五話〜紹介状〜
「ここは信頼出来るお方の屋敷だよ。それにお給金もそれなりに貰える筈だし安心しな」
半月が過ぎた。
あれから頼み込みマイラの店を手伝わせて貰いながら、仕事先を探している。
色々と考えた結果、侍女で住み込みで働ける所を探している。他にも出来る仕事はあると思うが、これまでの経験を一番活かせると思った。だが中々仕事先が見つからずにいる。
エヴェリーナが悩んでいると、マイラから親切な事に仕事先を紹介して貰えた。
「紹介しておいてなんだけと、本当に行くのかい? うちとしては、いつまでも居て貰っても構わないんだけどね。店の手伝いもして貰って助かってるし、ロニーも随分と懐いているしさ」
「ありがとうございます。ですがお世話になってばかりですと居た堪れないもので」
女で一つで息子を育て立派に店を経営してはいるが、やはり小さな食堂だ。エヴェリーナの分の食費だけでも負担が大きい。だがお金を渡そうとしてもマイラは絶対に受け取ろうとしないし、これ以上負担は掛けれない。
「まだ若いのに律儀な子だね。まあ、ここからそんなに遠くはないからいつでも顔を見せにおいで。ロニーも喜ぶしさ」
「お姉さん、絶対遊びに来てね!」
マイラから紹介状と屋敷への地図を受け取りお礼を伝え、涙ぐむロニーに別れを告げるとエヴェリーナは紹介先の屋敷へと向かった。
地図を頼りに辿り着いた先は、街から少し離れ森に囲まれた場所だった。
森の中に突如現れた予想以上に大きな屋敷に目を見張る。
マイラの話では一介の貴族の屋敷だと聞いていたが、見るからに豪華な門にかなりのお金持ちだと感じた。
「すみません、この屋敷の主人にお会いしたいのですが」
強面で筋骨逞しい門番に声を掛けると、訝しげな表情で見られた。
「貴様のような得体の知れない小娘を通す筈がないだろう。帰れ」
冷たく言い捨てられ、手で追い払われてしまう。
だが仕方がない。今のエヴェリーナは、突然現れた不審者にしか見えない。
「とある方から紹介状を頂き、こちらへ参りました」
大人の男でも怖気付きそうな鋭い視線を向けられるが、淡々と説明をして紹介状を取り出すと広げて見せた。
悪意や敵意のある言動には慣れているので、別段臆する事はない。
門番は、エヴェリーナの堂々とした態度に話を聞いてくれる気になったのか、紹介状を暫し眺めるともう人の門番に声を掛ける。すると、その門番は屋敷の中へと消えて行った。
エヴェリーナは青年に案内され、屋敷の廊下を歩いて行く。
あれから戻って来た門番が、この青年を連れて来た。この屋敷の主人の侍従だという。
歳はエヴェリーナより幾分か上に見える青年は、気が抜ける程人好きのする笑を浮かべていた。
「こちらです、お入り下さい」
階段を使い二階へ上がると左に曲がり暫く歩くと部屋が幾つも並んでいる。その手前から二つ目の部屋の前で青年は足を止める。扉の前に護衛と思われる男性が一人立っていた。エヴェリーナを鋭い視線を向けてくる。
だが青年はそんな事はお構いなしに扉をノックした。程なくして中から声が聞こえると、彼は扉を開けて「さあ、どうぞ」と笑顔でエヴェリーナにそう声を掛けた。
「失礼致します」
中に入ると年若い男性が、部屋の中央に設置されている机の前に座っていた。
銀色の短髪は艶やかで美しく、青い瞳は宝石のサファイアを彷彿とさせた。
エヴェリーナは思わず目を見張る。
外見は若いが、どこか貫禄があるように感じた。
「本日は、急な訪問にも拘らずお会いして下さりありがとうございます」
癖でカーテシーをしそうになり、慌てて軽く頭を下げる。
今、自分は貴族などではなくただの平民だ。振る舞いには気を付けなくてはならない。
姿勢もワザと猫背にして、誤魔化すように笑って見せた。
「僕がこの屋敷の主人のセドリックだ」
年齢からしてこの屋敷のご子息かと思ったが、どうやら彼が主人らしい。想像していたより遥かに若い。
どう見ても十四、五くらいにしか見えない。若くして家督を継ぐ者もいなくはないが、一般的には嫡子が成人するまでは代理人が一旦担うものだ。ただ国が違えば法や習わしなども違うし、様々な事情もあるだろう。例えばエヴェリーナ自身のような例外が。
主人の年齢はともかく、家名を名乗らない事が気になった。
マイラからは貴族の屋敷と聞いていたし、この屋敷を見ても、目の前にいるセドリックを見ても貴族としか思えない。
だが貴族の自己紹介で家名を名乗らないのは礼儀に反する。これは国が違えど流石に同じだろう。
もしかしてエヴェリーナが平民だから、侮られているのだろうか。それなのにも拘らず、使用人の面接を主人が自ら行うのは矛盾しているように思えた。
「君、名前は?」
「ーー申し訳ありません、申し遅れました。私はリズと申します」
「それで要件は?」
「こちらのお屋敷で、雇って頂きたいんです」
暫し呆然としていたエヴェリーナは、我に返ると慌てて返事をする。
何だか、国を出てから少し腑抜けてしまったように感じる。以前までなら、こんな失態はあり得なかったのに……。
気分を悪くしてしまったかも知れないと心配になる。セドリックの様子を窺い見ると、怒っている訳ではないようだがなんとも言い難い表情を浮かべていた。
「確か紹介状、あるんだよね? 見せてくれる?」
「はい、こちらです」
紹介状を差し出すと彼は目を通す。程なくして読み終えるが、何故が黙り込む。
「あの、何か問題でもありましたか」
「いや、ないよ、うん……」
どこか挙動不審のセドリックに、エヴェリーナは内心眉根を寄せる。
「うちの屋敷、侍女は一人しかいないから仕事量多いし大変だと思うけど」
「全く問題ございません。掃除、洗濯、調理、その他雑務等何なりとお申し付け下さい」
折角のマイラからの好意を無駄にしたくない一心で、ここぞとばかりにアピールをする。
「……分かった。そんなに自信があるなら雇おう」
「ありがとうございます」
「でも、僕は使えない人間を雇うような殊勝な人間じゃない。だから一ヶ月、様子を見させて貰う。もし一ヶ月後、使えないと判断したら即解雇する。それでもいいかな?」
「はい、構いません。宜しくお願い致します」
要するに試用期間という事だろう。望む所だ。寧ろやる気を感じる。
「契約書作るから、そこに掛けて待っていて」
言われた通りソファーに座ると、タイミングよく先程の侍従がお茶を手に入ってきた。
屋敷の主人もといセドリックが、エヴェリーナを採用した事を告げると相当驚いたのか暫く目を見開いたまま立ち尽くしていた。
流石にそこまで驚くのは失礼では? と思い内心苦笑する。
「ソロモン、これ渡して」
「かしこまりました」
ソロモンと呼ばれた侍従は、書類を受け取るとエヴェリーナの前に置いた。
「よく読んで、了承するならサインをして」
「分かりました」
雇用条件、雇用期間、仕事内容、給金などが明記された書類にエヴェリーナはサインを済ませる。
「取り敢えず、一ヶ月。宜しく頼むよ」
「はい、善処致します」
一ヶ月後に、解雇されないようにエヴェリーナは気合いを入れた。