていた手が止まり、風芽はどうかした?ときいた。
「私も能力者、だから……分かるんだ」
力は弱いから普通科に通ってるけど。
「身体強化って奴なんだけど」
能力の中では発現する人数が多い能力。
文字通り、自分の身体能力を強化できる。
「私ね、中学の時に能力者に目覚めてさ……それも陸上の大会中」
それだけで彼女に何があったかは安易に想像がついた。
能力者はそれだけで反則的存在。
人間の努力を踏みにじる存在だと詰った人間もごまんと居る。
その中で一番多いのはスポーツ関連の人間だ。
身体強化の能力を持った人間が通常の人間より優れるのは当たり前。
まだ、能力者の規制が甘かった頃、身体強化を使った陸上選手が優勝した事があった。
その選手は『自分に与えられた才能を使っただけ』と豪語したが、大会運営側は彼を『反則』として大会から永久追放した。
能力を使った時点で彼は他の選手の努力を踏みにじったとされ、バッシングを受けた。
それからは爆発的に広がった世論によって能力者の公的な競技参加などに規制が掛かり、それは学校の部活や習い事にまで範囲を広げていった。
能力者は部活に入れず、習い事すら拒否される。
居場所を無くした彼らはギルドに流れていった。
能力者が増えていった現在でもそれは変わらない。
能力制御装置をしていても能力者である事には変わらない。
それだけで彼らはあらゆる権利を奪われるのだ。
「すっごく調子が良くて、優勝できる!って確信したよ。でもね、優勝した後で抗議が入ったんだ……『その子は能力者だ!』って。そうしたらすぐ検査。で、能力者だって分かってさ……追い出されちゃった」
後天的な能力者にありがちな事だな。
異物と分かったらすぐに弾き出される。
「能力なんか使ってなかったって言っても、誰も信じてくれなかった。仲間もコーチも……親もね」
「そうだろうな」
能力者がいくら能力を使ってないと訴えても、一般人には同じ事。
簡単に言えばズルをしたってことになる。
そんな人間の言い分を聞く程世間は優しくない。
冷たい言葉を言われても、祈はだよね、と笑う。
「今まで努力してきたもので勝ったはずなのに、能力のせいにされたよ……能力のせいで全部駄目になっちゃった。部活も退部させられてさ……」
「走るの、好きだったんだな」
「うん!すっごく!あの爽快感が堪らないっていうか、風になる感じ?別に部活じゃなくても走れるし今は気にしてないんだけどね!まぁ、最初はちょっと落ち込んだけど。今はギルドに入って、能力を活かして人助けするのが楽しいんだ。必要とされてる感じでさ!あ、風芽君は?なんでギルドに?」
笑って話す祈に話を振られ、風芽は頬杖をつく。
ギルドに入った理由。
入らざるを得なかった理由……
祈のポジティブで晴れ晴れとした表情が眩しく映った。
自分とは全く違う世界に生きる人間だと思い知らされているようで居心地が悪くなった。
祈は悪くない。
ただ、正しい答えを告げるには彼女は明るすぎた。
「俺は……義務だから、かな」
全ての事柄を集約した答え。
雑踏を見つめて呟かれた言葉に祈は首を傾げるだけだった。
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『午後17時に◯◯区の廃墟で受け取ります』
そこで送信ボタンを押す。
男は震える指で送った後、携帯電話を地面に落として踏みつけた。
何度も何度も踏みつけ、外から見えない場所に座り込む。
カリカリと指の爪を齧っては時計を確認し、汗を流した。
「早く……早く……」
例の物を回収して国から出なければ。
その焦りが男の体を小刻みに揺らす。
荒い息が暗い空間に響くが、そこには男しか居ない。
しかし、男の頭には自分が恐れる人間の顔がいくつも浮かんでいた。
今回男が盗んだ物、その重要性を知らなかった彼は今になって恐怖していた。
「あ、あいつらが来る前に……っひぃっ!」
小さな物音でも怯えの対象となる程に神経が敏感になる。
ここには誰も味方はいない。
それどころか利用されただけ……どこの馬鹿が依頼を受けたかは知らないが、気付かれなければ良い。
普通に返してもらって、依頼料を払って終わり。
そして自分は逃げられる。
「ふひっ……」
もし気付かれてしまったら、殺してしまえば良いのだ。
死体も隠そう。
見つからない様にすれば後々発見されても自分は国外。
そうだ、そうしよう。
「早く来い……」
そう囁いた彼の目に浮かぶのは何も知らないギルドの人間の哀れな姿。
メールから数十分後。
指定された廃墟の瓦礫を踏む足音が聴こえて来た。
男は平常を装う為に深呼吸をし、笑みを浮かべる。
受け取って、金を渡して……殺してしまおう。
そうしよう。
隠し持ったナイフを弄りながら男は気配のする方へ姿を現す。
「君がギルドの人だね?」
人の良さそうな顔。
誰もが初対面でもほっとする顔。
男はそれを作り、訪れた約束の人物にそう尋ねる。
「随分若いんだね。すごいな……それで、依頼した物なんだけど」
「ええ、見つけましたよ」
差し出された物を見て男はパッと笑みを見せた。
急いでそれを奪い取り、本物かどうか確かめる。
緑色の外形はまさしく探していたもの。
区別がつく様に小さく傷を入れておいたのもそのままだ。
「これだ!これだよ!」
「良かったですね」
「ああ!ああ!ありがとう!ありがとう!そうだ、謝礼をしなければね!」
いくらだったかな、と懐から金を出す振りをしてナイフを持とうとした男。
しかし、相手は「いいんです」と答えた。
「でも、依頼料は払わないと」
「お金は良いです。それより、教えて頂きたい事があるんですが」
「なんだい?」
首を傾げて言われ、男はナイフの柄を持ちながら尋ねる。
影になっている場所に居た人物は一歩近づき、隙間から零れる光に顔をさらす。
「どうやってギルドからそれを盗み出した」
そこにいたのは冷たい微笑を浮かべた少年だった。