7.資材置き場
ノックの音がして、「ほーい」と気の抜けた声で返事をした。
「トウミセンパーイ、お届け物でーす」
「ありがとさーん。そこ置いといてぇ」
ガコン、と床に落ちるような音がして、視界の端に白い塊が入る。ミニ冷蔵庫。ホテルの部屋に置いてあるやつと同じくらいのサイズ。少し前に「要らないって言ってた人がいた」って聞いて、欲しいって言ったっけ。
スマホの画面では、ひろゆきが淡々と誰かを論破している。
"そんなことも想像できないなんて、バカな人なのかなぁ、って思いまーす"
と、見慣れ過ぎたトーンで。
俺は、荷箱を三つ並べて、その上にアウトドア用のマットを敷いた即席ベッドに寝転がったまま、視線をスマホから外さなかった。
「おー! もう部屋っすね」
槇村が笑いながら言う。勝手に床にあぐらをかいて、缶チューハイを取り出しやがった。
「おいおい、まだ授業あるんだろ」
「代返依頼済みでーっす」
そりゃそうか。こいつ、そういうやつだ。
槇村は「映像メディア文化学科」、通称“メディア”の学生だ。配信やら映像制作やら、VRやら、そういう今っぽいことを学んでいる連中。
俺はそっちじゃない。最近は、同じ学科の連中に付き合って、キャンバスに塗料をぶちまけるやつとか、路上に人型を並べて夜明けを待つやつとか、AIに変なプロンプト食わせて崩れた顔の群れを量産してるやつとか、まあ、そういうのを自由にやってる。
やってみると案外楽しい。わけはわからないが。
槇村が調達した冷蔵庫は、どうやら中身付きだったらしい。缶チューハイ、レトルトのおでん、よくわからないチーズ的なもの。生き延びるには十分。
「ねえ、トウミさん、今度うちのYouTubeチャンネル出るってほんとすか」
「うん。教授に言われた。コラボ企画だって」
「うわー、教授が動いてるパターンだ。マジ気をつけた方がいいっすよ」
「なにが?」
スマホの画面では、芸人の永野が怒鳴ってる。 "なんとなく言ったんだよ! そんな深く考えてねーよ! この一般人が!"
と。
「"うち"のやつらって、陽キャなんすよ、基本」
「そうなん?」
「なんか、“異分野いじり”が流行ってるっていうか。うちのサークルの後輩も出たんすけど、プロジェクションマッピング作品をボロクソに言われてて、なんか論破してやろう! って感じなんすよ。マジでバカにする気しか見えないんすよ」
笑ってごまかすような顔をしてた。でもたぶん、それなりにダメージあったやつ。
「俺、トウミさんのプロンプト、好きっすけどね。“中和宇宙”とか、“人類未明の直感”とか、意味不明だけどちゃんと画像になってて。意味わかんないのに成立してるの、すげーっすよ」
意味わかんないのに成立してる。最高の褒め言葉だな、それ。口に出したら照れそうで黙ってた。
スマホの画面が自動で次に切り替わる。VTuberが出てきて、どこかのアニメを分析していた。
「そのキャラは、あくまでも“記号”なんですよね。感情の、象徴なんです」
象徴。 あ、使えるかも、って思った。プロンプトの中に仕込める言葉。象徴は意味のかわりになる。
「照明、めっちゃ眩しいんしょ?」
そう質問した。 実は、戸川さんもメディアのYouTubeにゲストとして呼ばれたが、少しだけ不快な思いをしたと聞いていた。
「みたいすね。だったらサングラスっすよ。堂々と“感覚過敏なんで”って言っちゃえばいいっす」
「感覚過敏キャラ……」
「むしろスタイリッシュじゃないすか。あ、あれも持っていきます? “象徴は沈黙する”って書いたボード」
「中二病かよ、痛いだろ、それ」
二人で笑った。アトリエに笑い声が響くと、段ボールも床の染みも、少しだけ違って見える。