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ファンはいつだってすぐそばに

「えーっと、ほ、星宮さん?」

「……」


 ブイスターズ本社出てから、詩音は一切口を開かなかった。送迎のワゴン車の中でも、マンションのエントランスに入っても、玄関の鍵を開ける時も、ずっとフードで目を合わさずに一言も口にしなかった。

 これは、相当怒ってるんじゃないだろうか……?

 見ず知らずのウーバーの配達員がいきなり自分の職業を言い当てて、さらに会社のトップも関わる騒ぎになるなんて、そりゃあ怖いし迷惑もいいところ。気付けば時刻は10時過ぎ。したかった用事も丸つぶれで、愚痴のひとつでも叫ばなきゃやるせないに決まってる。

 玄関を上がりリビングに入ると、詩音はソファを指さす。

 

「座れってことで、いいですか?」

「んっ」


 勧められるがままソファに腰かけると、いきなり膝上にまたがって来た。


「あなた、ラノベ作家ってほんと……?」

「ふぁ!?は、はいそうです私がラノベ作家のシェルですッ」


 何が何やらアッチョンブリケ。女の子に突然跨られたことが何より意味不明だが、容姿がアイドル顔負けに可愛いことが一層理性を壊しにくる。 というか、今自分の上に跨がっているのが推し本人という事実がさらに意味が分からない。すでに峡の脳はオーバーヒート寸前だった。

 正面を見たら触れてしまいそうなぐらいの距離に推しの顔があるせいで、どこを見ればいいのか分からず目を閉じるしかなかった。もはやどうにでもなれの精神だった。

 小さな手がそっと頬に触れる。くすぐったくて、でも逃げることができずに身悶もだえる。

 すうっと息を吸う音がして、吐息が肌に触れる。


「初めて、会った……!本当の、ラノベ作家!!」


 恐る恐る目を開けると、トトロを見つけたかのような笑顔ではしゃぐ少女がいた。

 詩音は膝から降りると、リビングから出ていき別の部屋に駆け込む。すぐに戻って来ると、その手に持っていたのは、峡の書いた小説だった。



「それ、俺の……」

「あ、えっと、私ラノベとか大好きでっ!いつも色々読んでて、えっと、ファンです!握手してくださいっ!」

「え、えええええええ!?」


 もじもじ照れながら打ち明ける彼女に、ただただ開いた口が塞がらない。

 自分でニッチなとか極少数とか言ってたファンが、目の前に居た。しかも、推しのⅤが、自分のファンだった。今までの人生でこれほどまでに嬉しいことがあっただろうか。

 詩音から恐る恐る差し出された手を、峡は笑顔で握り返す。


「今まで読んでくれてありがとう!これからも楽しんでくれると良いな」

「は、はいっ!次巻も楽しみにしてます!」

「うっ、うん、楽しみに、して、て……」


 無邪気に喜ぶ詩音の笑顔に、峡はそっと視線を逸らす。まさか次巻で打ち切りです、だなんて言った日には、この笑顔はどうなってしまうだろうか?想像しただけでも峡は罪悪感で押しつぶされそうになる。

 峡が暗い顔で俯いたのを知ってか知らずか、詩音はテーブルからSwitchを持ってきて、緊張しながら峡にリモコンを差し出す。


「えっと、先生さえ良ければ、一緒にゲームしてくれませんか?」


 自分よりも背丈の小さい詩音に気を使わせちゃったな、と心の中で反省する。

 推しが一緒にゲームをしようと誘ってくれたのだ。断る理由なんてあるはずない。

 峡は笑顔でリモコンを受け取る。


「良いよ。それじゃ、何しよっか。マリオカート?」

「テトリスしよ!」

「おおう、絶妙なチョイス……」


 新刊を出せない事へのせめてもの罪滅ぼしにもなればいいなと思いながら、峡はテレビを向いた。



     □ □ □



 カーテンの隙間から、やわらかな木漏れ日が差し込んでくる。心地良い光が、ぬくもりとなり俺の眠りに寄り添って……


「暑い!!」


 夢の世界から叩き出された。峡はソファの上で目を覚ました。窓も開けずに真夏の日差しを直に浴びるなんて、そりゃあ暑くもなる。何故か冬物の毛布被ってるし、下手したら熱中症になっているところだ。

 と、峡は自分と毛布の間に何か居ることに気付く。クッションでもあるのかとめくって見ると、詩音が峡の服を掴みながらすぅすぅと静かに寝息を立てていた。

 カチン、と峡はフリーズする。

 未成年の男女が、同じ毛布にくるまって一夜を共にする。キケンな雰囲気しか漂ってこない文字列に、冷や汗が止まらない。

 俺、手出したりしてないよね?変な事してないよねえ!?と、心臓がバックバク騒いで鳴り止まない。やわらかい体とシャンプーの甘い香りが死ぬんじゃないかと感じるほどに峡の鼓動を速める。

 そこに突然、スマホの着信音が鳴り響いた。

 驚いて体が跳ねると、「ううん……」と詩音がうなる。峡は詩音を起こさないように出来るだけ静かに机に手を伸ばす。

 なんとかスマホを手に取ると、急いで電話に出る。


「は、はいもしもし」

『あ、もしもし。石巻峡さん?』

「はいそうですけども」

『私ウーバーなんちゃらの責任者なもんなんですけど、君昨日仕事してないよね?』

「え、ちゃんと商品をお客様までお届けしましたけど……」

『君昨日タイムカード切ってないから働いたことになってないのよ。商品発送完了の報せも入れてないし』

「あ……」


 そう言えば、と昨日の事を思い出す。昨日自転車に乗った時に、現想ミライの配信をつけただけでアプリで今から働くという一報を入れていなかった。しかもその後もブイスターズ本社に足を運んだりで商品お届け完了を通達していなかった。


「す、すいません。昨日はうっかりしておりました。本日からはまた……」

『いや、君はもういいよ。このアルバイトは外国人留学生とかもたくさん働いてるし、代わりの人なんていくらでもいるんでね。今日をもってクビだよ。今までの給料は振り込んでおくから。それじゃ』


 忙しいのかただ対応が荒っぽいのか、要件を伝えるだけ伝えると一方的に乱雑に通話が切られる。

 ただ呆然と固まる。

 こんな短期間で2回も解雇通知を受ける人も世の中珍しいと思う。もはや笑いたくなるが、現実は何一つ笑えない。やっと見つけたアルバイト、それすらも失った峡は、ついに微かな食い扶持くいぶちすらも完全に断たれたのだ。

 死んだ魚の目で天井を見つめる峡のお腹の上で、詩音が目を覚ました。


「ふぁあ~。おはよ、せんせ……どうしたの?せんせ」

「おはよう、星宮。大丈夫、仕事をクビになっただけだよ……」

「ふぅん」


 口から魂が抜けている峡は思考を介さずに、包み隠さず話した。

 すると、詩音があくびをしながら提案してきた。


「じゃあうちではたらく?」

「は?」


 つい素で返してしまったが、もう一度考えても「?」だ。

 詩音は部屋を指さす。それに釣られ、辺りを見渡す。

 視線の先にあるのは、曜日を過ぎた可燃ゴミのゴミ袋、無造作に脱ぎ捨てられた衣服の数々、積まれまくったマンガの山。足の踏み場が辛うじて残っている程度で、A型は即死するレベルの立派な汚部屋だった。今まで内装について詳しく触れてこなかったのは、これのせいでもある。峡は全力で見て見ぬふりをしていた。

 しかし、現実は無情にも詩音の圧倒的な家事力の無さを見せびらかしていた。。

 リビングを一周確認し、腕を下ろしこちらを見つめてくる詩音は、


「ごはんつくって」


 とそれだけ言うと、毛布を引きずりながら、奥の部屋へと消えていった。何の音もしてこないので、そっと扉を開け中を覗くと可愛い装飾の施されたベッドの上で二度寝を始めていた。

 あまりにも自由気ままな詩音に峡は自然と笑っていた。先程までの絶望感なんてどこかにいってしまった。

 グッと背伸びをする。事態は何も好転いていないが、やることを与えてくれただけでも詩音には感謝しかない。朝ご飯を用意するぐらいお安い御用だ。


「よし、飯作るか!」


 その前に、まずは顔を洗おうと峡は洗面所を探すことから始めた。


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