12 氷涙
白銀色に包まれた庭を見て掴んでいたカーテンを放した。
既に雪が止んだ空は青く、雲ひとつない快晴で茶色の地面が見え始めている。
「風芽ー、お弁当は洋風?和風?どうしようかしらー」
キッチンでは楽しそうに包丁を振り回している母が空の弁当箱を手に顔を出した。
「弁当?」
「だって、今日から普通の時間割で授業あるんでしょ?」
「ああ、そっか」
朝食が並ぶテーブルに座り、テレビのリモコンを操作する。
皿の横にさりげなく置いてある納豆に眉を顰めつつ母が座る方へ退かし、味噌汁をすする。
今日は白味噌か。
「小学校は給食だったし、お弁当なんて作る機会そうそうないでしょ?もう、考えるのが楽しくって」
「好きなようにしていいよ」
「そう?リクエストないならキャラ弁とか作ってもいい?!」
やってみたかったのー、とはしゃぐ姿に首を傾げる風芽。
「(キャラ弁?)母さんがやりたいなら……俺、そういうのよくわかんないし」
キャラ弁とはどういうものだろう、と考えながらも卵焼きを頬張る。
「あ、そうだわ!学校行く前にごみ出しお願いね」
「はいはい」
冷蔵庫を漁りながら置いてある大きなゴミ袋を指して言われた言葉にニュースの天気予報を見つつ答える。
昨日の異常な降雪のことをどこのチャンネルでも流している。
ポチポチとチャンネルを変えているとようやく違うニュースを流しているのを見つけ、リモコンを置いた。
報道されるのは殺人や窃盗などの刑事事件、子供を母親が殺しただの、銀行強盗だの、最近ではよくあるものばかりだ。
ここに流されていなくても、事件なんて発見されていない方が多い。
警察も頑張っているんだろうけれど。
ぼーっとテレビを見て口を動かしていると、母が背を向けたまま何かを呟いた。
「何?」
「その……風芽、お友達はできたの?」
ジューっと油がはじける音と火の調整をするつまみの音に負けそうな声だった。
「学校行けって言っておきながらなんだけど、風芽は嫌だった?」
帰ってくるのは嫌だった?
そう言っている母の菜箸を握る手が少し震えているのが見えた。
いつのまにか母の背を抜いてしまった風芽には、そんな母が余計に小さく見えてしまった。
そんな風にしてしまったのは自分だと自覚している。
母に甘え、逃げるように日本を出た後、彼女は独りだった。
親不孝者……いや、親を不幸にすることしかできない自分を思ってくれている母はずいぶんと小さくなってしまった。
「楽しいよ」
小さく笑ってそう言うと母が振り返る。
「ほんとに?」
「うん」
「ほんとのほんと?」
「うん」
「お友達できた?」
「うん」
「男の子?女の子?」
「両方」
「彼女は?好きな子できた?」
「フライパン、焦げてる」
大騒ぎしながらも完成した弁当を受け取り、カバンの奥の方に入れておく。
靴を履き、ゴミ袋を掴んで玄関のドアを開けた。
「いってらっしゃーい」
嬉しそうに手を振る母に見送られて外に出ると、道の雪は除雪されていた。
ゴミ置き場の場所は変わらない場所にあり、ネットが掛けてあるだけでなく、きちんとフェンスが設置されていた。
そういえばカラスによく荒らされていたな。
フェンスを開け、大きく詰まったゴミ袋を入れた。
扉を閉めようとすると、横から「ちょっと待って」と声がかかった。
「まだ閉めないでくれる?」
大きなゴミ袋を二つ両手に抱えているその人を見て風芽は扉を抑えたまま、「どうぞ」と場所をあけた。
そこから放り投げるようにしてゴミ袋を中に入れ、手を叩く。
もう用はないだろう、と扉を閉めると視線を感じた。
「何か?」
「どっかで会ったことない?」
しかめっ面で訪ねてくる彼女は九十九中央の制服を着ていた。
胸のバッジはたしか武術科のものである。
「さぁ?学校ですれ違ったとかじゃないですか?」
「ああ、制服同じだもんね……新入生?」
「はぁ」
肯定すると納得したようにあっそう、と言って鞄を抱え直す。
「遅刻しないようにね」
背を向けて駅への道へ歩き出した彼女を見て風芽は首を傾げた。
しかし、彼女も風芽と同じことを考えていたことを知る由もないだろう。
「「(あの目、どっかで見たことあるんだよな)」」
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学校直通のバスは駅から何台か通っている。
学園の生徒の大多数はそのバスを利用するため、一つの時間で3台くらいが続いてくるのだ。
そのバスの1台に乗っていたショートカットの少女、浅見透は吊り皮から手を放し、校門前と書かれた電光版を見て学生証取り出した。
1年通っている学校にすでに慣れきった透は顔見知りにおはよう、と声をかけながら校門に入ろうとした。
すると、視界の隅に黒塗りの高級車が止まり、足を止めた。
足早に出てきた運転手が後部座席のドアをあけ頭を下げる。
中から出てきたのはよく知った顔だった。
「冷華、おはよ!」
「おはよう」
鞄を受け取り校門をくぐる九条院冷華の横に並び歩き始める。
彼女たちの付き合いは長いとは言えないが、この学園に入学してから知りあって仲はいい方だ。
音楽科の冷華と武術科の透に接点はない。
最初に話しかけたのは透だった。
『なんか、幼馴染に似てるんだもん』
それが理由だった。
にこりともしない冷華に積極的に話しかけ、ようやく笑ってもらえるようになったのは、冷たい木枯らしが吹き始めたころだった。
そんな人形のような彼女はいつもに増して無表情で、どこか寂しげだった。
「あ、コンサート見に行ったよ」
「ありがとう」
「挨拶行こうとしたんだけど、断られちゃって」
「少し、忙しかったから」
まるで触れて欲しくない、と言っているかのようにそっけない冷華に苦笑いを浮かべる。
「ねぇ、何かあった?」
その一言に隣を歩いていた冷華が立ち止まった。
何事かと透が下から俯いている顔を覗くと眼を丸くしてしまった。
"あの"氷のような冷華が……目元に涙をためて泣くのをこらえているのだ。
「ど、なっ、あっ、え、な、何があったの?!」
「……何もなかった」
それにしては今にもぽろぽろと涙を流しそうだ。
「私には言えないこと?」
「違う……何も、なかったの」
周囲が異変に気づき、ただでさえ冷華は注目されるため近くの木陰に移動させる。
俯いたままの冷華に鞄に入れていたハンドタオルを差し出した。
「何もなかったのに、何で泣くの?」
「泣いてないわ」
強情っぷりは変わらない、と。
「はいはい、心の汗ね。で?」
「……と」
「友達って……どうやって作ればいいのかしら」
――――――――――――――――――――――――
「っはよー、風芽」
バスから降りた風芽の肩が小さく叩かれ振り返ると、朝から元気な陸奥がいた。
挨拶を返すと横に並んで歩き始める。
「昨日は雪、凄かったなー」
「今日からは温かいらしい」
予想していた話題に苦笑いを浮かべながらも話を弾ませる陸奥の相手をする。
バイトの面接の話や雪の思い出や今日からの授業の話など、校門から校舎まで結構距離があるため、かなりの量の話があがった。
「「(兄様/2人とも)おはようございます」」
重なって発せられた声に陸奥と風芽は振り返る。
そこには引きつる笑顔の鏡と不機嫌そうな表情の織華が制服を着て立っていた。
「おっはよう、神楽さん……と、誰?」
織華と面識のない陸奥ははてなマークを浮かべながらも可愛いなぁと顔を緩めている。
鏡より低い身長の織華は陸奥と風芽を見上げる。
「織華は織華。兄様の……いわゆる『愛人』」
「「はぁ?!」」
愛人=愛する人、恋人……現代の日本語としては浮気相手などをさす。
驚く陸奥と鏡を尻目に風芽はため息をつく。
「意味分かってるのか?」
「愛する人、織華と兄様は真っ赤な糸でつながってる」
「か、風芽っ、お前って子は九条院先輩や咲ちゃんだけでは飽きたらず……」
恐ろしい子っ、と馬鹿なことを言っている陸奥の頭を小突く。
頬を赤らめて恥ずかしげもなく風芽に抱きつこうとしている織華の頭を掴んで止める。
「こいつは妹分で織華。織華、こっちはと、友達の陸奥だ」
改めて言うと恥ずかしいと思いながら風芽は織華を陸奥と向かい合わせた。
「俺は赤石陸奥。よろしく、織華ちゃん」
悪意のひとかけらもないその笑みに、織華は風芽の手を握り、ちらちらと様子を見てくる。
目で指示すればもじもじと前に出た。
「白河……織華」
「名字あったのかよ」
ぼそっと呟いた鏡に織華は陸奥に見えない角度で、その足を踏みつけた。
痛みに耐える鏡は陸奥の前ではいまだにお嬢様演技を続けている。
そんなことに気付いていない陸奥はニマニマと話しかける。
「俺のことは陸奥でいいからね」
「兄様の友達、だから……織華って呼んでもいい」
風芽の手を掴んだまま話す織華は気を許している。
あまり人に懐かない織華にしてはだいぶ珍しいケースだ。
「ね、ねぇ?そろそろ教室に行きませんこと?」
薄らと涙を浮かべながら鏡が間に入ってくる。
携帯の画面を見るともういい時間になっていた。
「そうだな。織華、お前は遅れて入学ってことになってるんだろ?」
「はい」
「とりあえず職員室に行けよ?」
「……はい」
そう言って別れるまで手を放すことがなかった織華は名残惜しそうに手をワキワキと動かしながら職員室の方へ歩いて行った。
教室が同じな風芽と陸奥、それに実は隣のFクラスだった鏡は教室へ向かった。
そして放課後、嵐はやってきた。
「志方風芽ぇええええええええ!面をかせぇえええ!」