未来へ羽ばたく太陽と月
お久しぶりの初投稿です(⁉︎)
『時には、知らないことを知らないまま呑み込んで、先に進んだ方が良いこともあるよな』
『ミステリ小説における謎や伏線を記憶に留めておいて、後に解決の糸口にする、みたいな話ですか?』
『其方らしい理解の仕方じゃな。うん、そういうことじゃ、妾の言いたかったことは』
『では、時代がかった言葉遣いや「妾」とかいう現代ではあり得ないような一人称を持つ貴女のことも、スルーした方が良いんですね?』
『スルー推奨じゃ。まぁ、妾のことは勘付くものは勘付くかもしれんがな。この作品の終盤(https://ncode.syosetu.com/n3270dl/)で大活躍の妾を知らぬ者は居るまい』
『本文中に別小説のリンクを貼らないでください。自由過ぎるでしょう。そんな暴挙を働いている小説を、他に知りませんよ』
『流行りの異世界転生というやつじゃな』
『ページ間移動を異世界転生とは呼びません。それに、一応世界観は共有されています。私も貴方もあそこと同世界観です』
『其方はぶっちぎりのメインキャラじゃしなぁ。さて、早々に脱線した話を戻すが、知らないことを知らないままにしない場合、例えばどういうことになる?』
『知らないからスマホで調べて知った気になる、とか?』
『現代っ子じゃのう。知った気になる、というのは意地の悪い言い回しじゃが。生半可な知識で済ませるのは良くはないが、妾が恐れているのは、それにすらならない。知らないままで終わられることじゃ』
『つまり、何が言いたいんですか?』
『意味わからんことばかり喋っているのを見せられて、読者にブラウザバックされるのが怖い!』
『その自己言及的なメタネタも、遠因になっていることがわかっていませんか?』
『知らない人たちが知らない人間関係を気にしながら、説明なしに能力バトルを始めるんじゃぞ! もちろん知らない概念を交えてな』
『ブラウザバックされること必至ですね』
『今回はご新規さんに優しくない、何なら希少な既読者にもクエスチョンマークを脳内に溢れさせる話をお送りするからな! 乞うご期待!』
『これほど空虚な「乞うご期待!」を聞いたことがないですよ。もうこの時点で、何人がブラウザバックしたことか。評価1すら付けてもらえないでしょうね』
『まあ、ここまでビビらせておけば、本当に大事な要件を聞く者は、もとい読む者は居らんじゃろう』
『え、もしかして人払いのつもりで喋ってたんですか、さっきまでの内容を? で、そこまでして、貴女が話したかった大事な要件は何ですか?』
『其方の子どもらは普通じゃない』
『…………』
『其方も妾も普通の範疇じゃない。特に、炎から生命まで操れる妾が普通を語れる義理なぞないが、それを通り越しても、其方の子どもらはあまりに抜きん出た“才能”を持っておる』
『よく知っていますよ。誰よりも知っている。…………下の子の時は、本当にありがとうございました』
『なんじゃ、気付いておったのか。あの時は名乗っていなかったはずじゃけど』
『心当たりしかないですね。“アレ”を止められるような、止めてくれるような人は、貴女しか居ませんから』
『まーの。出張りもするさ。あの子たちは妾の遠い孫なのじゃから。其方もじゃが。其方も親として良くやっておるよ。褒めてつかわす』
『お褒めに預かり光栄の至りですが、まだまだこれからですよ』
『違いない。子とは育てが終わろうと関係が続くからな。死すらそれを分かつことはない』
『貴女が言うと説得力が違いますね。私もこれからも大いに頑張らなければならないところなんですが、しかし、私の子育ての指針は最低限のもの以外は、結構シンプルなんですよ』
『ほほう。何じゃ、その指針とやらは?』
『それは、ーーーー』
過去よりも未来の方が長い。いつの間にか、そういう意識が自分の中から抜け落ちていたような気がする。
もちろん、三十路を迎えて母親になった今だって過去よりも未来の方が長いはずだけれど、平均寿命を考えると、遠大に思えたカウントダウンが次第に具体的な時を刻み始めたことは否めない。
ゲームのように簡単にリセットしたりニューゲームしたりなんてできはしないから、以前よりも一日一日を大事にしたい。
私だけでなく子どもたちも。
むしろ、まだ小さい子どもたちの時は私のものよりも遥かに尊い。それを護り育てるのが私の使命であり宿命であり、何より生き甲斐なのだろう。
そんなことを考えていると、私も少なくとももう子どもではなくなったのだろうと思う。
なんてね。
知ったようなことを言いつつ、すぐに逆説を重ねてしまうのが私という捻くれ者だし、例えばそう、人生をゲームに当て嵌めることを揶揄しておきながら、平気な顔をしてこんなことを言ってしまうのだ。
タイムカプセルは人生のセーブポイントに似ている。
「タイムカプセルを暴きに行くぞー!」
「おーっ!」「暴く……? え、お、おー?」
何かの物語の始まりのように、私は意味なくテンションを上げて、今回の目的を高らかに宣言した。
本当とも嘘とも言い切れない、言葉足らずに対して、リアクションはとても正直だ。
私は子供たちを連れて故郷への帰路にあった。
「陽羽、羽月、トイレは大丈夫?」
「だいじょぶ!」
「……う、うん!」
後部座席からの二人の返事を聞いて、ハンドルを握る私はほっとする。
「気持ち悪くなったりしたら、すぐに言うんだよ?」
「げんきー!」
「……げ、げんきー」
陽羽は大丈夫そうだ。羽月は陽羽に合わせた空元気な印象だが、平時の調子通りなので、こちらも問題ない。
自家用車の赤いSUVを高速道路で走らせてから、そろそろ一時間くらい経とうとしている。陽羽も羽月もチャイルドシートで大人しくしてくれているからとても助かる。途中からオートドライブスイッチを入れていたから、二重の意味でひと息つけるというもの。時代が進むに連れて、人が車を運転するというよりも、人が車に運転させてもらうといえるくらい楽ができるようになった気がする。お車様様である。
ところで、似たような道が続く高速道路でも、標識を見ずとも地元の県内に入ったのが解ってしまうのは何故だろう。この県は横に長く広がる地形で、私の地元は中部だから、東部の、それも高速道路沿いなんて土地勘は全くないはずなのに。
またしばらく走ったところでカーナビの通知表示を見て、
「陽羽、羽月、お腹空いた?」
私は後部座席に向けて声を掛けると、
「空いたー!」「……喉渇いた」と二者二様の返答があったので、私は次のパーキングエリアで降りることにした。サポート機能が多い自動車とは言え、私も少し疲れた。長距離運転の際は必ず休憩を取るようにしましょう。
まばらに空いた広い駐車スペースに車を停めて、私は運転席から外に出た。大きく伸びをすると、背中や腰から骨の軋む音がする。
陽羽と羽月も自分たちで車から降りて、ドアを閉めたところだった。
「ここのパーキングエリアはね、結構美味しいものが多いんだよ。ちょっと早いけどお昼ご飯にしようか」
ウィンクを添えて言うと、二者二様のはしゃぐ声が聞けた。私は満足を表面化するように頷く。
二人の手を取って施設の方へ向かおうとした時に、陽羽が何の気なしに呟いた。
「パパも一緒に来れたら良かったのにねー」
思わず足を止めてしまった。手を繋いでいた二人の足も連鎖するように止まる。そして、同時に四つの瞳が私を見上げてきた。私の硬直を不審に思ったのだろう。十秒もないほどの僅かな時間だけれど、私は全神経を総動員して、表情に柔らかな笑顔を作った。
「そうだね。ママもそう思うよ」
チラリと後ろを少し振り返りながら言う。子どもの呟きも思いも、同時に私のものでもある。
すぐ側にある、今降りた自動車もそう。夫が気に入って選んだ車なのに、今では私しかこの車を運転する者は居ない。
きっと、これからもずっと……。
昼食のB級グルメからソフトクリームまで舌鼓を打ってから、再び高速道路に出た。ここからはもう三十分くらいで下の道に降りられる。少し仮眠も取れたので、スッキリした頭でハンドルを握ることができる。
「ママー、トイレー」
「えっ、さっき行ったばかりでしょう⁉︎ パーキングエリアにはもう戻れないし、しばらくはトイレないのに」
「……って言ったらビックリするー?」
「……陽羽ちゃん、後でママとゆっくりお話ししましょうね。サシでな」
「うひゃー、ママこえー!」
ルームミラー越しにひと睨みしてからため息を吐く。この性格と言い、癖っ毛と言い、この子は私や夫よりも叔母に似ているような気がする。
元気があり余る陽羽に対して、羽月はチャイルドシートに収まりながらも頭を抱えて俯いていた。
「どうしたの、羽月? 具合悪いの?」
「……こわい」
「……え?」
「パパとママと同年代の大人こわい‼︎」
「……。えーと、羽月ちゃん。何が怖いの?」
「双子の子どもを珍しがって、私たちの前に群がって『わー可愛いー』とか言いながら『二人も居るんだから一人くらい良いだろう』とか言って、可愛い陽羽ちゃんの方が連れ去られちゃうんだぁ〜! ……ひぐっ、ぐすっ」
「羽月、落ち着きなさい。ツッコミどころが多くてどこから処理すれば良いかわからないけど、まず、今日行く場所に誘拐犯は居ません」
「居ないの?」
「居ません。居てもママが返り討ちにします。できないと思う?」
「ギッタギタのメッタメタのボッコボコにしそう」
「ママなら大丈夫そう」
「そう、大丈夫。あとは、羽月、あなたもとても可愛い。自信を持ちなさい」
「え、でも、よーちゃんは世界一可愛いから……」
「何言ってんの! 世界一可愛いのは、あたしじゃなくて、つきちゃんでしょ!」と、割って入ったのは陽羽だ。
「え、私よりもよーちゃんの方が可愛いでしょ」
「あたしも可愛い。でも、つきちゃんはもっと可愛い」
「えぇ……」
「いい、つきちゃん。これからあたしの言葉を復唱してみて」
「え?」
「リピートアフターミー」
「い、イェス」
「つきちゃんは可愛い!」
「…………」
「ほらっ、ちゃんと繰り返して。ちゃんと言葉にして。リピートアフターミー。トラストミー」
「えー。わ、わかった」
「つきちゃんは可愛い!」
「つ、つきちゃんは可愛い!」
「つきちゃんは可愛い!」
「つきちゃんは可愛い!」
「つきちゃんはめっかわ!」
「つきちゃんはめ、めっかわ……?」
「いえー!」
「い、いえー!」
……………………。
変な子たち……。私が言うのも何だけど。
陽羽と羽月の物心ついた時から、対照的な性格ながらも仲が良い。互いに互いがこの世で一番可愛いと思っている節があり、しょっちゅうこうしてイチャついている。
こういうところは誰に似たのだろう。
さて、このまま双子の桃色の掛け合いをお届けしても良いのだけれど、これではいつまで経っても本題に入れないし、目的地にも辿り着けない。
少しだけ巻きでお送りする。
高速道路を降りて、そのまま国道沿いを西方面に進むと市街地に入る。途中の交差点ーー銀行・ガソリンスタンド・パチンコ店などがある、昔通い慣れた交差点を北側に曲がった。さらに突き当たりを左に曲がったところで、校門が見えてきた。既視感を覚える間もなく、私たちは車ごと敷地内に入った。
今日は日曜日。部活動もなく教員も居ない。その筈だが、聞いていた通り入って右手の駐車場には既に10台ほど車が駐められていた。私も空いていたスペースに駐車し、陽羽と羽月と一緒に車を降りた。
二人の手を引いて昇降口まで来たところで、事務室の前にパンツスーツを着た女性が居た。彼女は新庄玲子と名乗った。外部から雇った進行・管理役らしい。新庄から名簿を受け取って記名した。
「この子たちの分は?」両手に繋いだ子どもたちを指して訊くと、
「お願いいたします」
と、慇懃に言われたので、私は二人にペンを渡してそれぞれ記名させた。チラリと新庄の方を窺うと、彼女は意外そうに目を見開いた。まだこの子たちはギリギリ就学前の歳だけれど、既に自分の名前を漢字でスラスラと書ける。私自身の幼少期には何とも思わなかったが、子どもたちのこととなると少し誇らしい。
羽月が自分の名前を書いたところで、私に名簿を押し付けるようにしてすぐに私の右脚の後ろに隠れてしまったので、代わりに新庄に名簿とペンを返した。
「寺井晴輝の代理の者です。事前にご連絡した通り、妻の私と子どもたちとで参りました」
名簿を確認する彼女にそう伝えると、どこか緊張感を纏った態度をようやく少し緩和させた。
「確認いたしました。集合場所の三年B組の教室にお越しください。教室の場所ですが……」
「二階の、すぐそこの階段を上がって左手方面にあるんですよね? 大丈夫です。覚えています」
彼女の会釈を通り過ぎるようにして、私たちはすぐ近くの階段を登って二階に上がる。随分久しぶりだけれど、校舎の改修も教室の配置の変更もないようなので、ほぼ記憶通りだ。四階が一年と教科の準備室、三階が二年と特別教室、そして二階が三年の教室になる。微かに話し声が聞こえるので、わざわざ捜しまわるまでもない。扉も開いているので、そのまま教室の中に入った。
「こんにちは。ご無沙汰しております」
私が挨拶すると、真っ先に声をかけてきたのは男性二人だった。
「おー、晴輝の代理って君だったんだ」
「やあ、久しぶり! ……というほど親しくはなかったけど、俺たちのこと覚えてるか?」
……正直に言えば、思い出すのに数瞬の時を要したが、問題ない。顔と名前が一致した。
「上田さんと中村さんですね。ご無沙汰してます」
高校時代に夫と交友があったから、ほぼ間接的ながら、全く知らない人たちではない。逆に、私が有名人として向こうから知られているようなフシがあるのだが、それこそ私の知ったことではない。
慎ましやかに生きてきたつもりなのだ。
これでもね。
「高校時代もそうだったけど、更に綺麗になったね」
「はっはー、そちらもお変わりなく」
「で、この子たちはもしかしてお子さん? 姉妹?」
「双子なんです。ほら、挨拶して」
私が促すと、弾けるように前に出てきたのは陽羽だった。
「あたしは陽羽! こっちの可愛い子がつきちゃんだよっ!」
陽羽に指名されてビクッと全身を硬直させながら、視線を周囲に彷徨わせる。キラキラとした瞳を向ける双子の姉に、愛想笑いを浮かべるだけで一向にフォローを入れる様子のない母親。羽月は絞り出すように声を出した。
「わ、わたしは羽月です。よーちゃんの方が五億倍可愛いです……」
五億って……。しかし、身内贔屓なしにベクトルは違えど二人とも可愛い。誰に挨拶させても恥じることのない自慢の娘だ。
小さな子どもを連れて来ているのは私だけのようで、周囲には歓迎ムードが漂っている。羽月が早々に私の陰に隠れてしまった一方で、陽羽はあちこち歩き回って周りの大人たちと交流を始めている。
「しょくむしつもんをします! みぶんしょーのていじをおねがいします!」
「警察ごっこかな? 本格的だね」
「お父さんが警察官だもんね」
「はい、どうぞ。運転免許証ね」
私は申し訳程度に「あんまり迷惑かけちゃダメだよ」と言っておく。実に微笑ましい。
「弱ったなー。お巡りさん、俺、違反歴あるから原点がかさむとやばいんだよ」
「あーほんとですねー。二年前に一時停止違反やっちゃってますねー」
「うそ、なんで知ってるの。その端末で何が見えてるの。え、マジなの」
……この辺りはノーコメントで。
ふと足元から視線を感じた。羽月が長い前髪越しに私を見上げている。少しだけ払ってやると私にそっくりな切れ長の瞳が見える。
「適材適所ってやつだよ。羽月には羽月の輝ける場所がある」
「……輝きたくない……むり……」
私は大きくため息を吐いた。てっきり、ある種歓迎すべき劣等感を持っていると思ったのだが。
「将来の夢はリモートワークが良い」
「志して就く仕事ではないね」
「素顔も晒したくない。自分の映像の代わりに絵を置きたい」
「Vtuberにでもなるつもりか」
この子が本気で目指す夢ならば応援したいのだが、色々な意味で惜しい気がする。
「よーちゃんに養ってもらうのが一番良いな……」
「チョップ」
「あぅぅ……」
最悪ニートかヒモにならなければ何でも良いか。
「つきちゃーん、ママー、あたしが戻ったぞー!」
アラレちゃんを彷彿とさせる走り方で、陽羽が戻ってきた。何故か羽月とのハグを一度挟んでから、私の元に来たので腰を屈めて片耳を傾けた。
「身分証を見せてくれなかったのは三人だけ。見せてくれた人たちの身分証に偽造の形跡はなし。内訳は要る?」
陽羽は潜めた早口で私に告げた。
「陽羽に見せなかった三人分だけお願い」
私は、自分の端末で即興で作っておいた今日の参加者名簿を、陽羽の方に向けた。それを見た陽羽はすぐに指差してくれる。
「この人とこの人と、あと、この人。ねえママ、この人ってさ……」
「……ああ。私が睨んでいた通りの人物だ。そろそろ尻尾を出すかもしれない。よくやった。ありがとう、陽羽」
「うへへへ」
陽羽は子どものように笑った。
少しの時間席を外すと言って、姿を消した新庄は、数分後に台車に大きな箱を乗せて戻ってきた。
宝箱の形を模しているが表面は何かの合金で造られているようだった。開け口には何とも形容し難い形の穴、そしてその上に昔のスマホと同じくらいの大きさの液晶が取り付けてあった。
どうやらこれがタイムカプセルらしい。
タイムカプセルは校庭のどこか空きスペースに埋めてあるものと相場は決まっているが、既に掘り起こされた後だった。エモさよりも効率重視らしい。子どもたちに体験させてあげられなかったのは少々残念だ。
まだところどころに土汚れの残ったタイムカプセルは、まさしくカプセルと言うに相応しい。が、周囲は混乱しているようだった。当時を詳細に覚えていない人が居ても無理はないが、少なくともここまで厳重に防護されたタイムカプセルにした覚えは、誰にもないからだった。
「セキュリティと内容物の保護のため、埋めた直後にこちらのカプセルに入れ替えられたようです。運営としてカプセルの場所は伺っておりましたが、解錠方法につきましては全く。鍵をお持ちの方は……」
私が手を挙げた。タイムカプセルの容れ物を作った“ある人物”が夫に渡して、その夫から私の手に渡ったという訳だ。
「私が預かっています。そのまま解錠してしまってよろしいでしょうか?」
「ええ、よろしくお願いします」
歪な形をした鍵を穴に挿してそのまま横に捻ると、途端に液晶が点灯した。私も詳細な仕組みは聞いていなかったが、どうやら鍵は液晶部分の起動スイッチ、あるいは電源を作動させるためのものだったようだ。
白く点灯した液晶が再び暗転し、そこに白文字で次のような文章が現れた。
『同窓生の皆様。十二年の時を経て、この場に集合されたことをお祝い申し上げます。余興代わりに、私からもう一つの鍵を設定させていただきました。鍵、すなわちこれから私が出す問題に答えていただきます。回答を誤った場合は、内蔵された薬品でタイムカプセルの中を焼失させてもらいます。あ、でも、外側の皆様には一切危害は及びませんからご心配なく』
私以外の皆がざわついたのは言うまでもない。私もここまでするとは聞いていなかったのだが。製作者を後で締め上げなければならない。
しばらくして現在の文章が消え、代わりに長い文章が一挙に現れた。
『A・B・Cの三つの扉があります。ここから一つだけ正解の扉を選びましょう。一つを選んだ後で、不正解の扉が一つだけ開かれます。その上で、もう一度だけ扉を選び直すことができます。
最初に選んだ扉にするか、選び直した方の扉にするか。
より正解の確率の高い回答で、正解の扉を導き出してください』
と、ここまでが問題文らしい。その下にも更に何かが書いてあった。
『この問題への回答権は持つのは一人だけ。ただし、回答者は一度だけ回答権を他者に譲渡することができます』
追記された注意書きに、私は少々吹き出してしまった。別に笑いどころではなかったのだけど。……問題の方でも選び直しの権利があるように、回答者の選び直しもできるようにしているようだ。
さて、回答者が誰になるかと言えば、周囲の視線が私に集中していた。
「やっぱりねぇ……」「そうだよね……」
私の卒業後の活動を熟知している人はこの中には居ないだろうが、卒業前の私の人となりだけで十分なようだ。
「わかりましたよ。私が回答者を引き受けます」
精々、肩を竦めてため息吐いて、呆れながらも渋々回答権を承諾するポーズを作った。
この展開は読めていた。
恐らくは、出題者も。
ただし、
「では、回答権の譲渡の権利も使わせてもらいます。私は回答権を子どもたち、陽羽と羽月に譲渡します」
私のこの行動までは果たして読めていたのだろうか。
言うまでもなく顰蹙を買った。
「回答権を譲渡する他者が何人かについては、どこにも触れられていませんでしたよ。グレーな解釈ですが、二人に譲ることは可能なはずです」
「「そうじゃなくて!」」
まさか私が早々に回答権を幼児二人に譲渡するとは、誰も思わなかったろう。だいぶマイルドに言い換えられたが正気の沙汰じゃないようなニュアンスのことを言われた。
しかし、私は生まれてこの方正気を失ったことなどない。たったひとつの冴えたやり方を常に求めている。
今もそう。
「あたしたちが解いて良いの? うわー、スッゲー、ワクワクすんねっ!」
「むりむりむりむりむりむり!」
子どもたちのリアクションも良い。やる気満々なのは陽羽で、水を払う大型犬のように首どころか全身を横に振るのは羽月だ。
陽羽の頬をムニムニしてから、私は腰を落として羽月の顔を正面から見つめた。
真っ直ぐで長い黒髪。前髪も長く、その奥に覗く瞳はウルウルと震えていた。
しかし、羽月は特に私に似た子だ。
自身で望む以上に知恵を得てしまった子。
だから、
「羽月。怖いのはわかるけど、ウソをついちゃダメ。貴方なら答えに辿り着ける」
……この母親の目は誤魔化されない。
羽月は解法を理解している。
改めて、陽羽と羽月について。
二人は二卵性双生児の姉妹。陽羽が姉で羽月が妹。
陽羽は少しだけ色素の薄い癖っ毛のショートカットで、クリッとした大きな瞳が本人の人懐こさを直接表している。両親よりも彼女の叔母にあたる優雨によく似ている。
根が天真爛漫だが、念の為測らせたところ、IQは138相当。頭の回転が速く、特に計算能力が高い。
偶にひねたことを言うけれど、根の明るさが働いて、どんな人相手にもポジティブな印象を与える。要は、笑い話にしてしまうのだ。どこかの兄妹の血筋は確実に受け継がれている。
保育園にて「友だち百人できるかな」を入園式の日に達成した超陽キャ。それが長女の陽羽である。
一方、妹の羽月は対人コミュニケーション能力に難があり、ネガティブかつ臆病、心を開いた人以外との会話が吃りがちな、陰キャである(母親の私がここまで辛辣なことを言いたくはないけれど)。
真っ直ぐな黒髪を長く伸ばしていて、前髪もカーテンのように目線を遮っている。自覚はないが、夫を含めて周りの人たちからは、顔立ちが私に非常によく似ていると言われるーー似ているかはさて置き、表面上の性格に似合わず、羽月の瞳は細く鋭い。
そして、特筆すべきはその能力。IQは推定180以上(正確な計測ができていない)。身体能力も高く、特に駆け足が速いーーここは夫譲りかもしれない。他にも公言をなるべく避けたいようなものもあるが、羽月の内気な性格は感受性の高さから来るものだけでなく、一種の安全装置としても機能しているのかもしれない。
いずれにしても、愛すべき私の娘たち。
良くも悪くも、この子たちは普通じゃない。
「んー、でもさー、これってどっちの扉を選んでも確率は1/3なんじゃないの? どれを選ぼうが正解は三つの内一つなんだからさ。それか、当たりかハズレかの確率も、やっぱり両方1/2だよね」
陽羽がそう言うと、周りの大人たちも頷いていた。就学前の子どもが確率と分数を理解していることについてのツッコミを呑み込みながらも、彼らも陽羽と同じ意見だったからだ。
「だよねー! だよねー!」
と、無邪気に周りの大人たちの同意と微笑ましさを得ながら、しかし、陽羽は双子の妹に視線を送っていた。羽月が何かを言いたそうにしている気配があるのを、陽羽はちゃんとわかっていた。陽羽の方から促そうかどうか。母親はニコニコと微笑んでいるだけで何の助け舟も出そうとしない。
陽羽が口を開きかけた瞬間、羽月がギュッと目を瞑って、
「と、扉を変えた方が正解です!」
少々裏声が混ざりながらも、羽月は大きな声を上げた。自身でも思ったよりも声が大きくなってしまったのか、言った直後に羽月はアワアワと視線が泳いでいた。
陽羽はそんな羽月の様子に萌え狂いそうになりながらも、羽月の言葉の続きを促す。
「つきちゃん、扉を変えた方が確率が高いの?」
「う、うん。扉を変えない方が正解を引く確率は1/3。変えた方が正解を引く確率は2/3なの」
「分母が3? なんで? 場合分け?」
「AからCまでどれでも良いから一つ正解を仮定して、扉を変える場合と変えない場合を挙げていくと……」
「……。あっ、スッゲー! ほんとだ! つきちゃん天才!」
陽羽は早々に理解したようだが、周囲はクエスチョンマークを重ねる一方だ。
「羽月、みんなに説明してさしあげて」
「えっ、……えー、でも、」
「二度は言わないよ。根性出しな」
「うぅ……」
羽月が身を固くしながら辿々しくも一同に説明した内容は、以下の通りになる。
扉Bが正解だと仮定して、最初に選んだ扉をA,B,Cの三つの場合で分けて考える。
Aを選んだ場合、ハズレの扉としてCが開かれるから、AからBに変えた方が正解になる。変更しなければハズレ。
Bを選んだ場合、ハズレの扉としてAが開かれるから(Cが開かれる場合もあるが仮にAとする)、BからCに変えた方がハズレ。変更しなければ正解。
Cを選んだ場合、ハズレの扉としてAが開かれるから、CからBに変えた方が正解になる。変更しなければハズレ。
以上の結果を纏めると、変えた方の正解数は三回中二回ーーつまり、正解率は2/3。一方、変えなかった方の正解数は三回中一回ーーつまり、正解率は1/3。
より正解率が高くなるのは、開ける扉を変えた方になる。
直感と実際の確率が食い違うという、不思議な問題だ。
「羽月、あなたはモンティ・ホール問題は知ってる?」
私が屈みながら羽月のサラサラな髪を撫でて言うと、
「モンティ……ホール? 穴? え?」
彼女は私の言葉に困惑していた。
モンティ・ホール問題は、外国のとあるクイズ番組から端を発した数学の問題で、内容はタイムカプセルを解錠するためのあの問題と全く同じだった。
羽月は見事に正解を導き出したが、モンティ・ホール問題そのものは知らなかった。
私がまだ教えていなかったからだ。
……逆に、タイムカプセルを施錠した人物はモンティ・ホール問題のことを知っていた。
私が既に教えていたからだ。
ともあれ、めでたく解錠できたタイムカプセルからは、各人の埋めたものが出てきた。一見しただけでも、その保存状態の良さがわかる。手が込んでいたのは封じる機能ばかりではない。タイムカプセルの製作者である、あの妹分を少しだけ許す気になった。
新庄の仕切りで、高校時代の学籍番号順に各人のタイムカプセルを渡し始めた。敢えて具体的に取り上げるつもりはないが、受け取ったリアクションは人それぞれ。懐かしさに目を細める人だったり、苦笑を浮かべる人だったり、受け取ってすぐに隠す人だったり。
一方の私は。高校時代の夫が何を遺していたのかと、好奇と期待の思いを込めて、堂々と受け取ろうと。そう思っていたのだけれど。
「それでは次に、寺井晴輝さんのタイムカプセルを……」
言い切る前に、私は新庄の手を掴んだ。
「ちゃんと渡してもらえますか? 手品師のごとく器用に、貴女が袖の下に隠したものを」
彼女の指先がピクリと動いた。
「何のことでしょうか。私は何も隠してなどいませんが」
「失礼」右手で肩を、左手で手首を掴んで、腕を強制的に真っ直ぐにすると、袖口からケースに入った封筒が落ちてきた。肩を押さえていた右手でそのまま新庄を突き飛ばし、即座に封筒を回収する。
「貴女の袖から出てきたこの手紙こそ、私の夫のものだと思うのですが……。違いませんよね?」
周囲に見せつけるようにして封筒を掲げた。
『未来の僕たちへ 寺井晴輝』
高校卒業時の、夫の筆跡だ。確信を持って言える。
「うっかり紛れてしまったなんて、惚けたことを言わないでくださいね。貴女のような人がここに来るのはわかっていました。だから、夫ではなく代理の私が来た」
私がそう言うと、新庄は僅かに顔を伏せた。そして、顔の陰を濃くして棘のある口調で言う。
「っくく、それはどうでしょうねぇ? 寺井晴輝さんは来なかったのではなく“来られなかった”のではありませんか?」
指パッチンを一つ。新庄と私たち家族以外の全ての人間が、糸が切れた人形のように不自然な姿勢でその場に倒れ込んだ。皆意識を失っているようだ。正確な仕組みは理解できていないが、私たちの纏う“加護”で防げる程度か。双子も無事だ。今までと表情ひとつ変えていない。
新庄は首を不自然な角度に傾ける。そして、口元だけパックリと裂けるようにして笑った。
「あー、えー、まあ良いです。皆さん、別に殺してはいませんよ。眠ってもらっているだけです。その方が都合が良いでしょう、貴方たちも」
「…………」
「我々の界隈でこういう噂が流れているんですよ。『寺井晴輝は職務中に殉職した。そしてその死が周囲にひた隠しにされている』とね」
息を呑んだ。自分の表情はわからない。
「え? どうなんですか? 答えられませんか? そうですよねぇ。奥様も彼の死を隠す立場にあるのだから」
私は顔を伏せる。そうするしかできない。
「それなら、子供たちに訊いてみようかしら。ねーねー、陽羽ちゃんと羽月ちゃん。あなたたちのパパは生きている? それとも、死んじゃった?」
陽羽と羽月は互いに顔を見合わせてから、硬質な声で答える。
「パパはお仕事で遠くに行ってるって、ママが言ってたよ。ねえ、つきちゃん」
「う、うん。死んじゃったって、パパが? この人、何を言ってるの?」
「うん、あなたたちのその反応は嘘をついていない。嘘をついていたのはママの方ね。そうでしょう?」
「…………」
私は何も言わない。ただ、意図して目の前の女を睨みつける。
「安心しました。私ももちろん一人でここに来た訳ではない。しかし、警察の組織力には到底敵いません。ああ、本当に安心した。奥様と子供二人相手ならば逃げられる。情報は十分に得られましたので、私は失礼させていただきます」
新庄が背を向ける気配がしたので、私はわざと聞こえるように息を漏らした。
私はここに至って初めて頬を緩めた。
余裕のない様子を見せていた私の異変に気づき、新庄は眉を顰める。
「何がおかしい」
「貴女の言っている数々が、先ほどから見当はずれなことばかりなのですよ。貴女はこの場から逃げられるとお思いで? そして、貴女を逃がしてくれる仲間はどちらに居られるのでしょう」
スーツ姿の男たちが周囲から現れた。計二十人ほど。
「ほら、そこかしこに沢山……」
「お仲間ならば顔と名前はきちんと覚えておくべきではありませんか? 名前はここでは申し上げられませんが、……六名の方々は非番なのに、お呼び立てしてごめんなさいね」
私がそう言うと、六人が苦笑を浮かべながら一礼した。
「な、なんだ。お前たちは……警察? いや、統率できる人間なんて居ないはずなのに⁉︎」
「貴女が居ないと思い込んでいる人が、本当は居るからーー生きているからに決まっているでしょう」
「まさか、そんな……⁉︎ 話が違う! 奴が死んでいると聞いていたから私は……」
いやもう全く、勘違いも甚だしい。
丁々発止、拮抗した相手同士の駆け引きをするつもりなど、こちらには全くない。
圧倒的な実力差で捩じ伏せるだけだ。
「陽羽、とどめを刺してあげて。焼き過ぎない程度にね」
「おっけー」
陽羽が新庄に向けて駆けて行く。身体能力は高い方だが、とは言えまだ幼児レベル。大人に追いつけるほどではない。だが、新庄は陽羽に視線を引きつけられている。
陽羽を“見ている”。
この時点で、もう勝ちは決まった。
陽羽は両手の人差し指を左右のこめかみに当てて、にっこりとはにかんだ。
「てへっ」
次の瞬間、新庄は声にならない悲鳴を上げた。もがくように頭を押さえて、落ち着きのない様子を見せている。その状態が数秒続き、白目を剥いたかと思うと、その場に倒れ伏した。
新庄玲子に何が起きたのか。
事実だけ挙げれば、脳が“日焼け”したのである。
陽羽の“才能”は、自身から“日光”とも呼ぶべき光を放ち、それを操れること。
まだ陽羽自身が“才能”の全貌を使いこなせているとは言い難いが、部分的にはもう応用の域に入っている。
今回の場合、陽羽が放った“ぶりっ子ポーズ”を新庄が目で捉えたことで、視神経を通して日光が脳に伝わり、任意の相手の記憶を“焼いて”消すことができる。デリケートな内容な分、条件を満たさなければならないが、それでも尚強力な“才能”だと言える。
……かつて“忘れない才能”を持っていた私の娘が、“忘れさせる才能”を持つというのは、どういう因果から成るものなのだろう。皮肉とは思わないけれど。
拘束するため、記憶を焼くついでにそのまま気絶させた。刑事たちは、新庄の身柄を回収し速やかに去って行く。尋問なども含めた、彼女のその後は全て彼らに委ねることにする。
問題なくやり遂げた陽羽は、こちらを振り返り、歯を見せてニヤリと笑った。側に駆け寄って、思い切りぎゅっと抱き締めてふわふわの髪をくしゃくしゃする。
「よくやった、陽羽」
「えへへー」
無邪気にーー邪なものを識りながらも決して染まらない陽羽の性格が起因しているのかもしれないな、陽羽の“才能”は。
「でも、記憶消しちゃって良かったの? この人から聞きたいことがあったんじゃないの?」
「問題ない。彼女の足跡から、彼女を送ってきた者たちのことを辿ることができる。今後のことを考えると、彼女が敵対したままでいることの方が厄介だ」
故に、“敵だった時の記憶”を消してしまった方が都合が良い。
それに、必要となれば、記憶を取り戻す手段もある。
探りを入れた限り、新庄を主軸として寺井晴輝のタイムカプセルを奪うこと、そして周囲の情報を得ることが向こう側の作戦のようだから、本来の目的を達成できそうだ。
十二年前に書かれた手紙。文字通り紙なのに、さほど劣化していない。糊を剥がして封筒を開き、私は手紙を開いた。
『これを読んでいる時、きっと僕はその場には居ないだろう。
そもそも、この手紙は未来の自分に宛てたものではなく、未来の自分の側に居る人に宛てたものだ。
未来の僕の大切な人が、これを手に取ってくれていると嬉しい。
さて。そもそも、タイムカプセルに遺すほどの過去としての価値を、僕は今の自分に見出していない。“過去の自分”なんて存在はトラウマ製造機に過ぎないから、これを書く今の自分がそうならないとも限らないのだ。
自分で自分を振り返ると恥ずかしいから、今の僕を過去として遺す代わりに、今の僕を未来の自分の大切な人に伝える。
誰にも具体的な話は決して打ち明けなかったのだが、僕は警察官になりたいと思っていた。
正義は一人で成り立つものじゃない。人それぞれの正義があって、一つの正義だって何人もの人たちから成り立っている。
警察官。弁護士。検事。裁判官。エトセトラ。父親を見て、あるいはそれ以上にこれまでの経験から、僕はそのことを学んだ。
“良い人になりたい”という願いを具体的にするにあたって、どのような形が自分に相応しいか。
そこで選んだのが警察官の道だった。
罪を憎んで人を憎まず。
罪を犯した人を調べ、捕え、償う場に立たせる。
それが自分に合う道だと考えて、僕は進路を選んだ。
もっと言えば、僕は警察官の中でも権力が欲しい。同じ公務員でも国家公務員になりたい。
子どもでいることの無力さを味わうのはもう御免だ。力を得て、守りたいものを全て守れるようになりたい。
どうやら僕や、僕の周りの人たちは“普通”には生きられない運命にあるらしい。この期に及んで、それを否定することはもうできなくなった。
なればこそ、僕は力が欲しい。その為の努力を続けていることだろうと、僕は未来の自分に願う。
僕は僕が目指した僕に近づけているだろうか。
叶っているのならば嬉しいし、叶わなくても、まあ少なくともその健闘を讃えてあげて欲しい。
誰がこれを読んでいるかはわからないけれど、どうか未来の僕をよろしく頼む。
……自己言及的なメタネタに散々ツッコんできた僕が言うのもなんだが、改めてここまで書いてきた文章を見てみるとやはり、乱れを感じずにはいられない。気ままでセンチな文だ。文章力の成長も、未来に期待しておきたい。
さて、紙幅に限りは特に設けていないにしても、夏目漱石の『こころ』の先生からの手紙ばりに長文を書くつもりもないので、そろそろ締めようか。
未来への期待ばかりを書き遺しても、それこそ過去が嫌われる要因になりかねない。少しは未来に役立つものを遺しておこう。
この封筒にSDカードが同封されている。保存用のケースに入れてあるから十二年後まで保っているはずだ。十二年後にSDカードがどの程度利用されているかは予想できないが、少なくとも内容は役に立つと思う。
ドクター・キリシマが、この地域一帯のある年の新生児についてまとめたレポート。
写真データも容れられるだけ添えてある。
ドクターが僕に送って寄こしたものだ。処分するにはあまりに意味を持ち過ぎている。だから、タイムカプセルに同封しておくことで、現在の僕から遠ざけることにした。七海の協力も得たから、タイムカプセルを開ける時になるまで確実に封じておけるだろう。
この“秘密”を背負えるだけの大人になっていることを願って。
……。この手紙を誰が読んでいるかわからないとは書いたが、誰が読んでいるだろうという予想はできているんだ。
予想、願望、そして同時に確信でもある。
今まで本当にありがとう。そして、これからもよろしく、香純』
ラブリーマイダーリン、もとい夫が最後に盛大に惚気てくれた。
手紙が彼自身に宛てたものではないとは聞いていたけれど、まさかこの私、旧姓・雲居香純に宛てたものだったなんて。
このタイムカプセルを埋めた高校卒業時には既に、彼は私と結婚するつもりだったのだ。
『願望、そして同時に確信でもある』とか。
照れっ。
浮ついた気分をどうにか抑える。ふと思いついて、私は羽月に向かった。
「羽月。少しだけ“月食”を使って、パパを探してくれる?」
「え、パパを? ……どうして?」
「私の勘だと、多分近くに来ているはずだから」
「わ、わかった」
羽月は頷くと、深呼吸を一つしてから、左目を押さえた。表に出た右目が大きく開かれると同時に、長い髪が僅かに浮き上がったが、スリーカウントで迫力は雲散霧消する。
羽月の“才能”の一部である“月食”は、陽羽とは真逆のものーー陽羽の“才能”が光を放つ力だとしたら、羽月の“才能”は光を受け取る力。具体的には、一定の範囲内でものの存在や人の意識や思考に至るまで、任意のものを検索して情報を得る力だ。便利に思えるが、制限をかけなければ膨大な情報量で脳の機能が停止しかねない危険を孕んでいる。…………最初にこれが発動した時に、唯一止められる“あの人”がその場に居なかったらと思うと、今でもゾッとする。
今の羽月がノーリスクでできるのは、三秒以内で半径百メートルの範囲だ。それでも十分に強力で、この設定を超えると心身に悪影響が出る。
「……ほんとだ。パパ、居るよ。あっち。二時の方角から走ってくる」
羽月の言う通りに視線を向けると、
「参ったよ。やっぱり君たち相手に隠しごとはできないね」
身を包んだ長身。整髪料でキチっとまとめていても少しだけ癖毛の名残がある。走ってきたのに少しの息切れもなく、彼は、寺井晴輝は苦笑を浮かべて現れた。
「パパだーっ! きゃっほう!」「わー・・・・・・!」
思い思いにはしゃぎながら、陽羽と羽月がパパの足元に抱きついた。
可愛い我が子等がとても微笑ましい。しかし、愛すべき夫にはまた異なる意味の笑みを浮かべずにはいられない。
子供たちを撫でる彼の手つきはとても優しい。これもまた微笑ましい光景だ。私に向けた引き攣った表情さえ除けば。
「『貴方が来られるのなら、わざわざ私が来る必要がなかったんじゃないの』という台詞は呑み込まないといけない?」
「どうにか呑み下して。“彼ら”相手には僕はあまり表に出ない方が良い。何なら死んでいると思われた方が都合が良かったのは、君もよく知るところだろう。タイムカプセルと君たちが囮になってくれたお陰で上手くいった」
「狙い通りに工作員を一人捕まえられたから、死んだふりはもうする必要はないんだよね」
「うん。それに、この子たちに一定の経験を積ませる為とはいえ、下手に“才能”を晒すのは良くない。なるべくこういうことはもうやらせたくないよ」
「でも、正直に言ってこの子たちの相手じゃあないよ。陽羽、羽月、どうだった?」
「よゆーだったね!」「よ、よーちゃんだったら余裕だったね!」
「はぁ・・・・・・。散々話し合ったことだし、僕も納得もしているけど、心配なものは心配なんだよ」
「私はこの子たちを心配しているけれど信用もしている。いざという時は私が必ず守るから」
「やれやれ・・・・・・。それなら、僕はそんな君ごと家族を守るさ」
「ちゅっ」
「情緒はどうした!? 脈絡なくキスしないでくれる?」
「隙だらけでお可愛い旦那様ですこと」
「部下を帰していて良かったよ。本当に良かったよ」
「そんな私は好きだらけ」
「早く帰ってだらけたいよ」
「折角だから、このまま実家に帰りましょう。お義父さんとお義母さんにも会いたいし。貴方もしばらくはゆっくりできるんじゃないの?」
「三日くらいならね。それに、父さんから孫を連れてこいって散々言われてたしな。陽羽と羽月も良いか?」
「行きたい行きたい! ねっ、つきちゃん!」「う、うん。元から行くのかと思ってた」
「決まりだね。久しぶりに貴方が運転する?」
「おおっ! ぜひ運転させてくれ! ・・・・・・折角僕が選んで買った車なのに、全然乗れていなかったからなぁ」
「昇進するのも考えものだよね。出勤に送迎車が出るから、貴方が運転する機会がないという・・・・・・」
「仕事中も部下たちに運転させてもらえないからね」
「わはは、パパかわいそうっ」
「・・・・・・あ、あの、パパ、運転に慣れていない人は、馴染みのある道を短距離から慣らした方が良いらしい、よ?」
「・・・・・・・・・・・・」
「泣きそうな顔で黙って訴えかけてこないで。とりあえず、実家までは私が運転するから」
そんなこんなで。
私たちは大人になり、結婚して、子どももできて、家族を得た。
波瀾万丈な学生時代を送ってきた私たちの後日譚が、さらに滅茶苦茶なことになるとは思わなかったけれど。
私たちの基本“日常系”だったジャンルがだいぶ脅かされている。
昔よりも煩わしいことが多いけれど、それ以上に得たものも大きく、不可逆な時の流れを生きる上でそれは何よりも尊い。
愛する夫と可愛い子どもたちを乗せて。
ハンドルを握りアクセルを踏んで、私たちは私たちの日常に帰っていくのだった。
『普通の道から外れてしまっていても、道を踏み外さなければ、面白おかしく生きることができるってことです』
『うん。その決意表明は大いに結構なんだけど、冒頭と話し相手が変わっているから、繋がらなくなってしまっているんだよね。僕は蓮生司炎伽さんじゃなくて寺井晴輝だからね』
『蓮生司炎伽って誰?』
『大多数の読者の声を代弁しないで。「兄妹シリーズ」をそんな終盤まで読んでいる人は絶滅危惧種なんだから』
『修理せずに現役で動くゲームギア本体くらい存在しないよね』
『香純、君そんなにレトロゲーに強い設定あったっけ?』
『香純って誰?』
『自分の名前だろう! 冒頭が蓮生司炎伽と香純、今が僕と香純の会話だろうが!』
『僕って誰?』
『寺井晴輝。君の夫。「兄妹シリーズ」の兄・ツッコミ担当で、今は陽羽と羽月の父親でもある』
『しっ! ネタバレになっちゃうから黙って!』
『それは結構深刻な問題なんだけど、双子をメインとする以上、触れざるを得ないんだよね』
『ヒロインレースには香純ちゃんが大勝利して、果てには結婚して双子を設け、晴輝は将来の夢だった警察官になれたってことに?』
『簡潔にまとめなくて良い。訂正箇所は特にないんだけど』
『ところで本編で触れなかったけど、今の晴輝って警察官としてどこまで昇進しているの? いや、もちろん私は知っているんだけど一応明言しておいた方が良いでしょう』
『えー、あー、うん。…………警視庁公安特務課の警視』
『公安の警視って、随分昇進したよね。同年代のキャリアでも、そこまでの速さで昇進した人は居ないでしょう』
『そこはまあ、色々あったからさ』
『あれ? でも、「兄妹シリーズ」では捜査一課って言ってなかった?』
『家族相手にも本当の所属は言えないよ。公安は特にね。君相手には隠そうと思っても無理だけど』
『「奥さまは名探偵」だからね』
『アガサ・クリスティに寄せなくて良いから』
『ところで、特務課って何? 公安にそんな課はあったかな?』
『特務課は“才能”関係の捜査のために置かれた部署だよ。“才能”と呼ばれる特殊能力レベルの才能を持つ人々が起こす犯罪、及び彼らを敵視・悪用を目論む人々を取り締まるのが、僕らの仕事だよ』
『今回の話で敵対していたのは後者の方だったね。過去の晴輝がタイムカプセルに隠した“才能”持ちの機密情報の回収と、取りに来た私たちの個人情報も一緒に目論んでいたのが、新庄玲子。彼女も“才能”持ちの悪用を試みる組織に利用されていたに過ぎない。捜査機関の実質的トップかつ“才能”持ち保護の有力者の死亡説におびき寄せられて、まんまと私たちに嵌められた訳だけど』
『そのために、しばらくの間帰ることができなかったし、君たちにも僕が死んだかのように、更にそれを隠しているような振る舞いを演じてもらっていたんだよね』
『移動中もちゃんと尾行してもらっていたか確認していたよ』
『敵が? 僕の部下が?』
『両方ね。首尾よく事が運ぶのを見るのは、一つ一つ罠が踏まれるのを見るのは、とても気分が良かった……』
『大丈夫か。発言が完全に悪役だぞ』
『子どもたちを守るためならば何でもするよ。どんな悪鬼羅刹にも成り果てても構わない』
『子どもたちに道を踏み外させる前に、君が踏み外しそうで心配だ』
『あら。それなら、私が闇堕ちしないためにも、ラブリーマイダーリンには頑張ってもらわないとね』
『望むところさ。国家権力でも使えるものは何でも使って、君たちを守るよ』
『ふふっ……。今日もこれから仕事?』
『うん。ただ、次の土日には休めると思うよ』
『良かった。陽羽と羽月も喜ぶよ。気をつけて行ってらっしゃい。またね』
『うん、また』
読了いただきありがとうございました。
『兄妹シリーズ』(https://ncode.syosetu.com/n3270dl/)の執筆10周年記念に、今回の中編を書きました。何を言ってるかわからない部分も多々あったかと思いますが、本編をご覧いただければ理解の一助となるかと思います。
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