十六話〜暇乞い〜
こんな風に、楽しい気分になったのはいつ振りだろう。
そのせいか、その夜は酷く懐かしい夢を見た。
両親や兄と暮らしていた頃の夢だ。
田舎の屋敷で、両親や兄と一緒に談笑しながら食事をしていた。
あの頃は、周りから才女と持て囃され容姿について褒められる事も嫌ではなかった。
エヴェリーナが褒められると、両親や兄が喜んでくれるので寧ろ誇らしいとすら感じていた。だが嫁いでからは、才女と称され容姿を褒められる度に嫌気がさしていった。
家族から見捨てられてからは、昔の事は忘れるようにしていたのにーー少しだけ切なくなった。
翌日ーー
目を覚ましたエヴェリーナは、昨日の出来事を思い出す。
白熱した素晴らしい試合だった。
セドリックの勇姿と剣捌きに目を奪われ、感動をした。その後のパーティーも本当に楽しかった。だが今は余韻に浸っている場合ではない。
いつもと変わらない朝。
各部屋を周りカーテンを開け、部屋に日の光を入れる事から始める。
次に庭へ行き、その日の気分で花を選び摘むとエントランスや各場所に生け最後にソロモンに花を分けた。
その後は、各自分担をしてエントランスから廊下、応接間や客室など屋敷全体を掃除していく。
(……集中しないと)
今は仕事中だと何度もそう思うが、どうしても気がそぞろになってしまう。
エヴェリーナは、窓を拭く手を止めた。
(やはり迷惑を掛けない内に、辞めるべきですよね……)
こんなに良い人達をエヴェリーナの事情に巻き込みたくない。
もしエヴェリーナの素性が知られて、意図してセドリックに近付いたのではないかと疑われるのは当然だ。
偶然だったなど誰も信じてはくれないだろう。
スパイや暗殺を疑われ捕まれば、当然ルヴェリエ帝国側はローエンシュタイン帝国に抗議する。
そうなれば関係は悪くなるだろう。まあローエンシュタイン帝国側は、知らぬ存ぜぬを貫くのは言うまでもないので大事にはならないと思うが。
実害がなければ、ルヴェリエ帝国側もそれ以上は動かないだろう。帝国同士の争いは避けたい筈だ。
ただエヴェリーナ自身は、処刑まではいかずとも一生牢に繋がれる可能性はある。若しくはどこかの労働施設に送られ一生働かされるか……。
だがそれよりも、セドリックやソロモン達に幻滅される事の方がずっと怖い。
彼等からの信頼を失いたくない、見捨てられたくない……。
まだこの屋敷に来て、二ヶ月余りだというのにそんな風に思うのが不思議だ。
昔の夢を見たせいか、気弱になっているのかも知れないと一人苦笑した。
エヴェリーナは深く息を吸いゆっくりと吐き、気持ちを落ち着かせる。そして唇をキツく結ぶと気を引き締めた。
屋敷を去る他ないーー
「辞めるって、どうしてですか……」
決意が鈍らない内にと、その日の仕事終わりにミラに辞める事を伝えた。その後にソロモンにも伝えると酷く驚いた様子で動揺をしていた。
「皆様には良くして頂いたのに、本当に申し訳ありません」
理由を述べずに、ただ謝罪して頭を下げた。
ミラも驚いていたが、何か思う事があるのか理由は聞いてこない。彼女なりの優しさだと思う。
「今月中には、お暇させて頂きたく思っておりますので、急な事でご迷惑をお掛け致しますが……どうか宜しくお伝え下さい」
敢えて誰にとは言わずにそう言った。
一介の侍女が辞めるだけだ。本来ならばセドリックへわざわざ許可や挨拶などは必要ない。だが初めにあれだけ豪語した癖に、投げ出すようで情けなく申し訳なく思う。
「今月って、後何日もないじゃないですか⁉︎」
「申し訳ありません……」
「リズさん、待って下さい! リズさんーー」
エヴェリーナはソロモンからの問いには答えずに、もう一度頭を下げ踵を返す。
その際に、まだ何か言おうとするソロモンの肩にミラが手を置き首を振るのが見えた。
(また、私は逃げるんですね……)
情けないだがそれが正しい、そう自分に言い聞かせた。