2 『名無し姫』売られる
「もう! 抜け出されたせいで、私たち本宮勤めになっちゃったじゃないですか!」
一体何をそんなに怒ってるのだろうと思いながら、鏡の中のマリアンを見る。
本当に怒っている。お城勤めなら給料も悪くないはずなのに、私のところだと特別手当がつくのだとか。
その剣幕とねちねちとした怒りの言葉に、本当に私の洋服でも全部売ってしまいかねないので、密かに最低限の着替えは替のシーツに包んでベッド下に隠しておこうと思った。
ローザもペリトンも城に戻るらしいが、肝心の私については何も語らない。散々喚いて落ち着いたマリアンに困ったように笑いかけた。
「ごめんね、マリアン。私はなんであなた達が城に戻るか知らないの。何でかしら?」
「……隣国の大使様が、夕陽色の髪と灰色の目をしたお嬢様に一目惚れしたと言ったそうです。名前がないと言っていたと。陛下は気分を害されて、そんなに気に入ったなら持って帰れと。タダで貰うわけには、と言ったら銅貨1枚でいいだろうと。名無し様は銅貨1枚で隣国行きになりました」
あら、まぁ、なんというか……私安いわねぇ、という感想が先に来てしまった。
王家の血が入ってるのにその値段でいいのかな、と思っていたら、マリアンがとびきり意地悪く笑った。私をいじめる時、マリアンは非常に楽しそうにする。彼女は私以上に娯楽が無いらしい。
「名無し姫ですからね、名前が無いから戸籍が無い。戸籍が無いから我が国の王家の血も証明できない。存在がそもそも秘されていたのに……だから私たちはお手当が貰えたんですよ。今後はお手当もないのに名無し様の話をしたら打首です、やってられませんよ!」
できましたよ、と言って私の髪を梳ったブラシが離される。
「ありがとうマリアン。今までお世話になったわね、また挨拶するとは思うけど、楽しかったわ」
ローザは喋らないで洗濯や食事の世話、ペリトンは荷運びばかりで、結局なんだかんだ一番そばにいたのはマリアンだった。
私のことが嫌いなのか好きなのか、見下してるのか、仕事が楽でお給料がいいのだけがよかったのか分からないけど、まぁでも明日にはどうせ私はここを出るのだし。
16年お世話されたし、その間にこれだけ情が湧かないのも何かの縁だろう。なんだかんだ聞いたら教えてくれるところは好きだったわ、マリアン。
うまく言葉にできなくて微笑んで頭を下げると、彼女は困ったような顔をした後、首を横に振って辞去の挨拶をした。
「……いえ、おやすみなさいませ、姫様」
パタン、と扉が閉まってからが大仕事だった。寝てる間に服を取られて、寝巻きで隣国になんて事になったら流石に恥ずかしい。
旅にもなるだろうし、下着の替えと服を何着か、無駄に大きなシーツに包み、ベッドの下に押し込んでから占い札を抱えてベッドに潜った。
着替えはいい、もうベッドの下のものまで取られたらそれは仕方ない。
でも、占い札だけは、ダメ。これだけは手放せない。だから、一緒に寝るし、一緒に隣国に行く。
どんな所だろう、隣国。大使様は優しそうだったから、あんまり心配はしていないけれど。
少し楽しみな気もする。ここも、楽しくないわけじゃなかったけどね。
明日が楽しみでなかなか眠れないなんて、はじめての事だった。