第五話 ブルースト
あんぱんが魚の餌となり完全に自然に還った頃、船はブルーストが肉眼でも見える距離へと近づいた。ピールスリンよりも遥かに北にあるため、年間平均気温がピールスリンと比較しても低い。多くの乗客は、厚着をし始めている。しかし、そんなこと知らなかった太郎は防寒対策をしていない。
太郎は空腹との相乗効果でより一層寒く感じられた。身震いをしている中、船内放送が流れる。
「まもなく、ブルーストです。お忘れ物の無いようお気をつけください。ドラゴンが確認された森までは馬車での移動となります。馬車はピールスリン公営ギルドではなく、ブルースト公営ギルドの管轄となります。なお、帰りの便は今から三日後の朝方です。乗り遅れた場合、自腹での移動となります。それでは三日後」
空腹に響くような放送が流れると、船内にいた人たちは一斉に下船準備を始める。太郎も下船準備をするが、ふと不安が口から溢れた。
「ああ、三日間食事どうしよう。一日食べなかったところで大丈夫だと思うけど、三日何も食べないとなると流石に生きてるかわからない」
はっきり言って、太郎たちはほぼ金欠も同然である。ブルーストの物価までは知らないが、食事に困ることだけはすぐに太郎でもわかった。
「ドラゴンの居場所は森ですし、森に何か食べれそうなものあるでしょう」
森の中が毒キノコだらけでないことを願いつつ、太郎はふらつきながらブルースト港の埠頭に降り立った。そして、添乗員に連れられて他の参加者と一緒に馬車乗り場へと向かう。
「ここがブルーストか……。きれいな街だ」
太郎は、ブルースト港からを街を眺めた。
実際のところ、ブルーストはピールスリンよりも経済的には貧しい。ピールスリンの街で見かけた高い建物も、殆どなく大抵は三階建てまでである。
しかし、ピールスリンに比べて街の雰囲気が良いのだ。街を歩く地元住民は、ピールスリンの民よりも良い笑顔をしている。
太郎は歩きながら馬車乗り場に到着する。よく見てみると、船で見かけたことがない者も多くどうやらピールスリン以外からも来ているようだった。
そんな中、太郎はあることに気づく。
「どうしたんですか?」
心配そうにアマラが太郎の顔を覗くと、太郎は顔を真っ青にしており何か焦っているようだ。
「いや、……馬車の運賃無いや」
「あ」
いくら財布を確認しようが、財布の底で光っているのはペソ硬貨一枚だけである。
「それではみなさま、ご乗車下さい」
そんなことも知らぬ添乗員が参加者に乗車を促すと、それに呼応するように次々と参加者が乗車していく。ほとんどが乗り終えた後、財布を見ながら固まっている太郎たちに添乗員が気がついた。
「あなた達もドラゴン討伐クエストの参加者ですよね。どうかなさいましたか?」
「あの~。馬車の運賃っておいくらほど……ですか?」
金を持っていないとわかれば即刻降ろされるかもしれないという恐怖を背負い、手をすり合わせながら刺激しないように丁寧に聞く。
「運賃ですか? そんなものありませんよ。なにせ、クエストに付随する費用は全部依頼主負担ですよ? 船代も無料でしたよね? そういうことですよ。他に何事もなければご乗車ください」
「そ、そうですか。わかりました」
太郎は違和感を覚えつつも、添乗員の勧められるがままに馬車へと乗車する。もちろん、太郎とアマラは隣同士だ。
「あの、デフォーシさん。添乗員の話、聞いてましたか?」
太郎はとなりに座っているアマラの耳に小声で確認した。
「はい、聞いてました。諸経費は依頼主負担だと」
「でも僕たち、船代支払いましたよね?」
「はい、支払いました」
ピールスリン公営ギルドで支払った船代は一体どこへ消えてしまったのか。太郎たちは疑問に思いつつも馬車がブルーストの最奥部、湖のある森へ向けて発車した。
◇
やっぱり、聞き間違えかもしれない。そう太郎は馬車に揺られながら先程の添乗員の発言について熟考していた。空腹に苛まれるあまり、都合の良い幻聴をしてしまったのかもしれない。公的機関とはいえ、経費は抑えるに決まっている。バレたらしっかりと謝って歩いて向かおうと。
太郎が無賃乗車がバレた時の言い訳を必死に考えていると、車内放送のアナウンス流れた。クエストの参加者のいる馬車全てで流れているとされている。
「正午になりましたので、昼食を配布致します」
そう車内放送が流れ、太郎たちの元にも木箱が送られてきた。
幻聴が聞こえるくらい空腹とは言え、食事代を気にするとやはり食べる気にはなれなかった。しかし、周りの参加者は何の躊躇もなく木箱を開け、貪り始める。
中身は玄米を中心に、野菜や魚類などをふんだんに使っている。貧乏性の太郎たちからすれば、豪華極まりないものである。そのためか、思わず太郎の口からよだれが滴る。
「どうした? あんた、調子が悪いのか?」
前に座っている中年剣士が、座席から乗り出し口いっぱいに玄米を詰め込みながら質問した。船では見かけなかったことを見ると、別のギルドで受注したようである。ドラゴンのような一大事となっては複数のギルドから募集をかけるのが通例なのだ。
「いや、食事代のことを考えると食欲が湧かなくてね」
この答えを聞くと剣士は玄米を口からこぼしてしまうのではないかと思えるくらいに大笑いをし、必死に口元を押さえていた。なぜ笑われたのか太郎はわからずに、剣士が笑っている様をただ眺めていた。
「さてはあんた、これが初クエストだろ? 遠距離の移動が必要となるクエストを受注した場合、移動費用と食事は全部依頼主が負担してくれるんだ。依頼主が金銭的に厳しい場合は、ギルドが補助してくれるんだ。なにせギルドは公的機関だからな。気にせずに食え」
そう言って剣士は元の席に戻ると米をまたもや詰め込み始めた。そんな中、太郎は改めてアマラに問いかける。
「あの、デフォーシさん」
太郎は視線をアマラに動かさないままアマラに呼びかけた。勿論、アマラも弁当代を考慮しており未だ弁当には手を付けていない。
「はい」
「二度も都合がいい幻聴を聞くなど、相当空腹が酷いに違いないと思うんだ」
これが太郎が独自に導き出した結論だった。いざとなったら逃げ出すことを想定し、覚悟を決めると木箱を開け太郎は中身を貪った。釣られるようにアマラも弁当を食べ始め、無事に二人の空腹は満たされた。
◇
暫くしてドラゴンが確認された森へ到着する。下車時に金銭を要求されることを覚悟したが、やはり取られることはなかった。ピールスリンからブルーストまでの交通費は、必要最低限の経費だから恐らく依頼主が負担したのだろうと納得する。
馬車を降りると、そこには延々と広がる蒼い森。木は青々と背丈を競うように生えている。地面には花やキノコ、枯れた植物に何かの動物というように生態系豊かだ。毒キノコだらけでないことを確認でき、太郎は一息ついた。
「三日後の明朝、この馬車はブルースト港へ出発します。それでは皆様の活躍をお祈りしております」
添乗員から説明を終えると冒険者達の顔色が変わる。そして、「おおおおおおおお!!!!!!!」と雄叫びを上げながら我先にと森の奥へ駆けていった。
このようなことに慣れていない太郎は、叫ぶ雄々しい冒険者の海に囲まれて身動きが取れず結局残ったのは三人だけだった。
太郎と、アマラと謎の女騎士だけである。女騎士は、いかにも壺を高額で売りつけてきそうな怪しい風貌をして仮面をつけた高身長の女性であった。
「僕たちはゆっくり行こうか」
「そうですね。あんな馬鹿みたいにはしゃぐなんて、バカバカしいです」
太郎たちは、女騎士など一切気にせずに森の奥へ進もうとする。しかし、女騎士が後ろから付いてきており、不穏な視線を感じた。早くこの場を去ろうと太郎たちは進むペースを速める。
「まてい!」
太郎たちが女騎士から逃げようとしていたのがバレたのか、女騎士は右手の掌を突き出し静止を求めた。
「我が名は、ステフィー・チフッチこの世では今、孤立無援の状態であるのだ。我が眷属としてすることを許そうぞ」
太郎はすぐさま顔を顰めて思った。こいつは絶対面倒くさい奴だと。
いきなり話しかけてきたと思えば、何なのだ。見た感じ、フランク以上に面倒臭そうな奴である。関わらんほうが良いだろう。そう思い、刺激しないように丁重に断る。
「それはちょっと──」
太郎が断りを入れようとするが、その言葉は遮られた。
「いいですよ」
なぜアマラは、こんな面倒くさそうなやつがついてくることに肯定したのか。
太郎は自分自身で考えてみたのだが、すぐに理由はわかった。
こんなに面倒くさいやつなのである。言っても付いくるのは明白であったのだ。
「至極当然の結果だな。うむ」
女騎士は自分で納得しており、腕を組んで自惚れていた。勿論、そんな姿を見るほど太郎たちの瞳は暇ではない。
「仲間は多いほうがいいです。それにあの武器、上級素材で作ったランスです。仮面以外は憧れます」
「確かにそうだな……」
言われてみれば、さっき太郎が見た他のギルドは五、六人のパーティーばかりであった。太郎たち二人だけでは心もとない。それに、あのようないかにも高そうな武器を持っているということは、実力がある可能性がある。面倒臭いのは確実だが、腕がいいならある程度も許容できた。
「よろしくお願いします。ステフィーさん」
「うむ、良きに計らえ」
太郎とアマラを眷属かなにかだと思っているステフィーに、太郎はこの旅はストレスフルになりそうだと思った。
「まずは相互の理解を深くすることだ! 我の自己紹介をしよう。なにせ、この物語の主人公だからな! では、我がこの地上界に降臨したときから話そう。我はな──」
ステフィーが突拍子もない行動に出るのは二人も当然予測済みだ。しかし、まさかいきなり行動に出るとは思ってもおらずその上で意味不明であった。
やっぱり同行を許可したのは間違いではなかったかと太郎たちは思う。
「さぁ行こう! すぐ行こう! 森へ行こう! ふはははははは!」
聞くと頭が痛くなりそうなので聞かないようにしているが、どうしても頭の中に入り、また耳から抜けていく。アマラも苦しんでいるのかと思いきや、どこから手に入れたのか耳栓をしている。
こうして太郎だけ神の信託とやらを聞く羽目になったのだった。
◇
森の中の移動を進め、太郎がステフィーから『神降臨~神足し算を覚え全知全能になる』まで教えてもらった時にはもう湖に着いていた。
森の中にある湖は、周囲数キロ程で湖面は深いのか青々しく空を反射している。
辺りを見渡すと、既に多くの冒険者が到着したらしく大規模な捜索が行われていた。
「どうやら、一足遅かったようだな! だがこの神託を拝聴したことは有頂天外の喜びであったろう?」
「ズイキノナミダデ、マエガ、ミエマセン」
ステフィーに洗脳されてすっかり瞳に光が宿らなくなった太郎は、阿るロボットの如く答えてみせる。
「そうかそうか、勉強になって何よりだ」
ステフィーがこれまでに言ったのは第四章だ。しかし、三百章近く残っているらしい。記憶力を別の所に活かせなかったのだろうかと、僅かに残る太郎の意識は考えた。
「我が眷属よ! 湖の南に精霊が住む泉があるという情報を以前聞いてな? そこへ向かうぞ」
偉そうな態度をとり、その見た目も相まってその泉も本当にあるのかどうか疑わしい。あまり太郎たちは受け入れたくなかったが、アマラも諦めたようでありもしもの可能性を踏まえて従うことにした。
「では次から第五章に入ろう。我が神掛け算を習得した我は、この世の全てと一体化するために──」
その後、湖の畔を歩きつつ湖の南側へと到着した。
「どうだ。ふむ、随喜の涙で目がボロボロ? 拍手喝采が止まらない? そう褒めるでない」
ステフィーは自惚れているのか、体をくねくねと動かした。しかし、その高身長も相まって非常に不気味に思えた。
「なんだろう……ムカデが人間サイズだったらこんな感じなんだろうなと思います」
淡々とアマラはおぞましいことを言ってのける。それでも、ステフィーの信託洗脳から解放されるにはまだ不十分であった。
道中にステフィーが伝えた信託は、『神掛け算を覚え宇宙と一体になる~神美しいお面と運命の出会いをし、人間に堕落する』までである。
その時には太郎は何かを考えることをすっかり止めて無表情のまま歩いていた。
「タローさん、到着しましたよ? 大丈夫ですか?」
アマラに声を掛けられ、再び瞳に光を取り戻した太郎は自らが泉に到着したことを悟った。
深い木々に囲まれた中にある、翡翠色の水をした小さな泉だった。どうやら穴場のスポットのようで、冒険者は一人もいない。その上、精霊も居なかった。
「精霊居ませんよ? ステフィーさん」
アマラはステフィーの方を見るが、最初から期待していなかったため怒っている様子はない。むしろ哀れんだ様子だ。
「任せろ! 我は精霊召喚なら前世で習得済み! 我が詠唱に、恍惚するがいい!」
すると巨槍グングニルという信託にも登場するランスを天に掲げた。装飾が各所に施されており、宝の持ち腐れだと太郎たちは暗に思う。
「台本9p28行目『継母「シンデレラ?もう掃除は終わったの?』」
ステフィーが突如として行ったのは、まるで壇上の上での演技だった。
「「……??」」
全く意味がわからない太郎は、アマラの方を見る。もちろん、アマラも理解していない。
いわゆる、ステフィーの頭の中における空想上の産物なのだろうと考えていると、泉も含めたあたり一面に大きな魔法陣が浮かび上がる。そして、泉から一人の女性が現れてきた。この場に似合わない軽装をしており、どこか神々しさがあった。
「ようこそ私の泉へ、私の名はオルファ・ベルロー。この泉に来たものに何らかのレア素材を提供するギルドの役人でございます」
本物の精霊かと思いきや、公僕のようだ。しかも、泉をよく見ると上下に移動するリフトがある。
異世界なんだから本当の精霊ぐらいいてもいいじゃないか。そう心の中で呟いた。
「本名だと呼びずらいので、差し支えなければ何かのニックネームをつけてくださいませんか?」
「そうですね……セメドン小林でいいですか?」
アマラが何を思ったのか、意味不明な名前を提唱した。
「芸人みたいであまり好みません。他にはありませんか?」
「じゃあ蟻野郎で」
太郎も、考えた名前を提唱した。
「うーん……」
どうやら、セメドン小林と蟻野郎はどちらも受け入れがたいニックネームであるらしい。
「ふむ……。では、我が信託の第二十七章。天地創造神話に出てくる──」
「究極の二択ですね……じゃあ前者のセメドン抜きで」
二択から迷った挙げ句、どうにか不本意ではあるらしいがニックネームが決定した。
「はぁ……。仕事辞めたい」
小林は、一見血行がよく見えるが化粧でごまかしているだけであった。実際は、激務公務員らしく窶れて青白い。心配したくなるが、そんなことより太郎たちにとってはレア素材の方が遥かに重要な問題である。
「こちらをどうぞ、レア石です」
小林がリフトの中に入っていた石を取り出し太郎に渡した。
「石?」
「異論は認めません。ばいばいきんです」
そういって、小林はリフトを操作し泉の中に帰っていった。結局彼女は何だったのかと思いつつも、貰った石の方に気がそれてしまう。
「何だこの石? どこにでもありそうだが」
改めて確認するが、河原で落ちていそうなどこにでもある小さい石だ。直径数センチほどの灰色の物体だ。
「この騎士が呼んだので、この人のせいでは?」
「見くびるでない。我が信託によって鎮座していた精霊が聴きに出現したのだ! まあその石はいらんがな!」
自分で呼んでおいてなんと無責任な野郎だろうか、ステフィーへの呆れが貯まる。
「それより、さっきから愚かな小竜が我の周りを囲い、崇め奉っておる。さて、どうする?」
咄嗟に太郎は周囲を見渡す。太郎が気がついていなかったが、先程から小竜が、数十匹太郎たちを狙っていたのだ。小さな声で鳴いており、仲間を呼び寄せていたのだろう。
「どうするってもう」
「我が信徒を伐つのはいたたまれないな」
頭を抱えているステフィーに、太郎は頭を抱える。
「あなたの頭がいたたまれませんね」
こうして三日間はあっという間に過ぎていった。
なんだかんだ、一番足手まといだったのは騎士だった。グングニルはメチャ弱く。小竜の骨にすら刺さらなかった。やっぱり、置いていくべきだったと太郎は後悔している。
ちなみに、小林からもらった石は、竜の角の一部だったことが分かり3000ネスで買い取られた。
そして、添乗員の指示に従い、馬車に乗り込む。明朝とは言ったものの、地平線の向こうに茜色は見えていない。
「我が力を駆使しても見つけられないとは、さては組織の陰謀だな!」
不幸なことに、帰りの馬車でもステフィーと太郎たちは同席になることがが決まってしまった。
「タローさん。こっちに来てから碌な人と会話できてません」
「僕もだよ」
馬車の中、小声でそう窶れた顔で背凭れに凭れ掛かりながら太郎たち二人は会話した。
だが、港に付くまでには更に窶れているだろう。なぜなら、馬車の中でステフィーが信託を延々と告げているからであった。
港へ戻ると、冒険所たちはみな船乗り込んでいた。ドラゴンは結局見つからず、鱗や角を拾い報酬があって喜んだもの、なくて悲しんだものそれぞれだったが、死人は一人で済んだ。ハンガー君よ安らかなれ。太郎は雲の上に居るハンガー君に合掌をしながら1秒にも満たない時間黙祷すると、船に乗り込んだ。
「これからまた船の旅か、3000ネス大切にしないとな」
そして、ピールスリンへの船が出発する。離れていくブルーストを眺めていると、ステフィーが居ることに気づく。
「あれ? ステフィーさんなぜここに?」
アマラの声は震えており、おまえと一緒にいたくないといいたげな雰囲気だ。
「我が眷属に教えてやろう。我が故郷はピールスリンなのだ」
どうやら船の旅までこのステフィーと同伴することになるらしく、二人は全身の力が抜けたように項垂れた。
2022/06/04 再改訂