7 首都と教会と『名無し』
順調な馬車の旅の中で、私はジュレイン王国での常識を少しずつ教わっていった。
お金は全てコインで、錫に他の金属を混ぜて硬度を高くしたジュレイン硬貨、100枚でジュレイン銅貨、銅貨が100枚でジュレイン銀貨、銀貨が100枚でジュレイン金貨、高額取引に使われる金貨100枚の価値のあるジュレイン白金貨があるらしい。街中では硬貨と銅貨がメインで、銀貨10枚が平民の月々の平均的な収入だそう。
私はためしに硬貨と銅貨を持って屋台で果実水を買ってみた。果物を水につけただけのものだけれど、銅貨1枚で一つ買える。果物の香りが口いっぱいに広がるのに、甘くはない。サッパリして美味しかった。
「飲食物もお金と交換するんですね、服はよくねちねち言われてたんですけど……基準はあるんですか?」
「飲食物だけじゃないよ。店で売られている商品には全部対価が必要だね。各町の商工会議所で仕入れ値、加工費、人件費を加味して決められているよ。もちろん、素材の値段もだけど、加工ならばその技術や技術者の技量、人件費なら貢献度やこれもまた技量で、値段はかなり変わる」
「……お店を開くのも難しいんですね」
聞いているだけでもとっても面倒くさそうだ。勉強は好きだけれど、私は経営には向かないだろう。雇われて計算くらいならできるようになるかもしれない。
そんな事を繰り返しながら首都に着くと、三角屋根の石造りの、荘厳な建物の前に馬車が停まった。お城とも違う。
門は大きく、庭は無く大通りに面していて、門の遥か上の屋根のところに布一枚を纏った女神の姿の像があった。
「ベルグレイン教の、ジュレイン国の大聖堂だ。城の前に、ここに寄るよ。……君には、最初に与えられるべきものが与えられていない。我々は君に与えられる立場に無い。君に、『名前』を与えてもらう……ベルグレイン母神に」
驚いた。名無しというのも、世の中の人がみんな名前を持っているから、いっそ個別記号の判別識としてはいいのではないかな、と思っていたのに。
「私に……名前、ですか? 名前は必要ですか? 私だと、名無しという事で判別できるのに?」
「名前は判別のためにあるわけじゃないよ。……私のウィリアムは、未来に幸あれ、という願いが籠っている。君にも、そういう名前が必要だ」
そんな意味があるのか、と思うのと同時に、16年間名無しと呼ばれてきたので、戸惑いも大きい。
母神に付けてもらうというけど、どうやってだろうか。
とにかく私は、行こう、というウィルさんに従って教会の中に入った。
「……ただいま」
なんとなく、占い札がそう言って欲しそうな気配を出していたので、私はそっと口の中でつぶやく。
『おかえりなさい』
誰の声かわからなかったけれど、頭の中に、優しい声が語りかけてきた。これが母神の声かもしれない。
椅子の並んだ聖堂の真ん中を小走りにウィルさんを追いかけて、私はいよいよ名無しでは無くなることに、少しの高揚感を覚えていた。