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龍子川の鰻

作者: qmmkruz
掲載日:2026/05/14

短い怪談です。

気軽にどうぞ。


<序章>


馬酔山ばすいさん


連山の中にあって高低2つのピークを持つ山で、大きな注目を浴びることは無いのだが、登山としては隠れた人気を持っている。


標高は1500メートル程で、低い方のピークへ誘う整備された登山道は「オモテ」と呼ばれ、登山初心者に適したルートとなっている。


対し「ウラ」と呼ばれる登山ルートは高い方のピークへと続く峻厳な道行を見せ、特に積雪のある冬場には、遭難による不幸が途絶えたことが無い。経験不足、装備や食料等の準備不足、未申請の単独行といった、初心者による無計画が原因と公表されている。


馬酔山の麓には龍子川りゅうしがわが流れる。

連山を水源とする清流であるが、雪解けの季節、白く濁った雪代に行方不明だった遭難者が浮くことも珍しくはなかった。



<次章>


割烹を営む森川。年齢は今年で56歳。

顔も腕もよく日に焼けていて、実年齢より5~6歳は若く見える。


趣味は川釣りで、近くを流れる龍子川は幼い頃からよく知った、彼の釣り場だ。

料理の味も良く、解禁となると釣りに訪れたついでの客が途切れることは無い。

人柄も良く、初めての客には、よく知る龍子川をサービス(趣味)で案内することもあり、リピーターは着々と増えている様だ。


大抵の客は、岩魚やアマゴ、鮎などを釣りに来ていて、森川もそれらを釣るのだが、彼が最も好むのは鰻釣り、中でも穴釣りを最高としている。


彼は釣り針ではなく、木綿針を使う。

3cmほどの木綿針の中心をテグスで縛り、エサのドバミミズを刺して1.2m程の竹竿の先に取り付ける。

その仕掛けを鰻のいそうな穴に差し込む。うまくアタリに合わせてテグスを引くと、針が鰻の口中で十文字に刺さるのである。


木綿針の様な直針を使い、水に浸かって行う古い釣法である。原始的で野性的な荒々しさの中に、糧を得るために磨かれた叡智を感じるこの釣り方を、森川は愛して止まない。


「あと何年できるだろうか」


夏とはいえ、清流の水は冷たい。この釣り方はある意味、体力勝負のところが大きい。


濡れた体を拭う。真夏の射す様な日差しも、今の冷えた身体には心地良い。

魚籠に入った今日の成果を眺める。


2本。1本は太い。大物だ。アルビノではないが、目の色が赤い。ゆらめきの様なものも見えたが、おそらく気のせいだろう。鰻の目は小さいし、まだ日も高い。


アマゴや鮎などはともかく、鰻に関しては自分たちの食べる分だけを釣る。客には出さない。

なぜなら、養殖の方がバラつきなく旨いからだ。天然物ってのは確かに「ありがたいもの」ではあるが、ヒトの手をかけたものの方が、食味としては上になる。


森川はそう思っている。

ありがたいことに、今日も予約が入っている。頭の中で下拵えの算段を立て始めた。


<本章>


今日は忙しすぎた。

仕出しも重なって、早朝から仕込みに忙殺され、食事もままならなかった。

心地が付けば、空腹を自覚する。


そういえば、昨夜の鰻は美味かった。鰻は大きい程旨い。


と、空腹感が一転、どうしようも無い程の飢餓感に変わる。

割烹だから食い物が無いわけではない。それは判っている。

にも拘わらず、頭を埋めるのは飢えたままいつ果てるとも知れぬ時間を過ごす不安と焦燥、そこから解放されることが無いだろう絶望感に膝を付く。


まるで洞穴から外を見る様に狭まっていく視界。

走り寄る妻の姿は、水泡みなわに揺らぐ影。

動くものはすべて、襲いかかっていいものだ。待つ、待つ、待つ、待……。


き・た!!



気が付けば知らない天井。

傍らの椅子には妻が腰をかけている。誰かが呼んだのだろう、医師が個室の扉を開ける。


「こんにちは。医師の夏目です。よろしくおねがいしますね。

 お名前と生年月日は言えますか?」


答えた。


「森川さんは厨房で倒れて。

 救急車でここに運ばれたのだけれど、憶えていますか?」


「忙しかったことと、腹が減っていたことは憶えています。

 あとはあまり……」


「大丈夫そうですね。

 倒れるときに什器に頭をぶつけて脳震盪も起こしてました。

 念のため、後でMRIとCTを撮っておきましょうか」


「そのときは、ものすごく飢えた感じがして…」


ぐう


言い掛けて腹が鳴った、結構大きな音で。


「そうですね。

 食事をとっていただいても大丈夫ですが、大事をとってベッドからは降りないでください。

 1階にコンビニもあります。焼鳥弁当がオススメですよ。

 ではこれで。あとで検査の連絡が来ますので」


あのときの不安と焦燥、絶望と凶暴な狂騒感はもう無い。


「足をもつれさせるなんて、もういい歳なんだから…」


とは、溜息混じりの妻の声。いい歳で良かったよ。



<終章>


都内某区にある目立たない雑居ビルの5階。

営む割烹に毎年、釣行で訪れる客がいる。その伝手でやってきた。

ありきたりな事務所の、ありきたりな応接セットに森川は座っている。


ここの主も特徴の薄い顔と体格。

ちょっとした人混みなら数歩離れれば見失ってしまうのではないか。

森川がコトの経緯を話し終えると、10秒ほどの沈黙。


奥にある書棚から、何やら古そうな地図を持ってきて開く。

そして彼は語り始めた。


ねぇ、森川さん。


それはね「龍子川の餓鬼鰻」ってヤツです。アヤシイものなんかではないんです。

珍しいものではありますがね。私達の中では知れているものです。


ちょっと変わったモノでしてね、鰻の経験した飢えといいますか、飢餓感を食したヒトの心に再生する、らしいです。

らしいというのはですね、私は経験していないから、ということです。


ねぇ、森川さん。


渓流や清流にいるお魚、鮎以外のわたは食べないですよね。

ええ、御存じの通り、清流、特に渓流はエサが少ないですから、皆飢えてる。

川虫、トンボ、ムカデ、蛇…、何でもエサになります。だから腸は食べない。


鰻も同じです。清流はエサが少ない。飢えたまま、小鮎や虫なんかが穴の前をよぎるのを待つ。いつとも知れぬ中でひたすら待つんです。


それでね、馬酔山は昔、結構昔ですが「まよいやま」と言われていて、雪が積もると遭難するヒトはいたんです。なぜか皆、食料不足による体力低下でね。

度を超えた空腹は辛いですよね。


そうして雪解けの季節、雪代と一緒にご遺体も流れてきたりしてね。だから流屍川。今は龍子川ですがね。


で、ご遺体といえども鰻にとっては、そうですね、飢えた鰻にとっては御馳走と映るでしょうね。

そんなこんなを繰り返して、遭難者の飢餓と自身の飢餓を積み重ね続けて大きくなった鰻が稀に、本当に稀に「龍子川の餓鬼鰻」となるわけです。


…件の鰻の目、赤くなかったでしょうか。ええ、見分けるポイントです。


でもね、大丈夫ですよ。


ヒトは忘却の生き物ですから。他人の記憶、ましてや鰻の記憶なんかすぐに忘れます。

そのときの1回コッキリなんですよね。

心配なら1週間ほど、好きなものを食べて、好きなことをすればよろし。

お山の方には何かしらがありそうですが、まあ、よくあることです。


だからこれはお仕舞、大丈夫なんですよ。


でね、森川さん。


もしも、もしもなんですけど。

また件の鰻を釣り上げることがあったら、ご連絡をいただけないでしょうか。

ええ、可能なら生きた状態で。

ご連絡いただければ、何を置いても伺いますので。

当然、お礼は弾みます。貴重ですからね。


ええ、そういうことなんです。


読んでくださり、ありがとうございました。


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