聖女なぼく
これを一度で読めてこそ、漢女
この国を治めるのは聖女だ。
その聖女が先日崩御して、新たな聖女が決まる神託が行われようとしていた。
ぼくと親友は広場の中央で、神託を待つ巫女を囲む群衆の中にいた。
しばらく見ていると天を仰いでいた巫女の様子がおかしくなっていく。
悩むような訴えるような仕草をしながら、辺りを歩き回っている。
「ご神託が降りたようだ」
群衆の誰かがそう言うと、みなざわつき始めた。
そうこうしているうちに巫女が身体をうねらせながら、蛇行してこちらの方へやってくる。
ぼくはすこし怖い感じがしたけれど、こんなものが見物できる機会も滅多にないので、我慢しながら巫女を見守っていた。
巫女はぼくの目の前に来ると突然ひざまずいた。
そしてぼくにこう言った。
「あなた様が聖女です。ご神託が降りました」
群衆が騒然となった。
通例なら巫女が女性の名前を挙げて、その者が聖女となる筈だったからだ。
なのに名も告げず、ぼくの前に来て、ぼくが聖女だという。
ぼくはもちろん男だ。女ではない。そのぼくがどうして聖女になれるのか。
まったく意味がわからない。
呆然としているぼくに、近くにいた女神兵たちが手早く取り囲む。
身動きが取れずにいるぼくに、女神兵の隊長らしき人が手を差し伸べてきて、ぼくはその手を取り、誘導されるままに中央聖堂へと連行されるしかなくなっていた。
中央聖堂内の礼拝の間の奥では、二人の女官が待ち構えていた。
一人は齢70はある老女で、この者のことはこの国の人なら誰もが知っている。この国の宰相だ。
そしてもう一人の年にして17,8の可愛い女官はちょっと誰だかわからない。
通常の女官の服装とは色が違うので、上位の女官だということしか推測できなかった。
「おお、聖女様がお決まりになりましたか」
宰相が感激して、ヨボヨボしながら近寄ってくる。
もう一人のよく判明しない女官はぼくを見るなり、膝をついて頭を垂れた。
「ちょ、ちょっと待ってください。ぼくは聖女なんかじゃありません!」
ぼくは誤解を解こうと必死に訴えた。
しかし可愛い方の女官はきっぱりと言い切った。
「あなた様が聖女様で間違いありません。その印にあなたの周りには天から与えられた光が宿っています。わたしにはそれがわかるのです」
「福女がこういうのだから疑いようがありませぬ」
宰相がうんうんとわかったように頷く。
あの可愛い女官は福女という身分の人なのか。あまり人前には出ない神官らしいが何者なのか。福女は続ける。
「これより先、天に聖女決定を報告する儀式を執り行うことになりますが、その前に身を清めていただかなくてはなりません」
何か嫌な予感がする。
「中央聖堂の左にある建物には聖女様専用の沐浴場があり、そこで身を清めていただくことになります。ご安心ください。聖女様が何もせずとも済むようにお付きの女官をつけておきますので」
ぼくの聖女ではないという言い分は全く無視されて、どんどん話が進んで、遂には沐浴場の脱衣所にまで来てしまっている。
二人の女官がぼくの着ていた服を脱がせ、沐浴用の薄手の服に着替えさせている。恥ずかしすぎて落ち着かない。
ぼくの下半身を脱がす女官のお姉さんがぼくのアレを見るなり、チラ見したり目線を外したりを繰り返して、顔を赤らめて恥ずかしそうにしながら、作業している。
はやく沐浴用のズボンに履き替えさせてもらいたい。なぜならぼくのアレは立派なモノの正反対に属しているモノだからだ。
沐浴用の服に着替え終わり、沐浴場に向かうと、同じく沐浴用の服に身をやつした女官が新たに二人洗い場で待ち構えていた。
彼女たちはぼくの手を取り風呂にまで近づくと、桶から湯を汲んでぼくの身体に何度かかける。
水しぶきが飛んで女官たちの服にもかかり、その部分だけ服が肌に張り付いて女体の神秘があらわになっている。
目のやり場に困りながら為されるがまま湯をかけられて、今度は風呂に入るように勧められた。
一人が入るにしては大きすぎる風呂に一人で浸かる。
さっきまで見ていた女官たちの女性特有の身体の稜線が頭の中で捗ってしまっている。
この収まらない気持ちを何処へやったらいいのかわからない。悶々とした感情が静まるところを知らない。
ぼくは拳を握りしめたまま両腕を振り挙げて、怒りに任せてそれを振り下ろして湯船の水面に叩きつけた。
バシャンと水しぶきとともに大きな音が沐浴場に反響した。
ふと気になって振り返ると、洗い場でひざまずいて待機している二人の女官が何か粗相でもあったのではないかと、怯えて固まっていた。
「いや、なんでもないから、気にしないでいいよ」
女官たちを落ち着かせると、ぼくは湯船から立ち上がって、沐浴の終了を告げた。
聖女には普段ぼくたちが遠くから観ることができる女性的な服装と、それとは別に個人的に使用される中性的な服装があり、ぼくは中性的な服装に着替えるよう、宰相から指示を受けた。
「ご立派なお姿です」
中性的な服に着替えさせてもらったぼくに、福女は感慨深げだ。
服装のお陰で男性のぼくでも違和感がないのは救いだったが、本当にこのまま聖女になってしまうのだろうか。誰かこの馬鹿げた事態を止めてくれる人はいないのか。現実逃避したい気持ちのあまり、他力本願な思考でいっぱいになる。
「準備は整ったようですな。それでは天の声をお伺いしに、神室へと参りましょう」
神室とは礼拝の間の更に奥にある小さな礼拝室のことで、福女は毎日ここで天に感謝の祈りを捧げてるとのことだった。
ぼくは福女に教えられた通りのポーズで片膝をついて、天を象徴するとおぼしき飾られた神具の前で祈ってみた。
神具は棒状の先端に円球が乗っかっているもので中心は軸で止められ、恐らく円球をグルグル回せる仕様になっている。
その円球が風もないのに自然と回りだした。
「おお、天がご承認なさった」
宰相が驚きの声を上げる。
えっ、これで?
「おめでとうございます。これで晴れて聖女様は正式に聖女と認められました」
福女は感涙で可愛らしい頬に涙が伝っている。
信じられないことだが、ぼくは本当に聖女になってしまったらしい。
聖女の執務室。
ここの聖女しか座ることを許されていない豪華な椅子に座らされて、大きな机を挟んでその下段に何人かの女官が居並んでいる。
宰相、福女、それに政務を担当する長の女官に神事を担当する長の女官、ぼくの身の回りを世話する担当の女官長と、各々に属する副官らしき高位の女官数名だ。
彼女らの自己紹介が終わった後、宰相から毎日ここで彼女らの報告を受けて裁可を下すのが聖女の主な仕事だと教えられた。
「このあと、聖女誕生祝の式典で音楽の儀がございます。それまでは少し間がありますので、お休みになられてはいかがでしょうか」
福女はぼくが疲れ果てているのを察して気を利かせてくれて、みなを退出させた。
「ごゆっくりしてくださいませ」
最後に退出する福女はそう言って、心配りをしてくれた。
じぶん以外誰もいなくなった執務室で、ふぅ、とぼくは背もたれに寄りかかって一息つく。
なぜ福女のような聖女な性質の女性が聖女ではなく俗物のぼくが聖女なんだ。
根源的な疑問だけど、一向にわかる気配がない。
しばらくして、ドアをトントンと叩く音がした。
ぼーっと様子を眺めていると、またトントンと叩く。
どうやらぼくの許可無く部屋には入れないしきたりになっているようだ。
「どうぞ、入っていいよ」
そうすると下働きの制服を着た女性が盆に飲み物を乗せて恭しく入室してきた。
ぼくのよく知る女性だった。
幼馴染の女の子。
「えっ、ここで働いてるの?」
思わず気さくに声をかける。
「はい、聖女様。この度、聖女様付きの下女になりました」
幼馴染は目上に対する態度を崩さない。
「お飲み物をお持ちしました。こちらに置いてもよろしいでしょうか」
「もちろん、いいよ」
机のぼくに近い左端の辺りにカップを置く。
「きみが聖女付きになってくれて、助かったよ。これで少しは気が休まるよ」
「そうおっしゃっていただけて、光栄の極みでございます」
突き放したような丁寧な言葉づかいだったが、彼女の頬は緩んでいた。クスクスっと笑っているようにも見える。
心のなかではまだぼくとの友達気分が抜けてないのだ。ほんとうに良かった。
ぼくは思い切って二人の幼かった頃の思い出話を振ってみた。
彼女は少し戸惑いながらも言葉を選びながら当時の様子を語ってくれた。
彼女はぼくに心の安らぎを与えてくれる聖女だ。そんな感情が自然と湧いてきた。
少しは仲良く話せたかな。そう思った頃、ドアを叩く音がした。
ドアの向こうから福女が
「音楽の儀が整いました。聖女様、応接の間へお越しくださいませ」
応接の間は中央聖堂の右側にある建物の中にある。
女官と護衛の女神兵に連れられて応接の間に到着する。
音楽隊は既に応接の間で待機している状態だった。
ぼくは応接の間に備え付けられた聖女専用の椅子に腰を下ろす。
その後方の両脇に宰相と福女が控えて立ち、宰相が音楽隊の代表に前へ進み出るように命じた。
音楽隊の代表は若い女性だった。
美しい顔立ちだが、その美貌を損なうように、左顎から頬にかけて深い傷跡があった。女性は深々と一礼した。
「あの者が音楽隊の代表にございます」
宰相が説明する。
「顔に傷があるようだけど、、、」
ぼくは素直に疑問をぶつけた。
「あの傷は彼女がまだ楽器も握れない幼い時分に、ノコギリで演奏の真似事をしてできた傷と聞いております」
「うん」
「一見子供心の愚かなことに思えるでしょうが、その激しい熱意は天から与えられた才能だったのです。国の音楽院に入るやいなや、みるみるうちに才覚を現し、今ではこの国に右に出る者はいないほどの音楽家となったのだそうです」
「へぇ、そんなにすごい音楽家なの」
ぼくは半信半疑ながら彼女に尋ねた。
「さほどのことはございません。ただのしがない音楽家にございます」
音楽隊の代表だから、しがないはずもないが、とりあえず演奏を聴いて、実際のところはどうなのか知りたくなっていた。
「曲をはじめてほしい」
ぼくは音楽隊に命じた。
音楽隊は顔に傷のある代表を先頭にして、みな指定の位置について音の調整を行った後、指揮者がタクトを振り上げ演奏を始めた。
それは荘厳な曲だった。
聖女誕生にふさわしい曲を選んのだろう。
ただ代表の音色が明らかに他の演奏者と違って異質だった。
それは情熱的でかつ理性的な不思議な旋律だった。
といっても一人だけ調和が取れてないわけではなく、元からそういう音色の組み合わせがあったかのように自然で、じぶんの耳が彼女らの演奏を心地よく受け入れてるのを感じている。
曲が終わると、静寂が応接の間を支配した。
しかし、曲を聴いた者にしかわからない余韻が、心のなかではまだ響いていたのだ。
しばらくして、ぼくは自然と拍手を送っていた。
それを待っていたかのように、周囲の者たちも拍手を始める。
「いい演奏だった」
音楽については詳しくもないため、それくらいの感想しか述べることができない。
福女が後ろからそっと耳打ちしてきた。
「音楽隊に褒美を与えてはいかがでしょうか」
ぼくは頷くと、音楽隊の代表に向かって尋ねた。
「何か褒美を取らせたいんだが、何か欲しいものはあるのかな。何でもいい。ぜひ言ってほしい」
すると代表は少し困ったような表情を浮かべたあと、こう言った。
「おまえの演奏がまた聴きたい、と、おっしゃっていただければ、音楽家としてこれ以上の褒美はございません」
この人は聖女の資質をもった女性だ。
ぼくは俗物だから、それがはっきりとわかる。
なぜもこの国には、こんなにも聖女な女性が多いのか。
それに比べてじぶんときたら、本当に聖女なのか。俗物過ぎて悲しくなる。
音楽隊の退室を見送った後、ぼくは宰相に聞いた。
「そういえば、音楽院はかなり古い建物だと思ったけど」
「さようでございます。音楽院は築230年は経っていると記憶しておりますな」
「もしよかったらなんだけど、音楽院の壊れ具合の調査を行って、修繕費用を捻出とかできないかな」
宰相の顔が曇った。
「それは莫大な費用がかかるかと。そこまでの費用を出す余裕など、どこにもありませぬ」
「そこをなんとかできない?」
ぼくは粘った。音楽隊の代表の正答を引けなかったじぶんの返答がこれしか思い当たらなかった。
「しかし、これまでなんの問題もなく過ごせている音楽院に修繕などは不要かと」
宰相はなかなか首を縦には振らない。
「お願い!」
ぼくは宰相に頼み込んだ。
「聖女様の初の政策ですよ」
すかさず福女が助け舟を出す。
「うーむ、そういうことなら仕方ありませぬ」
渋っていた宰相も、福女にそう言われては断るわけにはいかなかったようだ。
「やった!」
ぼくと福女は互いに顔を見合わせて、喜びを分かち合うのだった。
ぼくは今、女官たちから化粧を施されている。ぼくを美女に変貌させるのだそうだ。
新しく聖女になった者は一様に肖像画が作られ、礼拝の間に通ずる長い廊下の壁に飾られるのが通例となっていたが、それには女性的な服装の方でなければならないという決まり事があって、ぼくが着ている中性的な服では絵が描けないとのことだった。
そんなわけでどうしても女性的な方の服装を着なくてはならない事情ができてしまって、窮余の策として、ぼくに化粧を施して違和感のないようにして肖像画を描くことになったのだ。
女官たちはぼくを美女に仕立て上げてみせるとやる気満々で、化粧筆を顔のあちこちに塗りたくっている。
何時間経っただろうか、女官たちが一息ついたように肩の荷を降ろした。
「鏡をご覧になっていただけないでしょうか」
ぼくは手鏡を手渡されて、覗き込む。
そこにいたのは絶世の美少女であった。
「誰よ」
「聖女様ご自身にございます」
女官の一人が自慢げに答える。まるで自信作でも披露したかのようだ。
「この後、服を着替えていただいて、肖像画を描く螺旋階段の下のところに着ていただきます」
「わかった。着替えるのは執務室でいいの?」
「さようでございます」
ぼくは化粧に使っていた宰相の部屋を出て、執務室へと向かった。
途中、廊下で作業を止めてお辞儀をする下働きの娘を見かけた。
そこを通り過ぎて少し行ってから、ぼくはお付きの女官に尋ねた。
「見かけない娘だね」
「今日入ったばかりの新人にございます。よくおわかりになられましたね」
「下働きの娘はみんな可愛いから顔と名前を全員覚えてる」
「はぁ」
やや呆れたように間の抜けた返事をする女官に、ぼくは切々と説いた。
「下働きだけじゃない。ここで働いてる女官たち全員の顔と名前を覚えているんだ」
ほう、と、今度は少し感心したように女官は驚いていた。
執務室で女官たちに囲まれて女性的な服装に着替えさせられたぼくは、中央聖堂の塔の直下にある螺旋階段のところへと歩いていった。
螺旋階段下では肖像画家が魔石を抱えて待機していた。
魔石とは、この世界で採掘される不思議な力を持った鉱石のことで、所謂魔法のようなことができるものだ。
この国では魔石は採掘できず、貴重なため貴族以上か上位の宗教関係者しか扱うことができないが、例外として上位層に従う一部の職業では魔石を借りる形で利用することができた。肖像画家もそのうちの一つというわけだ。
螺旋階段を背景にしてぼくは指定された椅子に腰掛けて、肖像画家の方を向く。
肖像画家は魔石を使い一瞬で線描を描き終えた。
あとは肖像画家がこちらの服や肌の色を指定書きしていって、じぶんの工房に持ち帰って色を塗るだけだ。
「絵が出来上がるのはいつ頃になるのかな」
「二三週間後には仕上がっておりますかと。後日持ってまいりますので、聖女様におかれましては、ご確認をお願いしたく存じます」
「わかった。絵を楽しみにしているよ」
ぼくは肖像画家に軽く話しかけながら、立ち上がると早々に執務室へと戻っていった。
はやくこの服を着替えて、元の中性的な服装に戻りたかった。
執務室では福女がぼくに用事があったのか、ドア前のところで待っていてくれていた。
「まあ、お美しい。聖女様、素敵です」
福女はぼくの姿を見て、惚れ惚れしている。
けれど、ぼくは嬉しくともなんともない。
執務室に入るとさっそく女官たちに言いつけて、中性的な服に着替えさせてもらう。
福女は少し残念そうに見ているが、知ったことではない。
机にお湯を貯めた洗面器を用意してもらい、一気に化粧を落とした。
ぼくは元の顔に戻った。
福女はなぜか落胆顔だ。
すっかり元のじぶんに戻ることができたぼくは福女の用件を聞いた。
「じつは天がこの国に危機が迫っている旨の神託を何度か出していて、、、」
福女は不安そうに語る。
「それはなんで危機なの?」
「それが具体的なことは天は何も教えていただけないものなので、、、」
「どこを注視してればいいのかわからないから何もできないけど、事情はわかったよ。今後できるだけ緊張感をもって政務をとることにする。政務担当の女官たちにも色々聞いてみることにするよ」
福女の助言はぼくにとって宝以外の何物でもない。これからこの国に何が起こるかわからないが、聖女としてぼくは心づもりをしっかり持つことにしたのだった。
「大変でございます!」
宰相が慌てて執務室に駆け込んできた。
この国の危機を知らせに来たのは宰相だった。
「隣国の大国が魔石の供給を止めると打診して参りました!」
「魔石ってこの国で採れないんだよね。他の国から供給してもらうことはできないの?」
「それは無理でございます。大国は同盟の盟主ですから、大国に逆らってまでわが国に供給する国はございません」
「でも、なんで今まで供給してくれた魔石を止めるんだろう。大国は何がしたいのかな?」
「大国は恐らくこの国に魔石の供給を止めて、この国の地方領主に配って懐柔するつもりかと」
「そんなことされたら国が瓦解してしまうんじゃ、、、」
「仰るとおりでございます。大国とはそうならないよう気を配っていたつもりですが、、、」
宰相も今回の事態については釈然としないようだ。
その理由は数日後、判明することになる。
大国の通信使が国書を持ってやってきたのだ。
それは大国の国王と聖女が婚姻すれば、魔石の供給を続けるというものだった。
執務室では、ぼく、宰相、福女、そして女官長たち総出で緊急会議が行われていた。
「さて、大国の思惑はわかりましたが、、、」
宰相が進行役をする。
「聖女はこの国にはなくてはならない存在です。婚姻なんてとんでもない」
女官長の一人が反対する。
「しかし、大国に逆らったら我々は何もすることができず、ただ蹂躙されるだけです」
別の女官長がこの国の現状の悲惨さを口にする。
「ところで聖女って婚姻したらどうなるの?」
ぼくは素朴な疑問をぶつけてみた。場違いかもと思ったが、やはり確かめたかった。
「婚姻自体では何も起こりませんが、初夜を迎えた瞬間、聖女様は資格を失い、新たな聖女様が神託により選出されることになります」
福女が聖女の仕組みを説明する。
「じゃあ、ぼくが結婚しても新しい聖女が誕生するだけで、なんの問題もないんじゃないかな」
なんとなく言った意見だったが、宰相以外の者たちの目が丸くなる。かなり衝撃的な発言をしてしまったらしい。
「大国の王がおばさんでも、ぼくは受け入れるよ。それが聖女としての務めなら仕方ない」
「おばさんではありませぬ」
宰相が首を横に振る。
「じゃあ、若い女性なんだね。それだったら、こっちも願ったりだと思うけど」
「若い女性でもありませぬ」
「なら、少女かな。そうすると初夜は先になりそうだけど」
「少女でもありませぬ。そもそも女ではございませぬ」
「は?」
ぼくはなにか大きな勘違いをしてしまったようだ。
「大国の王は齢45になる男でございます」
「男?なんで?ぼくも男なんだけど。何かの間違いじゃないか」
「世の中にはそういう趣味の人もおられるわけですし、大国の王がそうであっても、なんの不思議もありませぬ」
宰相は達観してそう述べた。
なんてこった。ぼくは男に求婚されてたのか。ぼくはそういう趣味を持ってないが、これは強制なのか。
「こうなった以上、仕方ありませぬ。聖女様には大国の国王と添い遂げていただく他ありませぬ」
宰相は他に選択肢がないことをみなに周知させた後、そう語った。
ぼくは神室で暴れている。
やりきれない気持ちを抑えることができず、神具の円球を狂ったように回していた。八つ当たりである。
お付きの女官は止めようとは考えているものの、ぼくの形相に恐れをなして、おどおどして何もできないでいる。
そこへ下働きの幼馴染が飲み物を持ってやってきた。
「ここにおられましたか。探しました」
ぼくは神具を回すのを一旦やめて、幼馴染の方へ歩み寄った。
「ちょうど一息つきたかったところだった。探し回らせてごめん」
「そんなもったいないお言葉、、、聖女様がおられるところならば、どこまでも付き従っていくのが下女としての務めですので」
ぼくは彼女から飲み物を手渡してもらい、飲み干した。
すっかり冷めてはいたが、それは彼女の苦労を物語っているものなので、かえって嬉しかった。
「少しはお気が楽になられましたでしょうか」
「うん、落ち着けたよ。どうすることもできないものに何を考えてもしょうがないって、悟ったよ」
諦観したぼくの言葉を聞いて、幼馴染は悲しそうな表情を浮かべた。
「よし、覚悟を決めた!」
ぼくは彼女を悲しませまいと、強がって見せるのだった。
結婚の儀の日がやってきた。
ぼくは数名の女官たちに結婚用の衣装に着替えさせてもらっていた。
「そういえば、この前見かけた新人の下働きの子を見かけてないけど、どうしたか知ってる?」
女官の一人が答える。
「その者ならば一日で仕事を放りだして消えました」
「ふーん、何かあったのかな?」
「下女の話では関係は良好だったし、仕事もよく覚える者だったそうで、居なくなったことが解せないそうで、、、」
とりとめもない話をしているのは、じぶんの不安を打ち消そうと思ったからだ。
ちょうどそこへ宰相がやってきた。
「準備は整いましたかな」
「準備はもう出来てるけど、心の準備がまだかな」
ぼくは素直な気持ちで答える。
「しっかりしてくださいませ。これもお国のためですぞ」
「わかってるって、掘られる覚悟はもうできてる」
「それでこそ、聖女様です!」
宰相は感激して涙を流していた。同情はしてくれないんだな。
「ところで、福女の姿が見えないんだけど」
「福女ならば、神室に籠もって、聖女様にご加護があるよう、天に祈り続けておりますぞ」
福女らしい心のありようだ。福女には本当に感謝しかない。
「ささ、応接の間で新郎が待っております。急ぎませんと」
急かす宰相に連れられて、ぼくは応接の間へと足を運ぶ。
応接の間では、奥の方で前を向いている新郎もとい大国の王の姿があった。
楚々とゆっくり彼の横へと進んでいく。
大国の王と横並びになったとき、大国の王がこちらをちらっと目をやったのを、ぼくは気配から感じとった。
「ん?」
大国の王が首を傾げる。
「ん?」
ぼくも何事かと首を傾げる。
大国の王は自らの疑問を確かめるように、今度はこちらを凝視して睨みつけるような眼差しを送る。
「お、と、こ、なのか?」
「そうですけど、なにか?」
大国の王の表情がみるみる青ざめていく。
「ほ、本物の聖女をどこへやった!」
怒り心頭といった感じで、大国の王は叫んだ。
「ぼくが本物の聖女なんだけど、、、」
なんか話が合ってない気がする。
「そんなはずはない!聖女は絶世の美少女のはずだ!おまえなんかでは決してない!!」
「そんなはずもなにも、ぼくは最初から男ですが」
ぼくは察した。あの一日で消えた下働きは大国の間者だったのか。
「こ、このーーーっ」
大国の王は怒りに打ち震えた。
「王よ、お静まりくださいませ。今の聖女様はれっきとした男子にございます」
宰相が大国の王の誤りを指摘した。
「なんと、まことなのか、、、」
宰相の言葉にうろたえる大国の王。
「このまま婚儀を進めましょう」
ぼくはわざとカマをかけてみる。
「い、いや、、、この結婚の話は無しだ!破棄する!!」
大国の王は慌てていた。
「それは大国の要望ということでよろしいでしょうか」
めざとく政略をひっくり返すチャンスとばかりに、宰相は確認する。
「そうだ!!こんなのは無しに決まっている。わたしは帰る!!」
そう言うなり、大国の王は踵を返して臣下らを従えて、ドシドシと音を立てて退散していった。
こうして花嫁姿のぼくとこの国は、危機を乗り切ったのであった。
この国に平穏が訪れて、数ヶ月目のことだった。
聖女としての執務を終えたぼくは、この国の歴史の勉強をさせられている。
授業はつまらないもので、あくびをしながら教師役の女官の話を聞いている。
今日の内容は歴代聖女についてだ。
ふと気になる人物を見つけた。
「この聖女には死亡年がついてない気がするんだけど」
「ああ、その聖女様は自らの意思で聖女をお辞めになられましたので、死亡年については不明です」
ん?自らの意思で聖女を辞められる?そんな話初耳だぞ。
「その聖女の話、詳しく聞きたいんだけど」
ぼくは教師役から、この聖女が実は歴代でも最高レベルの善政を敷いた名君であると、教えてもらった。
「そんな人がなんで聖女を辞めるなんてことをしたんだ?」
「理由は定かではありませんが、市井の噂では想い人がいたという話が記録に残っています」
聖女は貞淑でなければならない。前回のぼくのような強制的な結婚話でないかぎり、相手と添い遂げることは許されない。
「それでその聖女は聖女を辞めた後どうなったの?」
「記録に残ってるのは、辞めた聖女にひどくおぞましい不幸が訪れたという話だけですね」
「なんか記録が少ない気がする。それ以外はないのかな?」
「聖女を辞めた以上その者はもう一般市民ですから、歴史に記録されることがなかったのでしょう」
「ふーん、でもどうやって辞めることができたんだろう。特別なやり方でもあるのかな?」
「何も特別なことはありません。就任時に神室で祈った姿勢の左右を逆にして、お祈りするだけです」
「ほーん、そんなんでできるのか」
「まさか、聖女様ご自身の意思でお辞めになられるようなことはございませんよね」
教師役は疑いの目でぼくを見る。
「ははは、そんな、まさか」
ぼくは冗談だと笑ってみせた。
そのまさかをやる。
いろいろ考えた結果、そういう結論に至った。
この国には聖女にふさわしい人物が何人もいることがわかった。それに比べてぼくは俗物でしかない。色んな人に支えられてここまでこれたが、やはり、聖女にはふさわしい人物がなるべきであって、それはぼくではない。
ぼくに不幸が訪れることに関しては、一抹の不安はあるものの、この国のことを考えたら、やるしかない、という気になった。
「よし、誰もいないな」
神室にじぶん一人であることを確認すると、ぼくは神具の前に就任時とは左右逆にして片膝をついて祈りを捧げた。
神具は反応しなかった。
あれ?と疑問に思ったそのとき、頭上からゴーンという音が響いてきた。
そういえば、先代の聖女が崩御したとき、中央聖堂の方から鐘の音が鳴っていたのを思い出す。
しばらくじっとそのままの姿勢でいたが、他に何も起こらなかったので、これで終わりのようだ。
ぼくは神室を退出した。
神室から執務室へ続く廊下で、慌ただしくこちらに小走りしてくる女官たちに出会した。
「聖女様、ご無事でしたか」
女官たちは一様に安堵の表情を浮かべる。
「崩御の鐘の音が鳴ったので、てっきり聖女様の身に何か起こったのかと思いました」
「あはは、そうなの?」
立ち止まってとぼけていると、女官たちが続々と増えていく。みな、ぼくを探し回っていたらしい。
女官たちはぼくの無事を知るなり、一様に安心したようにほっとしている。
遅れて福女もやって来た。
福女はぼくの姿を見るなり、驚いたように口を手で覆った。
「聖女様、光が、、、」
そうだった。福女は天の光が視えるんだった。今のぼくにはそれがなくなってしまっているのが、福女には視えるのだ。
「福女にはわかるんだね。そうだよ。ぼくは聖女を辞めたんだ」
福女、女官たちの前で、ぼくは正直に告白した。
ぼく以外の一同が唖然としている。
「・・・そんな、、、聖女様、どうして、、、」
福女がうっすら涙を浮かべながら尋ねる。
「この国で聖女をしていてぼくは気づいたんだ。ぼくより聖女にふさわしい女性たちがいるって。その人達に聖女の地位を譲りたくなったんだ」
「聖女は聖女様をおいて他にはいないのに、、、」
「いや、次に聖女になる人はぼくより立派な聖女だよ。ぼくはそう信じてる。わかってくれるかい、福女」
福女はぼくの言葉に抗うように、必死に首を横に振った。
「わからず屋だなあ」
ぼくは袖先を福女の目元に当てて、涙を拭いてやる。
気づけば、周囲の女官たちも泣いていた。
そこへ宰相がおっとり刀でやって来た。
「聖女様が生きておいでということは、辞意なさったんですな。数日内に巫女から新たな聖女の神託が降りる。これから忙しくなるわい」
そういうないなや、別れの挨拶もなしに、くるっと反転して戻っていく。宰相らしい別れの仕方だと、ぼくは思った。
「お別れの付き添いは、中央聖堂の入口までにしてくれるかな」
ぼくはみなを引き連れて、中央聖堂の入口に向かった。
福女なんかは嫌々ながら、仕方無しに付いてきていた。悲しみを隠そうともせず、大粒の涙を流していた。
中央聖堂の入口に到着して、ぼくはみなの方を振り向いて、最後の挨拶をした。
「これでみんなとはお別れになるけど、死ぬわけじゃない。元気にやってくから心配しないでね」
それじゃあ、とぼくは別れを告げて軽く手を降り、外に出た。最後の最後で、福女は手を降ってくれていた。
ぼくは後顧の憂いなく、聖女の務めを終えられて、晴れ晴れとした気持ちで、自宅への道を歩いていく。
途中、聖女の神託のあった広場を見かけて寄っていった。あの頃の思い出が蘇って懐かしかった。
そこに思わぬ二人を見かけた。
親友と幼馴染である。
「聖女様!生きておいでだったのですか?!」
幼馴染が驚いていた。
「もう聖女じゃないよ。ぼくは一般市民に戻ったんだ」
「おまえなあ、驚かせるなよ。心配して二人で中央聖堂に行くところだったんだぞ」
親友は以前の口調で話しかけてくれる。これがぼくの望んだ環境だった。
「ごめん、ごめん。急なことだったのは承知してるけど、そこまで心配させてしまうとは思わなかったよ」
「お返しに俺達もお前を驚かせてやりたいことがあるんだ」
「なんだよ、驚かせたいことって?」
「実は俺達、今度結婚することになったんだ」
「へー、そりゃ、おめで、、、」
急に言葉が出なくなった。
ぼくは気づいてしまった。ここに最愛の人がいることを。
聖女でいるときは、福女や女官・下働きの娘たちに目移りしていて気づかなかったが、ぼくが愛して止まない最愛の女性は、幼馴染だった。
だが、もう遅い。二人は結婚するのだ。
いたい、いたい、いたい。
心が切れ味の悪い鋏で、何度も切り刻まれたように痛む。痛すぎてこの胸を焼いてしまいたい。
そうか、これが天が聖女を辞めたぼくに課した罰なのか。
一番愛する相手に対して底なしに愛情が深くなり、しかも結ばれることが決してないようにするという、聖女の罰。
ぼくの様子が急におかしくなって、二人が怪訝そうにこちらを見て、大丈夫か、と声をかけてくる。
笑おう、笑わないと。
「い、いつ、結婚するんだい?」
引きつりながらもなんとか笑顔を見せて、ぼくは尋ねた。
「二三日中にはと思ってるんだ。あと、新居も購入したから、今度来てくれよな。思いっきり接待してやるからな」
「ああ、わかったよ。楽しみにしてる」
新居で二人が仲睦まじくしているのを目の当たりにしながら、ぼくはにこやかに笑っていないといけないのか。想像するだけでも、ひどくおぞましい。
それじゃあ自宅に帰るからと、二人と別れて、ぼくは自宅、ではなく、街を出た郊外へと向かっていた。
郊外には草原が拡がっており、今の時間帯はそこには誰もいない。
今は一人になって考えたい。相変わらず痛む心は止むことを知らず、ズキズキいっている。
聖女を辞めた聖女も同じ境遇だったのだろう。想い人を奪われ、いったい何を思ったのだろうか。
彼女はこの苦境をどうやって乗り切れたのか、いや乗り切れなかったのか。歴史に記録がないから知りようもない。
しかし、なんとなくわかる。彼女は耐えきった、と。
なぜなら、記録がないからだ。むしろ記録がないことで、彼女は天寿を全うしたにちがいない、とぼくは考える。
聖女の罰に耐えきれず、自ら死を選んだのなら、それが記録に残るはずだ。あの教師役は不幸の事以外情報がない旨、言っていたではないか。
聖女を辞めた聖女がどうやって耐えたのかはわかりようもないが、これはじぶんで考えることのような気がする。
考えを巡らせてるうちに、ふとあることに気づいた。
これは罰というより試練だと。
ぼくは今、この世界の人からは聖女として認識されていない。その状態でもなお、聖女として振る舞えるか。人に対して愛情深くなり、自分に降りかかる不幸で相手を傷つけないか。
それができて初めて本当の聖女となるのだ。
ぼくは決心した。ぼくは本当の聖女になる、と。
これは人によっては強がりにしか聞こえないかも知れないけれど、ここで天に対して、ぼくの決意を表明したい。
聖女なぼくは、天のいる大空に向かって叫んだ。
「幸せなんてくれてやれ!不幸面なんか蹴っ飛ばせ!」
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なお、本作はリンの言葉シリーズの宣伝用小説となっております。ぜひリンの言葉シリーズにもお越しいただいて軽い気持ちで感想などいただければと存じます。