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15.過ぎる夏

 展示会から帰ってきた。  


 俺の夏休みは、大学裏手の資材置き場──通称「棲家」で、無為に始まり、無為に続いた。  

 鉄骨の隙間から風が入り込む。勝手に誰かが取り付けたエアコンが不格好に唸っている。

 床は汚れているが、気にしなければ大丈夫だ。窓もないし、夜になれば闇が天井から降りてくるが、そういう場所の方が落ち着いた。

 ソサイエティの連中は実家に帰ったり、海外へ逃げたりして、俺の棲家は静かだった。

  ひとりになれる空間。そういうものが、この都市ではいちばん贅沢かもしれない。

  日がな一日、映像研から拝借してきたDVDを見て、飽きたらパチスロを打ちに出かける。帰りに立ち飲み屋で酎ハイを引っかけて、古い銭湯で身体を流す。

 そしてまた棲家へ戻る。 ほとんどの生徒たちがいなくなった校舎にも、毎日きっかり夕方五時になると、遠くの屋外放送用のスピーカーから『月の砂漠』が流れる。

 毎夜、ストリートカルチャーなロゴステッカーがベタベタと貼られた冷蔵庫から缶ビールを引き抜き、飲みながら、プロンプトなのか誰にも送らないメッセージなのかを書きかけては、消した。


 求人サイトも、ときどき開いた。期間工。ライン作業。重機免許不要。初月から手取り二十六万。 そうした文字列を眺めるだけで、少しだけ真面目な気分になれる。

  就職。そうだ、そろそろ、就職でもいいのかもしれない。誰かに言い訳をするためではなく、ほんとうに、自分のために──そんなことを、空になった缶の音が鳴るたびに、心の中で転がしていた。


 八月も中旬を過ぎた夜明け、俺は泥のように眠っていた。頭がじんわりと痛く、腹の底に焼酎の気配が残っていた。


「ねぇ! ねえってば! うぇっ、酒くさっ!」


 誰かが声を上げ、肩を揺さぶった。 戸川だった。いつの間に戻ってきたのか、ひどく陽に焼けていた。


「なに……」


「これ。見て。なんか、またヤバいかも!」


  差し出されたスマホ。 画面には、メディア科の公式YouTubeチャンネル。

  再生数の数字が気味悪いほど回っている。再生すると、見覚えのある造形科の面々が、座談会のような体で、俺の名を出していた。

  野球場に鎮座する、俺が打球でぶち壊し続けているあのオブジェの話だった。

 器物損壊。名誉毀損。損害賠償五十万円。正当な訴えとしてまとめられていた。 戸川は真顔で言った。


「やばいって。マジで訴えられるかも」


 俺は、「あー……」とだけ言った。 面倒くささと、もうどうでもいい、という諦念が、五分五分で頭のなかを占めていた。


  数日後、俺は全面的に非を認め、メディア科のスタジオに招かれ、例のYouTubeチャンネルに出演した。   

 背景には、赤いカーテンと意味ありげなライト。正面にはカメラ。三台。

 その向こうで、造形科の誰かが腕を組み、メディア科の誰かがメモをとっている。

 誰もが深刻な顔をしていたが、その深刻さが演出であることは、一目でわかった。

 表情筋の使い方、視線のやり場、不自然な沈黙。 みんな、「正しい反応」を模倣していた。 俺は、ひとつ深く息を吐いた。


「……今回の件は、完全に僕の不徳の致す所であります」


 そう言って、現金入りの封筒を差し出す。 造形科の代表が、受け取った。

  誰も口を開かない。 俺は、それを合図にでもするかのように、ゆっくりとカーペットの上に膝をついた。 頭を下げる。額が床につく。

 その瞬間、スタジオの中に、小さく息を呑む音が流れた。 土下座、というのは便利な儀式だ。

 感情を表すふりをして、むしろ無感情を守る手段になる。痛みすら、演出の一部になる。誠意も反省も、相手の想像力に委ねることができる。

 俺は下げた頭のまま、心の中で笑った。 自分に、というより、こういう場の形式に、だ。 それから五秒ほど経って、誰か拍手でもしてくれよ。とも思ったが。そうはいかないようだ。

 でも、俺はもう、どうでもよかった。夏は、いつの間にか、終わっていた。

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