黒龍使いと銀の巫女
「ねえガレス! 今日はどこまで飛べるかな?」
ガレスと呼ばれた深い墨色のドラゴンは、がるると吼えるばかりで、答えはしない。だが、巨獣にまたがる無垢な少女にはそれで充分な返事である。
「えー、高度10000mはいけるよ。行こうよ!」
その無茶なお願いにガレスは呆れたような声を出す。高度10000mなど、人が耐えうる環境ではないと聡明なガレスは知っている。
悠然と空を滑空しながら、時折その10m以上もある広い翼を羽ばたかせ、目的地に向け飛ぶふたり。この場合はひとりと一体だろうか。
「『アルテ・アルケミア、人類初の臨界越え!』きっと記事になるよね」
ガレスはもはや返事をするのもやめて、彼女が落ち着くのを待った。
アルテ・アルケミア。17歳の若き天才地図師。現在は友人であり、親代わりともいえる、巨獣ガレスに乗って、世界を飛び回っている。
このノヴァエテーレの大地は生きている。崩壊と再生を日々繰り返し、刻々と変化を生む。しかし人々が生きてゆくには道しるべが必要だ。そこで、地図師という仕事が重宝される。特に彼女は類稀なる観察眼による測量と尋常でない計算速度を武器に、数々の危険地帯を抜ける航路を開いてきた。
巨獣ガレスはそんな彼女を乗せ、空を飛ぶのが好きだ。彼女となら、どこまでも飛べると、そんな気がたまにする。
巨獣はノヴァエテーレの細胞である。ガレスの様な黒龍──彼は巨獣の中でも小さい方だ──もいれば、全長500㎞の大クジラや、その質量だけで物質を引き寄せるほど重いリクガメもいる。それは文字通り巨大な獣で、大地から産まれ、いつか大地に還るもの。
その循環は完全に欠落なく運用されており、人々はその巨獣と共に生きてきた。
アルテがふと眼下を見下ろすと、そこには例の巨大なクジラがいた。動いているのかいないのか、遠くからではよくわからないが、近くに行けば実はとてつもない速度で動いているということが分かる。
そしてその背中には、大規模の都市が形成されているのだ。
「巨獣都市って、酔わないのかな」
そのアルテの何度となく発せられた問いに、ガレスは鼻を鳴らす。
「あー、たしかに。あたし、酔ってないもんね。慣れなのかな?」
雲の間を飛ぶのは、ふたりの共通の趣味だ。ドラゴンと人間の間に出来る共通の趣味など滅多にない。
地上に降りてしまえばアルテは工房を建てて籠ってしまうし、ドラゴンの趣味は少々野蛮であるからだ。しばらくそれを楽しむと、そろそろ降りようかとアルテがガレスに伝え、ガレスはきりもみ回転を始めた。
目指すは巨獣都市メルカヴァ。
メルカヴァとは巨大クジラの名前でもあり、国家の名前でもあり、また宗教の名前でもある。かの信仰は古く、都市メルカヴァが産まれるが先か、信仰が先かは、学派によって見解が分かれる。
しかし、大規模に宗派が分かれていることはなく、皆一様にこのメルカヴァという巨獣を信仰している。
ガレスの急降下を存分に楽しんだアルテは、その桃色の髪を縛っていた紐を解いた。ガレスがランデブーポイントに至ったのだ。着陸に備えるが、黒龍の着陸は優しい。
彼女が小さな巨獣から降りると、竜着き場のお役人がやってきた。
「やあアルテ。メルカヴァへいらっしゃい」
「レンジさんこんにちは! 速度は──時速80㎞ってところかな」
おや、とレンジは目を見開く。そして懐中時計を取り出し、その盤に取り付けられた速度計を見る。すると、アルテの言った数字とぴったりだ。
「こりゃ驚いたな。やっぱり君の眼は他にない力を持っているよ」
「えへへ、どうも」
アルテが褒められるとガレスが鼻を鳴らした。
「あれ、黒龍は怒ったかい?」
「ううん、褒めてくれて喜んでるの」
不思議そうな顔をするレンジ。
「やっぱり変な感じだな。巨獣と話せるなんて、君のほかに聞いたこともない」
「あたしも聞いたことないや。でも生まれつきだからねぇ」
不思議だなぁと言いながらもレンジは手際よく書類を仕上げていく。
アルテ・アルケミア。17歳。認定地図師。種族、エンドレスオールト。
肩まで伸びた淡いピンクの髪の毛が、遠くオールトの地からやってきたことを示していた。レンジはこの仕事に就いて長いが、彼女のように不思議な子は見たことがない。
「君の様な才能があれば、獣王も目指せたのに」
ふとレンジがそう言うと、アルテは慣れたことだというように返す。
「地図作りの旅が好きなの。それに、獣王になれば人を殺さなきゃいけないでしょ?」
獣王。それは巨獣都市の中でも、特に巨大な7つの巨獣都市を統べる7人の王のことを言う。獣王となれば他の巨獣都市から崇められ、畏れられ、敬われる。だが、それを維持するために、その都市は、他の都市を喰らい続ける。巨獣が巨獣を喰らえば、当然人も死ぬ。
「そうだなぁ。そのせいで南部なんかは喰い合いで治安が悪いらしいしな。それにやっぱり、アルテには地図が似合ってるよな!」
そう言われにっこり笑うと、レンジに渡した通行手形を受け取り、先へ進んだ。
***
「はっ、はっ、はっ──」
ローブを深くかぶったその人物は、全力で路地裏を駆けた。都市メルカヴァは聖塔に優秀な人員を割いているせいで、市街兵は素人ばかりだ。だが、指名手配をされていては、いくら相手が素人でも分が悪い。
「このままじゃメルカヴァが……」
その時、地面が大きく揺れる。大通りの方から人々の叫びが聞こえる。メルカヴァの速度が一定じゃない。変化はよくあることだが、こんなにも大きな揺れは、そうない。
──やっぱり、もう時間がないんだ。
何とかしないといけない。自分にできるかわからない。それでも何とかしたい。
そう思い走って路地を出たとき、勢いよく飛び出してきた女の子とぶつかる。
「っててー。あっ、まずい、地図が。ってそれどころじゃない! 君だいじょうぶ?」
ぶつかったのは納品に遅れそうなアルテだった。
ローブのフードが取れて、その中から美しい銀の髪と銀の眼を持つ女の子が現れる。
「──きれい」
「っ……。急いでいるから──」
女の子は急いでいるのに、律儀に散らばった地図を集め、アルテに手渡した。アルテも納品時間に遅刻するー! と急いで地図を持ち聖塔へ向かった。
「……」
アルテは少しだけ振り返って、銀髪の女の子を見送った。
***
「このところ地震が多いわねぇ」
「メルカヴァがお子を産む合図って言っている人もいたぜ」
嘘だ。ショートカットの女の子は走りながら、井戸端会議の意見を否定した。彼女は知っている。それがメルカヴァによる出産などではないことを。
ノヴァエテーレの大地は生きている。その言葉は、ある一つの事象を根拠に言われている。それは、ありとあらゆる形態で人類を襲う災害、メイルストロム。
1000m超級の津波、巨獣ごと食らう地割れ、5年間続いた落雷。
その周期は基本的に各巨獣都市の観察庁が記録をもとに算出し把握している。決して抗うことのできない大地の自浄作用ではあるが、周期さえわかれば避けられるのだ。
人々は油断していた。その周期が崩れないものだと。だが、重要な事実がある。
──ノヴァエテーレは生きている。
その周期が崩れないなどとは、誰も保証していない。まさに知恵を得た人間への罰だ。
現在メルカヴァが泳ぐ地面の地下には、地下火山が存在する。予定ではそれが噴火するのはメルカヴァが通り過ぎた数週間後。そのはずだったが、銀髪の女の子だけがそれが前倒しで、今まさに起きようとしていることを知っていた。
彼女は走りながら考える。飛空車を使えばメルカヴァの顔まで近づける。でも、呼びかけなんか意味がない。体当たりで航路をずらすなんて方法も頭に浮かんできたが、すぐにかき消した。
なにか、なにか方法はないのか──。
「ねー! 銀髪ちゃん! あたしのドラゴン、乗ってく~?」
人々の叫び声、ドラゴンがホバリングする爆風の音、さっきの女の子の声。
「なんで……」
「いーからいーから。急いでるんでしょー? あと急いだ方が良いよ、うしろー」
ざっと振り向くと、遠くから市街兵が走ってくるのが見える。明らかに街中でドラゴンに乗る彼女に向かって走ってきていたが、見つかるのは時間の問題だ。
「ほら! 手を伸ばして銀髪ちゃん!」
そう言われ、銀の瞳を持つ女の子は思い切り、跳ねる。
「名前は! シオン!」
叫んだシオンと、精一杯伸ばしたアルテの手が互いをしっかりつかみ合う。タイミングを計ったように高度を下げて、力技でシオンを背中に乗せるガレス。彼は吼える。
「ちゃんとつかまってろだって、シオン!」
「わかった!」
アルテのお腹に手を回したシオン。それを確認すると、アルテは指笛を吹く。それを聞いて、黒龍は反転、どこからそのエネルギーを出したのか、ゼロ距離発進で巨獣メルカヴァの頭部めがけて飛行した。
──今、この子、巨獣と話していた?
中央街区が、既に遠く見える。聖塔すら一瞬で越す。
「ねえ! 納期破ったから、契約切られるかな?」
「がぁあるるる」
その返事らしきものを聞いてしょんぼり肩を落とすアルテ。シオンは不思議そうにそれを見ていたが、今はそんな場合じゃない。この巨獣都市を、せめて2㎞横にずらせれば。
「桃色の髪の君!」
「アルテ! アルテ・アルケミアって言うんだ」
「わかった。アルテ、君は巨獣と話ができるのか?」
振り落とされないようにしながらふたりは会話を続ける。
「そうだよ! 狂化暴走してたら無理だけど!」
シオンはそこで、ある案を思いつく。
「この黒龍の彼に──」
「ガレス!」
「そうか、ガレスに言ってほしい! メルカヴァ、右に舵を切れって! さもないと全員死んでしまう!」
「げっ! 死ぬってなにそれ! でも分かったよ。伝える。ガレスあのね──」
シオンは出会ったばかりの不思議な女の子アルテに、この2000万人都市の命運を賭ける事を、なぜか躊躇わなかった。
それはアルテに宿る、不思議としか言いようのない力を見たからか。それとも、仕事を放り出してでも追いかけてきてくれたからなのか。それはわからなかった。それでも、シオンはアルテとガレスを信じようと思った。
「え? 声が届かない? 遠すぎる?」
シオンは不安に包まれた。だが、アルテはそんなことで折れない。
「いや、いけるよガレス! がんばれ! え? 無理なもんは無理?」
アルテは思考する。風向き、地形、距離、大気中のエーテル量。彼女は一か八か、シオンに相談を持ち掛ける。
「シオン! とにかく航路を逸らせばいいんだよね?」
「そう!」
「魔法とか使えたりしない? 500ギガジュール以上のエネルギーが欲しいの!」
シオンはそこで微笑んだ。
「あいにく、魔法は得意なんだ」
シオンはアルテの服の中に手を入れる「ひゃっ」と驚いているが無視。ひとめ見たときからその桃色の髪で、彼女がエンドレスオールトだということはわかっていた。
大地に選ばれた、たった一つの滅びゆく種族。彼女ならの身体ならば、素体に使える。肌と肌を接触。
最高効率で、エーテルを力に変えてやる。
「──大いなる地の神よ。かしこみかしこみ申す。終ぞ我らが滅ぶまで、その聖なる血と肉を分けたまえ。我求む、ここに天の雷撃をッ!」
言うが先か、天が裂け、光る。
音が届く前に雷撃がガレスに向かって降り注ぐ。来たとガレスに合図するアルテ。
言われずとも知っていると言いたげに、首をもたげたガレスは全ての雷をその口で受け止める。
アルテは耳を塞いでとシオンに言う。
「巨獣の本気、出るよ」
──キィィィン……パァアアアアッ!
高音でガレスの口から放たれたエネルギーが凝集された咆哮は、音よりも速く飛び、そしてメルカヴァの顔面にぶち当たる。
「ぐぅぎぃいあああああ」
メルカヴァは絶叫するが、思い通りに巨躯が逸れ、わずかだったが航路が変わる。そしてその瞬間だった。ガレスの咆哮など比にならないほどの、耳を破壊する轟音が荒野に轟き、地面が割れ、内から溶岩がまるで間欠泉の様に噴き出した。
メルカヴァの側面は焼かれ、蒸発するが、巨獣もそれで死ぬほど弱くはない。人民を溶岩から守る盾となり、メイルストロムをぎりぎりで避けきった。
それを見てアルテはふぅと息を吐き、大仕事だったねとガレスに話しかける。シオンはメルカヴァを早く治療してあげたいという気持ちと共に、人々を守れてよかったと胸をなでおろした。
「あの、それで、いつまで胸を揉んでいるのでしょうかシオンさん」
「えっ、あ、ごめんなさい……」
それが、黒い巨獣と旅をする桃髪の女の子と、銀色の髪と眼を持つ女の子の、初めての仕事だった。
そのふたりが、このノヴァエテーレの大地を揺るがすことになるということは、まだ数人の獣王しか知らないことだった。
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