君が振り向いた最後の冬
■『君が振り向いた最後の冬』 1部:僕視点
雪が降っていた。
初雪のくせに、こんなにも冷たくて、優しい。
「じゃあね」
君が言った。
白いマフラーの奥に隠れたその声は、どこまでも澄んでいた。
「また、いつか」
僕もそう返した。でも、どこかで分かっていた。
“いつか”なんて来ないことを。
ほんの数分前まで、一緒にいたのに。
あの頃の空気は、もうここにはない。
改札へ向かい一歩、一歩、歩む君の背中に、思わず手を伸ばした。
間に合わないかもしれないって思った。
ぎゅっと、後ろから君を抱きしめた。
君の肩がびくりと揺れて、でも何も言わなかった。
「……このまま、時間止まらないかな」
「ダメだよ、それはズルい」
そう言って、君はくるりと振り向いた。
あの笑顔。
何度も見たはずなのに、今日のそれは、まるで別物だった。
「それでも――笑ってたいの。最後まで」
僕の胸が、締めつけられる。
「じゃあ、お願いがある」
「うん?」
「この笑顔、ちゃんと覚えてて」
「……忘れるわけ、ないだろ」
「そっか。……なら、行ける気がする」
電車の音が近づいてくる。
景色が、やけに淡く、ぼやけていた。
君は僕の手からすっと離れて、歩き出した。
振り返らないまま。
でも、不意に。
ホームの端で、もう一度だけ振り向いた。
風に揺れる白いマフラー。
そして、あの笑顔。
──それが、僕の人生で最後に見た、君の顔だった。
僕は、ずっと思い出すだろう。
背中から抱きしめたあの日、君が不意に振り向いた、あの雪景色と、何よりも愛した、その笑顔を。
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■『あの日、振り向いた理由』 2部:君視点
──白いマフラーに、最後の想いを包んで。
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初雪だった。
あんなに寒いのに、どうしてだろう……心の奥は、じんわりとあたたかかった。
「じゃあね」
私は笑った。
口元を白いマフラーで隠しながら、それでも精一杯、いつも通りに。
本当は、泣きそうだった。
声が震えそうだったから、余計にぎゅっとマフラーを巻いた。
涙が出ないように、唇を噛んだ。
──この距離が、永遠になるなんて、信じたくなかった。
改札に向けて、歩き出す。
一歩、一歩が、心を引き裂いていくみたいで。
でも――
後ろから、優しく抱きしめられた。
息を呑んだ。
あのぬくもり、あの鼓動、全部、私の好きな彼だった。
「……このまま、時間止まればいいのに」
彼の声が、震えてた。
「ダメだよ、それはズルい」
言いながら、振り向いてしまった。
本当は、見たらダメだって分かってた。
だって、あの顔を見たら、絶対に離れたくなくなるから。
それでも……振り向いた。
彼の瞳の中に、泣きそうな私が映ってた。
だから、笑ったんだ。
泣かないように、じゃなくて──泣かせないように。
「ちゃんと、覚えててね」
「この笑顔、今日の空気、白いマフラー……全部」
そう願った。
電車の音が近づく。
世界が少しずつ、終わりに近づいていく音。
私は歩き出した。
背中が、重たくて仕方なかった。
だけど、どうしても最後に伝えたくて――
もう一度だけ、振り向いた。
彼は、同じ場所で、まだ私を見ていた。
微動だにせず、まるで私のすべてを、焼きつけるかのように。
私は、笑った。
本当の、さよならを込めて。
──君の腕の中で、振り向いたあの瞬間だけが、
永遠に残るように、笑ったの。
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■『永遠を感じた日々』 3部:二人の思い出
──君がくるりと笑うたび、僕は未来を信じてた。
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「またこれ~?」
あきれた声。くすっと笑う音。
彼女を、背中からぎゅっと抱きしめると、
決まって少し間をおいてから、くるりと振り向く。
その動作が、僕はたまらなく好きだった。
何百回見ても、初めてみたいに胸が高鳴った。
オムレツを焼く朝、
洗濯物を干す午後、
映画のエンドロールが流れる夜。
日常のどこを切り取っても、
そこには“くるりと振り向く君”がいた。
口をとがらせて、笑いながら振り向く。
両手にシャンプーの泡をつけたまま振り向く。
片目だけでウインクして、ちょっと得意げに振り向く。
その全部が、僕にとっての“永遠”だった。
言葉にしなくても分かり合えると思ってた。
このぬくもりも、笑い声も、明日も明後日も、
ずっと隣にあるって、疑わなかった。
……最後の日も、同じだった。
「またこれ~?」
彼女は、いつもと同じように笑った。
くるりと振り向いて、少しだけ目を細めて。
──だけど、あの時だけは、ほんの一瞬だけ、
瞳の奥が泣きそうに揺れていたこと、僕は見逃さなかった。
それでも、何も言わなかった。
言えば終わってしまう気がして。
言葉で止めるより、この腕の中に、ただ閉じ込めておきたくて。
だから、また背中から抱きしめた。
そして──彼女は、くるりと振り向いた。
あの笑顔だった。
でも、もうどこか遠くに行く人のような、
儚く、優しく、覚悟を秘めた笑顔だった。
「じゃあね。またね」
そう言って、すっと離れていく彼女の背中を、僕は見送った。
追いかけられなかった。
いや、追いかけなかった。
あの笑顔を、永遠のまま、閉じ込めておきたかった。
……それから何度も、夢に見る。
背中から彼女を抱きしめて、
くるりと振り向く、その瞬間に決まって目が覚めると、頬には一筋の涙が流れてるんだ…
今も胸に残る、ぬくもりと残像。
あの頃、本当にあった、“永遠のような日々”。
だから、もしもう一度だけ、願いが叶うなら──
ただ、もう一度だけでいい。
背中からそっと抱きしめて、くるりと振り向く君に、
「ありがとう」って伝えたい。