9 『ルナアリア』には奇跡が起きた
ルナアリアとなった私は、その後が大変だった。
占い札もそうだが、私自身に巫女の才能があるということで、まずは大聖堂の一番偉い人が出て来た。
どういう経緯で私はこの国に訪れて、何故占い札を持っていて、名前を与えられたのか、とウィリアム王太子殿下は詰められていた。どうやらお母さんのやった事はあまり人に知られていないらしい。まぁ、私でもお母さんは「悪女なんじゃ?」と思ったくらいだしね……。
だから別室で話してくる、と言ってウィリアム王太子殿下と大神官が立ち去ろうとした時、ちょこんと椅子に座っていた私の髪が急に伸び始めた。
実は、この髪の毛は何度短く切ってもこの長さまでは伸びるし、これ以上には伸びなかった。マリアンは知っていたけれど、楽でいい、と思って何も言わなかったし深くも考えなかった。まぁ、私も深く考えない人じゃないと私の事はお世話できないだろうなと思うし。
伸びただけならまだいいのだけれど、色が薄くなっていく。今まで夕焼け色だった私の髪は、白っぽい金髪になり、今まで伸びてこなかった分を補うように床にとぐろを巻いている。
「あれ……? なにこれ……、え、何、気持ち悪い」
私の素直な感想がこれだ。
灰色の瞳にこの色の髪がいきなりうぞっと床の上を這う程伸びたら、そりゃ、自分でも気持ち悪いというか。
たぶん奇跡なのだろうけど、この奇跡に何の意味があるのか分からなかった。
「月の色……」
ウィリアム王太子殿下が茫然と呟いて、あぁ、とやっと思い当たった。
そうか、『名無し』の私はずっと『お母さんの子』という存在だった。
そして今、『ルナアリア』という名前を授かり、私の髪は夜になる前の夕暮れ色から、月の色になった。
この髪が伸びなかったのも、そういう意味だったのか、と納得できた。そして、ルナアリアという名前によって、私は完全に夜に属する月になった。
「確かに月の色ですね。名前が付けられたからなんでしょうけど……今まではお母さんの子供、が私、だったから、お母さんと同じ髪の色だったのかな」
「見た事があるのか?!」
「あ、直には無いですよ。占いをした時に、出て来た女の人がたぶんお母さんだと思うので。そういえば、位ですけど……」
難しい顔で考え込んでしまったウィリアム王太子殿下は、大神官と話す前に、一度王城に連れて帰りたいと強く言った。
理由は、彼女は世俗から離れて生きて来たから、色々と体験してから自分で道を決めた方がいい、という真っ当な理由だ。私もそう思う。いきなり隣国からやってきて、奇跡が起きたからといって、私はこのベルグレイン教についても、母神についても、母についても何もかも知らなすぎる。
それに、世間のことも。
私には無いものがたくさんある。今日一つ、与えられたばかりだ。
人が最初に与えられるもの。名前。ルナアリア、これが私がお母さんの形見の占い札の他に、初めて自分だけのものとして持ったものだ。
「私、名前と札しかもってないんです。あの、札を返さないとダメですか……?」
大神官に恐る恐る尋ねてみた。大神官は、札は造れるのでそのままお持ちください、と何故か膝をついて私に頭を下げる。
不思議だったのでウィリアム王太子殿下を見ると、首を横にふる。これは膝をつかない方がいい場面らしい。
「ありがとうございます。大事にします」
これは紛れもなく本心で、私はひとまず、王城に連れ帰られることになった。