6.触手の手触り
「工学科の地下に、業務用の印刷機があるらしいっすよ。でっかいやつ。普通のプリンタじゃ出せないやつ」
槇村がそう言ったのは、飲み会の帰り道だった。造形科の石膏を運ぶ単発アルバイトに槇村とともに参加し、そのまま居酒屋へ繰り出したのだ。
酔いも手伝って、俺の頭の中には一瞬でJPEGの鮮明な画が浮かんだ。ちょうど納得がいく作品が仕上がったばかりだった。
「それ、使わせてもらえたりするんかな」
「知らんすけど……袖の下が必要だって、ウワサでは」
くだらない、とその時は思った。
思いながらも、俺は翌日、箱買いしたビールとレッドブルのケースを両腕に抱えて、工学科の地下ラボに乗り込んだ。
「ちょっとだけ、出力させてほしいんですけど」
俺の申し出に、白衣の下にメタリカのグラフィックTシャツを着た三年生くらいの学生が、二つ返事で頷いてくれた。
「構わないですよ。ちょうどあいてるんで」
それから俺は、USBメモリに突っ込んで持ってきた生成済みの画像ファイルを三枚、でかい印刷機に送り込んだ。
印刷音が唸り、巨大な紙がローラーの間から吐き出されていく。紙の匂いとインクの匂いが混じって、なんとも言えない高揚感が身体を支配していた。
一枚目は、《原生の海》。プロンプトはこうだ。
"海、神罰、世界の終わり、再生、二次元から四次元へのレンダリング、バグ"
溶けかけた都市と、神話的な魚類の姿。どこからが現実で、どこまでが誤認識なのかすら曖昧な、ほとんど宗教画めいた荒涼。
二枚目は、《中和宇宙》。
"天動説、神、資本主義経済の否定、孤独、自己、パッチワーク、テキスタイル"
手縫いの宇宙、繋ぎ合わされた思想、繰り返される中央集権の嘘。色とりどりの布地が重なり合い、崩れそうな理論が美しさに変わる瞬間を描いていた。
三枚目、《虎》。
"弱肉強食、ディアローグ、カード、ラーメン、怒り、圧倒的資本主義"
虎は怒っていた。満腹のくせに怒っていた。 ラーメンを啜る人間たちの足元に、爪を立てるようにして。この絵が一番生々しかった。都市の咆哮みたいだった。
三枚ともA1サイズで出力し、それぞれの横にA4用紙で簡単なタイトルとプロンプト一覧、 そして「AI生成による画像」と明記した。
「めっちゃ気合い入ってますねぇ」
と白衣の彼は言って、俺が持ち込んだレッドブルのプルトップを静かに開けた。
一度アトリエ(資材置き場兼自室)に戻って、壁に三枚並べて貼った。全体を眺めた瞬間、なんでかわからないけど、俺は少し興奮していた。胸の奥がざわつく。 これだ、という確信はない。だけど、何かが動き出した予感だけはあった。
槇村と戸川さんを呼んで、アトリエ(資材置き場兼自室)で酒を飲みながら、作品を囲んで話し合った。もちろん戸川さんはソフトドリンク。 テーマとか、方向性とか、意図とか、言葉にできるかどうか分からないけど、みんな真剣だった。ChatGPTにも相談して、まとまった文章がこうなった。
「AIとアート。――プロンプトを含めた連続性と拡張性に宿るもの」
それが、作品のステートメントになった。
俺たちは、その一行に小さな誇りを持った。
次の日、三作品とその説明文を担いで、教授の研究室に行った。普段は口数の少ない教授。何を考えてるのか分からないし、いざ口を開けば嫌味ばかり、どこを見てるのかも分からない。
「作品、できました。見てもらってもいいですか」
三枚の作品を、研究室の壁に並べた。
教授は腕を組んで、それらをしばらく眺めていた。長い沈黙だった。俺は少し緊張していたけれど、何かを言ってほしいとは思わなかった。やがて教授は、言った。
「……これが、君のやりたいことなんだな?」
それだけだった。でも、
「それは……、わかりません」
何故か、そう答えてしまった。
「そうだな。でも、そうじゃないのかもな」
その言葉で充分だった。
俺の中で何かがはっきりした気がした。プロンプトを考え、生成し、選び、組み立て、出力する。すべての工程に、確かに俺の手が入っている。これはツールを使っただけの作業じゃない。誰にも代われない選択の連続だ。誰にも真似できない、言葉とイメージの編集だ。
外に出ると、校舎の向こうにあの野球場が見えた。ピッチャーマウンドには、あの気味の悪いオブジェが今日も鎮座している。意味の分からないタコかイカか、もしかしたら宇宙生物の触手。俺はふと、そいつに手を振った。気づくと、次のプロンプトのことを考えていた。
俺は、まだまだ何かを作れる気がした。