召喚。……召喚??
異世界転生に異世界転移。二次元好きの人なら、誰でも一度は夢見たことがあるのではないだろうか。
かく言う私もその一人。異世界もののアニメにどっぷりハマって、仕事の合間に「異世界行ってみてえー!」と思ったりする、普通の人間だ。
でもそういうのって、叶わないとわかっているから楽しめるものであって、本当にしたいわけじゃないんだよね。
別に現状に不満があるわけじゃないし、今の仕事も嫌いじゃないし。
「それに異世界行って世界救うとかさあ、絶対大変だよね! というか勝手に異世界連れてかれて世界助けてとか言われても、まず連れてく前に了承取れって話しだよねえ!! 誘拐反対!!」
『うるさ……さてはおぬし酔ってるな?』
「飲んでないよ。徹夜続きでそんな暇なあーい!!」
『早く寝ろ』
残業後の深夜の帰り道、電話で仲の良い同僚に愚痴れば、ぐうの音も出ない正論を頂いた。
大学を卒業してはや二年。就職先はブラックではなかったが、ホワイトでもなかった。
大抵は定時で帰れるのだが、時々こうして残業や徹夜が続くことがある。
今日もその日。残業に続く残業のせいで、ここ一週間まともに寝れていない。
おかげで肩にかけた仕事用のバックが重いのなんの。
こういう時私は、決まって同僚の愚痴るのが習慣だった。
「いやね、上司は定時で帰って良いって言うんだけどね、最近入った後輩クンが『先輩はいいですねー、早く帰れて。ああヤダヤダ、先輩の可愛い後輩チャンは今日も一人で残業ですよぉー』って嫌味言ってきてね!!」
『そして単純なアンタは見事に乗せられてしまったと』
同僚は時々辛辣……というか遠慮がない。正論しか言わないから、反論のしようがないんだけどね。
信号待ちの時間、疲れた表情で佇む人々の中に私も混ざって立つ。中にはタバコを吸っている人もいて、特有の臭いが漂っていた。
闇色に染まった空には満月が輝き、街頭とは別の美しい光を放っている。
赤く光る信号を見ていると、スマホから『あ〜、仕事後の酒うっま……』という少ししゃがれた声が聞こえてくる。
いいな、いいな。私もお酒好きなのに。
「ねぇ、今度二人で飲まない? 秘蔵のやつ持って行くからさ」
『遠慮する。あんたザルだもん。一度飲み始めたら、一晩中飲み明かすでしょ』
「よくお分かりで」
これまで何度か一緒に飲んで酔い潰れた同僚はハッキリと断った。
私はお酒を注ぎ足すのが上手いから、気配を消しながらちょこちょことグラスにお酒を足して同席した人を酔い潰すのが楽し……ゲフンゲフンッ。
まあ、私が次に飲めるのは、まだまだ先だろう。う、仕事にことを考えると頭痛が。
「いいじゃーん。普通のジュースも用意しとくしさ、他の人も誘って―――」
その時、喉から出ていた声が止まった。
喉に張り付いてしまったように声が出ない。
………………え?
はくはくと何度も口を開閉させるが、言葉が漏れることはない。
…………声が……出ない?
何、なんなの。何が起きてるの!?
……おかしい。
真夜中とはいえ、車通りはあるし人通りもある。スマホの通話はまだ繋がっている。
なのに、音が聞こえない。ただ静寂だけが広がっている、無音の世界。
聴覚に異常が出ている?
声が出ないことといい、私の体はどうなっているの!?
まさか……毒でも飲んだ? いや、今日は忙しくて自分で用意した朝ごはん以外何も食べていない。
なら毒ガスかと周囲を見渡すが、毒ガスがばら撒かれた痕跡はない。臭いもしないし、毒ガスの線はないだろうと結論付ける。
それに周囲の人たちに、狼狽えている様子はない。私にだけ異常が起きているようだ。
試しに上を見上げてみても、何もない。
ただただ真っ暗な夜空が広がって―――――いや、違う!!
月がない!! 今日は綺麗な満月のはずなのに、その姿がどこにもない!!
あまりのことにふらり、と一歩後ずさる。
心臓がバクバクと嫌な音を立てる。
視覚も奪われた……? それに、さっきから鼻もおかしい。先程までタバコの臭いがしていたのに、今は欠片も感じられない。まさか嗅覚も?
五感が次々と奪われている。これは明らかに異常な状況だ。
おそらくだが、味覚もすでに失っている。
となれば、次に奪われるのは――――触覚!!
その瞬間、全身から力が抜けた。
いや、そう錯覚した。地を踏み締めている感触も、肩にかけたバッグの重みも、肌を擦る服の感触も、何も感じなくなってしまった。
無意識のうちに息を呑んだが、その感覚さえない。
奪われた。最後にして最も重要な五感を!!
本当に何が起こっているの!?
目の前に広がる闇。五感がないせいで、なんの情報もなく脳が混乱している。静寂だけがそこにある、無音の世界。自分が生きているかもわからない空間。
何これ……本当に何なの。私は死にかけているの?
なぜ?
病気?
あるいは外部からの攻撃?
怖い。
いやだ。
なんで私なの。
助けて。
死にたくない。
死にたくない。
死にたくない。
死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない。
死にたくない。
溢れんばかりの恐怖と強い思いを残して、私の意識は途絶えた。
瞼を閉じていたのに、それでも外が眩しかった。
次いで僅かに感じたのは、私が好んで付けている香水の、少し甘い柑橘系の香り。
首を下に傾けると、首元に髪がかかる感触がした。
そして鼓膜を突く、誰かの大きな歓声。
たくさんの人たちが喜び叫ぶ声が聞こえてくる。
…………五感が戻ってきている?
つまり私は生きている?
私は、死んだんじゃなかったの?
……目を、開けてみよう。
怖い、と思う。
もしこれで、視覚が戻ったと思ったのが間違いだったら……。
……それでもやらないとと、覚悟を決めた。
そして瞼に力を込めて、ゆっくり、ゆっくりと……持ち上げる。
その瞬間、暗闇しかなかった視界に、鮮やかな色彩が飛び込んできた。
眩しかったから数度瞬いて、その鮮やかさが間違いでないことを確認する。
……よかった。本当に視覚が戻っている。
視線を落として、自分の掌を見る。恐る恐る持ち上げて、にぎにぎと手を握って開いて、感触を確かめた。
触覚も、ある。
服の袖口に鼻を近づけてクン、と嗅いでみると、愛用の香水の香りが鼻腔を擽る。
嗅覚も、多分味覚も戻っている。
…………ちゃんと、生きてる。
よかったと、心から安堵した。死ななかった。ちゃんと生きてる。
ふと、誰かが近づいてくるのが視界の端に映った。
誰だろうと視線を上げると、見覚えのない美丈夫がいた。
そこら辺の芸能人では太刀打ちできないような美貌だ。ホワイトブロンズの髪をした、まるで氷のように冷たく、鋭利な顔立ちをしている。
……それにしてもこの人、変わった服装だな。外国の貴族が着るような、豪華で煌びやかな服。
コスプレイヤーなのかな、と思っている私の目の前で、その人は無表情で口を開いた。
「ようこそ、異世界からの来訪者よ。貴君が“救国の異世界人”か?」
「……………………は??」
思わず声が漏れた。多分私は今ものすごく間の抜けた顔をしてる。
というか声出た。よかったよ。変な声だったけど。
こんなえっぐいイケメンの前で恥ずかしい……ではなくて。
「いせかい、じん……? な、なんですか、それ。撮影か何かです……?」
うん、そう。きっとそうだ。すごいイケメンだし、俳優か何かなんだ、きっと。
ヒクヒク顔を引き攣らせる私の前で、イケメンは首を傾けた。無表情なままなところがなんだか怖い。
「さつえいとやらはわからないが、ここは貴君の生きていた世界とは違う世界……と伝えようか。いわゆる異世界だ」
「う、ううーんんん??」
話の内容がよくわからない。もしかして、そういう系の人なんだろうか。
助けを求めるように周囲を見渡す……が、どうにもおかしい。
まるで宮殿のような内装、満遍なく敷き詰められた大理石。ローブを着た沢山の大人達が、周囲に佇んでいる。
さっきまでは混乱していて気づけなかったが、おかしい。私はついさっきまで、外にいたはずなのに。
そもそも日本にこんな場所あるの?
段々と体が震えてきた。知らない場所、知らない人。意味のわからない状況と言葉……。
……言葉。そうだ、言葉だ。
“ここは貴君の生きていた世界とは違う世界……と伝えようか。いわゆる異世界だ”
脳内でリピートされた先程の言葉に、たらりと冷や汗が首筋を伝う。
……もしかして、もしかしてだけど。
私、異世界に召喚されちゃた感じ……?




