九話〜皇太子の苦悩〜
ローエンシュタイン帝国ーー
自室で椅子に座りオースティンはワイングラスを煽った。
エヴェリーナが失踪してから三、四ヶ月が経つ。
方々に捜索隊を出してはいるが、オースティンが知った時には既に二ヶ月が過ぎており、痕跡を辿るのは厳しいのが現状だ。
「リナ……」
聡明な子だ。無事でいるだろう。
ただあの責任感の強いエヴェリーナが、姿をくらますなど現実味がない。
深いため息を吐く。
これからの事を考えると気が重くなる。
父にはまだ知らせていないが、いつまでも隠し通せるものではない。
たまたま今の時期行事がなかっただけで、彼女が公の場に姿を見せなければ不審がられる。
ただ暫くは体調不良として、ジュリアス一人出席させればどうにか凌げる筈だ。だが何も出来ないジュリアスを社交界に出すのは正直不安でならない。現在指導はしているが、教育者からは色よい返事は返ってこない。遠回しに厳しいとすら言われている。これまでのツケが回ってきたのかも知れない。
ふとグレッタから受け取った手紙の存在を思い出し、封筒から便箋を取り出す。
彼女らしく、仕事の引き継ぎに関する事柄が書き綴られている。そして最後の一文から目が離せなくなった。どんな思いで、書いたのだろうかーー
翌日、燃えるような赤髪の青年が訪ねて来た。
彼は西大陸にあるカスタニエ国の第二王子だ。ローエンシュタイン帝国に連なる国々の中で筆頭といえるカスタニエ国の王子とあり、よく帝国を訪れている。
彼は挨拶を終えると、深刻な面持ちで口を開いた。
「エヴェリーナ妃の事をお伺い致しました」
「流石、耳が早いね」
「たまたまセレーナ宮に立ち寄ったら、侍女長にお会いしまして、偶然耳にしただけです」
たまたまや偶然、そんな陳腐な言い訳に内心嘲笑した。
彼がわざわざ帝国を訪ねて来る目的は十中八九エヴェリーナだ。彼が昔から彼女に懸想している事は知っている。
「私は取り敢えず、グレミヨンへ行ってみます。何か手掛かりがあれば、直ぐにお知らせします」
彼は、ジュリアスが所有しこれまでエヴェリーナが管理してきた領地へと向かうと言い残し去って行った。
方々に人を手配しているので
無論グレミヨンへも既に到着している筈だ。報告はまだ上がってきてはいないが、彼女がいる可能性は限りなくゼロに等しい。そんな分かり易い場所に身を寄せるなど、彼女に限ってありえない。また疎遠である生家も然りだろう。
一体どこへ行ってしまったのか、皆目見当もつかない。
オースティンは、ジュリアスの様子を見に行くべく部屋を出た。
「彼女、行方不明らしいですね」
廊下を歩いていると、どこからか話を嗅ぎつけた直ぐ下の弟である第二皇子のマクシミリアンが、不敵な笑みを浮かべすれ違いざまに声を掛けてくる。
互いに足を止めるが、向き直る事はせずに前方を見つめる。
「いつ、知ったんだ」
「さあ? 忘れてしまいました」
今は、誰にではなく何時知ったかの方が重要だ。マクシミリアンがオースティンの周囲を監視している事は今に始まった事ではなく、同様にオースティンもまたマクシミリアンを監視している。
「私達の頭の足らない弟のせいで、本当に彼女が不憫でなりません」
「言葉が過ぎるぞ、マクシミリアン」
「申し訳ありません、失言でした、謝罪致します」
心にもない上部だけの謝罪を述べ、大袈裟に頭を下げて見せる。その様子に苛立ちを覚える。
「ですが、これから大変ですね。弟夫妻は、兄上の庇護下にあったのですから責任重大ですよ。彼女は陛下が弟の為にわざわざ選んだ妃ですから、陛下はなんと仰るか……。それに、これまで彼女のお陰で甘い汁を吸っていたのですから、兄上はもっと努力なさらないといけなくなりますね」
「っーー」
笑いを噛み殺しているのが伝わってくる。
腹が立つが、否定出来ない自分が情けない。
正直エヴェリーナには、これまで随分と助けられてきた。オースティンの功績は、彼女の功績と言っても過言ではない。
才女と呼ばれていただけあり、彼女は聡明かつ発想は柔軟で機転も効く。困り事がある時は、彼女に相談すれば大抵解決の糸口が見つかった。
今思えばまだ年端も行かない少女に、多大な負担を掛けてきたと思う。ジュリアスの事だけでも大変なのに、自らの勉学や皇子妃教育、宮殿の管理に社交界、領地の管理、それにオースティンの相談まで全て彼女はこなしていた。
正直、皇太子である自分よりも多忙だったのではないかと思う。
「見つかるといいですね。でも、連れ戻してどうするおつもりですか? 今度はジュリアスと浮気相手の令嬢のお世話でもさせるとか? 兄上も、鬼畜ですねぇ」
堪えきれない笑い声を洩らしながら去っていくマクシミリアンに、オースティンは拳を握り締めた。
マクシミリアンにとってエヴェリーナの失踪は朗報だろう。この隙に、何かを仕掛けてくるかも知れない。
早急にエヴェリーナの探し出さなくてはならない。