10 関係
「ってゆーかぁ、音楽科のあなたが何で普通科の教室にきてるのかなぁー?」
「あなたには関係ないことよ。そっちこそ、どいてくださる?」
「私は後輩君に用があってきてるんですー」
「私もよ、邪魔しないでちょうだい」
1学年の教室が並ぶ廊下に、上級生らしき2人がドアをはさんで立っていた。
どちらも美人、可憐といった言葉が似合いそうな2人で、見惚れている男子は多かった。
しかし、彼女たちの間には冷たい風と火花が吹き散っている。
前言撤回。
上級生らしき彼女たちがはさんでいるのは開いたドアの向こうに立っている新入生である。
新入生―志方風芽は横にいる友人の笑いに耐える籠った声を聞きながら、ドアの取っ手に手をかけたまま目の前にいる彼女たちを見ていた。
呆れている、とかではなく「どいてくれないかなぁ」と呑気なことを考えていたとは誰も知らないだろう。
風芽が2人を見比べていると、ドアが開いたことに気づいたのか、二人同時にバッとこちらを向いた。
『風芽(君)!』
そして、ガシッと片方ずつ彼の手首をとった。
「話があるの、来て」
「私が先!ね、風芽君?」
「どうせ、どうでもいいことでしょう?こっちは"大事な”話なの」
「こっちだって、“2人だけ”の話があるの」
風芽をはさんだまま言い会う美女二人、入試の日に出会ったFランクライセンサーの水留祈とギルドの依頼で護衛をした九条院冷華。
どっちも特に親しいと言うわけではなく、祈はただ偶然知り合った女の子、冷華は仕事上での関係というだけ。
(そう思っているのは風芽だけかもしれないが)
手を掴まれたままの風芽に笑いを堪えた陸奥が話しかけてきた。
「何、風芽、知り合い?」
「知ってることは知ってるけど」
俺は特に話はない、と言おうとしたがそれもさえぎられ、祈が乏しい胸を張って宣言した。
「私は風芽君と秘密の関係があるんだから!」
「ど、どういうこと?風芽」
整った口元をひくつかせ、冷華は手首を握る手を強くしてくる。
別に秘密にするようなことはしていない……ただ、猫を渡してギルドのことを話して道を聞いただけ。
まぁ、ギルドのことを秘密にしたいようだったが、風芽には関係ないことで、祈と会ったことすらも彼女の顔を見るまで忘れていたくらいだ。
「まぁいいわ。私だって彼とは抱き合う仲なのだから」
『な、なにぃいいいい?!』
祈だけでなく周囲にいつの間にか集まっていた野次馬と陸奥も思わず叫んだ。
「あの『妖精』と抱き合うだって?!」
「あれ1年生だろ?!」
「た、たしかに顔はいいけど……」
「やだ、イケメーン!見て見て」
「冷華様になんてことを!」
「ファンクラブの奴が黙ってないだろ」
「あの先輩可愛いー」
「抱き……ああ、あの(発火野郎から守った)時か」
護衛のためには仕方のないことで、ちょうど体格も冷華は自分より小さいから覆い隠せばけがはさせることはない。
仲、というのは護衛と対象の関係のことだろう。
「たしかに抱きしめましたが」
「なぁっ?!」
風芽の肯定に祈りは手首から手を放し、顔を青くした。
代わりに冷華が勝ち誇ったように髪の毛を手で払う仕草をする。
「か、風芽君、君は九条院さんと付き合ってるのー?!」
「付き合うっていうのは恋人か、ということですか?」
「そうだよ!」
「こ、恋人……(何かしら、良い響きね)」
「いえ、特に」
と、即答した後ズガンッと何か硬い物が冷華の頭に落ちる音がした。
ほっと息をついた祈は今度はにこりと笑った。
「じゃあ、特に抱きしめる行為には意味はないのよね?!」
「(護衛ということでは)意味はありましたけど」
「意味があるのー?!(風芽君は九条院さんのことが好きってこと?好きだから抱きしめたの?!)」
「な、なんか噛み合ってないような気がするのは俺だけ?」
焦る祈と淡々と答える風芽のやりとりに、一抹の不安を抱え始めた陸奥。
風芽は意外と天然だから、何か言葉が足らなかったり、違う意味で解釈してたりするのかもしれない、と早くも風芽の性格を熟知してきた。
「水留さん、そろそろいいかしら?」
沈んでいた冷華がいつのまにか涼しい顔に戻っており、風芽の腕に手をまわす。
そして、彼の耳元に顔を近づけ、そっと囁く。
「銃、返したいから来なさい」
その言葉を聞いて銃の存在を忘れていたことを思い出した。
自分らしくない失敗だ。
素人に持たせたままだなんて……
「わかりました」
横にいた陸奥に先に帰るように言うと、苦笑しながらわかった、と返ってきた。
祈は納得いかないような表情だが、風芽がすみません、と言えば静かに帰って行った。
「こっちよ、ついてきて」
冷華の後についてその場を去ると、周囲に集まっていた野次馬集団も解散していった。
風芽と冷華の関係を噂する人間や、謎の三角関係の噂が流れるのはこの後すぐの話だ。
―――――――――――――――――――
空き教室へ案内され、すぐに銃を手渡された。
銃倉を掌に落とし、弾が一発入っているのを確認した。
腰のベルトに挟むようにしてしまいこんでいると冷華が不機嫌そうな顔で見てくる。
「なんですか?」
「どうして敬語なの」
護衛中は誰に対しても敬語なんて使っていなかった。
風芽はプライベートと依頼を分けるため、プライベートでは上下関係を大切にし、ギルドでは常に弱みを見せない為に敬語というものはなくしている。
特に、学校という場所では先輩後輩関係はきっちりとしなければならない、と小説で読んだ。
小学校の頃は人間関係がどうのこうのということはまったく無縁だったため、母にも強く言われているのだ。
「先輩と後輩という区別をしているだけです」
「護衛の時は敬語なんてつかっていなかったじゃない」
「ギルドとプライベートは別です。それに、学校でいきなり訪ねてくるのも俺はどうかと思いますけど」
「なんですって?」
「俺があなたと知り合ったのはギルドの人間と護衛対象という関係上のこと。それ以外には赤の他人……それなのに、あなたは俺のプライベートにずかずかと入り込んで来ました」
呆れた口調で話す風芽に、冷華は何も言わなかった。
「本来ならば俺は水留先輩の相手をしているところです」
彼女はプライベートの時間に出会った人物であり、それでいてギルドの人間であるという小さな共通点もある。
冷華についてきたのは銃の回収のためだけだ。
「でも……私は」
「銃のことは手間をおかけしました。でも、ギルドと学校は別の世界だということを覚えておいてください」
それだけです、と風芽はドアを引いた。
冷華は呼びとめようと口を開いたが、言葉が出て来ずにそのまま閉じた。
ドアが完全に閉じる手前で、ぴたりと動きが止まる。
風芽は暗い表情の冷華を見て少し考え、しかし何も言わずにパタン、と閉めた。
「あーあ、酷ぇ奴だぜ。ほんと」
教室を出て少し歩き、廊下の角の前で立ち止まった。
「なんだ、君か」
姿を確認し、口調が変わった風芽。
「おい、忘れてたのか?」
「いや……女子の制服着てるから気付かなかった」
角から出てきた声の主は学園の制服、胸元には特別技能学科、通称特技科のバッジをつけている女生徒。
しかし、その目は強く風芽を睨んだ。
「俺だって好きでこんな恰好してんじゃねぇ!お前だって知ってんだろうが!」
口調は雑で、しかも短いスカートから見える白い足をだらしなくガニ股にして怒鳴りつけてくる。
「ああ、中身は男なのに女の身体に変えられたあげく、女装癖に目覚めた元泥棒」
「だから好きでやってんじゃねぇって言ってんだろ!」
そう、彼女…・・いや、彼、いや彼女は今はこんな美少女だが元は「男」だ。
名前はコロコロと本業である盗みを働くたびに変えていたが、今では休業して『神楽 鏡』と固定しているらしい。
鏡がこんな姿になっているのは、とあるSAI能力者の能力のせいだ。
なんでも、『逆転』という名の能力で、触れたものの性質を逆に転換してしまうという、風芽の能力に近い能力であった。
その能力者に「性別」を転換させられ、男だった鏡は女になってしまったのだ。
風芽が彼女と知り合ったのは能力が原因だった。
風芽の『連結』という能力の情報をどこからか得て彼女から訪ねてきた。
「何でもするから元に戻せ」と半ば脅しかけるようにして迫ってきたのを、関節決めで落ち着かせて話を聞いた。
しかし、風芽の答えは一つ。
『無理だ』
その一言で暴れだした鏡を空気で作った透明な壁に閉じ込め、酸欠状態になるまで放置していたこともあった。
「って、その後俺を足蹴にしたことも忘れたわけじゃねぇよなぁ」
「無理だ、って言っているのに唾を飛ばしてくる君が悪い」
戻せー、戻せーと言葉の通り地面に這いつくばって自分の足にしがみついてきた。
「何度も言っただろう?能力者の能力で変えられた存在は、変えた本人でなければ元には戻せないんだ」
風芽のように強力な能力者はそれほどいないが、同じような種類の能力者は多くいる。
その能力者たちの能力は少々特殊な性質を持ち、能力の対象になったものはその能力者の管理下に置かれる。
それを戻したり、解くにはその能力者よりも上の実力者(管理者)が干渉するか、、能力者本人が解くしかない。
「俺にも戻せることはできるが、お前の場合、性別という本質的な部分が変えられているし、変換された時に複雑に細胞がいじられてる。戻せたとしても99%失敗して完全な『男』には戻れなくなる」
いじられた細胞の構造は複雑に絡み合っていて様々なところに地雷が埋め込まれているようなものだ。
風芽は情報化して読み取ることができるが、それは文字化けして見えるようなものに変えられていると言っていい。
それでもいいのか?
「う……それは……無理」
「それで、その能力者を見つけるために日本にいるって聞いたけど、女子生徒になって現れるとはさすがに俺も驚いた」
「ふ、ふんっ!俺だって、お前がまさか女を泣かせて平然としてられる奴だとは……まぁ思ってたけど、実際に見て驚いたぜ!」
「泣かせてない」
「いーや、泣いてるぞぉ、絶対」
「事実を言っただけだ」
「そういうところ変わらねぇよな」
薄い茶色の綺麗な髪をガシガシと掻き、腕を組む。
「それで、なんでここに?」
女装云々はどうでもいいとして、日本にいることは知っていたがこの学園にいるとは本当に知らなかった。
泥棒業をしていた鏡が今更学生をしているとは……自分も人のことは言えないが。
「なんだ、知らねぇのか?この学園、ギルドと管理局が裏で支援してる。ここにいれば能力者の情報が入ってくるかもしれないだろ」
「支援?」
「ああ、学園内にも能力者は多いらしい。そいつらは皆『特殊技能科』って名前の特別クラスに入ってる」
「へぇ」
ちなみに俺も今年入学、と言った瞬間だった。
「ってお前!」
急に胸倉を掴んできた鏡は風芽の胸元を凝視していた。
「なんで普通科なんだよ?!」
「なんでって……俺が選んだわけじゃない」
掴んでいる手を払い、乱れたネクタイを締め直す。
「『能力者殺し』のお前が普通の一般学科とは……」
ちゃき……
ふと、鏡の首筋に冷たく硬い感触が触れた。
まったく気配を感じなかったためか、ごくりと唾を飲みため息をつく。
「悪ぃ」
手を挙げて冷たい視線を向けてくる風芽に小さな声で呟いた。
「『ここ』でその名は言うな」
「……悪かったって……まじ、ごめん」
「……」
射殺さんとする風芽の眼に耐えきれず、情けない位怯えた声で謝罪した鏡にはっとした表情をして、銃を服の中に隠した。
「ここでは名前で呼べ」
「わかってるよ、風芽」
うろたえながらもそう呼ぶとああ、と返事が返ってくる。
先ほどの殺気は息を潜め、通常運行に戻ったようだ。
「俺は鏡でいい。っつーか、これからは名前は変えないつもりだから」
ま、お前と同じだ。
そう言って手を差し出してきた。
「お前、いつも握手だろ?最初に会った時もそうだった」
「そう……だったな」
風芽はいつも初対面の人間には握手を求める。
ただ『よろしく』という意味だけではなく、その人間の情報を読み取っているのだ。
『連結』の能力を応用して情報のみを読み取ることができる。
無意識のうちにできるようになったそれは、今では情報収集によく使っている。
しかし、これは違う。
「よろしく『風芽』」
「ああ、よろしく『鏡』」
本当の挨拶だった。
――――――――――――――――――
「あ、おーい!風芽!」
「陸奥……待ってたのか?」
「せっかくの友達になった記念なんだから、やっぱ遊びに誘おうと思ってよ」
「そうか」
「風芽」
くいくい、と風芽の袖を小さく引くのは興味津津な鏡だ。
誰だ?と聞かれ、「友達」と答えると意外そうな反応が返ってくる。
「ん?おい、風芽その子……」
「神楽鏡といいます。よろしくお願いいたしますわ」
「は?」
鏡の言葉づかいに目を点にした風芽を尻目に、おほほとどこのお嬢様だと言いたいくらいの外面を披露する。
「風芽君とは昔外国で会ったことがありまして……」
「か、可愛いー!モロ好み!俺、赤石陸奥です!好きです!付き合ってください!」
「一昨日来やがってください」
にっこりと笑い、さらっと流した鏡にひそひそと話しかける。
「それ、何だ?」
「学園Verの俺」
「……」
「うっはー可愛いなぁ、さっきの先輩も綺麗だったけど、やっぱこういう可愛い系が好みだなぁ」
陸奥にはこいつが男だと言うことは秘密にした方が良さそうだ。
夢を壊してしまったら……
だが、小悪魔のように陰で笑う鏡を見て、風芽はむっとし、踵で彼女の足を踏み考えを改めた。
「っ?!」
「陸奥、陸奥にはもっと性格がよくて可愛い子が似合うと思う」
「神楽さんも可愛いと思うけどなー」
「鏡は男に興味ないから(男だし)」
「え?!あ……ああ……」
風芽の言葉に少し考え、何か納得したような顔をした陸奥。
「ご、ごめん神楽さん……良いお友達でいましょう……」
「(な、なんかあらぬ誤解が生まれたような!?)」
「(友達は守らなければ)」