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9.咲く花を誰も知らない

 あの動画は、バズった。


 いや、炎上と言うほうが正確かもしれない。SNSのタイムラインは"DQN美大生"のタグで埋まった。昼から深夜から朝まで、見たくもないスマホの通知が止まらなかった。


 槇村は、例によって無邪気に言った。「さすがっす。やると思ってましたよ、先輩」


 戸川さんは、もっとハキハキと「やりましたね!」と笑ってくれた。


  ――何が? と思った。俺は、何かを“やった”のか。 たぶん、誰かが期待していた“何か”が、俺の怒鳴り声の中に含まれていたのだろう。 教授が口を挟まず、黙ってそれを許したことも、一種の“演出”として、消費された。 世の中の人は、炎上と革命の違いを、あまり区別しない。


 で、まぁ当然の流れとして、俺が資材置き場で生活しているという噂が、誰かの良心的な正義感によって学生課にリークされた。すぐに退去勧告が出た。 文面は丁寧だったが、言ってることはひとつ、「出て行け」ということ。 俺はそれに対して、「居住権」を盾に居座り続けている。 あれは、法的に住居とは言えないという主張もあるが、継続的に居住の意思を持って生活している場所だ。


 少なくとも、愛着が湧いてきた居場所だ。 荷箱のベッド、小さな冷蔵庫、ゴミ捨て場から拾ってきた本棚。 情念というのは、時に法律よりも、厚かましい。


 メディア科の学生たちを中心に、“馬淵東海の退学を求める署名活動”が展開されていると聞いた。でも、特に気にしていない。 数字で語られる集団の熱意ほど、どうでもいいものはない。集まった人数よりも、誰が署名したかのほうが重要だろうが、それも知らない。 俺には“好きな顔”と“嫌いな顔”があるだけで、名前はあまり重要ではない。

 三十路舐めんな!


 最近では、学校敷地内を歩いていると、見知らぬ学生が寄ってきて、「一戦交えてください」とか言ってくる。


「あの動画、見ました。議論したいです」って。 

 アニメの剣豪か何かと勘違いしてるのかもしれない。俺は適当にあしらっている。 


 GoProを持って、「ピッピピー! いぇー! 馬淵さーん、キレてますかぁ?」と凸してくる輩もいる。 しかし、


 ときどき気に入った奴がいれば、飲みに連れていく。


 焼き鳥屋で安いホッピーをおごると、翌日には「アニキ! お疲れっした!」と、ヤクザの舎弟ような挨拶をされるようになる。


 俺は別に兄貴分のつもりはないのだが、あいつらの中では、そういう物語が必要なのだろう。 


 ある日、知らない女子学生が、いきなり「恋愛相談、いいですか」と言ってきた。 断る理由もなかったので、スタバで話を聞いた。俺はカフェインが苦手なので、ミルク多めのソイラテにした。


 彼女は延々と、自分が片思いしている相手の話をした。俺はほとんど相槌しか打たなかったけど、話が終わる頃には、彼女は少し笑っていた。


 後で知ったが、戸川の差し金だった。理由を聞いたら、

「あの子、悩んでたから、馬淵さんみたいな人に話したほうが、なんかいいかなって思って」


 とのこと。 俺は「ありがとう」と言って、代わりに戸川にヘッドロックをかました。あいつは笑いながら、「ギブです!  ギブ!」と言った。


 週に何度か、球場のバッターボックスに立つことがある。 

 誰もいないグラウンドに、拾ったバットで軟球を打ち上げる。 

 打球は時々、謎のアートオブジェの一部を破壊した。 あの変なオブジェは、むしろ破壊されるために置かれてるような位置にあった。これこそが芸術だ、と思う。 目的も、意味も、評価もない。ただ壊れて、散らばって、それでも誰かに見られる。それで充分だろう。 

 

 そうこうしてるうちに、 若い友人たちが、俺の“根城”に来るようになった。 安酒とコンビニのつまみを持ち寄って、資材置き場で青春みたいな夜を過ごす。   

 ああ、そうか。みんな、若い、青春なんだ。 戸川も、槇村も、名前をいまいち覚えてない奴も、 ひとりひとりは、ちっぽけな学生だ。俺も、ちっぽけな“元・何者でもないやつ”だ。

 でも、ここでは、馬鹿な話をして、過去の恋や、くだらない失敗を話して、泣き笑いする。  

 

 俺がどんな仕事をしてきたかを話す。 期間工には、どんな社会不適合者がいたかを話す。 

 俺が住民税を滞納して、口座の全額を差し押さえられた話をする。 

 みんな、笑い転げる。 どうだ。 これこそがアートだ!  

 言葉にならない感情を、誰かにぶつけるわけでもなく、ただ滲ませるように置いておく。そういう夜が、いつまでも続いて欲しい。 

 夜更けに立ちションに出た掘っ建て小屋の脇に、小さな草が生えはじめた。 捨てられた空き缶の横に、スミレが咲いていた。 誰も世話してないのに、勝手に生えて、勝手に咲く。

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