十七話〜逃避〜
屋敷を出た後、どこへ行けばいいのか分からない。
取り敢えずルヴェリエ帝国からは離れた方がいいだろう。
東大陸のどの国へ行けばいいだろうか。
念の為、もう貴族の屋敷では働かない方がいい。ただそうなると、更に仕事を探すのが難しくなる。
そこまで考え、急に不安が押し寄せる。
帝国を出た時は不安もあったが、同じくらい期待感もあった。だが今は不安ばかりを感じている。きっとこの場所が、居心地が良過ぎたからかも知れない。
だが腑抜けている場合じゃない。確りしなくては。
大丈夫、これまでも一人で乗り越えてきたのだからーー
辞める事を告げた翌日、エヴェリーナはいつも通り仕事を終えた後、一人客室の掃除をしていた。普段手の回らない細かな箇所を丁寧に拭いていく。
エヴェリーナは掃除を終えると、部屋を見渡した。
本当は、全ての客室の壁紙を張り替える予定だったが、業者に依頼したら少し時間が掛かると言われ結局まだ出来ていない。
そういえば応接間の飾り棚の上がすっきりとし過ぎていたので、珍しい工芸品でも飾ってはどうかと考えていた事を思い出す。観賞用としてだけでなく、来訪者との話題作りにもなる筈だ。
それと庭はまだ造り替えている途中だ。草木や花の植え替えは時間が掛かるので、少しずつ作業していくしかない。完成するのを見届けられず残念だ。
次々にやり残した仕事が頭に浮かぶ。
最後まで仕事をやり遂げたかった。信頼して任せてくれたのに、裏切ってしまった。
ただ引き継ぎは確りとするつもりだ。皆、働き者で優秀なので問題はないだろう。
「リズ」
掃除用具を手に客室から出ると、何故かセドリックが立っていた。
予想外の状況に、思わず目を見張る。
「セドリック様、このような所でどうされたのですか?」
「少しいい?」
その言葉に唇をキツく結んだ。
このタイミングだ。辞職の話しかない。
「申し訳ありませんが、まだする事がありますので……」
頭を下げると、セドリックの返事も待たずにエヴェリーナはその場から立ち去った。
翌朝、庭に出るとまたセドリックが待ち構えていた。
彼はエヴェリーナに気付くとこちらへと向き直り声を掛けてくる。
「おはよう」
「おはようございます……」
「僕も一緒に花を摘んでもいい?」
朝日に照らされた銀色のセドリックの髪を清々しい風が揺らす。
真っ直ぐな彼の青眼に見つめられ、居た堪れなくなってしまう。
「ハサミを忘れてきてしまったので、お花を摘むのはまた後にします。失礼致します」
適当な理由をつけエヴェリーナは頭を下げると、足早にその場を離れた。
その日の昼間、休憩場所に向かうとセドリックが中へと入る姿が見え、エヴェリーナは今来た廊下を引き返した。
それから毎日、セドリックはエヴェリーナの元を訪れるようになった。だがエヴェリーナは極力顔を合わせないようにと避け続けた。
そんな事をしている内にあっという間に七日が過ぎ、遂に明日は月末となる。
荷物を纏め、自室の掃除も終えた。これで明日の朝には出立する事が出来る。
明日は朝一で屋敷を出た後、先ずはマイラとロニーに会いに行く。仕事が落ち着いたら会いに行くつもりではあったが、まさか別れの挨拶になるとは思わなかった。
「そろそろ、仕事の時間ですね」
エヴェリーナは、最後の仕事をする為に自室を出た。
引き継ぎも無事済ませ、夕食後、ソロモンやミラ達にも挨拶を済ませた。
自室へと戻るべく廊下を歩いていると、セドリックが待ち構えていた。
「リズ」
いつもよりも低い声色で呼ばれる。鋭い視線を向けられ、その顔は怒りを滲ませていた。
暫し沈黙が流れ互いに静止する。
「あの、忘れ物がーーセドリック様⁉︎」
そんな中、先に動いたのはエヴェリーナだった。
適当な言い訳をして踵を返そうとすると、壁に手をついたセドリックに行く手を塞がれた。
「リズ、逃げるな」
「っーー」
セドリックの言葉に心臓が跳ねた。
頭を懸命に働かせるが、動揺し過ぎて取り繕う事が出来ない。
「驚かせてごめん。でも、君と話をしたい」
いつと変わらない声色に戻るが、有無を言わせない威圧感を感じる。
観念したエヴェリーナは静かに頷いた。