13 謝罪
何故、こんなことに……
周囲から感じる熱気と目の前に立つ謎の女生徒、そして足下に放られている竹刀を見て風芽は溜息をついた。
いきなり面を貸せ、と怒鳴りこんできた女生徒は引き摺るようにして風芽を強制連行。
連れてこられた場所は道場のような場所だった。
「風芽ー、ふぁーいとー」
にやにやと笑いながら手を振る陸奥は引き摺られる風芽についてきたらしく、壁際に胡坐をかいて座っている。
その横には騒ぎを聞きつけてきた鏡が正座をして大人しく……しているが口元はにやつかせ、その向こうには静かに織華がいた。
そして周りには関係のない生徒が野次馬として集まってきていた。
「噂で名前は聞いていたけれど……志方風芽、あんたが帰ってきてるって本当だったのね」
「?」
彼女は風芽を知っているようだったが、風芽は首を傾げた。
はて、誰だったか……と悩んでいると女生徒は睨んでいる目をさらに鋭くした。
「ま、まさか、わわわわわ私を忘れてるわけじゃないわよね?」
「すみません、どちらかでお会いしましたか?」
振る振ると身体を震わせ顔を俯かせた彼女にとりあえず先輩っぽいので敬語で答える。
記憶力はいい方だが、どうでもいいことは忘れる都合のいい頭をしている風芽。
「ま、まぁそれは置いといてあげる……っていうか、私が言いたいのはねぇ!」
まさに怒り爆発、という言葉がふさわしいほどにキレかけている彼女は構えた竹刀を風芽に向けた。
「あんたが冷華を泣かせたことよ!」
『な、なんだってえええええ!!』
彼女の一言に何故かギャラリーが騒ぎ出した。
九条院冷華は有名人、しかも美人、さらにフリーという今彼女にしたい女生徒筆頭だ。
その彼女を泣かせたという風芽に、主に男子生徒が非難の嵐を浴びせる。
「ほ、本当なのか?!」
「冷華先輩になんてことを!」
「ってかあいつ前も冷華先輩といなかったか?!」
「九条院君を泣かせるなんて、非道な!」
野次馬の近くにいた陸奥は苦笑いしながらも鏡に話しかける。
「神楽さん、知ってた?」
「……」
鏡は少し悩み、風芽が前に冷華に冷たい言葉を浴びせていたことを思い出す。
「(まぁ、あいつああいうことにはとことん鈍ちんだからなぁ……)」
相手にされていなかった冷華に少しは同情したが、風芽のこともまぁ納得はできるわけで。
うーんと言葉に迷ったがまぁいっか、と開き直り口を開く。
「そうですね、はい、本当だと思います(笑)」
『ぬぁんだとぉおおおおおお!!』
心の中で大笑いしている鏡の言葉をかわきりにギャラリーがさらに沸き立った。
「ふふふ、やはり本当のことだったのね……冷華がいきなり変なことを言い出したのも、泣きだしたのも、あんたのせいだったのね」
「はぁ」
「わざとらしいため息をつくなぁ!」
とりあえずこの竹刀を拾わなければことは進まないらしく、しょうがなく手にとる。
初めて竹刀を握ったため結構重みがあるなぁといった感想を思っていると、女生徒は竹刀を構えなおした。
「私は九十九中央学園高等部2年D1クラス!武術部副将、浅見透!」
浅見透?
あさみ、とおる?
『近所に住んでた透ちゃん。この学園に通ってるのよ』
頭に浮かんだのはにこにこと話す母の顔だった。
たしか、幼馴染の女の子と言っていた気がする……
「私の友達を泣かせたことを後悔しなさい!」
目の前にいるのは浅見透という女。
自分を知っていて、忘れたのか、と怒りだした。
「……ああ」
「はぁああ!」
そうか、と思いだした瞬間、目の前に急に竹刀が叩きつけられる。
バシィッ!
反射的に持っていた竹刀で受け止めると道場に音が響いた。
気持ちのいい位に良い音だ。
防がれた本人の透は後退し、構えをただす。
「良い反射神経は持ってるみたいね」
これがないと依頼で死んでますから、と言うわけにもいかずはぁ、と曖昧に答える。
それすらも気に入らなかったのか今度は勢いよく叩きこんできた。
繰り返されるそれを軽くいなしながら、透の動きを観察する。
「(型が嵌りすぎて動きが見えすぎだな)」
人に習う武術は強い。
だが、それには型があり、それを自分のものにするためにはそれを超えなければいけない。
しかし、透にはまだそれができていないように見える。
実戦で鍛えられた風芽にとって大人と幼稚園児のような試合……いや、試合というのも難しいかもしれない。
「やぁっ!」
パシィッ。
「はぁっ!」
ダンッ。
「えぃやあああ!」
ひたすら攻めてくる透に、それをいなす風芽。
傍から見れば風芽が圧倒的に不利に見えているらしく、透贔屓の野次馬の歓声はだんだん大きくなっていく。
2人やり取りを淡々と見ていた鏡はむずむずと足を動かし、息をついた。
「(せ、正座はきつい……)」
所詮は他人事……自分が火に油を注いだが、なかなかつかない決着に飽きてきたが、代わりに襲ってきたのは足の痺れだった。
しかし、清楚なお嬢様系生徒を演じている身としては我慢しなければいけない。
しかも隣にはからかうには格好の獲物の陸奥、反対には弱みを見せられない織華がいる。
「(ううう……正座なんかするんじゃなかったぁ)」
「へぇー、風芽って剣道できたんだな」
後悔する鏡を尻目に感心するように呟いた陸奥は2人から目を放さなかった。
「兄様は強いから」
淡々と答える織華に苦笑いを浮かべる。
「浅見先輩って武術科でもトップの成績だって聞いてたのに、それを楽々いなしてるし」
「わ、私もしってますわ」
「神楽さん、どうかした?」
「……」
「い、いえ!(ちっくしょー!足崩してぇ!!)」
「す、すいません!すいません!」
すると、野次馬をかき分けて小さな影が陸奥の隣に飛び出した。
息を切らしていると陸奥が気づき、「よっ」と手をあげた。
「咲ちゃん、早いねー」
「あの、はぁ、メール見て、急いで、きてっ」
携帯を片手に立っていたのは顔を真っ赤にして息を整える咲だった。
風芽が引きずられて連行されるときに面白そうな予感がした陸奥が芸能科の咲に連絡したのだ。
「か、風芽さんが決闘ってどういうことですか?!」
「ほら、あれ」
陸奥が指さした先には風芽と攻めている透がいる。
一方的に攻められていると思いこんだ咲は驚愕して目を丸くした。
「大変です!ど、どうしましょう!先生を呼んできた方がいいのではないでしょうか?!」
「大丈夫、大丈夫。咲ちゃんも座った座った」
「え?え?え?」
慌てふためく先の手をとって隣に座らせる。
「でもどうしてこんなことに?」
「いやぁ、なんかさ、風芽が九条院先輩を泣かせたとかであの浅見先輩が怒って、教室からここまで強制連行されて……痴情のもつれ?」
「ちちちち痴情のもつれ?!!な、か、風芽さんが……っ(で、でも私が口を出せることではないし。いえ、しかし、風芽さんの友人として気になります!)」
いろいろ省いての説明に咲は脳内で混乱状態に陥った。
「当人はよく分かってないみたいですけれどね」
「え?」
「兄様、素敵」
「ええ?」
陸奥の向こうに座っている鏡と織華に気が付くと表情が固まる。
「(だ、誰ですか?!)」
「(へぇ、可愛い子じゃん)」
「(兄様、格好良い)」
「あ、咲ちゃん初対面だっけ?」
完全に風芽以外をアウトオブ眼中にしている織華と咲、鏡は初対面だった。
「私は神楽鏡です」
「この子は風芽の妹分で白河織華ちゃん」
まるで人形のような織華に見惚れていた咲に陸奥が紹介をする。
「え、あ……私は古野枝咲と申します」
はっとした咲は正座で指をつき、丁寧にお辞儀をして名乗った……のだが、風芽に夢中になっている織華から返事は返ってこなかった。
「兄様……」
うっとりと両頬に手をあてている様子を見ると、今は何を言っても聞かないだろう。
熱気のせいか、はたまた惚れ直しているのか、その頬は赤くなっている。
「それにしても」
目の前に向き直り、竹刀を打ちあっている2人を見て呆れた声色で呟く。
「長いなぁ」
何しろ、かれこれ30分は続いていたのだった。
「なんでっ攻撃っしてこなっいのよ!」
「いくら竹刀でも防具をつけていないのに叩けないですよ」
ジャージ姿の透に制服のブレザーを脱いだだけの風芽は、呆れたと言わんばかりに彼女の攻撃を捌きながら答える。
息を切らし始めた透と違って、汗一つ、息一つ乱さない様子に、彼女は焦りを感じ始めていた。
自分は武術科でもトップクラスの成績……小さい頃からどんな格闘技をも極めようと努力してきた。
「(そうよ……私は強くなったのよ!なのに!)それ」
「?」
突然、嵐のような攻撃が止んだ。
竹刀を構えたまま俯いた透に首を傾げる。
「あんた……変わってないのね」
先ほどの怒りとは違う怒気が彼女を包んだのに気がついた。
震える声でそう言った彼女は勢いよく顔を上げ、キッと睨みを強くした。
「子供の時もそう。自分と他人、弱いやつと強い奴、好きな物と嫌いな物、全部全部区別して!いらないものは捨てて!」
「何を言っているんですか?」
「はっ!今度は記憶すら捨てちゃったの?思い出したくないから?いらないから?どうでもいいから?!今もそうでしょ?私が弱いと思っているから攻撃するに値しないって言いたいんだ」
泣き叫ぶように投げつけられる言葉に風芽は眉を顰めた。
否定はしない。
物事に執着しない自分にはそれをする権利も必要性も感じない。
今、目の前にいる浅見透は幼い頃の……風芽にとって忘れたい記憶の一部を覚えている。
風芽にとって透という人物はそれと共に消え去ったはずだった。
「何も言わずにいなくなって、私がどれだけ寂しかったか、あんたにはわからないでしょ?!そうよね?私はどうでもいい……いらない部類に入ってるんだから!」
取捨選択は風芽にとって生きるための手段の一つだから。
「どうせ、冷華のこともそうやって傷つけたんだ!」
何も言わない風芽にとどまることなく、竹刀の代わりに言葉で切りつける。
「おばさんのことだってそう。あんたが出ていってから独りで悲しそうに……ほんと、親不孝者!」
「おい、先輩!いくらなんでもいきなり酷いんじゃねぇか?!」
透の言葉に我慢ができなくなったのか、今まで黙っていた陸奥が立ち上がっていた。
自分を庇った陸奥を風芽は目を丸くして見ていた。
「俺は風芽と知り合ったばっかで何があったかは知らねぇけど、俺からしたら今悪役してるのは先輩だぜ!」
「なっ何言って」
「周りを見ろよ!」
2人の間に立った陸奥が後ろを指さしながら言った。
その言葉に透は黙り込み、いつの間にか静かになっていた野次馬に視線をやった。
皆、何が起きているのかわからず、唖然としている。
静かに座っている織華は冷たい視線を向け、その横に座っている鏡も目を閉じて腕を組んでいる。
咲は悲しそうに口元に手を当てながら、恐怖している様子だった。
「いきなり風芽を引っ張ってきて、ただ勝負したいのかと思ってたけど、先輩は風芽の悪口言ってこいつの学校生活めちゃくちゃにするつもりか!?」
「陸奥……」
友達になってから陸奥の怒った姿を見たのは初めてだ。
いつも笑っていて、にぎやかな平和主義なやつかと思っていた風芽は先ほどの打ち合いや暴言を忘れ、放心状態になっていた。
なんで、俺なんかを庇うのだろうか?
「先輩が九条院先輩を助けるためにこうしているなら、俺は理不尽に責められてる風芽を助ける!」
「最初に理不尽に冷華を傷つけたのは風芽よ!」
「それでも、先輩が風芽を傷つけていい理由にはならないだろ!」
陸奥は俺より弱いはずなのに、自分を庇う陸奥を大きく感じた。
誰かを庇うことはいくらでもあったが、誰かにこうやって庇われたことはあっただろうか?
理解ができない行動をされ、風芽は目の前で行われているやりとりに口をはさむ余裕はなかった。
「風芽は理由もなしに誰かを傷つけないって俺だってわかる。今先輩がやっているのは、理由があって九条先輩を傷つけた風芽よりも性質が悪い。理由のない、ただの暴力だろ!」
「わ、わた……私は……」
「ちょっと、どいて」
ザワリとした野次馬の中から現れたのは無表情の九条院冷華だった。
「れ、れーか」
「どういうこと?」
まるで、初めてであった時のように冷たい人形のような表情を浮かべ、竹刀を持って固まる透に訊ねる。
「私、こんなことをしてほしいとは一言も言わなかったわ」
背後に冷たい冷気を纏っているのは織華のせいではない。
こんなにギャラリーを集めて……と呆れた口調に、対峙している風芽を見る。
「私の友人が失礼なことをして申し訳なかったわ」
そう言って透の横に行き、彼女の頭をガシッと掴むとそのままそれを下ろし……
「ごめんなさい」
「いだっ!冷華、痛い!痛い!」
長くピアノで鍛えられている指はその細さとは裏腹にかなりの握力で透の頭を押さえつけた。
「あんな失礼なことを言ってしまって許されることではないと思うけれど、私の顔に免じて許してあげて」
「れ、冷華……」
頭を掴まれたまま、視線を横にやると、同じように頭を下げ真剣な顔をしている親友の姿があった。
唇は強く噛み締められ、少しだけ頭を押さえている手が震えている。
屈辱なのか、緊張なのか……透にとってこの親友がこうして頭を下げるのは初めて見た。
こうさせてしまったのは…………自分だ。
「ごめん……なさい」
―――――――――――――――
突然現れた九条院冷華の突然の謝罪に周囲は驚いていた。
風芽もその一人で、こうして正面から謝られるという行為もまた初めてのことだったからだ。
謝られることはされていないはずだ。
彼女の言っていたことは全て本当のことであり、自分が最低な人間であるということは認識している。
ぼーっとしていると、いつの間にか陸奥が横に来ており、肘で腕をつつかれる。
「お前も何か言うことあるんじゃねぇの?」
「?」
一体何を……と口を開こうとした瞬間、後頭部に手を当てられ自分の意志とは関係なく、頭が下げられた。
理解不能な行動に混乱していると、陸奥が口を開く。
「お前、先輩泣かせたんだろ?」
「え?ああ……たぶん」
泣かせたことは事実だ。
それを聞いた陸奥はやっぱり、と呟いて再び耳打ちする。
「男は女を泣かせるもんじゃねぇんだよ。それに、男が悪いときはとにかく謝れ!」
「そうなのか?」
「そうなの!」
抑えつけていた手が外され、陸奥と一緒に頭を上げる。
目の前には同じく頭を上げた冷華と透がいた。
少し悩んだ後、風芽は竹刀を床に置き正座をし、
「泣かせてしまって、申し訳ありませんでした」
土下座をした。
「い……いやいやいやいや!風芽、土下座はやりすぎ!」
「な、なんで土下座?!」
「ブフッ」
突然の奇行に慌てる陸奥と透に、遠くで噴出して笑っている鏡がいた。
丁寧に指をついて深く床につくくらいに頭を下げた風芽は顔を上げ、首を傾げる。
「日本では最上級の謝罪の仕方は土下座だと聞いた」
「いや、そりゃそうだけど?昔も今も土下座はあるけど?!でも、なんか違う!」
うわーっと混乱している陸奥を尻目に、風芽は立っている冷華を見上げる。
視線を向けられた冷華はびくっと反応しながらも、風芽から目をそらさなかった。
「俺は正直、貴方を泣かせた理由がわからない。俺はわざと人を泣かせるようにコントロールできる能力を持っているわけでもないし、そう言った言葉を選んだわけでもない。あの時の会話は全て事実を告げただけです。だけど、その中に俺が貴方を傷つける言葉をあって貴方が傷ついたのなら、それは俺の行為ということになります。無自覚に貴方を傷つけたのなら俺には謝罪をしなければならない義務がある」
まっすぐな言葉を受け取り、冷華は緊張していた顔がだんだん緩んでいくのを感じた。
謝らせたかったわけではないのだ。
ただ、自分は彼と……
「だから「私は!」
風芽の言葉をさえぎり、らしくなく声を張り上げる。
「私は、ただあなたと赤の他人でいたくないだけよ!」
そうだ……依頼で護衛するためだったけれど、隣にいてくれた彼がとても温かかった。
守ってくれたとき、すごく安心した。
何気ない話をした時、すごく近く感じたのに、学校で出会ったときはもう他人に戻っていた。
それが、悲しかった。
「だから、謝らないで!あ、謝るくらいなら……」
「私と友達になりなさい!」
「わかりました」
返ってきたのは軽い肯定だった。
その状況についていけない周囲の人間を置いて、風芽は立ち上がり手を差し出す。
「俺は志方風芽です」
差し出された手を見つめ、冷華は恐る恐る自分の手で握り返した。
そして、風芽の眼を見つめ返した。
「私は九条院冷華よ」
強く、そして優しく握り返した手。
冷華は自然と表情が優しく、嬉しさで笑みがこぼれた。
「これで、赤の他人卒業ね」
微笑む彼女は学園で知られている冷たい彼女ではなかった。
嬉しそうな冷華を見て、風芽は苦笑いを浮かべる。
「そうですね」
この日から冷華が人前でよく笑うようになったことは、その原因である本人は知る由もなかった。
――――――――――――――――
おまけ
「ふう、やれやれ。なんかお馬鹿な弟を持った気分だぜ」
「陸奥さん、格好よかったです!」
「え?そう?あはは」
「私も感動しましたわ」
「マジで?」
「これが男の友情!ですね?!」
「いや、違うけど……まぁいっか」
「あの女、いつまで兄様の手を……(殺したい……)」
「はっ(こ、これでは風芽さんの周りにまた女性の方が……ただでさえいつのまにか2人も増えていたのに!)」
「感動ですわね(あー、さっきの土下座はマジおもしろかったー。やっぱあいつは飽きねぇな)」
「私は認めなーーーい!」
「はいはい、浅見先輩」
「うわーーーん!認めないったら認めなーい!あんな奴認めなーい!」