第9話 ことばの向こうにあるもの
依頼者は、
アミナ・イブラヒム(27)。
出身はマレーシア。
夫の 高城悠人(35) と結婚し、日本で暮らし始めて2年目に、
初めての妊娠が分かった。
アミナは少し緊張した面持ちで、
十月十日の事務所を訪れた。
瀬戸要が英語混じりで微笑む。
「Please, take your time.
ゆっくり話してくださって大丈夫ですよ」
アミナは胸に手を当て、小さく頷いた。
「わたし……日本語、じょうずじゃない。
でも、赤ちゃんの“はじまり”をのこしたい。
……わたしの家族にも、いつか見せたいから」
要はそっと言った。
「言葉のことは心配いりません。
私たちにはカメラがありますから」
アミナはようやく安心したように微笑んだ。
撮影初日。
アミナは検診帰り、
夫・悠人の腕をつかんで歩いていた。
千夏がそっとレンズ越しに見つめる。
「少し不安そうですね」
アミナはカメラに向けて、正直に話した。
「国がちがうと、赤ちゃんの習慣もちがう。
食べちゃいけないものも、ぜんぜんちがう。
わたし……正しくできてるのか、わからない」
悠人は横から言葉を添えた。
「アミナはちゃんとやってるよ。
ただ……俺も、どう支えていいのか分からない時があって」
二人の言葉はすれ違っているわけではない。
ただ、互いの“不安”が見えないだけだった。
芦原監督がメモを取りながら呟く。
「この夫婦、優しさの方向が少しずれてる。
そのまま、撮っていこう」
ある日の撮影。
アミナはキッチンで涙をこぼしていた。
「わたし、母国では“妊婦は休んでいい”と言われる。
でも、日本では“がんばらなきゃ”って空気がある。
どっちが正しいの……?」
悠人が慌てて抱き寄せる。
「無理しなくていい。
アミナがしんどいなら、全部俺がやるから」
その“全部やるから”という言葉に、
アミナは余計に泣いた。
「それ……さびしい言い方。
“いっしょにやろう”って言ってほしい……」
悠人はハッとした。
言葉が少し違うだけで、
伝わらない“思い”はこんなにも大きくなる。
千夏はカメラを回しながら、
そっとつぶやいた。
「言葉が通じないんじゃない。
想いの“温度”が違うだけなんだね」
妊娠7ヶ月。
アミナの実家とオンラインでつないだ撮影の日。
マレー語で話すアミナは、
今まで見たことがないほど明るい。
悠人はその姿に目を細め、
ぽつりと呟いた。
「アミナ……本当はもっとこうやって笑えるんだよな。
俺、気づけなかったかも」
芦原監督が静かに言う。
「気づかなかったんじゃなくて、
“その場所に立ったことがない”だけですよ」
悠人は頷く。
「……だから、気づけるようになりたいです」
その言葉を聞いたアミナは、
画面越しにそっと悠人の手を握った。
「わたしたち、いっしょにがんばる。
二人で“お父さんとお母さん”になる」
出産は深夜だった。
痛みに震えるアミナの手を、
悠人は必死に握りしめた。
「大丈夫、大丈夫……!
I’m here. I’m here with you.」
アミナは弱く微笑んだ。
「……それ、聞きたかったよ」
そして響く産声。
アミナは涙を流し、
抱いた赤ん坊にマレー語で囁いた。
「ようこそ……わたしたちの世界へ」
悠人は震える声で日本語で続ける。
「生まれてきてくれて、ありがとう」
その二つの言語が、
同じひとつの想いに重なった瞬間だった。
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◆ 完成映像
『ことばの向こうにあるもの —アミナと悠人の十月十日—』
映像の最後。
アミナは赤ん坊を胸に抱き、カメラに向かって言った。
「ことばは時々すれ違う。
でも、“気持ち”はすれ違わない。
赤ちゃんが教えてくれた。」
悠人がその横で照れくさそうに笑い、
アミナの肩に手を添えた。
瀬戸要がまとめたナレーションは、
シリーズでも特に優しいものだった。
「家族は、国を越える。
言葉よりも先に、“想い”がつながっていく。」




