八話〜有能な新米侍女〜
夕方、セドリックは屋敷に帰って来た。
少し公務が落ち着いた為、今日は久々に騎士団に顔を出した。
普段、副隊長に任せきりなので、案の定ガミガミと文句を言われ疲れた。
「お帰りなさいませ」
「ただいま」
いつものようにジルとソロモンが出迎える。だが違和感を覚えた。何かが違う。
「如何なさいましたか?」
訝しげな表情で立ち尽くしていると、ジルが少し戸惑った様子で見てくる。
「いや、何となく違和感が……」
エントランスをぐるりと見渡してみるが、違和感が何かがさっぱりだ。
そもそもエントランスなど一々気にした事などなく、こうやってじっくり見るのは初めてかも知れない。
「ふふ、流石セドリック様、お気付きですか?」
するとソロモンが嬉々として意味ありげに笑う。
「あのカーペット、どうですか? 素敵だと思いませんか?」
「カーペット?」
ソロモンに誘導されるように彼の視線の先を見る。それは左右に別れた階段に敷かれたカーペットだった。頭を捻り、記憶を思い出す。
確か無地で真っ赤だった筈だが、今は深みのある青を基調とし金の刺繍が施されている物に変わっていた。
「なるほど、模様替えをしたのか。確かに素敵だね」
「そうでしょう? 後、あの花瓶と花、照明にーー」
鼻高々に順番に説明をするソロモンに、笑いそうになる。実に楽しそうだ。
磨き上げられた大理石や階段、新調したカーペットに飾られた花瓶と花。
改めて見ると、まるで別の屋敷のエントランスに思えた。
カーペットの色合いや柄、花瓶の形、花の選択に至るまで気品さを感じる。そして頭に浮かんだのは、先日試用期間付きで雇った彼女だった。
「これをやったのは、彼女?」
「よくお分かりになりましたね」
余程察しが悪い人間でない限り、このタイミングなら誰でも彼女がやったと思うだろう。それに、この洗練された光景は彼女を彷彿とさせた。
それから少しずつセドリックは、毎日の生活に変化を感じ始めた。
「今日は、薔薇か」
朝、執務室へと入ると窓際に置かれた花瓶には、オレンジ色の薔薇が飾られていた。
少し前にソロモンが花瓶を持ってきたかと思えば、毎日花を生けるようになった。話を聞けば、彼女から花を分けて貰ったという。
「花がこんなに綺麗だと初めて知りました」
「僕もだよ。まさか花を愛でる日がくるとは、思わなかった」
教養に剣術、王族としての嗜み。
それ等に花を愛でる項目は含まれていなかった。ある程度成長すれば、女性への贈り物として知識をつける貴族の男性は少なくないが、女嫌いのセドリックは無縁だ。それが今は毎日、楽しみの一つとなっている。
ふと窓の外を見れば、彼女が庭師と話している姿が見えた。
最近、庭も少しずつ変化してきている。きっと彼女のアイデアなのだろう。
「セドリック様、頬が緩んでますよ」
「っ‼︎」
ソロモンからの指摘に、セドリックは驚き慌てて手で口元を覆うと顔を背けた。
「し、仕事を始めるから、ソロモンは出て行ってよ」
「ふふ、承知致しました」
意味ありげな顔をしながら、軽く頭を下げると彼は部屋から出ていた。扉が閉まった事を見届けると、セドリックは安堵のため息を吐き机に突っ伏す。
彼女が屋敷に来てからもう直ぐ一ヶ月が経とうとしている。
この短期間で、屋敷は生まれ変わったと言っても過言ではない。
これまで、内装や屋敷の管理はジルを始めとした使用人達に任せきりだった。女性がミラ一人だけの状況で、よく言えばすっきり、悪く言えば殺風景な屋敷だった。だが正直セドリックはその辺りの拘りはない人間なので、気にしていなかったのだが……。
エントランスが模様替えされた後、応接間や客室、食堂、廊下から庭まで日に日に変化していった。
その事に心地良さを覚えた。
城にいた時は、無論屋敷より遥かに内装は綺麗に整えられていたが、それとはまた違う。何というか温かさを感じる。きっと彼女の丁寧な仕事ぶりがそうさせているのだろう。
面接の時、あれだけ自信たっぷりだった理由が分かった気がした。
紹介状にはマイラの店での経歴しかなかったが、きっとこれまでそれなりの貴族の屋敷で働いていたに違いない。一介の侍女とは到底思えなかった。
「……後、数日か」
ミラ以外の女性がプライベートな空間にいるなど落ち着かずストレスなだけだ。そう思っていたのに、このまま彼女がこの屋敷を去る事を名残惜しいとすら思ってしまい、セドリックは邪念を振り払うように頭を振ると仕事に取り掛かった。
「一ヶ月、ご苦労様」
試用期間の期限である一ヶ月丁度の朝。
セドリックはリズを執務室へと呼んだ。
彼女は少し緊張した面持ちで部屋へと入ってくる。
「仕事はどう?」
「はい、とてもやり甲斐を感じております。皆様、優しく良い方ばかりで素敵なお屋敷です」
「君の働きぶりは報告を受けているよ。それにこの一ヶ月で屋敷が見違える程に変わった。勿論、良い方にね」
その言葉に彼女の表情が明るくなる。
「これからも宜しく頼むよ、リズ」
「ありがとうございます!」
はにかみ喜ぶ姿に彼女の方が年上なのに、女嫌いなのに、不覚にも可愛いと思ってしまった。
(この僕が、どうかしている……)
こんな筈じゃなかった。
試用期間を終えたら解雇して、別の仕事先を紹介して終わりにするつもりだった。
(いや、有能過ぎる彼女がいけないんだ。男女問わずこれだけの才能のある人材を手放すなど、愚か者のする事だ。そうだ、仕方がない、うん)
セドリックは一人、心内で言い訳をして納得をした。