12.車窓と一路
国分寺駅の改札前、朝の人波を眺めながら、俺はぼんやりと立っていた 遠くから手を振ってくるのは戸川だ。白いシャツ、紺のワイドパンツ。少しだけ髪が伸びたようで、前髪をピンでとめていた。見慣れた仕草。
あとから槇村もやってくる。オーバーサイズのアロハシャツにサングラスという浮かれたスタイル。 本人は「旅モードっす」と言っていた。
三人で、中央線に乗り込む。特急ではない。 長野行きの在来線を乗り継いで、松本まで行くのだ。
教授の展覧会の手伝い。作品の搬入と展示準備。
こんな仕事に学生が駆り出されるのもおかしいけど、そういう「おかしさ」には、もう慣れた。
車内は静かだった。俺たちは、向かい合わせの席に座り、駅で買ったサンドイッチとコーヒーを開ける。
「アートって、AIの登場でどうなると思います?」
唐突に、槇村が言った。
「どうなるって?」
「いや、なんか…今までの価値観、変わるんじゃないかなって。アートとか芸術とか、特別なものじゃなくなるっていうか…」
「もう変わってるんじゃない?」
戸川が答える。
「生成AIがグラビアとか映画の脚本書いたりしてる時点でさ。個性って何だろうって、こっちがわからなくなる」
「でも、変えなきゃいけないのは、そっちじゃない?」
俺はぼそっと言った。 無意識だった。二人が、少し驚いたようにこちらを見る。
「アートや、社会構造すら変わっていく?」
戸川が訊く。
「シンギュラリティっすか?」
槇村が茶化すように言う。
「正直、俺は知らんよ。アートなんて」
本気でそう思っている。
「相変わらずっすね、トウミ先輩!」
「プロンプトの魔術師が、何を言いますか!」
俺は笑わない。
「本当に知らんよ。これから何が起こるかなんて。もう、お前らでやれよ。俺は多分、ここまでだ」
缶コーヒーを飲み干す。ぬるかった。車内の冷房が効きすぎて、喉が乾く。
「会社、立ち上げたりしません?」
またも唐突に、槇村が言う。
「は?」
「トウミさんが事業体上げたら、俺、ついて行くっすよ。戸川さんもでしょ?」
戸川が笑いながらうなずいた。
「ついて行くとは言わないけど、面白そうではあるよね」
「どうやってマネタイズするんだよ?」
「そりゃあ、まずはトウミ先輩が、『令和の虎』に志願者として出たりして」
「やらんわ!」
「いや、トウミ先輩がどんなビジネスプラン持ってくるか、虎たちも興味津々っすよ。“作品が売れる時代は終わった。これからは思想が投資対象だ”みたいなこと言えば、絶対バズる」
「思想も、なにもない。俺はフリをしてるだけ」
「え?」
「なんでもない」
電車は高尾を過ぎ、山が見えてきた。 都会の景色が、次第に田舎の顔に変わっていく。
「でも、なんだかんだで、こうやってどこかに向かってる感じ、悪くないですね」
戸川がつぶやく。 窓の外を見ながら。
「俺ら、今、作品じゃなくて、何か別のもの運んでる気がするっす」
「中二かよ」
俺は鼻で笑う。 でも、その言葉はどこか引っかかった。
「別のもの、か…」
その“別のもの”が何なのか、俺にはわからなかった。けれど、確かに、何かを運んでいる気がしていた。