過去の苦味とこれからの美味
会計を終え外に出たところで、横から声をかけられた。
「あれ、岩垣じゃーん。久し~」
峡と同じぐらい、つまり高校生ほどの男子三人組が後ろにいる詩音へと声をかける。いかにも陽キャで、その中でもチャラく浅く軽い部類の人間に思えた。峡にとってあまり得意ではない人種に登場に、怪訝な顔をする。
声をかけられた詩音は驚愕と畏怖を含んだ表情を浮かべ、暗く顔を俯かせる。見るからに双方の仲は良い間柄ではないことは明らかだった。
そっと峡の服の裾を握る詩音の手が震えていることからも、多少の事情が読めた。
三人組のうち二人は詩音の事を知っている側らしく、残る一人は置いてけぼりにされているようで、隣の友人の話しかけていた。
最初に声をかけた男子が馴れ馴れしく詩音に近づき肩を組む。
「なあなあ岩垣ぃ。俺お前が居なくなってめちゃくちゃ寂しかったんだぜ?卒業式も来ないで、あのあと皆で遊ぶ予定だったのにさ?そうだ今度皆で遊ぼうぜ?俺さぁ高校の先輩から色んなオモチャ借りて遊んでてさ、お前大好きだっただろ?ピンクのちっちゃいやつ。今度はちゃあんと、最後まで遊ぼうぜ?」
まるで沼のような気色の悪い話し方で詩音を誘う。その言葉が一言聞こえるたびに詩音の震えが増していく。峡の男子への嫌悪感も増していく。
今にも足がすくみ座り込んでしまいそうなのに、詩音は言い返す。
「m、もう……遊ばない。いえで、やること、ある、から……」
「なんだよやることってぇ。知ってるぜ。お前高校行ってないんだろ?クラスのやつらもみんな知ってるぜ。噂になって、あん時は焦ったなあ。今度は、遊んでくれるよな?岩垣?」
「もう離せよ。嫌がってるだろうが」
ついに峡は耐えきれなくなり、詩音の肩を掴んでいた男の手を掴む。突然横やりを入れられたことに男子は露骨に不機嫌になり、峡へとターゲットを移す。
「なんですかあんたぁ。俺はこいつの中学の同級生なだけ!なんですけどぉ。岩垣も嫌がってなんてないよな?」
「そ、れは……」
「やめろ、嫌がってんだからもう突っかかるんじゃねえよ」
「だからあ、口を挟まないでくださいよ。っつかあんたそもそも何様なんですか?こっちの事情も知らないで、好き放題言ってくれるなあおい」
自分に歯向かう峡の態度に不満を抱いた男子は露骨に威圧的な態度をとる。だが、それに屈するほどの峡ではない。若干の身長の有利を使い、上から目線で威圧的に語る。
「うるせえ、なんだっていいだろ。それこそお前らには関係ねえよ。もう話はいいか?そろそろ帰りたいんだが」
「あれえ、逃げるんですか?つかまだ話し終わってないんですけど。岩垣もまだ俺達とお喋り、したいよな?」
気付けば反対側にもう一人の旧クラスメイトも回り込んでおり、そうそう逃げられるような雰囲気ではなくなった。あまりのしつこさと陰湿さに気を緩めたら今すぐにでも手がでそうになるが、ギリギリのところで堪える。ギリギリと奥歯を歯切りし、ありったけの敵意を持って男子を睨みつける。
その時、状況がわかっていなかったもう一人の男子が間に入り、男子の手を掴んだ。
「いいだろ伊波。帰りたいんだから帰してやれよ」
「でもコイツ突っかかってきて……」
「最初に突っかかったのはどっちだ?いいから、俺らも行くぞ。もう時間だぞ」
野球部だろうか。坊主頭の青年に諭され、心底不機嫌そうに舌打ちをする。
思わぬ援軍に驚いていると、青年がアイコンタクトで「早く行け」っと伝えてきた。それに小さく頷くと峡は詩音の手を握り脱兎のごとくその場を離れた。
後ろから制止を促す罵声が聞こえるが無視。一目散にマンションまで走った。
エントランスのセキュリティゲートを越えたところでようやく足を止める。ここまでくればさすがにあいつらも追ってくることは出来ない。全力疾走したことでにじみ出た汗を拭うと、詩音が前から抱き着いてくる。
「……今抱きついたら汗臭いぞ」
「いい。今は、こうしてたい」
「そうか……」
未だに小さく震える詩音の頭を優しく抱きしめる。
一人の少女が背負うには大きすぎる苦しみを、少しでいいから代わりたいと切に願う。
夕方の帰宅時間を知らせるチャイムが鳴り響くまで、二人は離れなかった。
□ □ □
エントランスを離れ、詩音宅に帰宅する。その道中、詩音は一度も峡の手を離さなかった。家に入ってからも手を洗う時や料理をする時でさえ片時も離れず後ろから抱き着いていた。さすがにトイレに行く時は放してくれたが、出てきたらまたすぐにひっつき虫なる。
相当、苦しかったんだろう。具体的に何があったのか峡は知らないが、想像に難くない。この綺麗な銀髪も、言い方を変えれば普通じゃない、変わり者の異端者だ。あまりにも目立つ詩音はあの男子のような輩には格好の餌食に見えるだろう。
詩音が何を経験してきたのかを聞くつもりなんて峡には一切ない。辛い過去を掘り返させまだ傷つかせるのはもうしないと心に誓ったのだ。俺は詩音のマネージャーとして一人のファンとして、そして一人の友人として詩音を幸せにすると自らに誓う。
そのためには、まずはこの少女の笑顔を取り戻さなければならない。
ハンバーグが完成し、未だに俯いたままの詩音は顔を上げることなく食卓の席に着く。
頂きますを言うそのタイミングで、峡は詩音に話しかけた。
「なあダイヤ。明日、水族館に行かないか?夏休みのイベントが今やってて、ペンギンとかカワウソが見れるんだってさ。良かったら、どうだ?」
峡の提案、それはお出かけの誘いだった。なんとなくだが、この家自体が今の詩音にはあまりいい影響を与えるとは感じていない。誰もいない空間は、より暗い方へと思考を惑わす。そんな負のループに入ったらなかなか抜け出すのは難しい。
だったら、物理的に明るい場所に行くのがいい。バスで少し行ったところの町中に大きな水族館がある。鬱々としている時はなにか動物を見た方がいいっと、前にどこかのネット掲示板で見た記憶があった。
今まで黙り込んでいた詩音は、そこで久しく反応を示した。
「ペンギン……?」
「ああ、皇帝ペンギンでも王様ペンギンでもなんでもいるらしいぞ。つか王様と皇帝って同居してていいのか?戦争起こんねえのかな?」
詩音は面白かったのかクスクスと笑う。
「ペンギン同士で喧嘩しても全然怖くなんてないよ」
言われて想像してみると、あの可愛いヒレでペチペチと叩き合うペンギンさんの姿が浮かんでくる。確かに全然怖くない。喧嘩と言うかじゃれ合いだし、擬音もペチペチと何とも弱っちい。
あまりの可愛さに堪らず峡も笑ってしまう。
詩音は陰りのない笑顔を浮かべ、峡とのデートを了承した。
「いいよ。明日、水族館に行ってたくさんペンギンを見ましょう」
可愛らしいその笑顔を見て、峡はほっと胸を撫で下ろす。一時だけでもいいから、こうして笑顔でいてくれて嬉しかった。
さきほどまでの嫌い空気はどこかに散っていき、そこに残ったのはハンバーグをおいしそうに頬張る一人の女の子だけ。
明るい食卓で二人は何時ぶりかも分からない楽しい団欒の時間を過ごした。