第6話 父になる準備期間
依頼者は、
佐久間拓海――34歳。
十月十日の事務所に入るなり、
彼は深々と頭を下げた。
「……妻のために、ひとつお願いがあります」
瀬戸要が柔らかい表情で促す。
「はい、詳しくお聞かせください」
拓海は、胸ポケットから折れたメモを取りだした。
何度も読み返した跡がある。
「妻のお腹には、初めての子どもがいます。
でも……妻は“子育てに自信がない”って、ずっと不安がっていて。
だったら僕が――
“父になる準備期間”を記録した映像を残したいんです」
要が眉を上げた。
「あなたご自身の?」
「はい。
自分が父親になっていく姿を見たら、
妻も少し安心できるんじゃないかと思って」
十月十日のメンバーは、思わず顔を見合わせた。
“父の妊娠記録”――
新しい依頼だった。
撮影初日。
芦原監督が問いかける。
「拓海さん、父になるってどういうイメージです?」
「うーん……頼れる、強い存在みたいな……?」
言うほどに自分でもピンときていない。
その様子が可笑しくて、
スタッフの間に笑いが起きた。
だがカメラが回れば、拓海は真剣そのものだった。
・赤ちゃんグッズの店で、
ベビーカーを畳む練習に悪戦苦闘。
・沐浴の動画を見ながら、
空想上の赤ん坊を丁寧に抱きあげる練習。
・深夜、仕事帰りにベビーベッドを組み立て、
ネジが余って焦る。
どのシーンも、
父親になろうと奮闘する“ひとりの男の不器用な愛”だった。
ある日の撮影後。
要がカメラを止めて聞いた。
「拓海さん……本当は、あなたも不安なんですよね?」
拓海は少し沈黙し、
ぽつりと吐き出した。
「……父親って、どうするのが正解なのか分からないんです。
自分の父は厳しくて、あまり家にもいなくて……
正直“父の背中”って、僕の中にないんですよ」
その言葉に、スタッフ全員が静かになった。
「だから、ちゃんとやれる自信がない。
だけど……妻とこの子のために、逃げたくないんです」
不器用で、揺れていて、
それでも誠実な想いだった。
芦原監督はゆっくりと言った。
「大丈夫ですよ。
あなたはもう、十分“父親になる途中”にいます」
妊娠7ヶ月。
妻・美優が初めて映像に登場した。
二人が並んでエコー写真を見つめる様子を、
森川千夏が照明越しに優しく撮る。
美優が笑った。
「こんなに練習してたなんて、知らなかったよ」
「君が不安だって言うから……
僕も一緒に“親”になりたくて」
「拓海はずっと、なろうとしてたのね。
それだけで、もう十分だよ」
美優の目に涙が浮かび、
拓海も堪えきれずに笑った。
千夏は小さく呟いた。
「……いい映像になる」
出産当日。
美優が力を振り絞る横で、
拓海はずっと手を握り、
緊張で声が震えていた。
そして産声。
拓海は泣きながら赤ん坊を見つめた。
「……はじめまして。
僕が、きみのお父さんだよ」
その一言に、
十月十日の仲間たちも涙を拭った。
『父になる準備期間 —拓海、365日の練習—』
ラストテロップの後。
城戸が入れたエピローグ映像が流れる。
赤ん坊を抱く拓海。
その優しい目は、
もう“練習中の父”ではなく、
“本物の父”のそれだった。
「父親ってのは、
正解を知ってる人じゃなくて……
家族と一緒に、正解を探す人なんだと思いました」
その言葉で映像は静かに閉じる。




