第8話 やっと、会えたね
依頼者は、
北条真理(39) と 北条修平(42)。
結婚して12年。
二人は長い間、不妊治療を続けてきた。
諦めかけた何度目かの春に、
ようやく妊娠が分かった。
訪れた十月十日の事務所で、
真理は震える手で母子手帳を差し出した。
「この子の……“はじまり”を記録してほしいんです。
私たちが、どれだけこの日を願ってきたか……
この子がいつか大きくなった時、知ってほしくて」
瀬戸要はゆっくりと頭を下げた。
「……心して、お受けします」
その言葉の重みを、
十月十日のメンバー全員が感じていた。
撮影初日。
芦原監督は、まず質問をひとつだけ投げかけた。
「妊娠が分かった瞬間、どんな気持ちでした?」
真理は迷いなく答えた。
「信じられなかった。
それから……怖かったです。
またダメになるんじゃないかって」
修平がそっと真理の背をさする。
「俺も、嬉しさより不安が先に来たかもしれない。
何度も失敗してきたから……」
二人の目には、
長年積み重ねてきた“失望”と“希望”が重なっていた。
千夏が静かに言った。
「大丈夫です。
その全部、映しますから」
真理はゆっくり頷き、
初めて目に涙を浮かべた。
撮影が始まって3ヶ月。
真理の表情は、嬉しさだけではなかった。
ちょっとしたお腹の張りにも、
胎動が弱いと感じる日にも、
真理は立ち止まってしまう。
レンズ越しに千夏が語る。
「長く願った人ほど、不安の影も深いんだね……」
そんな真理の横で、
修平は毎回、健診の数字を紙に写し取る。
・心拍のリズム
・胎児の大きさ
・真理の体温
・血圧の推移
記録を続けるその姿は、
彼自身の祈りにも見えた。
妊娠7ヶ月。
真理は十月十日のカメラに向かって言った。
「私、ずっと“もしダメだったら”って考えてしまうんです。
癖みたいに……」
修平はその横で、静かに微笑んだ。
「真理、覚えてる?
桜が咲いた日にさ……
お前が泣きながら言ったんだよ。
“もう一度だけ信じてみたい”って」
真理の目が見開かれる。
芦原監督が息を飲んだ。
「……この夫婦、強いな」
修平は真理の肩に手を置いて続けた。
「だから俺は、
“もしもの日”じゃなくて
“いつか出会える日”の準備がしたい」
真理の目に溢れた涙は、
今までの不安の分だけ温かかった。
出産の日。
陣痛は長く続き、
真理は何度も心が折れかけた。
「無理……もう、無理……」
修平は何度も手を握り、
額に額を寄せる。
「大丈夫だ。
真理、お前は十二年も諦めなかっただろ。
今日もきっと、大丈夫だ」
その言葉に真理は涙を流し、
もう一度だけ力を込めた。
そして――
産声が響いた。
真理は泣きながら赤ん坊を抱きしめる。
「……やっと……やっと会えたね……!」
修平も声を震わせた。
「ありがとう……ありがとう……!」
十月十日のスタッフも、誰一人として涙を堪えられなかった。
『やっと、会えたね —十二年越しの十月十日—』
映像の最後。
真理と修平が赤ん坊を見つめながら語る。
「この子が生まれるまでの十二年も、
全部がこの子の物語でした。」
画面がゆっくりとフェードアウトし、
城戸が入れた一文が浮かぶ。
「待つ時間は、愛の証。」
瀬戸要のナレーションが重なる。
「長い旅路の終わりは、
はじまりの声とともに。」
十月十日らしい、
深い余韻の残る一本になった。




