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午前中だけのウソが呼んだキセキ  

作者: 越路 秋葉
掲載日:2026/04/01

『午前中だけの嘘』

 男の名前は、真壁修一。

 つい昨日まで、社長だった。

 いや――正確には、「潰れた会社の元社長」だ。

 三月三十一日。

 会社は、あっけなく終わった。

 引き金になったのは、ひとつの“投資話”だった。

 資金繰りに行き詰まったとき、差し出された救いの手。

 高利回り、短期回収、確実性――どれも胡散臭いはずだった。

 だが、背に腹は代えられなかった。

 結果は、言うまでもない。

 金は消え、相手も消えた。

 名前だけは覚えている。

 ――桐生誠。

(……俺は、あいつに潰された)

 怒りもあった。

 だがそれ以上に、自分の愚かさが堪えた。

 従業員に頭を下げ、会社を畳み、

 空っぽになった夜、真壁は路地を歩いていた。

 そこで、老人を見つけた。

 倒れている。

「……放っとくか」

 口に出したが、足は止まった。

「……いや、やめだ」

 肩を貸し、ベンチまで運び、水を渡す。

「すまんな……」

「別に。暇だからな」

 嘘だった。

 本当は、何もかも失って、どうしようもなかっただけだ。

 老人は、じっと真壁を見ていた。

「礼をせねばな」

「いらないよ」

「では、忠告をひとつ」

 あの目。

 どこか、底が見えない。

「明日――四月一日。午前中だけ、嘘をつけ」

「……は?」

「そうすれば、未来がひらける」

 真壁は苦笑した。

「俺は、嘘に騙されて全部失ったんだぞ」

「だからじゃ」

 老人は静かに言った。

「今度は、お前が“使う側”になれ」

 それだけ言い残し、去っていった。

 気がつくと、真壁は公園のベンチで目を覚ました。

 四月一日。

 半信半疑のまま、試す。

「俺は……金なんか持ってない」

 通りすがりの男が、妙に恐縮して頭を下げた。

「失礼しました……!」

「……やっぱりか」

 嘘と本当が、逆になっている。

 “嘘”が現実を動かす。

 真壁は、息を吐いた。

「だったら――」

 スマホを取り出す。

 震える指で、かつての取引先に連絡を入れる。

「うちの会社は、潰れてません」

 嘘だ。

 だが、反応が変わる。

 止まっていたはずの話が、動き出す。

 さらに。

「資金は問題ありません」

「追加発注も対応できます」

 嘘を重ねるたびに、現実が少しずつ塗り替わる。

 頭の片隅に、あの名前が浮かぶ。

 ――桐生誠。

(あいつは、ずっとこういうことをしてたのか……)

 違う。

 あいつは、ただ騙していた。

 自分は、現実を“変えている”。

 だが、その境界は、ひどく曖昧だった。

 スマホの表示。

 11時58分。

「……あと少し」

 そのとき、悲鳴が響いた。

「誰か! 子どもが落ちた!」

 池の中でもがく、小さな影。

 真壁の足が止まる。

 ――泳げない。

 昔から、どうしても無理だった。

(無理だ……)

 逃げようとした、そのとき。

 ふと、思う。

(あいつなら、どうする?)

 桐生誠。

 人を騙して、金を奪って、逃げた男。

(……違うな)

 真壁は、歯を食いしばった。

 自分は、ああはならない。

 スマホ。

 11時58分。

 まだ、間に合う。

 真壁は、叫んだ。

「俺は泳げる! でも、その子は助けられない!」

 ――嘘だ。

 次の瞬間、体が動いた。

 水に飛び込む。

 腕が、水をかく。

 足が、自然に動く。

「……なんだよ、これ……!」

 泳げている。

 まるで、最初からできたみたいに。

 子どもを掴み、岸へ引き上げる。

「あ…だいじょ…』

と言いかけて、ハッと気がついた…12時を過ぎていなければこの子は…。

「いや…あかん!」

と慌てて言い直した。


 騒ぎの中、スーツ姿の男たちが駆け寄る。

「坊ちゃん!」

 空気が変わる。

 一人の男が、真壁に向き直る。

「あなたが……?」

「……たまたまです」

 男は深く頭を下げた。

「私は、あの子の父です」

 差し出された名刺。

 そこに書かれていた社名に、真壁は息を呑む。

 ――自分の会社の元請け。

 そして、その陰で無理な条件を押し付け、

 結果として資金難に追い込み、

 最後に“桐生誠の話”に飛びつかせる状況を作った張本人。

「……皮肉だな」

 思わず漏れる。

 男は静かに言った。

「何か、ありましたか」

 真壁は一瞬だけ迷い――そして、首を振った。

「いえ」

 もう、嘘は使えない。

 だが。

「関係ありません」

 それは、本当だった。

 11時59分。

 そして、12時00分。

 世界が、元に戻る。

 数日後。

 応接室。

 真壁は、男と向かい合っていた。

「あなたの会社の件、調べさせてもらいました」

 男は、ゆっくりと言った。

「……桐生誠、ですか」

 真壁は黙って頷いた。

「現在、別件で拘束されています」

 その言葉に、ほんのわずか、肩の力が抜けた。

「正直に言います」

 男は続ける。

「我々にも貴方に無理難題を押し付けてきた責任があります」

 そして、契約書を差し出した。

「やり直しませんか」

 帰り道。

 公園のベンチに、あの老人の姿はなかった。

 ただ、風だけが吹いている。

 真壁は、小さく呟いた。

「……あんたの言う通りだったよ」

 嘘で未来は動いた。

 だが――

 最後に選んだのは、自分だった。

 ポケットの中で、スマホが震える。

 画面にはニュース。

 “詐欺師・桐生誠、逮捕”

 真壁は、それをしばらく見つめて――

 静かに、ポケットにしまった。

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