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瓶のネズミは餓死できない

作者: 平田智剛
掲載日:2026/08/16

## 0 お願い


 俺には悩みがある。できれば、月に50万円以上の安定収入を10年くらい続いたことがあって、3000万円くらい貯めたことのある人に聞いてほしい。


 金のない奴に話すと、どうせ途中から話が変わる。俺が何に困っているかではなく、「そんなに金があるのに何が不満なんだ」という話になる。もっとひどいと、自虐風自慢だと思われる。こういう言い方をすると嫌な奴に聞こえるだろうし、実際、俺はこういう話し方をして友達をなくしたこともある。


 でも、これから話したいのは金に困った男の話じゃない。


 金にだけは困らなかった男の話だ。


## 1 研究テーマは1つ


 大学生のころ、心理士は机の上に検査結果を置いて、「かなり凸凹がありますね」と言った。言語性IQは118、動作性IQは82。数字だけ見れば、同じ頭蓋骨の中に性能の違う2人が住んでいるみたいだった。言葉で説明すること、知識を覚えること、抽象的なことを考えることは人並み以上にできる。その一方で、目の前の情報を素早く処理したり、手順を組み立てたり、その場で判断したりすることになると、急に遅くなるらしい。


「要するに、口だけ達者で、とろい人間ってことですか」


 そう言ったら、「そういう言い方はしません」と訂正された。でも俺には、その説明が一番しっくりきた。試験では点が取れるのに、集団作業になると何をすればいいのか分からない。十分に考える時間があればいくらでも説明できるのに、現実の会話では俺が考え終わる前に次の話題へ移っている。


 大学4年の就職活動では、その弱点が嫌というほど出た。筆記試験やプログラミング試験は通る。それなのに面接官が質問を少し言い換えただけで、何を求められているのか分からなくなった。グループディスカッションでは発言を頭の中で組み立てている間に、他の学生たちが2つも3つも先の論点へ進んだ。


 企業研究もできなかった。正確には、やりすぎてできなかった。給与、勤務地、仕事内容、研修、社員数、離職率、福利厚生、平均年齢、将来性。比較項目を増やせば増やすほど、応募先が決められない。


「とりあえず3社くらい受けたら?」


 母にそう言われても、その3社を選ぶために100社を比較し始める。そこで俺は、もっと自分に向いた道を思いついた。


「大学院に行けばいいんだ」


 大学の勉強は好きだった。就活みたいに自分を商品として売り込み、知らない人間に短時間で評価される場所から2年間逃げられる。そのうえ好きな研究までできる。俺には悪いところが1つもないように思えた。


 院試には受かった。母は泣いて喜び、俺も人生が本道へ戻ったと思った。


 ところが、学部の卒業論文のテーマが決められなかった。


 自然言語処理もやりたかった。強化学習も面白い。脳型計算も興味があるし、教育データの解析も捨てがたい。最初のうち、教授は「好奇心が広いのはいいことだ」と言っていた。でも3度目の面談から表情が変わった。


「卒論は1本しか書けないよ」


「分かっています。だから、どれを選ぶべきか考えています」


「先週もそう言っていたよね」


 候補を3つまで絞ったこともある。比較して最善の1つを選ぶために関連論文を読み込んだら、翌朝には候補が7つになっていた。


 1つを選ぶということは、残りを捨てるということだった。


 間違ったものを選ぶくらいなら、もう少し調べたほうがいい。そう考えているうちに、研究計画の締切が過ぎた。教授はしばらく黙ってから、「能力がないとは思っていない」と言った。


「卒論はこっちで範囲を絞ろう。学部は卒業できるようにする。でも、大学院ではもう君を指導できない。こちらがテーマを決めても君は納得できないだろうし、君自身に決めてもらおうとしても決まらない。院試に受かったことと、2年間研究を続けられることは別なんだ」


 結局、教授が決めた狭いテーマで卒論を書いた。ちゃんと卒業した。院試にも合格していた。


 それでも大学院へは行かなかった。


 落ちたわけじゃない。学力が足りなかったわけでもない。卒業もできた。ただ、自分で研究を1つ選んで進めるところだけが、致命的にできなかった。


## 2 2つの入口


 卒業まで時間がなかった。病院から紹介された福祉機関へ、俺は両親と一緒に相談に行った。そこで初めて、「クローズ就労」と「オープン就労」という言葉を詳しく聞いた。


 障害を会社に伝えず一般枠で働くのがクローズ。障害を開示し、配慮を受けながら働くのがオープン。クローズなら求人は多いが、普通の就活を突破しなければならない。オープンなら配慮は受けやすいが、仕事内容や給与が制限される可能性もある。


「どっちが正解なんですか」


「正解は人によりますね」


 俺が一番嫌いな答えだった。


 人によるなら、その「人」の条件を全部列挙すればいい。条件ごとに重みを付けて、自分を代入すれば答えが出せるはずだ。でも人生の選択は、俺の好きな数式にはなってくれなかった。


 家族と支援員に求人を整理してもらっているうちに、世界的なIT企業の障害者求人が見つかった。多様な人材を雇用する取り組みの一環らしく、一般枠で俺が受けようとしていた中小企業より、給与も福利厚生も知名度も圧倒的に上だった。


「これ受けたら?」


 母がそう言ったから応募した。俺1人だったら、この会社を受けるべきか検討しているうちに締切になっていたと思う。


 技術試験は簡単だった。面接では障害のことも、曖昧な指示が苦手なことも、予定変更に弱いことも正直に話した。


 それでも内定が出た。


 初任給は40万円だった。


 しかも俺には障害年金もあった。給与と合わせると、月に俺のところへ入ってくる金は50万円前後になった。20代前半の俺には、現実感のない数字だった。


 通知を見たとき、何度も桁を確認した。父は「俺の新卒のころの3倍だ」と笑い、母は「大学院よりよかったんじゃない」と言った。


 俺も、そうかもしれないと思った。


 会社は想像以上に快適だった。オフィスにはジュースがあり、コーヒーがあり、無料の菓子が透明な瓶いっぱいに入っていた。休憩スペースにはマッサージチェアまである。在宅勤務もできた。


 仕事も楽だった。チケットを見れば、何をいつまでに作ればいいのか書いてある。分からないところは文章で質問できた。そういう仕事なら俺にもできた。


 最初の給料日、オフィスの透明な菓子瓶からチョコレートを1つ取った。


 俺は運がいい。


 本気でそう思った。


 実家暮らしだったから、金はどんどん残った。俺は毎月25万円くらいを貯蓄と投資へ回した。


 投資は人生よりずっと簡単だった。信託報酬は数字で比較できる。期待リターンも数字で考えられる。低コストのインデックスファンドを選び、毎月同じ額を積み立てる。一度決めたら、あとは何もしなくていい。


 暴落しても売らない。値上がりしても余計なことをしない。


 何もしないことが正解になる世界は、俺に優しかった。


 資産残高が増えるたびに、俺は自分を「ちゃんと将来を考えている人間」だと思えるようになった。


## 3 いつかクビになります


 違和感を覚え始めたのは、入社3年目くらいだった。


 同期の仕事が変わっていった。顧客と要件を詰める奴がいる。後輩のレビューをする奴がいる。複数部署の人間を集めて会議を仕切る奴もいる。


 俺だけは、入社したころとよく似た仕事をしていた。


 誰かが細かく切り分けたタスクを受け取って、処理する。


 別に評価が悪いわけではなかった。期限は守っていたし、技術的なミスも少ない。「細かいところまでよく気づく」と褒められることもあった。


 だから余計に怖かった。


 今失敗しているなら、困っていると言える。でも俺は、今は成功している。ただ、その成功が10年後まで続く形ではないことだけが分かっていた。


 俺は福祉機関へ行った。


「僕、このままだと、いつかクビになります」


「何か会社から言われましたか?」


「何も言われてません」


「評価が下がったとか?」


「今のところ普通です」


「仕事上のトラブルは?」


「ありません」


 俺は説明した。今の仕事ができるかどうかの話ではない。同期は上流工程へ進んでいる。俺には人との調整も、後輩指導も難しい。会社が今は俺向けに仕事を切り出してくれているが、それを10年後まで続けてくれる保証はない。


「30代になって、8年とか10年働いた職歴なのに、新人と同じようなことしかできなかったら、転職もできなくなります」


 支援員の山本さんは、「言いたいことは分かります」と言った。


「でも、今の段階だと会社にも具体的にお願いしにくいですね。今の仕事はできているわけですから」


「だから、できなくなってからじゃ遅いんです」


「そうですね。ただ、まだ起きていないことに対して今から何をするかというと……」


 そこで言葉が止まった。


 分かった。


 何もないのだ。


「実際に困ったことが出てきたら、その時に一緒に考えましょう」


 両親にも話した。母は「でも会社から辞めろって言われてないんでしょう」と言った。父は「10年後なんて誰にも分からない」と言った。


「分かるんだよ。俺だけ仕事が変わってないんだから」


「でも、お給料もちゃんともらえてるんでしょ?」


「今はね」


 俺の言っていることは理解してもらえた。でも、理解したところで誰にも答えがない。


 26歳になって、また福祉機関へ行った。


「やっぱり、このままだとまずいと思います」


「何か状況は変わりました?」


「後輩が1人、僕より上の職位になりました」


「それ自体は、退職につながる話ではないですよね」


「今は」


 また同じだった。


「その時に考えましょう」


 俺はその言葉を自分のメモに書いた。


 その時。


 それがいつなのかは、誰も教えてくれなかった。


## 4 自虐風自慢


 専門家に答えがないなら、昔から俺を知っている人間に相談してみようと思った。


 大学時代の友人、航平に連絡した。今は中堅のシステム会社で働いていた。


 久しぶりに2人で飯を食べながら、俺は何年も福祉機関に説明していた話を最初からした。


「俺、このままだと、たぶん30代でクビになる」


 航平が箸を止めた。


「お前、今いくらもらってんだっけ」


「給与は月によるけど、基本給が40万ちょっと。それとは別に障害年金もあるから、月に入ってくるのは50万くらい。賞与とか株式報酬を含めると——」


「いや、いいよ。俺、24万だから」


「でも、今の収入の話をしてるんじゃないんだよ。俺は仕事の難易度が上がってない。今は会社が俺にできる仕事を切り出してるから成立してるだけで、これを10年続けたら、30代なのにマネジメントも顧客折衝も要件定義もできない人間になる。そうなってから切られたら転職できない」


 俺はスマートフォンを取り出した。同期の昇進状況や、自分の担当業務、転職市場で求められている経験をまとめた表まで作っていた。


「だから期待値で考えると、今の給与が高いことはむしろ——」


「慎也」


「何?」


「それ、俺に言わなきゃ駄目?」


 意味が分からなかった。


「だって相談してるんだから」


「俺、お前の半分ももらってないんだよ。毎日残業して、会社にジュースも菓子もない。マッサージチェアなんか当然ない。それでお前から『世界的企業で働いて、年金まで合わせたら月50万入ってくるけど人生詰みそうでつらい』って聞かされて、俺に何て言ってほしいの?」


「でも、それとこれは別問題だよ。航平の会社の待遇が悪いことは、俺の将来リスクを否定する材料にはならない」


 航平は俺の顔をじっと見た。


「そういうところだよ」


「何が?」


「もういい」


「いや、よくない。何を指してるか分からないから説明して」


「お前さ、自虐風自慢になってるって分かってる?」


 本当に驚いた。


「自慢じゃないよ。自慢だったらクビになる可能性の話なんかしないだろ」


「はいはい」


「『はいはい』じゃなくて。俺、本当に困ってるんだって。福祉の人にも何回も相談してる。でも今は問題が起きてないから何もできないって言われる。だから航平なら——」


「悪いけど、俺、お前の悩み聞くのしんどいわ」


 その言葉だけは説明を求めなくても意味が分かった。


 それから大学時代のグループチャットで、俺が何か書いたときの返事が少しずつ減った。3か月くらい経ったころ、SNSに航平たち3人が温泉宿の前で笑っている写真が上がった。


 俺は別の友人に、


「俺、避けられてる?」


 と送った。


「いや、別にそんなことないよ。みんな忙しいだけじゃない?」


 それ以上は聞かなかった。


 聞けばまた、何かを失う気がした。


 俺は1つ学んだ。


 困っていると言えば助けてもらえる、なんてことはない。正確には、助けてもらえることもある。何もしてもらえないこともある。


 そして、嫌われることもある。


 俺は3つ目をよく覚えた。


 それから友達に仕事の相談をするのはやめた。


## 5 瓶のネズミ


 27歳の冬、ネットで奇妙な寓話を見つけた。


 穀物でいっぱいになった大きな瓶に、1匹のネズミが入り込む。穀物は瓶の口の近くまで積もっているから、最初は食べ終えたらいつでも外へ出られる。


 でもネズミは、餌を探し回らなくても腹いっぱい食べられる生活を気に入って、そのまま瓶の中に居座る。


 穀物を食べれば、その表面は少しずつ下がる。当然、ネズミの身体も一緒に瓶の底へ下がっていく。それでも目の前にはまだ大量の餌があるから、ネズミは食べ続ける。


 そして餌がかなり減ったころに気づく。


 瓶の縁はもう遥か頭上にある。つるつるした壁は登れない。


 食べ物を得るために入った瓶から、その食べ物を食べ続けたせいで出られなくなった。


「これ、俺じゃん」


 笑った。


 声に出したあと、笑えなくなった。


 俺はいま、瓶のどの高さにいるんだろう。


 転職サイトに登録した。世界的IT企業の社名を職歴に入れると、求人はいくつも出てきた。


 でもそこには、「顧客折衝経験」「要件定義経験」「チームをリードした経験」「不確実な状況で自ら課題を発見し」といった言葉が並んでいた。


 全部、俺が会社で避けてきたものだった。


 未経験可に絞れば求人は出てくる。でも給料が大きく下がる。


 今の会社なら、毎月25万円を積み立てられる。


 1年で300万円。


 5年なら1500万円。


 キャリアという形のないもののために、1500万円を捨てるのは合理的なんだろうか。


 また福祉機関へ行った。


「転職したほうがいいでしょうか」


「どうして転職したいんですか?」


「このままだと成長できないからです」


「でも今の職場は、障害への配慮もあって、待遇もかなりいいですよね」


「はい」


「転職先でも同じような配慮を受けられるとは限りませんよ。かえって働きにくくなる可能性もあります」


 正しい。


 だから次の答えを聞いた。


「じゃあ、転職しないほうがいいですか」


「そこはこちらから決められません。慎也さんが何を大事にするかです」


 またそれだった。


 何を大事にするか。何を諦めるか。どの危険を取るか。


 それが決められないから困っているのに。


 その夜、転職サイトで応募ボタンの直前まで行った。履歴書も添付した。志望動機の欄まで開いた。


 そこで止まった。


 今の会社を捨てる理由が書けなかった。


 今の会社は悪くなかったからだ。


 むしろ、良すぎた。


## 6 助けてもらうほど


 会社にも相談した。


「もっと難しい仕事を経験したいです。このまま明確に切り分けられたタスクだけを続けるのが怖いです」


 上司は前向きに受け止めてくれた。翌月、他部署と調整しながら小さな改善案件を進める役割をもらった。


 技術は難しくなかった。


 問題は、その前だった。


 誰に何を聞くのか。どちらを優先するのか。どこまで確認してから動くのか。それを自分で決めなければならなかった。


 営業には「先方の意向も確認して」と言われ、別部署には「優先順位はそちらで判断してください」と言われた。俺は関係者全員に長文を送り、返ってきた回答同士が少しでも矛盾すると動けなくなった。


 会議では、誰かの発言を正確に理解しようとしているうちに話題が変わった。


 期限が近づくほど確認したいことが増え、夜中までチャットの文章を推敲した。


 2週間後、朝になっても仕事用のパソコンを開けなくなった。


 翌日の面談で、俺は自分から頼んだ。


「すみません。やっぱり、もう少し明確なタスクにしてもらえませんか」


「分かりました。無理をさせてしまってすみません」


 上司は怒らなかった。


 むしろ配慮を増やしてくれた。依頼には目的、期限、成果物、確認先まで前より細かく書かれるようになった。


 俺はまた働けるようになった。


 同時に、自分で判断する部分は前より減った。


 そのことには気づいていた。


 将来が怖いと言ったら、会社は助けてくれた。


 仕事を簡単にしてくれた。


 俺は楽になった。


 楽になった分だけ、将来の俺が売れる経験は減った。


 誰も悪くない。上司は正しい配慮をした。俺も、その配慮がなければ働けなかった。


 助けてもらうほど、瓶の壁が高くなった。


## 7 外の世界


 そのころ、転職した夢を見た。


 夢の中で俺は中堅IT企業へ移っていた。給料は26万円。ジュースも菓子も自腹。マッサージチェアもない。


 でも嬉しかった。


 障害者として守られるのではなく、1人のエンジニアとして働けば、普通にキャリアアップできるかもしれないと思った。


 最初の1週間で、その期待は崩れた。


「例の件、いい感じにまとめといて」


「どの範囲までですか?」


「前回と同じ感じ。そこは自分で考えて」


 会議に出ても、1つの質問への答えを考えているうちに別の論点が増えた。発言しようと思ったころには会議が終わっていた。


 技術の話だけは褒められた。


「慎也さん、本当に詳しいですよね。知識はすごいんだけどなあ」


 その「けどなあ」が、だんだん大きくなった。


 半年後には年下の社員がリーダーになった。1年後、上司に言われた。


「1人で完結するタスクなら強いんだけど、自分で仕事を作るとか、周りを巻き込むとか、そこがね。次の等級に上げるには厳しいかな」


 前の会社と同じだった。


 さらに別の会社も受けた。


「チームで意見が対立したとき、どのように合意形成しましたか?」


 そんな経験はない。


 落ちた。


 次も落ちた。


 その次も落ちた。


「会社が悪かったんじゃないんだ」


 夢の中で俺は気づいた。


「俺が俺である限り、どこへ行っても同じなんだ」


 そこで目が覚めた。


 朝だった。


「夢か」


 ものすごく安心した。


 その日は出社日だった。社員証をかざしてゲートを通り、無料のジュースを取った。透明な瓶からチョコレートを1つ取った。


「転職はやめよう」


 久しぶりに自分だけで出した結論だった。


 俺は、自分を正しく理解した。


 そして、その正しい理解から、何もしないという結論を出した。


## 8 まだ餌はある


 28歳になった。後輩がまた1人、俺より上の職位になった。


 気にしないことにした。人には得意不得意がある。障害のある俺と、そうでない奴を同じ物差しで比べても仕方がない。


 29歳になった。


「本当にこのままで大丈夫なんですかね」


 福祉機関でまた聞いた。


「会社から何か言われていますか?」


「何も」


「それなら、今すぐ環境を変えなくてもいいんじゃないでしょうか。焦って転職して合わない職場へ行くリスクもあります」


「ですよね」


 安心した。


 30歳になった。求人を3件保存して比較表を作った。給与、通勤時間、リモート日数、技術、社員数、平均年齢、口コミ。比較項目が20を超えたころ、どれがいいのか分からなくなった。


 1件も応募しなかった。


 そのころ、証券口座は2000万円を超えていた。


 俺自身の職位はほとんど変わらない。


 資産のグラフだけは右肩上がりだった。


 仕事では、何もしないことで経験を失った。


 投資では、何もしないことで複利が働いた。


 同じ性質なのに、片方の世界では罰せられ、片方の世界では褒められた。


 31歳。会社の組織再編で仕事の進め方が変わった。自律的に案件を動かすことが求められるようになったが、俺には過去の経緯があったので、明確に切り分けられた仕事が優先して回ってきた。


 ありがたかった。


 そして怖かった。


 32歳。同期がマネージャーになった。昔俺が技術を教えた後輩が、部署横断プロジェクトを任されていた。


「もう時間がない気がします」


 俺はまた福祉機関へ行った。


「何か具体的に困っています?」


「具体的には、まだ」


「だったら、まずは今の仕事を安定して続けることを考えてもいいと思いますよ」


 その時。


 まだ、その時じゃないらしい。


 33歳。


 給料は入った。


 障害年金も入った。


 福利厚生もあった。


 毎月25万円の積立も続いた。


 まだ社員証は使えた。


 まだ履歴書には世界的企業の名前を書けた。


 まだ資産も増えていた。


 まだ餌はあった。


## 9 その時


 34歳の秋、上司から面談が入った。


 普段の面談ならオンラインなのに、会議室が指定されていた。人事担当者も同席すると書いてあった。


 見ただけで分かった。


 とうとう来た。


「慎也さんには長く勤務していただいていますし、これまで貢献いただいたことも十分認識しています」


 説明は丁寧だった。組織として求める役割が変わったこと。今の職位には、自律的な課題設定や関係者との調整も求められること。配置や配慮も検討したが、このまま同じ形で雇用を続けるのは難しいこと。


 退職勧奨だった。


「やっぱり」


 思わず言った。


「……予想していたんですか?」


「20代のころから」


 上司は何も言わなかった。


 人事担当者はいろいろな選択肢を説明してくれた。異動。猶予期間。条件交渉。外部支援。まだ完全に終わったわけではないらしかった。


 でも、選択肢が増えれば増えるほど頭が動かなくなった。


 異動したらどうなる?


 猶予期間で何をする?


 交渉して何を求める?


 どれが正解なんだ?


「一度持ち帰って考えていただいて構いません」


 家に帰った。


 両親に相談した。


 福祉機関にも電話した。


 労働問題の相談窓口も検索した。


 ブラウザには20個以上のタブが開いた。


 1週間後、会社が用意した退職条件に署名した。


 それが一番いいと思ったからではない。


 すでに会社が用意してくれていて、自分で新しい選択肢を作らなくてよかったからだ。


 最終出社日、社員証を返す前に休憩スペースへ寄った。


 透明な菓子瓶には、チョコレートがたくさん残っていた。


 1つ取ろうとして、やめた。


 もう俺の餌じゃなかった。


 翌週、福祉機関へ行った。


「退職を勧められました」


 山本さんの顔色が変わった。


「いつですか。もう合意したんですか。失業給付の手続きは? 次の就職については——」


 書類が出てきた。


 制度の説明が始まった。


 面談の日程が決まった。


 こんなに話が具体的に進むのは初めてだった。


 山本さんが昔の相談記録を確認した。


「……慎也さん、26歳のころから、かなり何度も同じことを相談されていますね」


「はい」


「『将来、能力不足で退職になるのではないか』。27歳、29歳、32歳にも」


「はい」


 俺は聞いた。


「そのとき、そちらは何て答えてます?」


 山本さんが画面を読んだ。


「『現時点では具体的な問題なし。問題発生時に再相談』」


 俺は笑った。


「その時になりましたね」


 山本さんは謝らなかった。


 謝れないと思う。


 26歳で世界的企業に勤め、会社から何の警告も受けていなかった俺に、「10年後にクビになるかもしれないから今すぐ辞めろ」なんて、誰が言えただろう。


## 10 底


 世界的IT企業に12年勤めた職歴は、最初だけは強そうに見えた。


 転職エージェントも社名を見ると声が明るくなった。


「これだけ長く勤められているなら、ぜひ実績を詳しく教えてください」


 そこで止まった。


 職務経歴書には、「役割」「成果」「主導したこと」という欄があった。


 12年間、何もしていなかったわけじゃない。毎日コードを書いた。障害を直した。技術文書を読んだ。


 でも、それは全部、誰かが問題を定義し、誰かが切り分け、俺のところまで運んできてくれた仕事だった。


「前職で最も大きな成果を教えてください」


 面接で聞かれた。


 俺は10分近く説明した。システムの構造、使われていた技術、障害の原因、当時の制約条件。


「つまり、ご自身が主導された部分はどこですか?」


 答えられなかった。


 不採用。


 次も不採用。


 給与条件を下げた。


 正社員にもこだわらなくなった。


 障害者求人も受けた。


 それでも決まらない。


 面接でしゃべれないわけじゃない。むしろしゃべりすぎるくらいだった。自分の障害についても、検査結果から具体的に説明できる。


 説明できることと、仕事ができることは別だった。


 スマートフォンの連絡先を眺めた。


 航平の名前があった。


 大学時代の友人たちも残っていた。


 今度こそ、本当に困っている。


 今なら相談しても自虐風自慢にはならないかもしれない。


 それでも電話できなかった。


 20代のころ、助けてほしくて話した結果、友達を失った。


 問題が具体的になった「その時」には、俺はもう、友達に助けを求めるやり方を忘れていた。


 失業が1年を超えたころ、福祉的就労も考えることになった。


 A型は通える範囲に空きがなかった。


 B型なら空いていた。


 35歳になった俺が最初に任されたのは、商品を10個ずつ数えて袋に入れる仕事だった。


 俺は間違えないように3回確認した。


「丁寧ですね」


 職員に褒められた。


「こういうの、得意なんです」


 本当だった。


 昼休みにはスマートフォンで、昔好きだった機械学習の論文を読んだ。


 数式の意味はまだ分かった。


 それが何の役に立つのかは分からなかった。


 最初の工賃は5万円だった。


 40万円を8で割れば5万円。


「8分の1か」


 新卒の初任給の8分の1だった。


 でも俺は貧困にはならなかった。


 20代から投資していたから、金融資産は3000万円近くあった。障害年金も入った。実家で暮らせば、工賃が5万円でもすぐには困らない。


 親や親戚の資産もある。近い親族関係を考えれば、最終的に1億円前後の財産が俺のところに来る可能性だってある。


 Excelを開いた。


 現在資産。


 生活費。


 年金。


 運用益。


 相続見込み。


 全部入れて計算した。


 85歳まで金はなくならなかった。


 その表を見ていて、気づいた。


 相続で資産が大きく増える年には、父と母が死んでいる。


 就職先を一緒に考えてくれた人。


「これ受けたら?」と言ってくれた人。


 俺の代わりに選択肢を整理してくれた人。


 その人たちがいなくなった代わりに、金が増える。


 金だけが残る。


## 11 口座残高だけが育っていた


 36歳の春、SNSのおすすめに航平の投稿が出てきた。


〈今日は娘の小学校の入学式でした。早いなあ。〉


 ランドセルを背負った女の子。


 隣には妻。


 航平はスーツを着て笑っていた。


 別の投稿を見ると、いつの間にか課長になっていた。部下が増えて大変だけどやりがいがある、と書いてあった。


 大学時代の航平は、俺より成績が悪かった。


 20代の給料は俺の半分くらいだった。


 俺は証券口座を開いた。


 資産だけなら俺のほうが多いかもしれない。障害年金もある。将来の相続まで入れれば、生涯で使える金も俺のほうが多いかもしれない。


「俺のほうが金持ってるかもしれないのに」


 口に出して、すぐ違うと思った。


 金が羨ましいんじゃない。


 航平には地位がある。


 部下がいる。


 仕事について話せる経験がある。


 自分で積み上げてきたキャリアがある。


 妻がいる。


 子供がいる。


 その子供には、赤ん坊から小学生になるまでの7年分の成長がある。


 昔の友達とも、まだ付き合いが続いているらしい。


 じゃあ36歳の俺には何がある?


 地位がない。


 名誉もない。


 12年勤めた会社で、自分が成し遂げたと言える実績がない。


 他社へ持っていける経験もない。


 市場で高く売れるスキルもない。


 キャリアもない。


 子供もいない。


 腹を割って話せる友達もいない。


 これから何になりたいのかも分からない。


 何のために生きたいのかも分からない。


 金はある。


 本当に、金だけはある。


 しかし、人生の欠けた部分を何でも買い戻せるような大金じゃない。同世代よりほんの少し多い程度の金だ。


 この7年間、俺は何をした?


 毎月25万円を積み立てた。


 同じ投資信託を何百回も買った。


 それだけは失敗しなかった。


 口座残高だけが育っていた。


 航平の写真を閉じた。


 また開いた。


「羨ましい」


 結婚がしたいのか、子供が欲しいのか、自分でも分からなかった。


 ただ、去年とは違う人生を生きていることが羨ましかった。


 そして、もう1つ思った。


 ほら、俺が言ったとおりになっただろ。


 20代で航平に話したことは、自虐風自慢じゃなかった。


 本当に30代で会社を失った。


 本当に転職できなくなった。


 俺の予言は、ほとんど完璧に当たった。


 だから何だ。


 正しく未来を予測できたことは、その未来を1ミリも変えてくれなかった。


 俺は航平へメッセージを書いた。


〈久しぶり。娘さん入学おめでとう。〉


 そこまで書いて、消した。


## 12 瓶のネズミは餓死できない


 家に帰ると、母が夕食を作っていた。


「今日、工賃の日だったんでしょ」


「5万だった」


 母は一瞬黙った。


「でも、まずは通い続けることが大事だから」


 正しいと思う。


 俺には、生きるために必要なものは残っている。


 金がある。


 家がある。


 障害年金がある。


 いずれ相続もある。


 食べ物にも、眠る場所にも、たぶん死ぬまで困らない。


 ただ、生きたい理由になるものは何もなかった。


 翌月、相場が上がった。


 証券口座を見ると、1か月の含み益が18万円増えていた。


 作業所の工賃は5万円だった。


「働く意味、ないじゃん」


 笑った。


 それでも翌日も作業所へ行った。


 商品を10個ずつ数えた。


 3回確認した。


「今日も丁寧ですね」


 職員に言われた。


 少し嬉しかった。


 夜、ベッドに入ってから、死んだら楽なんだろうなと思った。


 でも卒論のテーマ1つ、自分で決められなかった。


 転職するかどうかも決められなかった。


 会社を辞めることさえ、自分からは決められなかった。


 そんな俺が、生きるか死ぬかという人生最大の選択だけ、迷わず決められるわけがない。


 明日も作業所へ行く。


 工賃が入る。


 障害年金が入る。


 資産は残る。


 いずれ親が死ねば、悲しみと一緒に家や金まで残るんだろう。


 瓶の底には、外から餌が落ち続ける。


 俺はもう外へ出られない。


 それなのに、餓死することもできない。


「自殺できれば、どれだけ楽だったか」


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