十八話〜温もり〜
観念したエヴェリーナは、抵抗をやめた。
そしてセドリックからの提案で場所を庭へと移す事になった。
ランプを手に庭へ出ると少し冷ややかな夜風が頬を掠めた。
空を見上げれば雲の合間から、月が半分見えている。
セドリックの後ろをついて行くと、暫くしてベンチの前で彼は足を止めた。
促されるがままにエヴェリーナは座ると、彼もまた人一人分の距離を取り隣に座った。
「リズって逃げるのが上手だね」
「それは……」
「僕の部下にも逃げ足が早いやつがいるんだけど、君に程ではないな。この数日間、本当に大変だった」
「申し訳、ありません……」
一体何を言われるかと身構えていれば、セドリックは開口一番にまさかの嫌味を言ってきた。予想外過ぎて、思わず顔が引き攣りそうになるがどうにか堪える。
「冗談だよ」
軽く笑うと、表情は一変して真剣なものへと変わった。
「ソロモンから聞いた。リズ、辞めるんだって?」
「……はい。急な事で申し訳ありません」
「理由を聞いても?」
「……」
最後までソロモン達には理由を言わずにやり過ごした。だがセドリックは納得しないだろう。どういう訳か、こんなにも追い回すのだから。
「セドリック様が、第二皇子殿下とは知りませんでした」
「言わなかったのは悪かったと思っている、ごめん。でも、僕が皇子である事と君が仕事を辞める事の繋がりが分からない」
「それは私などが、皇子殿下のお屋敷で働くなど恐れ多いと思いまして」
取ってつけたような言い分に、自分で言って内心苦笑する。
「なるほど。でも普通は、驚きこそしても寧ろ好機と言わんばかりに媚を売ってきてもおかしくないのに……君は、逃げるんだね」
辞めるとは言わずに敢えて逃げると表現するセドリックを少し意地悪と思った。
「屋敷は、居心地が悪い?」
「そんな筈ありません」
「なら仕事が辛い?」
「辛いどころか楽しいです」
「何か待遇に不満があるとか?」
「十分過ぎます」
「誰かに意地悪された?」
「あり得ません! 皆様、優しい方ばかりです! あ……」
思わず声を荒げる。するとしたり顔のセドリックと目が合い、慌てて口を閉じると視線を逸らした。
はしたないし、何よりセドリックのペースにハマり気恥ずかしくなる。
話の主導権を握られる事なんてこれまでなかったのに。
どうしてか分からないが、彼と話していると調子が狂ってしまう。
「君が訳ありだって事は分かっている」
「っーー」
瞬間、心臓が跳ねた。
まさか素性がバレてしまったのだろうか……。
エヴェリーナは、身を固くしセドリックの顔を見る事が出来ない。
「だがその理由までは分からない」
彼の次の言葉にゆっくりと息を吐き、胸を撫で下ろす。
「ただ迷惑をかけるなどの理由なら、そんな気遣いは不要だ」
戸惑いながらもセドリックへと視線を向けると、彼は不敵な笑みを浮かべた。
「僕はこう見えて、この国の第二皇子だ。いざという時は、僕がどうにかしてあげるよ」
「ーー」
目を見開き瞬きを忘れたように、セドリックを食い入るように見つめた。すると彼は今度は優しく微笑む。
「だからリズ、君は安心してここにいたらいい」
最後に泣いたのがいつだったかはもう思い出せないが、無性に泣きたい気分になった。
「えっと、リズ、返事は?」
黙り込むエヴェリーナにセドリックは少し不安そうに聞いてくる。
先程まであんなに自信満々だったのに、その姿に笑いそうになった。
「これからも、このお屋敷で働かさせて下さい」
「勿論、歓迎するよ」
互いに見つめ合い笑った。
それからたわいのない話をした。
暫く夜風にあたり、少し寒さを感じたエヴェリーナは気付かれないように僅かに身体を震わせる。
だが敏感に感じ取ったセドリックは、自分の上着を脱ぐとそれを差し出してくる。
「気付かなくてごめん。寒かったね」
「いえ、大丈夫です。私、寒さには強い方ですから。ですから、お気持ちだけ頂戴致します」
流石に主人から上着を借りるなど出来ない。それにセドリックが風邪を引いてしまう。そう思い断ると、彼は不満気な表情になり立ち上がった。
「セドリック様、申し訳ーー⁉︎」
気分を害してしまったかも知れないと慌てて謝罪を口にしようとするが、その瞬間ふわりと背中に温かさを感じ驚き振り返った。
「うちの大事な侍女に風邪を引かせる訳にはいかないからね」
「ありがとうございます……」
エヴェリーナは、少しズレた上着を肩に掛け直す。
彼の温もりが残る上着に包まれ、心まで温かくなったように感じた。