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13.クラムボン

 松本駅の改札を抜けると、薄曇りの空の下、教授がすでに立っていた。スラックスのポケットに片手を突っ込み、もう片方の手で携帯電話を見つめている。その姿は、何かを見透かすようで、俺は一瞬足を止めた。 

 

 教授の運転するバンに乗り込み、俺、戸川、槇村の三人は無言のままだ。俺はしばらく車窓を眺めていた。  

 戸川と槇村はそれぞれ自分のスマホ画面を眺めている。車内に流れるFMラジオのノイズ混じりの音楽が、かえって沈黙を際立たせていた。

 十分ほど走った先に、目指す会場があった。


 古びた外観。ギャラリーと呼ぶにはいささか広すぎ、講堂と呼ぶにはやや手狭なその建物には、木製の扉が無骨に取り付けられていた。天井は高く、壁は白く塗られていたが、ところどころ塗料が剥げていて、古い学校の理科室を思わせるような匂いが漂っていた。


 俺たちは手分けして荷物を運び込み、展示の準備に取りかかった。プロンプトを印刷したA3のパネルと、AIが生成したイラストの出力紙。それらを壁に留める作業は、意外なほどすんなりと進み、十五分とかからなかった。


「ここはもういい。君たちは他の展示を見てきたまえ」


 教授がそう言い、俺たちは会場を歩き出した。


 広い会場には、既に多くの作品が並んでいた。床に這うように這いつくばってカメラを調整している学生、ノートパソコンを睨みながらモーションキャプチャーの数値を確認する者たち。誰もが、自分の表現に懸命だった。


「なんか、やっぱ、すげーっすね」


 槇村が低く呟いた。


 俺も思わず黙ってしまう。無数の液晶パネルを幾何学的に組み立て、そこにカラフルなアニメーションを投影する作品。床一面に砂を撒き、その粒子をセンサーで読み取って投影と連動させているインスタレーション。 どれも、俺の理解を超えていた。


 だが、理解はできなくても、ただ一つだけははっきりしていた。


 「やばいな」


 その一言に尽きる。


「トウミさん、あそこAIアートですってよ!」


 戸川が声を上げた。


「あっ、本当だ。トウミ先輩、ライバルっすね。敵情視察いきましょう」


 槇村の軽口に背中を押され、俺たちはその展示に近づいた。


 どういう機材を使っているのかまったく想像できない、薄く透過する巨大モニターに、次々と流れていく色鮮やかなアニメーション。

 青白い海の中のような空間に、クラゲが悠々と泳いでいた。 

 しかし、なんとなく、画像が荒いというか、昔のゲーム機のドット絵のようにも見える。 


「あっ、トウミさん! これ、これ凄いっすよ」


 槇村がモニターを指さす。  

 よく見れば、クラゲも、その周辺の青い群青色の景色も、すべてが、膨大なテキストで構成されているのに気がついた。英語、日本語、数式、アラビア語、ありとあらゆる言語からなる文字によるアニメーション。 まさか、これは、全部プロンプト? この膨大な? まさか、


 突然。俺は自分がいつのまにか、空虚で冷たい世界にひとり立ちすくんでいるような気分になった。 

 プロンプトで構成される世界と生命体。 

 人類の歴史も、そして宇宙も。自分自身も、この身体も、見てきたこと、経験したこと、感じたこと。出会った人たち。そして、自分の人生も、今いるこの世界が、プロンプトによって創り出されたのだとしたら? 

 では、そのプロンプトを打ち込んだのは誰だ?  


「どうしたの?」


 ふっ、とやっと息を飲んだ。身体の芯がひんやりと冷えていくのがわかった。


 これは、勝てない。


 自分でも驚くほど素直に、そう思ってしまった。


 俺の作品は、ただの紙だ。印刷された画像と、平坦なプロンプト。何も動かず、何も響かない。ただ静かに、そこにあるだけ。


「なんか、やばいすね……」


 槇村の声が耳元で震える。


「そうか? よくわかんねえけどな」


 口をついて出たのは、強がりだった。見れば見るほど、その差は歴然だった。


 ふと、その作品の、タイトルを見た。


 『レゴリスの鬱陶』


 正直、もうついていけねぇ、


「私は、トウミさんの作品の方が味がある気がするけどな」戸川がぽつりと言った。


 その言葉が、痛かった。慰めであることが、あまりにも明白で、その善意すらも刃のように俺を傷つけた。 もう帰りたい。帰ってしまいたい。 帰りに立ち飲み屋にでも寄って、 あの埃っぽい棲家でピザでも食べながら映画でも観ていたい。寝転がって、何も考えずに、 もう、こんなの、気にせず、 もう、


「馬淵東海くん」


 教授の声が会場に響いた。


 なぜ、あえてフルネームだよ?  

 気圧されながら振り返ると、教授の隣に男が立っていた。無造作に束ねた黒髪、若いような老成しているような……。目元の陰影が、どこか近寄りがたい雰囲気を纏わせている。


 ――坂大介。


 紹介された名前を聞いた瞬間、俺は息を呑んだ。俺ですらその名は知っている。流し見した美術雑誌でも何度か目にしていた。今、注目を集めている新進気鋭のアーティストだった。


 聞けば、教授の教え子であり、あのAIアート作品の作者だという。


 少し会話を交わしたが、俺はほとんど頷くだけだった。「あー、はい」とか「そうですね」とか。  正直、圧倒された。


 彼が語る生成アルゴリズムやプロンプトの構造分析、そして創作に対する思想、


 そして、何よりも熱量。


 俺のすべてを遥かに凌駕していた。


 ああ、俺には、やっぱり無理だったんだ、


 紙に印刷された画像と、簡素な言葉。それだけでは、届かない世界があることを、ようやく理解し始めていた。  

 空虚な会話を終えて、立ち去ろうとした時、


 「馬淵さん。"クラムボン"って、なんだと思う?」  


 坂 大介さんが唐突に質問してきた。


 「はい? ロック・バンドの?」  


「いや、そうじゃなくて。宮沢賢治の」


 ああ、小学校の頃の、教科書に載ってたあれか。 

 カニの兄弟が、「クラムボンはわらつたよ」 というやつだ。 

 たしか、『やまなし』。 確かに、なんだろうなぁ、  


「さあ、……神様じゃないですかね」 


 と、何気なしにこたえた。  

 彼は、 「へぇ……」と少し目を細めた気がしたが。 俺ごときには、理解できない。


 悔しさと、情けなさと、少しの惨めさ、 それが、この一日で得たすべてだった。

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