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19.月の一粒

 とりあえず汗を流すことにした。またも大騒動に発展してしまい、"保安上の理由"から、あの後の俺のスケジュールはすべてキャンセルとなった。


 いつものコインシャワー。まぬるい水流の直撃に、頭の中の音がざばっと消える。服を着る。ワークパンツのポケットで小銭がジャラリと鳴った。


 濡れ髪を拭いて、学内に戻る頃には、もう日が暮れかけていた。空は茜色を超え、インクのにじみのように青黒い。そんな中で、まだ学祭は続いていた。


 昼の喧騒はすでに遠く、代わりに酒を出す模擬店が主役を担っていた。明滅する電球の明かりが、校舎の隙間から漏れている。湿った芝生の匂いに、遠くから届く笑い声。気がつけば、知らない夜市に迷い込んだような気分だった。


 ふと、自分たちの展示を思い出す。ソサイエティ、と名ばかりのアート集団。俺たちの展示は、旧校舎の片隅、取り壊しを待つような古い教室だった。 

 行ってみると、明かりはまだ灯っていた。もう誰もいないかと思っていたが、扉の前で後輩に呼び止められた。


「トウミ先輩、ちょっと……あの、凄い人が来てて……」


 中に入ると、作品はまだ展示されたままだった。  


 教室の埃っぽい空気の中に、戸川の『邂逅と残滓』が静かに佇んでいる。蝶が幾何学的に分解され、油絵なのに画面が崩れていく。隣のVRゴーグルの中では、 槇村の『Bounce℃ Nature』がいつまでもカレイドスコープのように視界をゆがめ続ける。


 そして、俺の『絶対証明』。


 宇宙を漂うクラゲ。AIに膨大なプロンプトを打ち込んで生成した。QRコードを読めば、誰でも似たような作品が出せる。つまり、再現性がある。つまり、唯一性がない。それが、俺の証明だった。


 その前に、一人の男が立っていた。黒髪を無造作に束ねた後ろ姿。忘れようもない人間だった。


 振り返る。


「あれ? 久しぶりですね」


「……お久しぶりです。坂大介さん」


 遠くから、夕方五時を告げるいつもの物悲しいメロディーが聴こえてきた。


「これ、君の作品だってね」


「はい。あの……、その、パクらせていただきました」


「あはは! いいねぇ」


 柔らかく笑う。以前と変わらぬ口調。業界で名の知られたメディアアーティスト。今や配信一つで数万の視聴者を集める、時の人だ。


「まさか、坂さんみたいな有名人に来てもらえるとは」


「いやいや。君もでしょ? 配信見たよ」


「まあ、そう。みたいですね。でも、これで最後ですけど」


「最後?」


「学校、辞めようと思ってるんで」


「卒業しないの?」


「ええ。別に、アーティストになる気もないですし」


 彼は目を見開いた。


「でも、あと二年残ってるんだよね?」


「まあ、はい。でも、意味ないんですよ。いたって仕方ないし」


「え? 意味しかなくない?」


 笑って言われて、俺はたじろぐ。


「……俺、坂さんみたいにはなれませんよ」


「いや、逆に、僕は君みたいになれないけど?」


「は?」


「え? いや、そう思うよ」


「俺、本当に、目的もないのに美大入っちゃって。なので、ここまでです」


「なんなら、なおさら勿体ないって。だって、美大なんて、究極のモラトリアムを楽しむ場所だよ?」


「は……?」


「本当にそうだよ。僕も、機械いじりが好きなだけのオタクだったからね。でも、在学中は……本当に、楽しかったな」 


 そう言いながら、彼は俺の作品を見つめる。


「でも、俺は、何者にもなれないです」


 それは口をついて出た言葉だった。飾り気もなければ、逃げ道もない。


「君ほど向いてる人、いないと思うけどなぁ」


「いや……お世辞とか、やめてくださいよ」


 すると、彼はふっと顔をゆるめ、いつもの調子で、しかし確かな響きを持って言った。


「アーティストなんて、自分自身を大衆の玩具にして、それでいて人々の理解から逃れ続けて、実は心の中では誰も彼もバカにしてる。そういうもんだよ? だから、君は本当に、向いてると思うけどなぁ」


 ぼんやりと半透明な衝動が暗い宇宙の中で瞬いた。まるで、俺の代わりに呼吸しているように。


 そして、ふと思い出す。


「あの、あの作品、坂さんの『レゴリス』でしたっけ? あれ、どういう意味なんですか?」


 すると、意外なほどに、彼は無表情。


「"レゴリス"ってのはね。月の表面を覆っている、小さな小さな砂粒のことだよ。月が輝いて見えるのは、それがあるからなんだ。でも……」 


 一呼吸おいて続けた。


「あまりに小さいので、探査艇や宇宙服の隙間に入り込んで、不具合を起こす。つまり、なんだか僕ら人間にとっての、"言葉"と似てると思わない?」


「どう、でしょう」


 そう。なのか? よくわからない。でも、


「……なんなら、僕も聞きたいんだけど。"クラムボン"のことを、どうして君は、神様だと思ったの?」 一転して、真剣なまなざし。


「それは……」わからない。しかし、あの時感じた何かが、そう導き出した。


「知らない言葉だからです。誰も知らない見たことがない、想像するしかないなら、それは、……神様じゃないか? って」


 「へえ、……うん……いいね! ちょっとさ、LINE交換しようよ!」


 と何故かそんなことを提案してくれた。


 その後、二人で学祭を回った。ビールを飲んだり、キャラメルポップコーンを食べたり。扇情的なレゲエダンスのステージを観たりして。まるで旧友同士みたいに、笑い合った。


 彼は、アーティストとして雲の上のような存在のはずなのに、案外とっつき安い性格をしていて、話していて本当に楽しかった。


「君の作品、『絶対証明』だっけ? あれ、もし買い手がつかなかったら、僕が買うから。五十万円で」


 と言ってくれた。また笑い合う。


 別れ際に、 


 「あの、結局、"クラムボン"の質問って、どんな意味があったんですか?」


「ああ、あれね。僕は小さい頃から勉強が大嫌いでね。でも、国語の教科書に載っていた、宮沢賢治の『やまなし』を呼んだ時、何故か心が動かされたんだ。なんだろう? この不思議な感覚は、って。トウミくんは読んだことある?」


「はい、俺も小学生の時に」


「そう。僕はね、その時、授業で先生が読解的に国語としての正確性であの作品を語る言葉を聞いて、急に熱が冷めた気がしたんだ。なんてつまらない事をしてくれたんだ、と。"クラムボン"とは、カニたちが吐き出した泡なんだという説もある。とか、実はトビゲラなんじゃないか? という説があるとか」


「坂さんは、"クラムボン"は何だと思ったんですか?」


「それは……もう覚えてないかな。……でもまあ、もし思い出したら話すよ。じゃあ、またね!」


 恥ずかしそうに、照れたように、そう言って去っていった。


 俺は、不可思議にも気の良い友を得たようだ。  

 気分がいい。ああ、本当に、なんだか、なんだかなぁ、最高の気分だ、


 そして、 俺は、棲家である資材置き場に向かった。

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