01 とある地にて
よく、RPGで見るギルドというものはなんとも簡単なものだ。
剣を持ったり魔法を使ったりする人間がパーティを組んで冒険をしながらクエストを達成していく。
お金はそれなりにもらえて、いい小遣い稼ぎにもなり、ゲームのキャラクターは経験値を積み強くなる。
新しい武器も、魔法も、スキルなんかも手に入れて、なんと摩訶不思議なものだろう。
しかし、現実に魔法なんてものは存在しない。
魔剣も、強い装備なんてものも、ただの剣や防弾チョッキやらしかない。
魔物なんてものもでないし、錬金術とかもない。
ないものだらけのこの世界。
その部屋の殺伐とした空気に佇むのは1人だけだった。
窓硝子は割れ、家具は倒れ、飛び散るのは赤黒い液体と小さな肉片。
一歩動けばべちゃりと柔らかい物を踏みつぶす音がした。
切れかけのライトに明かりが、チカチカとそれらを照らす。
靴についた液体を振り払うこともせず、倒れている“モノ”に近づき鼻をつまんでしゃがみこんだ。
鉄の臭いをさせるそれを仰向けにし、指でつまんで胸ポケットの部分をつつく。
とんとん、とん、こつっ……
硬い音がしたポケットに指をつっこみ、中身を取り出す。
目的の物を見つけ、安堵した時だった。
自分の尻ポケットで微かな振動を感じる。
普段かなり小さな振動にしており、時々鳴っているかどうかもわからないくらいのものだ。
携帯電話はずっと振動し、メールではないことを示している。
思わず手に取った後、自分の手が汚れているのに気づき、新しい携帯を買わなければならないことを思った。
画面を開き、着信を見ると思わずため息をつきたくなるほどの相手で……
ずっと途切れることなく振動し続ける携帯電話の通話ボタンを仕方なく押す。
「もしもし、何?」
電話の向こうでは聞きなれた母親の声が漏れるほど聞こえてくる。
連絡が取れる様になってから、元気?どうしてるの?今度はどこにいるの?などと掛かってくる度にいつも同じ内容だが、今回は違うらしい。
未成年の自分を国外に1人でよこしたのは母親である彼女だと言うのに帰って来いとの催促だった。
何年も顔を見ていないが、成長して声変わりをした自分と、外見は分からないが声だけは変わらない母親。
会いたい気持ちはあるが、今この状況で聞きたくはなかったと、我慢していたため息をつき、立ちあがる。
ぴちゃぴちゃと音をさせ、幾重にも倒れているモノ……死体を跨ぎながら扉を開ける。
そこは洗面所で、持っていた携帯をスピーカーにして置いた。
『それでね……聞いてる?』
「聞いてる」
旧式の蛇口をひねり、冷たい水で手についた血を洗い流す。
排水溝にまるで渦のように吸い込まれていった。
「学校に行け、だろ?」
近くにあった石鹸を手に取り泡立てる。
『そうそう、あなたがそのお仕事が好きっていうのはわかるけど、お母さんはちょっとでもいいから普通の学校生活をしてほしいの。』
「仕事じゃなくて、バイトみたいなものだよ」
呆れながら答えるが、母は同じよ、と電話の向こうで拗ねた様に言う。
普通の学校生活……それは本当に普通の人間が送る一生の時間の中の一部。
そんなものとは縁遠いと悟った時から自分の普通は一変したことを思い出し、笑った。
「中学も行ってないのに?今更だよ」
『だからよ……もうすぐ入学試験があるの、それまでに帰ってきてちょうだい』
急な話に蛇口をひねろうとした手が滑った。
「入試?!」と驚くと、「そうよ」と即答される。
今更学校に行かなくても、知識はすでに十分すぎるほど詰まっている。
有名な海外の某大学にも余裕で合格できるくらいには自分は優秀なつもりだ。
それを言えば、「学校はそれだけではないのよ」なんて反論してくるのが決まっているから言わないが。
「別に帰ってもいいけど、バイトは止めないよ?」
『ほんとに?』
「ほんとほんと」
水に濡れた手を振り、かかっていたタオルで拭う。
ついでに汚れた携帯電話も一緒に拭うが、完全には汚れは落ちなかった。
『じゃあいつ?いつ帰ってこれる?』
嬉しそうな母親の声に遅くなるなどと言えるはずもなく。
「すぐ帰る」
と、答えた。
スピーカーをオフにして耳元に再び当てる。
その答えに満足したのか、喜んで飛行機が着く時間を教えてねだの、ごちそうを作るだのと早口で話し始めた。
はいはいと流して聞きながら洗面所を出ると、携帯電話にピピッと音が入った。
「ごめん、キャッチだ」
『あら、長電話しちゃってごめんなさい。』
「いいよ、母さんなら」
社交辞令のように受け流せば、別れの流れになっていく。
汚れた上着を脱ぎ棄て、クローゼットにあったスーツを拝借する。
大きめのそれは袖が余ったが、腕まくりでごまかした。
それじゃあ、と母が電話を切ろうとすると、「あ」と何かを思い出したように制止の声が上がる。
『そういえば、風芽。あなた、今どこにいるの?』
「今?」
窓際に近づき、閉めていたカーテンを指で少しずらす。
「イタリアだよ」
ホテルに戻って着替えを済まし、何台目か分からない携帯を買った。
ごちゃごちゃした機能はいらないため古い機種だ。
今度は防水の物を選んだため、水で洗えそうだと思ったが、使えなくなる要因はそれだけではないため、壊れません様にと念を込め、ポケットにしまった。
イタリアの町を歩き、一つの建物に入る。そこはレンガ造りでかなり大きな物で、看板には『Gilda』と書かれている。
扉を開ければそこについたベルがカランカランと音を立てた。
中はランプがついている明るい空間で、設置されているカウンターやテーブルには老若男女、年齢様々な人たちが談笑していた。
目当ての人物はバーのカウンターに入り、男と相手をしていた。
まっすぐとそこに向かい、目の前の椅子に座ると、その人物は笑って水を差しだす。
「お疲れ」
周りで発せられる流暢なイタリア語の中では異様な日本語で話しかけられる。
自分よりも年上の相手は昔日本に滞在していたことがあったが、こちらに異動となったことで久しぶりの日本語らしかったが流暢だ。
中性的な顔立ちに短く切られた髪。
初見の人間が動揺し『どちらか』悩む姿が面白い、と言う悪趣味な人間だが、実のところ、平べったい胸元がちょっと悩みの種だということらしいのは秘密にしなければ出禁にされかねない。
どちらにしろ、やる事は変わらない、と言った時はぶすくれていたが。
風芽は水を受け取る代わりに小さな封筒をカウンターに置いた。
「これ、依頼品」
「はい、確認しました」
それを開けもせずに受け取り、奥にあったボックスにしまった。
「見なくていいのか?」
「君が失敗するはずないから。また、よろしく頼むよ」
水滴の付いたコップを傾け、のどを潤す。
そういえば食事もまだだったことに気づいたが、腹は減っていなかったため頭の中から消した。
隣で飲んでいた男はいつの間にか消え、他のテーブルに移動していた。
興味もない為特に何も思わなかったが、室内を見渡す。
「ここも賑やかになってきたよね」
洗ったコップを拭きながら、にこやかな表情を浮かべる。
「風芽くんが来てから僕も楽しいし」
そう言われて水を飲んでいた手を下ろすと、コップの中で氷がカランと音を立てた。
初めてここに来てから“友達”と言える程度になったと思っている。
だからか、先ほどの母親との会話を思い出すと日本に帰るとは言いづらかった。
何も話さないでいるのに何かを感じたのか、「何かあった?」と聞かれる。
「明日、日本に帰る」
「は……え、そ、そうなの?」
眼を見開いてカウンターに身を乗り出す。
バッと勢いよくきたはいいが、至近距離はきつい。
「ち、近い」
「ごっごめん!」
手を間に挟み、顔をしかめるとすぐに離れた顔はほんのり赤らみ、こほんと小さくわざとらしい咳をした。
「それにしても、急だねぇ」
「本当にな」
母親からの電話の内容を放せば、笑って理解し、餞別と言ってブレンドティーを出された。
「日本にも支部はあるらしいし、仕事は続けられるね」
「日本じゃ質が落ちるって聞いたから、どんなになるかわからねぇな」
「場所によってそれぞれだもんね」
苦笑を浮かべながら何かを書類に書いているが、こちらからは見えない為、気にせずに会話を続ける。
「まぁ、今日みたいな依頼はなくなるし、君みたいな腕の持ち主には物足りないだろうね」
実家でゆっくりするのも、良いんじゃないか、と言われ目の前に何かを差し出される。
「何これ」と聞くと「餞別その2」と答えた。
渡された2枚の紙は日本語が並んでいる。
「君のライセンスの有効国に日本は入ってないからさ、推薦書と申請書。日本支部でライセンスの更新をすれば試験もパスで追加登録されるからすぐにお仕事できるよ」
「Grazie……また会いに来る」
「お母さんによろしく」
ホテルをチャックアウトして少ない荷物を持ってタクシーを拾う。
空港まで、と運転手に言い、携帯を取り出した。
“母親”と登録された番号を探し、通話ボタンを押す。。
「ああ、母さん?うん、明後日の朝到着の便で帰るから。迎え?いいよ」
窓の外を眺めながら電話の向こうの人物の声に耳を傾ける。
昨日貰った書類を広げ、必要事項にサインをする。
登録番号を確認し、誤字がないことがわかると書類をしまおうと封筒に入れた。
「金もあるし、タクシーか新幹線で……は?その日に入試?!」
思わず書類を取り落としそうになった。
どうやら日にちを勘違いしていたようで、明後日の午後から入試が始まるらしい。
どんな勘違いをすれば間違えるんだ。
母さんのぼけぼけにも困ったものだ……
「まっすぐそっちに向かうから入試の書類だけ持って会場に来てよ」
母は何度も謝り、了承した。
泣きそうな声は本当に気が付いていなかったらしかった。
「もういいって……ああ、うん。お土産も買っていくから……うん、うん、じゃあ」
携帯をしまい、代わりに懐から1枚の黒いカードを取り出した。
「日本、か」
カードに唯一書かれていない国。
自分の母国……
「少しは変わった、かな?」
裏返したカードには自分の名前が刻まれていた。
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志方 風芽 (Kazame Shihou)
国籍:日本
ギルド協会公認免許証
資格:銃火器所持使用許可
車類全種免許
特殊薬品調合許可
特別規定内殺傷許可
S/A/B/C/D/E/F依頼受領資格
RANK:S
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この世界に魔法はない。
魔物もなんてものも存在しない。
しかし、一つだけ存在するものがある……それがギルドである。
※一部加筆しました。
意図的に分かりづらくしていたのですが……申し訳ありません。